『千年戦争アイギス』オリジナルショートストーリー

ひびき遊

プリンセスモーティマ誕生秘話


「はーまったく、平和なもんだぜ」


 王城の庭園近くに設けられた、茶会用の小さな厨房。

 そこにエプロン姿で立つ山賊頭モーティマは、デザートを作っていた。

 フルーツの飾り切りでこしらえた大輪の数々である。


「ふんふんふ~ん♪ ……こういう細かいの、最初は苦手だったんだがなぁ」


 そう思っていたのだが、やってみるとなかなかに楽しい。小型のナイフで器用にさくさくと、鮮やかな花を咲かせていく。

 まだ世界には多くの魔物がはびこっている。

 しかし王子の活躍で魔王を倒した今、王国の精鋭の数も増え、ただの山賊頭だったモーティマが最前線に立つことも少なくなった。

 聖霊の力を借りて【クラスチェンジ】はできたが、そこで限界だ。

 さらなる【覚醒】の力があればよかったのだが、さすがに才能がないようだ。

 だからこうやって今日は、王城でデザートの試作に没頭する。料理はモーティマの特技だから。


「しかしお頭が、こんな細やかな細工仕事までできるとは……」


 感心するのはエプロンを着けた、部下の山賊バーガンだ。

 手伝いに参加する、手下の山賊ども二人も同じく、今日は腰にエプロンを巻く。


「おおっ、さすがですぜお頭!」

「器用ですねえ……これでお姫様たちの心はワシ掴みだあ!」

「おうよ! まったく、姫様連中の無茶ぶりには困ったもんだが……」


 定期的に王城の庭園で行われる、各国のプリンセスたちを集めた茶会。その次回のデザート担当に、モーティマが指名されたのだ。

 なにをバカな、と最初はモーティマも笑い飛ばした。菓子作りなら他にも適任の女子たちがたくさんいる。

 しかし、だからこそだという。


「たまには男子の作りし、おいしいでざぁとも、食べてみたいのう!」


 気まぐれに、とあるプリンセスの中からそんな意見が出て――勝手に決定したのである。


「まぁ頭にきて、ついウケちまったのは俺だがよー」

「でもこれならばっちりですぜ、お頭!」

「そーそー!」

「バカ! まだこれで完成じゃねーっつーの!」


 お気楽な手下二人を叱りつけ、モーティマは小麦粉の袋を出してくる。


「このフルーツの花は、パイ生地に包んで焼くんだよ」

「パイに? 肉とか入れるヤツですかい?」

「そんな、もったいねえ!」

「ああ、なるほど。そういう菓子があるそうですね」


 ミートパイしか知らない手下どもに比べて、バーガンはやはり物知りだ。


「がはは! そーゆーことよ。切って食うときに、中からフルーツの花が出てくるって仕掛けだ!」

「おお! そりゃすごそうじゃないですか、お頭!」

「こいつは盛り上がりますぜ!!」

「だが当日は、姫様がわんさと集まるんだ。それだけのものを一人で仕込むのは大変だからな、お前らにもがんばってもらわねえと。だから、今のうちから手伝いにきてもらったんだ」

