第13話 月下の柳(その6)

 丹波は着流し姿で、右手に拳銃、左手には何やら風呂敷包みを提げている。

「汚ねえぞ」憤怒でギタギタと煮えたぎるまなざしを源太郎に向けたのは若林だった。「あの松の上から若を狙ってやがったのか」

「お、俺は知らねえ」泡を食った源太郎は顔面蒼白で慌てて両手を振りつつ、後ずさりする。「だ、誰が命令したんだ」

「源太郎さん」若林の堪忍袋の緒はブチ切れてしまっている。「これは勘弁ならねえ。もう容赦しねえ。野郎ども、やっちまえ」

「アアッ」情けない声を上げた源太郎は、すでに涙目になっている。「や、やめてぇ…」

 だがもう源太郎の背後の人足どもも、若林と杉戸組の連中も、それぞれ前に飛び出していた。

「やめろ」「やめて」平之助と雪華の叫びも虚しい。

「やめねえか、てめえら」

 その凛然とした一喝は、たちまちにしてその場の動きをピタリと止めた。

 そして皆が皆、恐る恐るその声の方を見た。

 丹波の両手に拳銃が握られていた。

 その銃口はそれぞれ源太郎と若林に向けられている。

 風呂敷包みは丹波の足元に置いてある。

「てめえら一人でもイザコザを起してみろ。そのドアタマぶち抜いてやる」丹波の声は低いがよく通り、威厳がある。「いいか、どちらの奴だろうと、構わずだ」

 丹波は源太郎の方を見た。

「源太郎さん。今日の所は大人しく引き上げるこった。おい、若林」

「…へい」

「てめえ若頭だろう」頭を下げた若林を丹波は一喝する。「そのてめえがそんなにカッカと熱くなってどうするんだ。杉戸の親分さんが心配していなさる。おまえらもとっとと引き上げろ。タテつく奴は容赦なくドアタマぶち抜くぞ。それとも心の臓に一発食らわされる方がいいか」

「や、野郎ども」源太郎は声も身体も震えている。「ひ、引き上げるぞ」

「エエッ」人足の一人が声を上げる。「だってあんなヘナチョコ野郎、すぐにだって叩きのめして…」

「バカ野郎」源太郎は怒鳴った。「あいつは魔弾射ちの丹波だ」

「ゲッ…」人足は絶句した。「あの狙った奴は百発百中で撃ち倒すっていう…」

 他の人足どもも蒼ざめた顔を見合わせる。

 こんな三下連中の間にも、丹波の名は轟き渡っているのだ。

 人足どもはすごすごと引き揚げ始めた。

 若林も丹波に一礼して、杉戸組の連中に「帰るぞ」と云い、こちらも引き揚げてゆく。

 その場は雪華、平之助と丹波だけになった。

 するとようやく、丹波は二つの拳銃を懐に戻した。

 雪華は感無量の面持ちで丹波を見やっている。

 丹波は足元の風呂敷包みを再び手にすると、雪華と平之助に深々と頭を下げた。

「若、お嬢さん、お久しぶりです」

 その距離を置いたいかにも堅苦しい挨拶に、雪華の表情が曇った。

 それを見やる平之助の表情も曇った。

 時すでに夕刻であった。

 にわかに辺りは暗さを増して、空には月が姿を現わしていた。

「お嬢さんに、土産があるんです」

 丹波が云った。

「土産…?」

 雪華が怪訝な顔で云うと、丹波は手にした風呂敷包みにチラリと目をやる。

「あちらでお見せしたいんで」丹波は川辺の葦原の方を見た。「ちょっと付いて来てもらえませんか」

 雪華はうなずき、平之助に云った。

「先に戻ってて。私はおっつけ戻るから」平之助の表情を見て雪華は微笑む。「大丈夫。丹波さんがいるから安心よ」

 しかしその一言は今の平之助には逆効果だったようだ。

「いや、僕も一緒に行くよ」やや声を昂ぶらせて平之助は云う。「雪ちゃんを家まで送り届けるのが僕の役目だ」

 雪華は困惑して丹波を見る。

 丹波はうなずいて、平之助に云った。

「…じゃ、一緒にどうぞ。ただし、これから見ることは他言無用に願います」



 葦原の中の踏み分け道の、その先の川っぺりに一本柳が立っている。

 三人は、丹波を先頭に雪華を中に、平之助をしんがりにして、そこに向かっている。

 夕景はさらに暗さを増して、細道を行くのがやっとというほどの明るさになっている。

 月の周りは明るい輝きを増しているが、まだ足元を照らすほどにはなっていない。

 血のような夕陽は今しがた西に沈み切った。

 一本柳の下まで来ると、丹波は風呂敷包みを下ろした。

 丹波は屈み込んで包みに向かって一拝みして、その結び目を解いた。

 中から現れたのは白い瓶だった。

 丹波は立ち上がり、雪華を促す。

 雪華が屈んで、瓶のフタを取った。

 暗くて中がよく見えない。

 しばらく雪華は目を凝らしていたが、やがて、その中味がわかると、ハッと顔色を変えた。

 上から平之助も、雪華の肩越しに瓶の中を覗き込む。やはり暗くてよく見えず、目を凝らした。

 やがて、その中味が何なのか、平之助にも見て取れた…。

「ワアアアッ」

 平之助は大声を上げて後ずさり、尻もちをつき、尻もちをついたままさらに後ずさった。

 見上げると、丹波が人差し指を口に当て、黙るよう指図している。

 平之助は震えながらゴクリと生唾を飲み込んで、込み上げて来るものを必死にこらえる。

 雪華は瓶の中をジッと見つめたまま、動じない。

 その見つめる先の瓶の中から、光を失った二つの目が、これまたジッと雪華を見上げている。

 それは、顔面をX字に斬られた、ヒヒ面の男の、塩漬けにされた首であった。

「そいつは」丹波は低い声をなおのこと低く抑えて淡々と云う。「越州竜宮寺家に雇われている殺し屋で、ヒヒ蔵っていう見た通りの名前の野郎だ」

 瓶の中を見つめ続ける雪華が何か呟いた。

「…何だ?」

 丹波が問うと、

口惜くやしいって云ったの」答えた雪華の声は震えている。「本当は…私がカタキを取りたかったのに…。いいえ、私がカタキを取らなきゃいけなかった…」

 雪華の目から大粒の涙がポロポロとこぼれて瓶の中の首に降り注ぐ。

 しかし、雪華は泣き声は上げない。

 目を見開いたまま、首を凝視したまま、涙を流し続けている。

「馬鹿野郎」丹波は静かな口調のまま云う。「そんな考えは捨てろって、云ってるじゃねえか。…だから代わりに、俺がカタキを取ってやったんだ」

 雪華はすっくと立ち上がり、丹波の方を涙溢れる目でキッと見据えた。

 そして、その胸板に飛びつくと、今度は「ワアッ」と声を上げて泣きじゃくり始めた。

 その雪華の髪を、肩を、背中を、丹波の武骨な手が優しくいたわるように撫で擦る。

 まるで、恋人の愛撫のように。

 平之助はこの様子を見ていない。

 彼は四つん這いで傍らの葦原に頭を突っ込んで、ゲエゲエとゲロを吐くのに余念がなかったのだ。

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