第5話 ブランニュー・デイ

 

 「バケモノ」が一夜で、それも一瞬にして消滅したというニュースはこの小さな街ではすぐ広まったらしい。


 「獣人委員会は、このような異常事態を看過せず、調査に乗り出すと声明を発表しました」


 土曜日。

 制服をびしょ濡れにした張本人をありったけ叱ったあとで、私は浅葱色のシャツと着て、黒のズボンに履き替えた。なんとなく点けたテレビからリポーターは昨日の夜の顛末を話している。


 「板から人間の声が出てます。あっ街が映ってますよ」


 レオくんはテレビという存在を知らなかった。リモコン一つで電源がつき、中から映像と人の声が流れる。もちろんリアルタイムで。私はテレビには普段天気予報と占いくらいにしか興味を持たない。しかしレオくんはこの街の屋根一つ一つ、ビル一つ一つが映る度に、おお、とか、わあ、とかリアクションをする。テレビにかぶりつきそうな至近距離で。


 私は知っている、テレビは部屋を明るくして離れて見るものだ。


 レオくんの視力に影響が出そうなことを他人だからといって知らん顔して良いわけではない。私には大人としての責任があるのだ。レオくんの無防備な両脇に手を差し入れる。風呂場でシャワーを浴びていた体だ。それにも増して、子どもの体は大人のそれと比べて温かい。


 「なっ、何をするんですか!」


 床をぱたぱた叩いていたライオンの尻尾は驚いてピンと針金のように緊張する。


 「レオくん。テレビは離れて観るものよ」


 私はレオくんを私の座っていたベッドの脇までずるずると引きずる。抱き上げてやろうかとも思った。でも小学五、六年生くらいの体は思ったよりも大きく重い。無理に抱っこしたら私の腰に影響が出そうだ。


 レオくんは「テレビ」という概念について私に説明を求めた。私は親切にも携帯端末から辞書ソフトを起動して、その基礎を教えてあげる。


 「通信、伝達、プロパイダ」


 レオくんは頭を抱えてうんうんと唸りながら、携帯端末の文字をなんとか理解しようと奮闘する。


 考えてみればテレビだってこの世界の先端技術の結晶だ。そんなものの概念を一から納得する為には辞書に載っている文言ではあまりに不十分だ。


 しかし、携帯端末で類語を洗いざらい調べて、レオくんの前に見せてあげるのは骨が折れる。それに私は彼の家庭教師でもない。


 私は携帯端末をレオくんの手から取り上げる。

 またかぶりつきそうな距離にまで近づいていたのだ。


「まぁ何だか光って人や物の姿とか、声が流れたりする板だと思ってくれればいいわ」


 私だってテレビをつけて見ている時は今は何時でどんな番組がやっているのかくらいしか考えない。プロバイダとか仕組みを考えるのは故障した時に限る。それも私が考えるのではなく、テレビを修理する専門の人が考えた方がもっと効率的だ。

 進化した科学は魔法と変わらないとはよく言ったもので、私にとっては便利な携帯端末もテレビも魔法と大差ない。その仕組みを完璧に理解できていない。理解しなくても、まぁそういう物だと納得して生きていける。


 光って音が出る板。

 レオくんはわかったような、やっぱりわからないような煮え切らない表情で、腕を組んで考え事をしている。


 ライオンの尻尾がゆらゆらと揺れている。


 こうしてレオくんを見ていると、いきなり転がり込んできた親戚の弟の面倒を見ているような気分になる。温かくて、知識に対して貪欲で、夢と希望を信じている。不思議な子どもだ。臀部に生やしたライオンの尻尾以上に、小学校高学年にもなって自分を世界を救うヒーローになれるだなんて夢想している。


 なんだかその後ろ姿が、懐かしいようで愛おしくて、胸を強く締め付ける。


 私がいつか誰かから貰って、そうして育てられずに失った夢の結晶。きっと彼はそれを今持っている。胸元に光るライオンバッジがその証明なのだ。


 なれるだろうか。

 それとも、私はもうなれないのだろうか。

 きみがヒーローを夢見るような世界を信じられる私に。


 「よし、決めた。レオくん、図書館に行こうよ」

 「図書館!」


 レオくんは図書館の存在を知っていた。そればかりかどうやらその空間が好きらしい。


 「行くんですか!?行きましょう!!すぐに!!是非に!!」


 フローリングでツルツルした床をぴょんぴょん飛び跳ねる姿は無邪気で、子どもらしい。

 ライオンの尻尾が跳ねる。

 このままこの光景を眺めていたい。

 ずっとこのままで。


 ふと私はそんなことを思った。

 なぜそんなことを思うのだろう。

 玄関を出るまで考えてみたが、結論らしいものは出てこなかった。

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