「パイ生地なら、なんだかんだでお頭に仕込まれたことありますからね!」

「へい! 大丈夫ですぜ!」

「だが肉じゃなくて菓子用のパイだからな。固いのからやわらかいのまで、何種類か生地を作って試すぞ!」


 さっそくモーティマは手分けして、材料の配合を変えて生地をこねる。

 本当はもう少し人手が欲しかったが、モーティマ直下の配下はあと二人くらいだ。

 狂戦士フューネスと暗殺者セシリー。しかし両者は食う方が専門で、あえて声をかけなかった。こんな場にいたらきっと、とんでもないことになるだろう。


「よっし、こんなもんでいーだろ!」


 発酵してふくらんだパイ生地で、フルーツを包んで、あたためておいた石窯にまとめて放り込む。

 焦げないようつきっきりになるが、やがて香ばしい匂いが立ちこめてきた。


「お頭、こいつは……!」


 バーガンが破顔する。


「おう、うまくいってそうだぜ!」


 モーティマもほくほくだ。食べてみるまではまだ、火の通ったフルーツとの相性はわからないが。


「最初に放り込んだのは、もういけそうだな。試食してみるか」

「やったあ!」

「さすがお頭、待ってました!」

「バカ、お前らじゃねーよ」


 嬉々とした手下どもの頭を軽く小突き、モーティマは取り出した焼きたてパイを一つ、ワゴンにのせた。


「庭園で政務官のお嬢ちゃんが、茶会用の紅茶を試してるんだよ。女の意見が聞きてぇ。持って行ってくるから、お前らそこで残りのパイ見とけよ! 焦げる前に出すんだぞ」

「へーい」

「ほーい」

「……お頭。少しくらいつまんでも?」


 がっかりする手下二人に気を遣ってか、バーガンが提案する。

 この部下がいるから、モーティマは気楽に頭をやっていられるのだ。


「おう。でも試食だからな、ちゃんと俺の食うぶんも残しとけよ!」


 ぱっと明るい表情になった手下どもを尻目に、モーティマはワゴンを押して厨房を出た。



              ★ ★ ★



 厨房のすぐ隣には、プリンセスたちの衣装室が用意されていた。


「こんなところにあったら、料理の匂いがつくんじゃねーの?」


 もう中には、茶会用の着替えのドレスが届いているようだ。

 だが、どのみち庭園に咲く花の香りの方が、どんな香水よりも勝るか。

 相変わらず華やかな場所だった。

 兵士たちの訓練場や、酒保からも遠いここは、王城の中でも静かな安らぎの空間だ。

 だからこそプリンセスたちの憩いの場ともなっている。


「ん? ありゃあ……王子じゃねーか」


 その中央に設けられたテーブル席に、モーティマは見覚えのある青年の姿を見つけた。

 王子。

 ついに魔王を倒した、世界の英雄だ。

 戦場では女神の加護を宿した装備を身につけるが、王城では普段の動きやすい鎧を着ている。

 ともすれば一般兵と見間違えそうになるが、そこは長年の付き合いだ。その背中だけでモーティマには一目でわかった。見間違えるはずもない。


「男を全て抹消しましょう」


 だけどふいに聞こえてきた王子の一言に、モーティマは思わずワゴンを止めた。

 は?

 意味がわからない。

 でも、確かにあれは王子が発したものだった。

 一緒にいるのは政務官のアンナと、弓兵ソーマか。二人も静かに頷いたようだ。


「男など、この世界には不要なのです」

(お、おいおい……?)


 なにかおかしい。

 モーティマも、これまで数え切れないほどの戦場を駆け抜けてきた猛者だ。やばいことが起きていると直感的に理解した。

 ワゴンをその場に放置すると、巨体をできるだけ小さくして、手入れの施された植え込みに隠れて接近する。

 もう少し状況を知る必要があった。


「女の子だけで優雅に暮らす世界に、野蛮な男は必要ありません」

(マジかよ……!)


 だけど側まで近づいても、王子ははっきりととんでもないことを宣言していた。

 モーティマは王子をよく知っている。

 あまり多くを話さないが、こうと決めたら必ずやり遂げる男だ。

 そっとモーティマは、その姿を窺った。


(胸が、ある!? しかもけっこうでけぇ!)


 女王子だ!

 王子が女になったのだ!

 なぜ?

 たぶん――自らも男だから。

 男を抹消するという覚悟は本物なのである。自分自身も女に変えてしまうほどに。


(王子が女好きなのは、今に始まったことじゃねえが……いきなりなにをこじらせたんだあ?)


 だがあの王子が、ここまで本気になったのなら。

 モーティマはぞっとする。もしかしたら魔王以上の脅威となるかも。

 とにかく、急いでこの場から離れることにした。

 早く他の連中に、このことを知らせなければ――。


「!?」


 だがその瞬間、モーティマはとっさに身を転がしていた。

 さっきまでいた場所に、放たれた矢が深々と突き刺さる。

 背中にあった弓を瞬時に手にしたソーマが、問答無用で一撃を放ったのだ。

 さすがは王国の弓兵。モーティマの接近に勘付いたというわけだ。

 しかしその一撃は本気だった。


「あ、あぶねぇだろーが! 下手すりゃ当たってたぞッ!」

「そこに誰かいるのですか!」


 女王子の誰何。

 直後――モーティマのすぐ側の植え込みが、ごっそりと抉られていた。

 矢どころではない。女王子の、本気の剣だ。


「じ、冗談じゃねぇぞ、これえ!!」


 王城では長い戦いの日々で、誰もが武器を装備して過ごすのが日常となっている。いつ何時襲撃を受けても対処できるように。

 それでもモーティマは、大斧を訓練場に置いてきてしまった。厨房で料理をするには邪魔だったから。


(厨房に果物ナイフくらいはあったが……クソ!)


