第3話 「断罪のツメ」

 包帯を巻かれたライオンの尻尾をブンブン振りながら、柊レオくんは夕飯を作った。家にあったもの。というか親がダンボールで送ってきた食料、いや材料を見ると少年は目をキラキラさせた。


「張り切っちゃいますよ!」


 どうしてそんなに元気なのかと聞けば、見たことないほど新鮮なのだと返してきた。そりゃ昨日の夜送られて今日届いたばかりのものだから、新鮮で当然なのだ。

 彼は、雇用主に雇われその家で住み込みメイドをしているらしい。なるほど料理はできるようだ。包丁さばき一つ取っても、子どもの手つきとは思えない。

 包丁が野菜を刻む音は規則的で気持ちが良い。ガスコンロの点火や火加減の調節も申し分ない。


「ジロジロ見られてると、やりにくいです」


 感心しながら見ていると、彼は恥ずかしそうにそう言った。

 私にも心覚えがある。

 誰かに見られている視線が気になってしまう。正確にはその視線の先で自分の行動に評価が下されていることが気になって、集中できなくなってしまうのだ。

 少年は雇用主のことを先生と言った。何かを教えてもらうような関係性なのだろうか。

「先生とぼくとで二人暮らしです。先生は満足に動けないので、ぼくが身の回りの世話をしています。」

 少年は味噌汁を作る途中でそんなことを言う。満足に動けない先生とやらを子どもが介助して暮らしているのか。


「先生に家族はいないの」

「分かりません。先生は教えてくれませんから」

 大変だね、と口から言葉がこぼれ出そうになる。キッチンに立つ子どもはそれを気にせず調理を続ける。

「普通のことですよ。料理ができることくらいすぐに慣れました。僕じゃなくても、誰かがやらなきゃいけないんです」


 その声はどこか子どもらしからぬ決意に満ちていた。私は自分だって料理ができるのに、米炊きだって手伝うことをしなかった。その決意に気後れしたのだ。少年の背負う何かを、共に料理をすることで知ってしまうような気がした。彼の横に立つだけで背負ってしまうような気がした。私は見ず知らずの彼をノケモノ会議でノケモノにして、忘れ去ろうとした。そんな私が彼の何を知る権利があるのだろう。罪悪感というより敗北感を覚える。彼は、私と違ってよく出来た子どもなのだ。


「柊くん」

「レオくんでいいです。会議の時も、レオくんって呼んでくれたでしょう。僕はそっちの方がいい」

 覚えていた。

 レオくんはあの会議の中で私の声を覚えていたのだ。

「あなたの声は、僕の言葉に答えようとしてくれました。だからここに来たんです。」

 あの会議の中で、彼の名前を明かしてくれという言葉にに答えようとしたのはもう一人いる。確かあの声は老人だったか。柊レオくんはズボンからライオンの尻尾を覗かせて、揺らしている。

「尻尾が出てると、会議にかかったら問答無用でノケモノにされそうだから、必死に隠してたんです」

「隠せるのなら、どうして今私に見せているのよ」

 レオくんは味噌汁の完成を見届けたのかガスコンロの火を止める。

 そうして私のほうに振り返る。

「あなたを信じているからです。あなたはぼくをノケモノにすることをほんの少し戸惑いました。その戸惑いにぼくは賭けたのです。」


 絶対承認。

 この街のルールになぞって生きることは簡単だ。でもあの時、わたしは周りに流されながらも本当はあの六人のヒト議員に流されながらも、こんな判決を下すことは間違っていると思っていたんじゃないのか。それでも私は判決を下したのだ。自分の言葉で彼に宣告したのだ。「毛深い」という言葉の意味はよく分からない。分からないけれど使ってしまえた。絶対承認の符号を使わなければ、周りに流されることも減るだろうか。試してみる価値はある。


「あなたはバケモノについてどれだけ知っていますか」

 レオくんは透明なテーブルに料理を運びながら、そう尋ねてきた。レオくんが作った料理は平凡だったけれど、私にとっては独特に見える。ライオン尻尾のついた男の子が料理をするなんて考えたこともなかった。


 一汁三菜。

 焼き鮭。ほうれん草のお浸し。

 キャベツ、大根、ニンジンの具が入った味噌汁。

 それと白いご飯。


「バケモノ。この街の災害で、家屋を破壊して、ルートをめちゃめちゃに破壊する。周囲の人命も多分危険になる」

「それはどこで知りましたか」


 レオくんは私と、彼の分の料理をテーブルの上で整理する。透明なガラステーブルに和食が並ぶ光景はミスマッチだ。私はいつも肉と野菜の炒め物を主菜にしているために、魚料理を食べることはまれなのだ。嫌いではないが、魚の鱗を見るのが怖い。かつて生きていた特徴が解体されても残っているからだ。

