第17話 百合の紋章(その4)
そこから、竜宮寺大助云うところの人類の栄光をたたえる展示は、我が国編になった。
まずは秀吉の黄金の茶室を復元したのがあった。
さらには安土城や金閣寺の精巧な模型なども展示されていたが、どうも西洋編に比べると展示点数も内容も、今ひとつという感は否めない。
「将来的には中尊寺金堂の再現なども考えています」
と竜宮寺大助は云うのだが、こと我が国編に関しては黄金という点にこだわっている、というより偏っているようだ。
かつて我が国が西洋から「黄金の国」と呼ばれたからかも知れないが、単に竜宮寺大助の好みかも知れない。
「さて、ここからはいささか心して頂きたい」竜宮寺大助の表情から微笑みが消えた。「ここからは人類の悲惨編です。人間の歴史の残酷さ、無慈悲さを描き出すのです。しかし我々は、このような歴史から目を背けてはならない。直視して、次代への教訓として語り継がねばならんのです」
竜宮寺大助に従って歩を進めると、辺りの照明がまた薄暗くなった。
「キャッ」
トミ子が叫んで、雪華にギュッと抱きついて来た。
突然、また目の前がカッと明るくなったからだ。
そこには一群の人々がいた。
明らかに黄色人種の人々で、どうやら大昔の中国の扮装をしているようだった。
左手に穴が掘られてあり、そこに人々が右手から攻め立てる兵たちによって、追い落とされようとしているのだとわかった。
兵の一部は穴に落ちた人の上に
だがこの人たちは、まったく微動だにしない。
それが実に精巧精緻に作られた実物大の人形であると気付くまで、雪華は少々時間がかかった。
「まるで生きているかのようでしょう」竜宮寺大助の口調は、あからさまに自慢げになった。「これは
それはまったく竜宮寺大助の云う通りで、雪華もトミ子も思わずしばし見入ってしまった。
「これは、古代中国、秦の始皇帝の時代に行われた
竜宮寺大助は歩き出し、次の場面に移った。
再び照明が点き、目が慣れると、そこには多くの幼児たちが、これも多くの兵士たちによって槍で串刺しにされたり、剣で斬り殺されて斃れている光景が現れた。
兵たちが槍ブスマを作る向こうには、幼児たちの親兄弟なのだろう、悲痛な叫びを上げている人々の姿があった。
ここはまったく無音のはずなのに、人々の叫びが聞こえて来るような臨場感があった。
舞台上におびただしく飛び散る生々しい血の色が、その効果をいやが上にも盛り上げている。
雪華もトミ子も、声を失って黙っている。
「これはヘロデ王による幼児狩りの図です」竜宮寺大助は淡々と語る。「聖書にある、
さらに移動すると、場面は次々と「暴君ネロによるキリスト教徒の磔による処刑」「アステカ帝国の人身御供の儀式」などが現れ、そのたびにおびただしい血と人々の阿鼻叫喚というむごたらしい場面が、極めてリアルに作られたロウ人形たちによって再現されていた。
「次の場面は、この人類の悲惨の展示のうちでも、白眉と云って良いでしょう」沈痛な面持ちなれど、竜宮寺大助の口調は、やはり自慢げなのだった。「トミ子さんは、これが何の場面か、ご存知ですかな」
そこには、一本の杭にくくりつけられた、粗末な衣類を身に着けた女性の姿があった。
髪を短く刈り、天を仰ぎ、足元には薪が積まれてある。
「わかったわ」トミ子が勢いづいて叫ぶ。「ジャンヌ・ダルクだわ」
「ご名答」竜宮寺大助は拍手しながらニコヤカに云った。「英仏百年戦争の英雄、救国の
竜宮寺大助が声を掛けると、人形の足元に積まれた薪の間から、ぶすぶすと煙が上がり始めた。
ドライアイスの煙などではなく、本物の煙のようで、焦げ臭い臭いがツンと鼻をつく。
立ち上る煙の先を見上げると、そこだけ天幕が開いていて、よく晴れた青空を仰ぎ見ることが出来る。