 バーガンと手下の二人も厨房に残ったままだ。

 たぶんまだ、この騒ぎには気付いていないだろう。庭園に出てくる様子もない。


(ひとまず知らせに戻らねえと!)


 そうは思うが女王子と、ソーマの攻撃は容赦がない。確実に退路を断つ位置に、矢が鋭く放たれた。


「男ならば、素直に出てきて斬られなさい!」


 女王子が勧告する。

 そこに殺気がみなぎっていた。モーティマは出るに出られない。


(やべぇ……本気で、殺られる!)


 だがモーティマも山賊頭だ。

 泥臭くも生き延びる戦い方だけは熟知している。すでに逃げ回る中で、庭園の花壇を作るレンガを一つ引っこ抜いていた。

 それを離れた植え込みへと、素早く投げて――。

 ガサッ!

 ソーマの矢が遠くに飛び、女王子の注意も同時にそれた。今だ!

 一瞬の隙をついてモーティマは、全力で厨房へと走った。



              ★ ★ ★



「やべーぞ、王子がご乱心だあ! なぜか知らねぇが……ってなんだこりゃあ!」


 わめきながら飛び込んだ厨房。

 そこは、見るも無惨な有様になっていた。


「お頭……!」


 バーガンが申し訳なさそうな顔をする。


「お、俺たちじゃねえです、ほんとに!」

「ちゃんとお頭のぶんは残しておこうとしたんです、でも!」


 必死に言い訳するのは、パイの欠片を口元につけたままの手下二人だ。

 けれども何が起きたのか、モーティマにもはっきりわかった。

 厨房のど真ん中。そこで満足げに寝転んでいたのは、大柄な狂戦士フューネスだった。


「うー……もう、食え、ない……」


 げっぷまでして幸せそうだ。

 そして石窯の中には、パイは一つも残っていない。もちろん厨房のどこにもなかった。


「まさか、全部か? 全部食いやがったのか!?」

「匂いにつられてきたみたいで……止める間もなく」


 バーガンが謝る。


「ちなみにセシリーは、一つまるごと盗んでいきました」

「なにい? アイツも来てたのか!」

「でも様子がちょっとおかしいんですよね。俺たちのこと、なぜか無視して……」

「……! 待て、そうだよ! おかしいんだ、王子が――」


 ズガッ!

 モーティマとバーガンの間を、鋭く矢が通過して、石の壁に突き刺さった。

 しまった、と思ったときにはもう遅い。


「ここにも男がいたんですね。さっそく、抹消せねば」


 弓を構えるソーマをつれた女王子が、厨房に入ってくる。


「王子? え、王子、ですか? いったい……!」

「見りゃわかんだろ! 女好きが高じたのか……ついに女になっちまったんだよ!」


 慌てふためくバーガンとともに、モーティマは突きつけられた王子の剣に追いやられる。


「な、なんなんだあ! こりゃあ!」

「ふざけんなよ、王子ぃ! 俺たち山賊が、いらなくなったってことかよッ!」


 こんなときなのに満腹のフューネスときたら、そのままいびきをかき始めた。代わりに二人の手下どもがわめく。


「山賊……なんて、粗暴な男たちでしょう」


 女王子がきれいな顔をゆがめた。本気で嫌悪しているようだ。


「これからの時代に、あなたたちのような男は必要ありません」

「…………」

「…………」


 ソーマと、女王子の後ろに控える政務官アンナは表情一つ変えない。


「一緒です。セシリーと!」


 バーガンがモーティマに耳打ちする。

 やはり女王子の下、王国の女たちは全員統率されたようだ。


(こいつらやっぱり、俺らを――本気で!?)

