第19話 満天の海で捕まえて

 漆黒の闇。それは世界を天蓋のように覆い尽くした。集まっていた私たちは分断され、一体今は誰がどこにいるのかわかったもんじゃない。第一ここがどこで、私が生きているのかさえよく分からない。何も見えないのだ。光がないとは、そういうことだ。

「でも、私わかったんだ」

 何も見えないことが、絶望の条件じゃない。

 本当の絶望の条件は、自分の中にさえ、希望のひとかけらを見つけられなくなることだ。

 目には見えなくても、私にはわかる。

「暖かい。レオくんは暖かいね」

「だってぼくはライオン紋の王子様です。こんな暗闇へっちゃらですよ」

 私は今、星を抱いている。

 天に光るだけだった星は、いつしか俯いてばかりの私を心配して、こうして降りてきてしまった。私たちは落ちてきた星の輝きばかりに目を奪われて、大切なことを見失っていた。見失わなかった人は、きっと最初から気付いて、そして信じてきたのだ。


『光がない。どこにもない。もっと、もっと光を』

 人々は光を求めて、街を彷徨う。

 覚束ない足取りで、暗闇を彷徨う。

『光だ。なぜ光っている。お前は』


「信じているから」

 この街は暗闇に包まれれば、簡単に動けなくなってしまう。コンベアーが動いても、いったいどこに辿り着くのか、誰も分からないからだ。まぁ今はそのコンベアーだって動いてないけど。


 踏み締めると、青い光が足跡になって残る。

 暗闇の中で、ほのかに光る足跡たちは、彷徨う人々の寄る辺となるだろう。


「お姉ちゃんも、星を掴んだんだね。すごいや」

「君にばっかり、押し付けてもいられないでしょ」


 私はレオくんを地面に下ろす。オレンジの光は地面に降りると、そのコンベアーにオレンジの足跡を残す。私よりも輝いている。それでいいのだ。


 私はレオくんと手を繋ぐ。

 手を繋いだところが、青とオレンジが混ざった色になる。赤い色。私たちが遠ざけていた色。ヒーローの色だ。


「ねぇ、レオくん。どうして、私を、この街を選んでくれたの」

「何ででしょうか。今はもう分かりません。でも、あなたでよかった」


 走ろうか。そう尋ねると、レオくんはうなづく。足跡は不規則でもいい。不揃いでもいい。途中で踊ったりしても構わない。だって私たちは生きている。星の光で輝いて、今を生きているのだ。


「楽しい」

「ぼくらなら、どこへだって行けますよ」


 走っていてもここがどこかなんて、目的地に近づいているかなんてわからない。街は複雑だ。いったいここが何処なのか、誰も教えてくれない。それでも君となら、歩いて、走って、踊って、足跡を残していける。そうやって走っているうちに、私は嫌でも気付くようになる。緑やピンク、茶色やグレー。いろんな色の、似通っていてもおんなじなんかじゃない、特別な光たちの存在に。彼らも私たちのように、この街を迷いながら、踊りながら目的地を目指している。たった一人で踊る人は、とびきり素敵だ。その人の足跡は他の誰より輝いている。明滅が激しいけど、ちらりと私を見つけたら、途端にぱっと輝きだす。