 私はその料理を前にして手を合わせる。

 レオくんは驚いて目を見開いた。初めて見るのだろうか。


「あの、それはどこで」

「レオくん。私とあなたはこれから何をするのかしら」


 瞳を閉じて暗闇を作り出す。

 レオくんはどうやら気付いたらしい。

 しかし、何事かぶつぶつと呟いている。

 レオくんの呟きが終わり、静寂の一瞬が流れる。

 そして、二人で符号を唱えた。


「…いただきます」

「いただきます」


 目を開けるとレオくんは手を合わせてはいなかった。指を組んでいたのだ。


「それは神様へのお祈り?」

「不思議ですか。あなたのその作法も、きっとお祈りですよね」


 お祈り。

 叶わないものを叶えようとして願うこと。

 神様だったり仏様だったり、動物だったり、ただの人間に対してだったり、その対象は国や地方によって様々だ。その対象をめぐって世界で沢山の争いがあって血が流れた。私の手合わせの行為はルールだからに過ぎない。

 もしルールじゃなかったら、わたしはこれを好んでやろうとは思わない。レオくんはそういう特有の宗教観を持つ子なのだろうか。流石に差別はしないけど、ちょっときな臭い。


 食事そのものは可もなく不可なもなく、取り立てて美味しいわけでもなく、平凡だ。

 私が作った方がもしかしたらもう少しだけ、おいしいかもしれない。でも誰かに夕飯を作ってもらうことなんて久しぶりだった。

 その経験が夕飯をこれまでで指折りのおいしいものにしているのだろうか。

 自分の行為が挟まれていないから、先入観を持たなくていいという側面もあるかもしれない。キャベツの切り方をミスしたり、味噌の溶け具合がいまいち悪かったり、お浸しがそんなに味が染みてなかったり、焼き鮭の塩が足らなかったり。そんな要素をちまちまと覚えていたら、せっかく作った料理は失敗作にしか映らなくなってしまう。失敗作のように一度でも見えてしまうと、どんな料理も出来の悪いものに思えてしまう。だから失敗は許されない。成功でなくとも、合格を積み上げなければ完成とはならないのだ。


「生きることに失敗した人は『バケモノ』ですか」

「どうしたの急に。」

 レオくんはなんの前触れもなく語り始める。


「生きることに成功はありません。でも失敗はあります。ヒトは星を掴む力を確かに持っています。でも失敗を積んでしまうと星を掴もうともする努力すら、諦めてしまうのです」

