第12話 月下の柳(その5)

 源太郎はつい何週間か前に、杉戸松五郎より何度目かの勘当を言い渡されていた。

 そのまま杉戸の家を追ン出たっきり、源太郎の行方は杳として知れなかったのだが、それがこうして突然ひょっこり、雪華と平之助の前に現れたという訳なのだった。

 トラックの列は、もうもうと土煙を巻き上げつつ、一台、また一台と、雪華と平之助の乗る小舟を抜き去ってゆく。

 源太郎が舟上の二人に気付いた様子はない。

 そして最後のトラックが船を追い抜いてゆき、グリーグの曲もかすかなものとなり、あとには土煙ばかりがもうもうと残って、岸辺にまで漂っていた。

 小舟がようやく浦益の船着き場に着いたのは、それから二十分あまりも経ってからのことだった。

 船着き場の親爺に舟をもやうのは任せて、雪華と平之助は岸に飛び降り、駆け出した。

 トラックの一行を見出すのは容易だった。

 何故なら彼らは船着き場から道へ上がってすぐの所にある広場ひろっぱに、すでに何やら設営し始めていたからだ。

 いかにも一クセも二クセもありそうな面相の人足たち数人が、広場に杭を打ち込み始めている。

 その真ん中にいて、何やらメガホンで怒鳴っているのが、源太郎なのだった。

「兄さん」平之助はその源太郎の背中に急き込んで声を掛ける。「何をやってるんです」

 源太郎はギクリと身を震わせ、恐る恐る声の方へと振り向いたが、声の主を知ると、一瞬ホッとして、たちまち尊大に胸を反らす。

「よう、平之助じゃねえか。それに雪ちゃんまでおそろいで。相変わらず、仲のよろしいこって、うらやましいねえ」

「兄さん」平之助は声も表情も険しいままだ。「お父っつぁん…いや、杉戸の親分の許可は頂いているんでしょうね」

 杭を打っていた人足たちが手を休めて、こちらの様子を注視している。

 いずれもニヤニヤと下卑た笑いを浮かべ、目をギラつかせている。

 油断ならぬ、緊迫した雰囲気が、急速にその場に立ちこめる。

「親父ィ? 何で親父の許可がいるんだ」源太郎は人足たちの方をチラチラ横目で窺いながら、ひときわ声を張り上げる。「こちとらはな、ちゃんと村役場と警察の許可はもらってるんだぜ」

 源太郎は背広の内側から紙を取り出してヒラヒラ振りながら、高く掲げてみせる。

 どうやら広場の使用許可証らしい。

「しかし…」平之助は顔を紅潮させつつ、なおも食い下がる。「ここで何かするなら、杉戸組に仁義を切るのが筋です。ここは杉戸組の縄張シマなんですよ。兄さんだってよくご存じのはずだ」

 すると源太郎は、カラカラと高笑いし始めた。

 何ともわざとらしい、芝居じみた笑い方だった。

「仁義だぁ? 筋だぁ? 何古臭ぇこと云ってやがるんだ。この広場はな、村の公有地なんだよ。その公有地を、村役場に許可もらって使って、何が悪いんだ? え? 何が悪いんだよ。平之助、云ってみろ。ここは杉戸組の土地か?」

「いいえ、違います…」

 平之助はそう低く呟くと、一瞬押し黙ってしまった。

「でも…」ようやく平之助は声を出したが、それはさっきまでよりずっと力が弱くなっている。「やっぱり兄さん、筋はキチンと通した方がいい。余計なモメ事を起こすもとになる」

「余計なモメ事を起こすのはそっちだろう?」源太郎はますます嵩にかかったもの云いになる。「そう云うなら、平之助、おまえがそれを止めたらどうだ? え? 杉戸組の若様よ。あ、そうか、おまえ、ヤクザから足を洗いたいんだったな。そんなヘナチョコ若様じゃ、組の連中を押しとどめるなんざ、ハナから無理だな」

「何だと」

 雪華が止める間もなく、平之助はツカツカ源太郎の方へ寄ってゆき、その胸倉を掴んだ。

「何だ」「やるか」

 背後の人足たちが色めき立つ。

「やめて。ちょっと待って」

 慌てて雪華は二人の間に割って入る。

「雪ちゃん危ない、下がってろ」

 そう云いながら平之助は源太郎の胸倉から手を放し、雪華を後ろ手にかばいつつ後ずさりする。

「雪ちゃん危ない、下がってろ、か」源太郎は忌々しげに笑って云う。「すっかりナイト気取りだな。ああ、ナイトってのは西洋の騎士のことだ。どうだ、学があるだろ。それもこれも、偉大なる芸術家にして深遠なる思想家、竜宮寺大助りゅうぐうじだいすけ先生の素晴らしい作品とお考えに触れたタマモノだ」