「ご機嫌よう」

「ご機嫌よう」

「あなたは何処へ行くのですか」

「何処へでも。ここではない何処か。貴方は」

「私は無くしたものを、取り戻しに」

「もう。落としてはいけませんよ」

「はい」


 光たちは迷いながら、それでも一つの目的地へ急ぐだろう。みんなが迷えば迷う分だけ、街は足跡で一杯になる。足跡でいっぱいになれば、街全体が輝いて見えるようになる。


 私とレオくんも、その目的地にようやく着いた。東の町と西の街を繋ぐ陸橋だ。橋を塞ぐように、一つの扉が立ち塞がっている。


「行こうか」

「うん」


 光たちの中で扉に挑もうとするのは私とレオくんが最初だった。暗闇の中でも二人で両扉を押して。開く。


 いつか見下ろしていただけの赤い絨毯の上に、私はレオくんと共に立っている。そうして一緒に浮遊する九つの議席を見つめている。


 ヒト「誰だ」

 ヒト「何故だ」

 ヒト「ここは私たちの許しなしでは」

 ヒト「入室することさえできない」

 ヒト「聖域だ」

 ヒト「秩序だ」

 ヒト「侵されざるものだ」

 ヒト「不届きものめ」

 ヒト「ノケモノ風情が」


 ノケモノ「果たして、そうでしょうか」

 王子様「僕らは、そうは思いません」


 ヒト「思わないからと言って」

 ヒト「それだけではないか」

 ヒト「願うだけでは」

 ヒト「何も変わらん」

 ヒト「我々のように」

 ヒト「行動と力と知識がなければ」

 ヒト「たどり着けなかったのだ」


 ノケモノ「でも、そこに希望は見つけられたかしら」

 王子様「希望は、追い求めるだけでは掴めません」


 ヒト「希望」

 ヒト「希望だと」

 ヒト「笑わせる」

 ヒト「そんなものこの世の何処にもない」

 ヒト「探しても見つからない」

 ヒト「誰も教えてくれない」

 ヒト「見つけても踏み潰される」


 ノケモノ「いいえ。例え踏みつけられたってなくなるもんですか」

 王子様「君たちは知ることさえ許されなかったのかい」


 ヒト「黙れ!」


 ヒトはノケモノと王子様に『懲らしめの鎌(アギト)』を差し向ける


 ノケモノ「やっぱり」

 王子様「あなた方が持っていましたか。恐ろしくて、手放せなかったんですね」


 ヒト「うるさい!」

 ヒト「刈り取られることがなければ」

 ヒト「奪われることもない!」

 ヒト「これは生きるために必要なことだ」

 ヒト「真理だ」

 ヒト「真実なのだ」


 ノケモノ「大丈夫です。私たちは『毛深い」。毛深い心臓を持っています」


 王子様「『毛深い』心臓は醜いけれど、それでも暖かいものを秘めています。僕らはそれを知れば、背負っていけます」


 ノケモノは王子様を見やる。

 王子様はノケモノに胸のライオンバッジを外して、つけてやろうとする。

 ノケモノはそれを拒んだ。


 ノケモノ「大丈夫。お姉ちゃんだもの」

 王子様「そうなの」


 王子様はライオンバッジでしか変身できないと思っていたので、驚いた。


 ノケモノ「選ばれなくっても、みんな最初から心に持ってるから」


 ノケモノ『獅子心臓に懸けて!』


 仮初の化けの皮ならば、簡単に剥がれるが道理なのだ。

 しかし、胸の内に秘めた真の輝きならば、どんなに摩耗しようとも、胸の内に灯り続ける。ライオン紋の王子様は驚いて目を丸くした。いや、見惚れていた。世界を塗り替える青い輝きは、ライオン尻尾の少年には奇跡に見えたのだ。


「すごいや、お姉ちゃん」


 それは果たしてライオンではなかった。狼。その頭蓋骨を勇ましく被り、青い外套は背中に流れる。黒い瞳には銀の虹彩が円に光っている。


「太陽を食べる天狼ってところかしらね。太陽を追いかけて追いかけて、追いかけているうちに北の空から南の空に来ちゃったの。でもようやく帰ってこれた」


 天狼の手には銀のナイフが握られている。


「あっそれ」

「ご名答」

「使い方わかるの」

「た、多分」


 天狼は『ノケモノ会議』の中央目掛けて駆けて行く。『懲らしめの鎌(アギト)』は振り子刃のような形をしており、天狼の行手を阻もうとする。ヒトはただ怯えるばかりで、我が身を案じ、事の是非さえ考えない。天狼は揺れ動く鎌の大きな刃に己が小さいナイフの刃先を沿わせ、時に弾き、時にいなし、弾き飛ばされようとも立ち上がり挑んでゆく。


 そうして二つの刃先を突破した天狼は『ノケモノ会議』の赤い天幕を、銀のナイフで引き裂いた。

 天幕に隠されていたのは最も中央に置かれた王座であった。

「レオくん!」


 天狼の呼び声に応えて、王子様は答えた。


「王座は今解き放たれたり!」

 それはこの会議を終わらせるライオン紋の王子様のみが知る符号であった。


 王座から呼応するように金色の光が迸る。ヒト型の靄はその威光に形を保てず、次から次へと靄となって消えてゆく。白い仮面を残して、過去の亡霊は秘密のヴェールを剥がしてゆくのだ。

 最後の一人が消えてゆくとき、天狼はか細い一つの言葉を聴いた。

 

 「弱くあれども、真実を見ろ」


 天狼はその言葉を頭の片隅に覚えておくことにした。

 亡霊の靄が消え失せると、そこにいたのは黒蠍を生み出す「ノケモノ会議」を開催した人々だった。高校生の男。中学生の女。主婦。タレントの男。スーツを着た若い男女。私服の老人の男女。主催者はテレビで見たことのある政治家のような服をしている。私は彼らの白い仮面を剥ぎ取ってゆく。剥ぎ取られた人々は各々恥じ入って叫び声を上げる。そしてそれぞれ私に顔を見せないように下を向くが、下を向いてもそこにはレオくんがいるので、意味がなかった。卑怯者。レオくんは議席に座った人々にそう叫んだ。その目には涙が、今にも溢れそうだ。彼らは慌ててこの「ノケモノ会議」から居なくなる。ログアウトしたのだ。


 レオくんは本当の敵が居なくなった「ノケモノ会議」の舞台の上で、次々と流れる涙を両手で拭おうとする。しかしいくら拭っても涙は流れるばかりで止まらない。レオくんは涙を拭うことを諦めて、私の方を見上げた。

 「ありがとう、お姉ちゃん。お姉ちゃんが居なかったら、ぼくはもうダメになるところでした」

「何言ってるのよ。弟は姉に頼りたい時は頼っていいのよ。弟を泣かせる奴らを私が見過ごすものですか」

 