「レオくん」

 彼が何を言っているのか分からない。分からないが、なぜかその言葉には力があるような気がする。政治家の演説みたいな言葉の圧力。

 目の前の少年の胸元にはライオンのバッジが付いている。今にも吠え声が聞こえそうなほどリアルな作り込みをした金色のバッジ。

 それが錯覚のようにチカチカと光る。


「仕事です」

 レオくんは食事を終えると、窓際に向けて駆け出してゆく。


「仕事って何」


 その時、さっきまで点いていた照明がブツンと切れる。淡い月光が部屋を包む。

 携帯端末から警報が鳴る。


『バケモノ出現』


 分かっていた。

 予感はあった。

 今日がその日だと。

 でも、まさか今だとは思っていなかった。

 きっと私と彼が寝静まった夜に静かに起こり、そうして朝になれば元通りになっているはずだって。

 そして私の住む近くで起こるはずなんて絶対にないんだって。


『退避命令です。地上半径3キロ内の住民は停電と同時に避難してください』


「ねえ、君のお仕事って何なのよ」

「『バケモノ』を救います。それが仕事です」


 そうして磨りガラスの窓を開け放つ。

 夜の冷たい風が強く頬を撫でる。

 月光に照らされ、胸元の黄金のライオンバッジは今や満月のように胸元からレオくんを照らし出す。


 レオくんは金色の光を眩しいとも思わない。


『退避命令です。地上半径3キロ内の住民は停電と同時に避難してください』


「ぼくはバケモノを救いに、この街に来ました。バケモノは倒されるものではないのです。」

 何を言っているのと声を出しそうになる。

 でもその声を発するよりも速く、レオくんは人工芝の上に降り立つ。

 私には予感があった。

 ああ、この子はどうしたってあの怪物と戦う。どうにかできる力がなくったってその意思だけで立ち向かってしまう。その夢見るような勇気に押されているのだ。

 だったらそれを私は許すわけにはいかない。

「バケモノを倒すなんて、そんなの獣人委員会に任せておけばいいの。レオくん、あなたが何者か知らないけど、この街にはもうヒーローはいらないのよ。」

 獣人委員会はバケモノ退治のエキスパートだ。政府からの許可のもと銃火器等の使用許可と戦闘機の使用許可をそれぞれ得ている。

 これまで何度もバケモノを退治して私たちの生活を守ってきた。彼らの存在があれば、一人で勝手にやってきて世界を救うヒーローなんて必要がないのだ。


『退避命令です。地上半径3キロ内の住民は停電と同時に避難してください』


「違います。獣人委員会がバケモノを救えないから、ぼくはここにいるんです」


 レオくんはその意思を曲げない。

 獣人委員会を知っている。なのに彼のこれからの行為は余計なことでしかないことを理解していない。


 確かにこの街には昔、ヒーローがいた。

 金色のライオンがモチーフのヒーローが。

 でもそのヒーローは選ばれた人間にしかなれなかった。みんなはその選ばれたヒーローにバケモノ退治を依頼した。ヒーローはそれを笑顔で請け負った。

 でもそのヒーローの最期は悲惨だ。他ならぬ街の人々によって、そしてその後釜となる獣人委員会によってノケモノにされ、バケモノになり、殺された。

 そのヒーローの名を知らない者はこの街にはいない。

 ライオン紋の王子様。

 最初は尊敬から、でも最期は侮蔑を込めて人々はその名を口にした。そうして、いつしか誰も語らなくなった。


「ぼくの心臓は『毛深い』んです。だからぼくには『資格』があるんです。誰かの『毛深さ』を背負えるライオン紋の王子様になれる『資格』が」


 私はその伝説を幼少期の絵本で知った。そして絵物語だと思ったまま、こうして大人になっていく。

 でも目の前のこの、ライオンの尻尾を持つ男の子は私とは違う。


『退避命令です。地上半径3キロ内の住民は停電と同時に避難してください』


 混乱する頭の中。

 何もかも投げ出して逃げ出したくなる。

 今こうしている間にも滅びは無遠慮にやってくる。

 目の前の男の子のことなんてまた忘れてしまえばいい。

 そうやってやり過ごせば普段通りの生活に帰れるのだ。


「逃げるの!レオくん!私とあなたで!!」


 そうして窓の外にいるレオくんに手を伸ばそうとする。


『退避命令です。退避命令です。退避命令です。退避命令です。退避。退避。退避。退避。退避。退避』


 携帯端末から壊れたレコードのように『退避』の声が続く。

 都市伝説に聞いたことがある。

 バケモノが近づくほど、その信号は小刻みになる。

 そして、それが途切れた時何が起こるか。


『退避。退避。退避。退避。たい、

 もういいか。これよりバケモノ掃討作戦を始める。範囲内に残った者は『ノケモノ』だ』


 それまでは女性の音声だった。しかししわがれた老人の男の声が突如聞こえると、それきり携帯端末からの音声は途切れる。


 暗い室内。スイッチをつけても電気はつかない。携帯端末はどれだけ操作しても誰とも繋がらない。通信は圏外に設定されている。私は世界に見放されたのだ。


「誰か。誰も、助けてはくれないのね。当たり前よね。自己責任なんだもの」


 みんな自分の世界を生きるために精一杯で、他人の世界を守ろうだとかそんなことをやろうとする人間はいない。そんなことをしたらその人の持つ世界がきっと壊れてしまう。だからヒトは一人だけで生きてゆく。生きてから死ぬまでたった一人で生きてゆく。そういう生物。孤独な命。