「竜宮寺…」

 雪華はわずかにハッとして小さく呟いた。それに源太郎が気付いた。

「何だ? どうした?」

「何でもないわ」雪華はたちまち表情を取り繕う。「それより源太郎さん。これは一体何なの? 何を始めようって云うの?」

 源太郎は、先程平之助に胸倉を掴まれた際によれた水玉模様のネクタイを直すと、一つエラそうに咳払いした。

「よくぞ聞いてくれた。俺はな、この帝国グランギニョール一座の建設部長兼宣伝部長なんだ。野郎ども、音楽だ」

 人足の一人が、トラックから降ろされて広場に置かれたのであろう蓄音器を操作すると、またあの禍々しいグリーグの「ペール・ギュント」の「山の魔王の宮殿」が大音量で流れ出した。

 広場には他にも、様々な物が置かれてある。

 妙な菱形めいた金の模様の入った、相当に大きな布が幾重にも畳まれてあるのが、何よりもまず目に入って来る。

 その周囲には、布で覆われた荷物の山が幾つもある。

 そして「帝国グランギニョール一座」と赤地に金文字が、華麗というより毒々しく踊る、大きな横書きの扁額がその山の一つに立て掛けてある。

「これはな」源太郎はさらに胸を反らせて言葉を続ける。「遠くお仏蘭西フランス巴里パリイでお勉強なさってこの度帰朝された竜宮寺大助先生の偉大なる作品を展示する催しなのだ」

 しかし雪華も平之助もポカンとするばかり。

 源太郎はチッと舌打ちする。

「これだから学のねえ奴らは困るんだ。いいか、そもそもグランギニョールってのはなあ…エエト、何だっけ」

 慌てて源太郎は胸元から手帳を出してページを繰る。

「ああそうだ。グランギニョールってのはなあ、お仏蘭西の人形芝居のことだ」

「人形芝居って」平之助が問う。「文楽みたいなものですか」

「え、ブ、ブンロク?」源太郎はソワソワし始めた。「ま、まあ、そんなもんだ」

「つまりこれは…」平之助は荷物の山を差した。「芝居小屋って訳ですか」

「おい」またも源太郎は傲然と胸を張る。「そこらへんのドサ周りの田舎芝居と一緒くたにしてもらっちゃ困るぜ。これはな、お仏蘭西、いや欧羅巴ヨーロッパの全芸術の粋を集めた…」

「テメエら何してやがる!」

 威勢のいい怒声と共に、ドヤドヤと荒々しい足音を立てた一団が、道の向こうから駆け付けて来た。

 怒声はその先頭に立つ男が発したもので、その男とは杉戸組若頭の若林であった。

「テメエら、いったい誰に断ってこんなことしてやがる!」

 雪華たちの前まで来て若林が立ち止り、そう啖呵を切ると、共にやって来た杉戸組の連中も一斉に各々が戦闘姿勢ファイティング・ポーズを取って立ち止った。土埃が一斉に立ち上りたなびく。

「て、てめえこそ、誰に向かって口きいてんだ」

 そう怒鳴り返した源太郎は腕組みして肩をそびやかしているが、その腕は微かに震えており、顔面も蒼白で額には汗が滲んでいる。

「こりゃ…」若林も一瞬ひるんだ表情を見せる。「源太郎さん…」

 若林に従って来た杉戸組の連中も、互いに顔を見合わせた。

 しかし若林はたちまち態度も表情も、毅然としたものを取り戻す。

「源太郎さん」若林は低く落ち着いた、そしてわずかにドスを利かせた声で云う。「どういう理由でここに居なさるのかわからねえが、何の断りもなく、こちとらの縄張シマで勝手なことをされちゃ困ります」

「何だとテメエ」たちまち気色ばんだ源太郎が金切り声でわめく。「いったい誰に向かって口きいてんだ、アア? 源太郎さんだと? 若と呼べよ」

「申し訳ねえが、源太郎さん」対して若林の声はなおのこと静かに低く冷たく落ち着いてゆく。「あんたは親分から勘当されたお人です。もう杉戸組とは何の縁も所縁ゆかりもねえ。あんたがキチンと親分に詫びを入れ、親分が勘当を取り消されたんじゃなきゃあ、あっしもあんたを杉戸の身内と認める訳にゃいきません」

 云い終わって若林は、その場に雪華と平之助がいるのにようやく気付いて、ちょっと驚いた顔をした。

 一方源太郎は顔面蒼白のまま、目をひんむいて歯ぎしりしている。

「わ、若林…」源太郎の金切り声は震えていた。「テメエ、今云った科白の決着おとしまえ、付ける覚悟、あるんだろうなァ」

 若林は溜息混じりに首を横に振る。

「その科白、そっくりお返ししますぜ。源太郎さん、こんなことして親分の顔に泥塗るマネをしたらどうなるか、それはあんたが一番よくわかっていなさるはずだ」

 顔面蒼白の源太郎が言葉に詰まって立ち尽くしていると、背後の人足どもがにわかに顔を見合わせたりして動揺し始めた。

 その雰囲気を察した源太郎は、振り返ると大袈裟に手を振りながらがなった。

「お、おまえら、オタオタするんじゃねえ。お、俺らには城東会が付いてるんだ」

 源太郎のがなり声は相変わらずキンキンと上ずっているのだったが、若林、雪華、平之助の三人が一斉に顔を見合わせたのは、もちろんそのためではない。

「城東会って」云ったのは平之助だ。「兄さん、あんたまさか、城東会の手下になったんじゃ…」

 源太郎はシマッタ、という表情をして慌てて自分の口を押さえる。

 平之助は語気を荒げて問い詰める。

「城東会って、杉戸組の敵じゃないか。兄さん、いくらなんだって、それは…」

「ウルセエな」源太郎はまた目をひんむいてわめき出す。「俺は城東会の手下なんかじゃねえ。さっきも云ったろ。帝国グランギニョール一座の建設部長兼宣伝部長なんだ。これはな、竜宮寺大助先生直々のご指名なんだ」