「お頭あ! こうなったら戦いましょう!」

「俺たち山賊の意地、見せてやりましょうぜ!」


 手下の二人は憤慨したが、ナイフの一つも持っておらず、代わりに握るのは大きめの木さじと泡立て器のみ。

 バーガンが哀しく首を横に振った。これでは無理だ。


「待て!!」


 だからモーティマは頭として、武器も持たずに、剣を向ける女王子の前に立った。


「……俺らはなあ、山賊だ」

「はい。見ればわかります」

「だが王子とともに、ずっと戦ってきた、誇りある男どもだぜ!」


 どん! とモーティマは自慢の胸板を叩いた。

 その下にはまだ、外し忘れたエプロンがあったけれど。


「その俺らを……ここで排除すんのか! それがお前の意志かよ、クソ!」

「――嗚呼、なんと汚らしい言葉遣いなのでしょう」

「うるせえ! 俺はずっと、こんなだろうがよ! お前が王子だろうが誰だろうが関係なくな!」

「面白いですね。では、女になればどうですか?」

「なに?」


 突然の言葉に、モーティマはきょとんとする。

 後ろにいたバーガンや、手下の二人も同様だ。


「いや、意味がわからねえんだが……」

「すぐそこに、美しいドレスがたくさんありましたね」


 女王子が妖しく微笑む。


「皆さんで着飾ってもらいましょうか。そして身も心も美しき乙女になっていただきます」

「はあああああ?」


 本気で――言っているらしい。

 モーティマは罵声を浴びせようとして、引っ込めた。

 女王子の目は真剣だ。

 そう、モーティマは知っている。いつだって王子は自分の信念を曲げない。

 それがとんでもなく、実現不可能に思えることでも。


「女って……俺たちみんなが?」

「は! できるわけねーだろ、俺たちは泣く子も黙る山賊なんだぞ!」


 手下の二人はすぐさま反発した。


「ふざけるな、王子!」


 バーガンもさすがに怒る。


「そうですか。やはり男は愚かな生き物ですね」


 女王子がついに剣を振り上げた。


「私はこれから女の子だけの美しく、穏やかな世界を作ります。だから男も、女として生きるのならば、命までは取らないと決めていたのですが――」

「待てッ!!」


 殺られる! ここで、全員が。

 それだけは山賊頭としてさせられない。自分一人ならまだしも。

 だからモーティマは声を張り上げていた。


「待ちやがれ、王子……。今の言葉、本当だろうな?」

「なんですか? 嗚呼、女になれば命は取らないと」

「そうだ!」

「約束しますよ。ですが、本気で男を捨ててもらいますが」

(つまり……王子が女になったように、か)


 モーティマはつい、女王子の胸のふくらみを見てしまう。

 できるか? 自分の分厚くて固いだけの胸板と比べてしまうが。


「……やって、やろうじゃねーか」

「お、お頭!?」


 さすがにバーガンが悲鳴のような声を上げた。

 手下二人はあまりのことに絶句している。

 フューネスはやっぱり気持ちよさそうに寝ていた。

 そんな配下たちを救えるのは、頭のモーティマだけなのだ。


「着替えりゃいーんだろ、着替えりゃ! 俺様が手本を見せてやらあ! だからひとまず、部下どもには手を出すな!」

「いいでしょう」


 女王子が約束をする。

 モーティマの知る王子ならば、嘘はないはず。


「しばし時間をあげましょう。その間に愛らしい淑女になってくださいね♪」



              ★ ★ ★



「……あれ本気で言ってやがったな」


 ぶるり、と今になってモーティマは悪寒を覚える。

 しかしもう、煌びやかなドレスの収められた小部屋に飛び込んでいた。

 ここにあるのはすべてプリンセスたちの衣装だ。

 それに大きな姿見と、高級そうな小箱もいくつか並んでいる。中を開ければ化粧品がぎっしりだった。


「うお。これ、どうすりゃいいんだあ?」


 たくさんありすぎて、何から使っていいのやら。

 だがまずは――衣装選びだろう。

 モーティマはとにかく衣装を手に取る。どれも残念ながら筋骨逞しいモーティマの体格には小さすぎたが。


「俺が着れそうなのは、こいつくらいか……」


 華やかなピンクのドレス。

 誰のものか頭に浮かびかけたが、思い出すのはやめた。


「すまねえ、勝手に借りるけど……打ち首だけは勘弁な! ぬぐぐっ」


 なんとか袖を通すことができた。ドレスの前のボタンが、筋肉のせいではち切れそうなのはご愛敬だ。

 ふわふわのスカートの前が大きく開いていて、ズボンも脱いで、ストッキングをはくしかなかった。伸びる素材で助かったが、動けば簡単にずり落ちてしまう。


「……サスペンダーみたいなのがあるじゃねぇか!」


 ガーターベルトを発見して、どうにか留めて事なきを得た。

 後は靴だ。

 ドレスと同じ色合いのピンクの靴を選んで、ごつい足をねじ込む。

 めりめり、めりっ。

 嫌な音がしたがとにかく入った。ヒールが多少潰れたものの、歩きやすくなってよい。


「ふーーーー、どうだ?」


 ただし女物の服を着ただけで、女になれれば苦労はない。

 幸い、ウィッグがいくつかあった。


「なんでこんなもんが? 女ってのはわっかんねーなー」


 モーティマは寝るとき以外ずっと、骨の兜をかぶっている。山賊頭としてのトレードマークだ。

 いちいち脱ぐのも面倒で、そのまま無理矢理ウィッグを試す。


「おう、これならいけるじゃねーか」


 ボリュームたっぷりの金髪のウィッグが、意外にもぴったりだった。ちょっと横から兜のツノが出ていたけれど、髪飾りと思えば許容範囲だろう。ついでにティアラものせてごまかしてみる。