 携帯端末が手から零れ落ちる。

 床に当たる乾いた音。

 通信のできない端末に意味などない。

 自分からつながらない端末に存在意義なんて最初からない。


 レオくんは不意に部屋に戻ってくる。

「レオくん」

「はい」

「ごめんね。手遅れになっちゃった」

「まだ手はあります。希望はまだ生きています」

 希望。

 そんな薄っぺらい言葉では救われない。

 私の苦しみは救われない。

「希望なんてそんなもの、この世のどこにもないじゃない」


「あります。生きている限り、人が意思の炎を燃やす限り、希望はその中で燃えています」


「レオくん。あなたは私のヒーローになろうと言うの」


「強者を挫き、弱きを助けるのがヒーロー。でもそれが全てではないのです」


 ライオンバッジは暗い部屋の中でも不思議な力で光り続けている。

 携帯端末を拾うため、落ちようとする手をレオくんはそっと両手で繋ぎ止める。

 祈るように私の手を包んでいる。

 そして何故か、こほんと咳払いをする。


「レオくん」

「実はぼく、今日が初仕事なんです」

「レオくん!?」


 あんなにカッコつけてたのに。

 見かけはベテランみたいだったのに。

 唖然とする私にレオくんは笑いかける。

 安心させる笑みではない。

 初心者でごめんなさいという、妥協を念押しする笑みだった。

 その時、真後ろから突如轟音が響く。

 大きな構造物が、ショベルカーに潰されバキバキと解体されていくような音。

「チェンジ!もっと信頼出来そうな男にチェンジして!!」

 私の動揺した声に構わずレオくんは叫ぶ。


『獅子心臓に懸けて!』


 その声に呼応してレオくんの胸のライオンバッジが、輝きながら弾けて砕け散る。

 すると突風が足元から吹き上がり、そのあまりの強さに瞳を閉じそうになる。視力検査の風圧の比ではない。飛行機のエンジンが駆動する際に巻き起こるような立っていられないほどの暴風だ。

 私の体は止まっていることができずに中空に浮き上がる。私は恐れもせずただ呆然としている。


 レオくんの全身を繭のような陽光が包む。握られたままの手から火傷しそうなほどの熱さが伝わる。でも不思議と痛みは感じない。

 レオくんの両肩から腕、手にかけてを卵色をした毛皮が包んでゆく。手首からはグローブのように包まれ、五つの指先を丹念に覆う。

 背中からは赤いビロードの外套が伸び、その臀部で止まる。外套の先端は白い毛で縁取られている。包帯を巻いたライオンの尻尾は赤い毛皮で覆われて、その先端の毛束をまでも包む。レオくんの頭の髪の毛が光の波に流されて揺れる。そうして茶色の髪は急速に伸びてゆく。揺れるその毛髪がぶわっと広がると中からもふもふした耳が一揃い生えてくる。ライオンの耳だ。人間の耳は引っ込んだのか無くなってしまった。レオくんは光の繭の中で祈るように目を瞑っていたが、最後にゆっくりと瞳孔を開き始める。茶色い瞳に、金色の虹彩が浮かんでいる。太陽にも皆既日食のその時に白いタテガミが映るのだ。私はその煌めきを夢のように思い出す。


 私の過ごしていた世界はハイテクであっても万能ではなかった。その世界にノケモノとなった私の目の前で、御伽噺のような光景が今まさに広がっている。


 私はライオン紋の王子様に、一度でもなろうとしただろうか。レオくんがどうやってこの変身を叶えているのかはわからない。もしかしたら、ライオンの尻尾を持つレオくんにしか出来ない特別な変身なのかもしれない。それでも、この世界にこんな可能性があるなんて疑いもしなかった。きっと私は私の住む世界の可能性を、私の常識で狭めていたのだ。

 私の目の前で、尻尾が生えただけの変な男の子は、絵物語のヒーローに変身したのだから。

 赤い外套に上半身を包んだ、小さなライオンは私をその黄金の虹彩で見つめる。


「がおう」


 強い突風が足元からまたも吹き上がり、私はその風圧に目を閉じた。


 目を開く。青い屋根が見えた。私の家の青い屋根だ。その上に私は突風に巻き上げられつつ浮かんでいる。

 事実を確認しよう。

 これは夢ではないのだ。


「浮いてる」


 状況証拠から集めるとそうとしか解釈できない。青い屋根の右側には青いルートが伸びており、いつもの通学路だと確認する。


「あっ」


 すっかり忘れていた。

 カラオケの約束があったのだ。空に浮いていることを利用して町外れを覗くと、そこにある歓楽街はどれも明かりを絶やさず輝いている。ショウヘイもケンゴもユウコもハナエもきっとあの明かりの中で日常を謳歌しているのだ。きっと私もあの中で一緒に日常を過ごしていたに違いない。街明かりは遠く、旋風に吹き上げられている今ではあそこに行くことは叶わないだろう。