 レオくんは私のその言葉に笑顔を見せて言った。

「さよならです」

 私は驚いて、とっさに何の返答も返せない。

「この空間はもうすぐ崩壊します。でも王座に僕が座れば、この世界は保たれます。ぼくは先生の代わりにあの王座に就いてこの世界を管理しなくちゃいけません。ぼくは、ライオン紋の王子様なのです。」

「保たれても、君はどうなるの」

「ぼくは、あの席に座ったままになります。でもこの世界をずっと見下ろして、お姉ちゃんのことも見守っていますから。だから、心配しなくて、いいです。」

 大粒の涙を流しながら、何を気張っているのだろう。こんな責務を背負わせてしまったのはきっと私たちなのに、レオくんは自分から背負ってしまう。そんなのは私たちの怠慢だ。私はもう、迷わない。私たちが背負うべきものは、どんなに重くとも私たちが分散して背負うと決めたのだ。レオくんに背負わせてなるものか。


 「逃げるよ!」 

 「ええっ!」


 王座と共に崩れゆく空間で、跳躍する。 『懲らしめの鎌(アギト)』の上さえ飛び越えてゆく。ライオン紋の王子様は世界が崩れるなかでも泰然としていたが、自身が夜空に放り出されると知った時には急に慌て始めた。


「先生の王座が!王座が壊れていく!」

「そんなのいいの!壊れても、私たちでまた一から作ればいいの!お願い!私たちを、今ある世界の可能性を、君に信じて欲しいの!」


 天狼は王子様の虚空に伸ばした腕で、落ちてゆくライオン紋の王子様を捕まえると、そのまま引き寄せて胸に抱き止める。青とオレンジの光は、重なって濃い赤色の流れ星となって、元いた世界に落ちてゆく。この街で赤の色はノケモノの色。そして、赤い色はヒーローの色だ。ライオン紋の王子様は崩れてゆく王座を見上げながら大粒の涙を流して、叫ぶ。


「駄目だよ!ぼくは最初から除け者だったから、みんなに認めてもらうにはヒーローになるしかなかった!お姉ちゃんがヒーローになったら、ぼくはいらない子になっちゃう。弱いヒーローはいらない!また除け者にされるんだ!そんなの怖いよ!」

「そんなこと、絶対にさせない!私が、ハナエが、ユウコが、シリウスさんが、街のみんながきっと君を認めてくれる!認めてくれない人がいても、その人が認めてくれるまで、私たちが君を、守り抜いてみせるから!

 だから、一緒に生きよう!」



 天狼、否。束の間の変身は解け、彼女は普段の服装を取り戻す。取り戻しながら、ゆっくりと彼女の街へと、ライオン紋の王子様をぎゅっと抱きしめながら、降下してゆく。


 南天カナコはライオン紋の王子様を抱えながら、地上に広がる光景を目にしていた。色も光の強さもばらばらな、無数の光が東の街にも西の街にも隔てなく広がっている。それはまるで、無数の星々に向かって落ちてゆくよう。


「北天から見上げていたら見えない。私の、南天の世界だ。こんなに星が、いっぱいあったなんて」

 カナコはそう呟いた。


 黒い天蓋は中心から崩れ始め、開いた穴からは日光が差し始める。暗闇の中で光っていたものたちは、太陽の光に当てられると、その真の姿を見せてゆく。人。人間。心に燃える星を抱くものたち。彼らは一人一人では弱いかもしれない。しかし彼らには星座になれる強い力を秘めている。使わないのはあまりに勿体ない力だ。


雲の切れ間を見ながら、陸橋の真ん中で、南天カナコと南天レオは欄干に持たれている。

 陸橋の下にあったものは、かつて水路だった煉瓦の敷き詰めだった。 そこに真っ黒な穴が開いている。

「あれが『森』です」

「そうなんだ。深そうだね」

「今度、一緒に行きましょうよ」

「どうして」

「ご挨拶に」

「王様に?」

「お姉ちゃんができましたって、言わなきゃ」「わかった、一緒に行こう。変な弟だって言ってやるわ」


「ひどいですよ」

 南天レオは自分よりも年上の、一人の女性を見つめる。

「大丈夫。お姉ちゃんに任せて」

 南天カナコは弟の頭を撫でる。南天レオは恥ずかしそうに笑う。


そう言うとレオくんは大きく伸びをした。

「お姉ちゃんができましたって、言わなきゃ」

「わかった。一緒にやろう。変な弟だって言ってやるわ」


「ひどいですよ」

 南天レオは自分よりも年上の、一人の女性を見つめる。

「大丈夫。お姉ちゃんに任せて」

 南天カナコは弟の頭を撫でる。南天レオは恥ずかしそうに笑う。


 足音がする。

 西の街からも、東の町からも陸橋を越えて人々が行き来し始める。


「今日が、始まりましたね」

「早起きしてくるもんだね」


 二人の肩を叩く人物がいた。

「よう」


 その手には、彼女の好きな菓子の入った紙袋。


「探していたんだ。休日なのに何処にも居ないんだから、焦った」


 紙袋からは、仄かに花の香りがした。

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