 とりあえずこの格好で、くるりと回ってみた。長いスカートがふわりと舞う。

 姿見に映るモーティマは――ダメだ。なにせ顔が傷だらけで、ヒゲ面のままである。


「いや、さすがにヒゲを剃る道具はねえだろ!?」


 カミソリでもあればちょっとした武器になりそうだが、残念ながら見つからない。化粧用の筆がたくさん出てくるばかりだ。

 そういえば厨房にあったはずの小型ナイフはどこにいったのか。果物用にわざわざモーティマが新調した、折りたたみ式のコンパクトなものだったが。


「あれがあればヒゲくらいは……いや、そうじゃねぇな」


 そんな問題ではない。モーティマは女王子の言葉を思い出す。


「身も心も乙女に、か。たぶんアイツは格好だけ女になっても、納得しねえ」


 そういう男だ。今は女になりきっているが、あれくらいの徹底ぶりをモーティマにも求めているのだろう。

 ――本気で淑女になるしかない。

 モーティマの中にはまったく存在しない要素だ。

 それでも心からなりきる以外に、バーガンたちを救う術はきっとない。

 姿見の前で座り込み、口紅を一本手に取った。


「ええい!」


 漢モーティマ――一世一代の決意とともに。



              ★ ★ ★



「そろそろいいですか? 出てきなさい」


 衣装部屋の外から女王子が呼びかけてくる。

 準備万端とはいかなかったが、出るしかなかった。

 モーティマは腹をくくり、出入り口を塞いでいたカーテンを開ける。

 そのすぐ外に女王子が待ち構えていた。

 ドレス姿のモーティマと対面して――。


「…………!」

「…………!」


 モーティマと女王子。

 二人の時が、止まった。


(やべえ、ダメか!?)


 剣を握ったままの女王子の前で、モーティマはだらだらと冷や汗を掻く。

 いいや、見た目に無理があるのは当たり前だ。

 だから。


「…………でちゅわっ♪」


 モーティマの全力だった。アイシャドウまで塗った瞼で、ウィンクも決めてみせる。

 大事なものを失ったような気はした。


「…………」

「…………」


 女王子の側にいた、アンナとソーマは何も反応しなかった。

 しかし、女王子は。


「素晴らしいです……! あなたのような、むくつけき男が見事、淑女になってみせるとは!」


 満面の笑みだった。

 うっとりとした目で、プリンセスとなったモーティマを迎え入れる。


「こちらへどうぞ、姫」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 声が裏返るものの、しずしずとした足取りでモーティマは従った。そのまま厨房へとつれて行かれる。

 そこでは寝ているフューネスが、バーガンたちの手で縛り上げられているところだった。

 エプロンを裂いて作った、急ごしらえの紐のようだ。それくらいしないとフューネスのことだ、目を覚ませば狂戦士らしく暴れるだろう。まだまだ起きる気配はないが。


「お、お頭……!?」


 変わり果てたモーティマの姿に、さすがにバーガンが大口を開けた。

 他の手下二人も同じだ。完全にあっけにとられ、言葉を失う。

 これも生き延びるためなのだ。


(笑わば、笑え! クソう!)