 私は日常のルートから今や完全に外れてしまったのだ。

 でも。

 レオくんが変身するほど素っ頓狂なことが、本当はこの世界ではできるのだ。

 私にだって願うだけでできることがあるかもしれない。

 気分は少女時代に思い描いた魔法使いだ。


「お願い!私をあの明かりのある世界に」


 私の願いの詠唱は、次の瞬間耳をつんざく慟哭で掻き消される。


「何よ。うるさいわね。乙女の願いを聞くときはおしゃべり厳禁でしょ」


 それにあんまりいい叫び声じゃない。

 低い男の声で、獣の吠え声のような成分も聞こえる。野生動物の吠え声ともちょっと違う。人の心を恐れとイライラでかき回す声。


 私は何も考えずにその声をする先を見る。小言でも言ってしまおうと本気で思っていたのだ。万能感が私を動かしていた。いや躁状態か。


「ねぇ!」


 それはまさしく「バケモノ」だった。

 その体躯は立派な一軒家よりも大きく、全身は白い鎧で覆われている。鎧というか骨のようだ。動物の骨格標本がでかくなって飛び出してきたような、そんな印象を受ける。

 狼の頭蓋骨を頭から被っているが、体躯のそれは狼のようにスレンダーではない。むしろ熊のようながっしりした形をしている。


 私は慌てて口をつぐんだが、大きな声を出したのだ。気づかないはずがない。中空に浮かぶ私を見るなりまた大きく咆哮を上げる。

 見つかったのだ!


 しかし逃げようにも中空に浮いているためにどのように進めばいいかさえ分からない。


 狼の骨を被った「バケモノ」は四つ足の体制からのっそりと立ち上がる。


 骨の間には黒い何物かが蠢いている。生理的に気持ち悪いものを感じる。それでもなんだか中身は不定形のものを外骨格でなんとか形作っているという構造なのは一目で分かった。


 そういえば「バケモノ」が倒されるとその地帯一帯がしばらく侵入禁止になる。


 あの謎の内容物が原因だろうか。


 今まさに「バケモノ」に見つかり、攻撃を受けようとしているのに、まるで現実感がない。


 それもそうだ。

 私は今まで話にしか聞いてこなかった存在と対峙している。


 その脅威もどれだけか。

 その迫ってくる腕がどれだけ危険なのかさえも私にはわからない。

 気付いたら出現して、気付いたらニュースで倒されていることを知る。今までそれだけの存在だったのだ。


 だからこの旋風が私を守ってくれることさえわからないのに、私は夢を見るようにその迫る白い外骨格の腕を見つめているのだ。


「大きい……!」


 そんな感想を発しながら。


「こっちだ、こっちー!」

 目の前でその巨大な腕は停止した。


 私よりも一際大声を出した存在に意識を惹かれたためだ。


 彼は私から遠く斜向かいの家の白い屋根に立っていた。腕を組み、巨大な相手に対して全く物怖じしていない。


 オレンジ色の光が淡く光るその様は天の星が落ちてきたかのようだ。


 ライオンの尻尾が風に靡く。


 遠くから見てもその赤い外套は、赤を排したこの世界では映えて見える。


 危険色だった赤は、ノケモノの色でもバケモノの色でもない。


 赤はヒーローの為の色だったのだ。


 ライオン紋の王子様は「バケモノ」に向かって大きく跳躍する。


 それは人間のする跳躍も、動物のなす跳躍も遥かに超えたものだった。まるで、天から落ちた星が元の星座の一部に戻りたいがためにするような、壮絶なある生きものの軌跡だった。


 ライオン紋の王子様は跳躍の頂点に至る。ちょうど「バケモノ」の脳天すれすれだ。


 両手を天に高く挙げると、閃光が両手を包む。


「此れより見せるは威厳ある王、その三振りがひとつ!」


 両手が光の中で何かを掴み、光の中から引き出す。


 子どもの手には余りある、純白で出来た長槍。


 ライオン紋の王子様。

 あの童話の中には三つの武器があった。

 一つは、懲らしめのための鎌(アギト)。

 一つは、贖いの為の剣(キバ)。

 最後の一つが、裁くための槍(ツメ)。


 ライオン紋の王子様はその童話の通りに長槍を「バケモノ」に突き立てる。

「バケモノ」の狼の頭蓋骨から白い閃光がほとばしる。


「断罪の『ツメ』!」


 ライオン紋の王子様がその名を呼ぶと、呼応するように辺りに獅子の咆哮が木霊する。


「バケモノ」の体には無数のヒビが入り、その中を断罪のツメはライオン紋の王子様を連れて貫通していく。


 そして断罪のツメが地面に突き刺さる音と共に、一際強い閃光が世界を包んだ。


 視界が白に染まり、私の目に映る有象物は一瞬全て掻き消える。


 私を浮かせ、私を包んでいた旋風も閃光とともに掻き消える。


 落下する感覚を味わいながら、私の意識は眠るように落ちてゆく。






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