「実はこの人形だけはロウ人形ではありません」竜宮寺大助は得々と話し続ける。「この中には、人間の身体と同じ骨と肉、それに臓物が詰まっているのです。もちろんこれは生きた人間じゃないし、人間の死体でもない。肉や臓物は豚のものだし、皮フは人工皮フです。ただし頭髪は、床屋からかき集めた人間のものですがね。骨は人間の骨と同じ成分で精巧に再現しました。ホラ、学校の理科室に骨格標本があるでしょう。あれと同じです。ちなみに、その原材料の大部分は、雪華さんのご実家が取り仕切っていらっしゃる、ここ浦益の貝殻なんですよ」
竜宮寺大助の得々とした説明が続く間にも、薪から立ち上っていた煙はやがてチロチロと燃える炎となり、それは突如一挙に燃え広がった。
そしてそれは、人形の足元にも燃え移って行く。
「この人形は別の工房で毎日製造しています」竜宮寺大助はなおも話し続ける。「こうして毎日燃やしてしまうからです。型があるのでそれが可能なのです。公園が開園した暁には、午前と午後、毎日二回、この見せ物をやるつもりです」
その間にも炎は、人形のジャンヌ・ダルクの全身へと、燃え広がって行く。肉の焦げるにおいがした…。
「きゃあっ」
耐えきれず叫んだのは、トミ子だった。
炎が人形の顔を焼き始め、その端正な人形の顔が黒ずみ、焼けただれ、頭蓋骨が露わになり始めていた。
眼球がドロリと垂れ落ちた。
トミ子は耳をふさぎ目をつむり、泣き叫んでしゃがみ込んだ。
雪華は自分も気分が悪かったが、傍らに一緒にしゃがんでトミ子の髪と背中を撫でた。
するとトミ子はその場に激しくゲロを吐き始めた。
「誰か」竜宮寺大助が冷やかな調子で人を呼ぶ。「早く、これを始末しろ」
雪華が見ると、竜宮寺大助は不快そうにこちらを見下ろし、ハンカチで鼻と口を押さえている。
トミ子の介抱にはまったく手を貸そうとはしない。
「大丈夫ですか」竜宮寺大助は口調だけはもの柔らかに云った。「今ここの者に始末させますから。ご気分が悪ければ救護室にお連れしますよ」
トミ子が雪華になにごとか囁く。
「ここで失礼するそうです」雪華はその言葉を竜宮寺大助に伝える。「粗相をしてすいません、とのことです」
「それは残念だ」竜宮寺大助は口調だけはさも残念そうに云うのだった。「これから、人形芝居にもご案内しようと思ったのに。今日の出し物は、トミ子さんのお好きなマリー・アントワネット断頭台の露と消ゆ、ですよ」
「ごめんなさい…」消え入るような声でトミ子はようやく云うのだった。「でも、これで失礼します…」
そこにバケツとデッキブラシを持って駆け付けて来たのは源太郎であった。
「あーあ、汚ねえなあ」源太郎はこれ見よがしの大声で云う。「ホラホラ、さっさと出口へ行った行った。まったく、タダで入れてやったってえのにしょうがねえなあ…」
ブツクサ云いながら源太郎は雪華とトミ子を追い払い、トミ子の吐いたゲロにバケツの水をぶちまけて流し、デッキブラシでゴシゴシこすり始めた。
雪華がふと気が付くと、もはや竜宮寺大助の姿はなく、あとには何とも苛立たしい気分にさせる、軽薄な香りの男物の香水の匂いだけがプンと残った。
竜宮寺大助が人形芝居の舞台裏の事務所にやって来た。
「雪華か…」竜宮寺大助は一人ごちてニヤリと笑う。「それもいい。今から楽しみだ」
そして、いつの間にかまた傍らに現れた黒ずくめの男に厳しい口調で云う。
「いいか、俺が許可するまで、あの雪華には手を出すな。命令だ」
そしてまた、呟く。
目を異様にギラつかせ、舌なめずりをしながら。
「雪華…。ようやく見つけたのだ。愉しみは、まだとっておこう。一体、どういう味がするのか、その時が来るのが、待ち遠しい…」
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