「うっふ~ん♪ 俺様が王国に咲く大輪の花、モーティマだ! ですわ!」


 身をくねらせて、ばしばしウィンクを飛ばす。

 だが噴き出す者は誰もいなかった。

 むしろ、バーガンがほろりと涙を見せる。


「俺たちのために! お頭……最高ですッ!」

「おおお、女だ! 完璧な女ですぜ、お頭あ!」

「なんてきれいだ! ……いや、けっこう、マジにイケてますよお頭!」


 手下の二人も盛り上がる。

 ぱちぱちと、アンナとソーマが無言のままだが拍手をしていた。


「嗚呼、本当に……なんと美しき、骨太の君なのでしょう!」


 女王子が一番満足していた。抜いていた剣はもう鞘に収めている。


「ここまで可愛いプリンセスになるとは、私の想像以上でした。本当に男を捨てて、女に生まれ変わったのですね」

「ひゃいっ!」

「ふふ、可憐な骨太の君よ。あなたのような人こそ、私の新たな王国にふさわしい。頼もしき味方となって働いてもらいますよ」

「……ぶ、部下どもの命も保証してもらえんのかですわ!」

「嗚呼、そうでしたね」


 ぱちん! 女王子が指を鳴らす。

 ――どこからともなく厨房にふらりと姿を見せたのは、赤いフードをかぶった女だ。

 モーティマの配下の一人であるはずの、暗殺者セシリーである。


「…………」


 だが彼女もやはり、女王子の下についたらしい。

 口の周りはしっかりパイの欠片で汚れていたが。


「他の男たちは、ひとまず適当に縛り上げておきなさい。処遇はまた後で決めます」


 女王子の指示に従って、セシリーがまた消えた。

 すぐに布地を持って戻ってくる。さっきの衣装部屋の、出入り口のカーテンだ。それを手早くナイフで裂いて、どんどん紐を作っていく。


「それよりも、ひとまず優雅にお茶会を楽しみませんか? 美しき骨太の君よ」

「お茶……? こ、こんなときにかわよ?」

「ええ。これから王国に残る他の男たちに、降伏勧告をする予定です」

「!!」

「しかしあなたのように、男を捨てる覚悟ができる者は多くないはず。全てが片付くまでは、一息入れることもかなわぬでしょうから」


 だが手間とは思っていないのだろう。

 必ず勝利する。その自信が、余裕となって現れていた。

 アンナとソーマがそそくさと、準備のためか厨房を出て行く。


「それに先ほど、庭園でワゴンにのったお菓子を見つけましたの。とてもおいしそうだったので、ぜひ一緒にいただきましょう」

「あ……わたくちが焼いたパイですわねっ」

「まあ、なんと!」


 女王子が目を丸くする。


「あのような見事なお菓子まで作れるなんて。やはり私が見込んだ淑女なだけはありますね、ふふふ」


 ――どうやら意図せず、残ったパイの試食ができそうだ。

 女となったモーティマは誘われるままに、厨房を後にする。

 その前に、セシリーに縛り上げられるバーガンたちをちらりと見た。

 バーガンは軽く目配せする。わざとモーティマだけに見せたのは、手の中に隠し持っていた折りたたみ式のナイフだ。


(アイツが持ってやがったのか!)


 さすがはバーガン。山賊らしく手癖が悪い。

 いざとなれば隙を見て、自力でなんとかするだろう。

 ならばモーティマも諦めない。


(……アイツらの無事が確認できるまでは、下手に動けねぇが)

「わたくち、ちょっと便じ……じゃねえです! お、お花を摘んでくるぜですわ!」


 お茶会の頃合いを見計らって、モーティマはそう切り出した――。

 女王子は疑いもしない。


「ええ。さすがは奥ゆかしき淑女ですね。どうぞごゆっくり」

「ひゃいっ」


 もちろん嘘だ。庭園から離れると、ドレスのスカートを持ち上げてすぐに走り出す。

 ドタドタとした足音で勘付かれたかもしれないが、気にしてはいられなかった。目指すのは武器の大斧を置いてきた訓練場だ。あそこなら王国の男たちが集まっているに違いない。

 純真な、女王子のモーティマを見送ったあの目が、ちくりと痛かったが。


(完全に信じてやがった。ああいうところは男のときと同じなんだよなあ)


 そこにモーティマは山賊頭でありながら、惚れたのだ。

 だからこそこうして王子の下で働いてきた。


(あれ? 俺はその王子を裏切ろうとしてるのか? いや、しかし……!)

「――てめぇら! 大変ですわよ!! 王子が『男を全て抹消する』って言い出したですわ!!」


 ともかく一大事だ。

 モーティマは訓練場まで辿り着くと、必死に叫んだ。



              ★ ★ ★



 かくしてモーティマの活躍もあり、女王子の騒動は収束した。

 だが伝説の姫として、「プリンセスモーティマ」の名は長く語り継がれることになる。

 姫装したモーティマの覚悟に感応し、なんと女神アイギスが【覚醒】の可能性をも与えたからだ。


「うふ♪ みんな、俺様の美しさが癖になったかしら?」


 男たちのリクエストに応えて、王国の酒場にはしばしばプリンセスモーティマが現れたという。

 もっとも後日、ピンクのドレスの持ち主にばれて――姫君たちのお茶会にプリンセスの格好で呼ばれ、終日付き合わされるはめになったが。



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