「何グズグズしてんです?」人足どもの間から、苛立った声が上がった。「こんなチンカスども、とっととノシちまいましょうや」

 すると、若林の背後の連中からも、「何だとう」「やるかテメエら」などと声が上がる。

「うるせえ、黙ってろ。俺がいいと云うまで、手ェ出すんじゃねえ」

 背後の連中に向かって放った若林の怒声は、その連中はもちろん、源太郎はじめ手下の人足ども、さらには雪華と平之助さえも縮み上がらせるほどの迫力があった。

「若」若林は平之助に云った。「危ないですから、ここは手前どもに任せて、雪華さんを連れてお戻り下さい。雪華さんにお客人がお見えです」

「お客?」

 雪華が問うと若林は「ええ」と答え、少々間があって「丹波さんです」と云った。

 その瞬間雪華の表情にパッと気色が宿るのを、平之助は複雑な表情で見やる。

「いや、僕は残る」平之助は表情を引き締める。「たとえ兄さんでも、杉戸組の顔に泥を塗られるのを、黙って見過ごすわけにはいかないよ」

 平之助は源太郎の前へ一歩進み出た。

「兄さん、どうあれここで騒ぎを起こすのはマズい」

「俺たちは何もしてねえ。おまえらが勝手に騒いでるだけだ」

 そう云うと源太郎はどうだ、と云わんばかりに人足たちの方に振り返った。

 人足たちは大笑いし、拍手まで起こる。

 杉戸組の連中は「何だとう」と色めき立つ。

 だがそのどよめきが不意に静まった。

 平之助が、源太郎に向かって深々と頭を下げたのだ。

「さっき云ったことは謝る」頭を下げたまま平之助は云った。「とにかくここは、親父に一言、挨拶してくれ」

 その平之助の頭に向かって、源太郎の声が飛ぶ。

「フン、テメエの男もずいぶん安っぽいモンだな、平之助」

「何だと?」

 平之助がキッと顔を上げると、そこにはせせら笑う源太郎の顔があった。

「おまえ、俺が憎いんだろ? 嫌いなんだろ? 俺の死んだおっ母さんは正妻、おまえのお袋は女郎上がりの後添え。それが今じゃ杉戸組の跡取り、若様だ。大学まで行きやがって、ヤクザの倅が大学行ってどうするんだか。その若様がよぅ、簡単に頭下げんじゃねえよ。薄っぺらくて見てらんねえ」

 源太郎はまくしたてるのだったが、しかしその内容は、敵味方関係なく、誰の耳にも単なるひがみ、やっかみにしか聞こえない。

 だが、平之助の顔は真っ赤になっていた。

「女郎…」平之助は歯ぎしりするように呟く。「お袋を、女郎だと…」

「若」見かねた若林が口を挟む。「ですからここはあっしに任せて…」

 平之助は何かをこらえるようにグッと目をつむった。

 と、いきなり平之助は地べたに膝をつき、ガバリと土下座した。

「兄さん、この通りだ。頼む、親父に一言挨拶してくれ。それじゃ親父の、いや、杉戸組の面子メンツが立たない。この通りだ」

「若!」若林は慌てて平之助を地べたから引っぱがすように抱き起こしつつ、厳しく云う。「こんなことをなすっちゃいけません」

「いいんだよ」平之助は微笑んだ。「僕はやっぱりヤクザじゃない。たまたま杉戸組の息子に生まれただけの、ただの男なんだ。いくら土下座をしようが、それでコトが収まるなら、構わないさ。安っぽいだの薄っぺらいだの、僕には何のことかわからない」

「ケッ…。けったクソ悪い」源太郎が吐き捨てるように云う。「何カッコつけてやがる」

 雪華は不意に気配を感じ、とっさに平之助をかばうようにその前に躍り出て、右腕を構えた。

 同時に銃声がした。

 キン! と金属音がして、雪華の右腕に火花が散った。

 銃声のした方をキッと雪華が睨み据えたのと、また別の方から銃声が響いたのが同時だった。

 そして、道沿いの大きな松の木の上からドサリと人が落ちた。

 驚きで大きく見開かれた雪華の目は、後から響いた銃声の方に向いた。

 往来の真ん中に人が立っていた。

 その人はまだ銃口から白煙の立ち上る拳銃を松の木の方に向けていた。

 丹波だった。

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