男女七条恋物語(女・梅雨)
駅の近く、半地下のバー。バイトもだいぶ慣れてきた頃に、その美しい人はまたやってきた。
「.......1番強いお酒を」
「は、はい」
綺麗な格好だった。綺麗なお姉さんにぴったりの、白っぽいワンピースに小さなカバン。足元は少し低めのヒールのサンダル。唇にはうっすら紅が乗っていた。
その全てがずぶ濡れということ以外は、とても素敵なコーディネートだった。
元は整えてあったであろう水が滴る髪の毛を、お姉さんが前髪ごと片手でぐいっとかき上げる。明らかにデート服を濡らした不機嫌な女性なのに、なんだか格好良かった。
「.......タオル、お出ししましょうか」
思わず話しかけてしまった。しまった、店長は今ちょうど外しているし、他の客もいない。濡れているお姉さんを放ってはおけないが、それはそれとして自分にお姉さんとの1対1の会話はレベルが高すぎる。
「お気遣いありがとうございます。お借りしてもいいですか? ハンカチじゃ、間に合わなくて」
よく見れば、お姉さんは店の椅子にハンカチを敷いて座っていた。あ、どうしよう好きだ。このお姉さん絶対いい人だ。綺麗な上にいい人だ。好きだ。
急いで店の奥から新品のタオルを出してくる。どぎまぎしながらそれをお姉さんに差し出して、店で1番強い酒を作った。作るというか、注ぐだけな気もする。
「ありがとう」
グラスを受け取ったお姉さんは、にっこり微笑んだ。そして、一息にグラスの中身を飲み干す。たんっと空のグラスを置いて。
「もう一杯、同じものを」
やばい、かっこいい。
お姉さんは次に出したグラスも一気に飲み下し、3杯目のグラスはゆっくりと傾け始めた。しかし、それでも普通の客が飲むよりも大分早いペースで茶色い液体がお姉さんの中に消えていく。
ぼけっとお姉さんを見ていた俺だが、なんだかまずい気もしてきた。明らかにデートで何かあったお姉さんが、恐らくやけ酒(格好良すぎる)をしている。止めた方がいいのか、話を聞くべきなのか。
「.......ふふ、もう一杯」
「は、はい」
少し上機嫌になってきたお姉さん。また一気に酒を飲み下した。このペース、急性アルコール中毒とかは大丈夫なのだろうか。前回あれだけ飲んで笑っていたから相当強いのだろうが、今日はペースがめちゃくちゃだ。
「.......せっかく」
突然お姉さんが、少し顔を歪めて。拗ねたように、グラスに口をつけながら呟いた。
「.......和臣が仕事、代わってくれたのに」
お姉さんのカバンから、携帯の着信音がなる。お姉さんは動かない。何度も何度も切れてはかかってくるそれを、お姉さんが唐突にカバンから取り出して電源を落とした。無表情だった。怖い。
それからお姉さんは異常に早いペースで強い酒をツマミもなしに飲み続け、にこにこと笑っていた。
「げっ。静香、飲みすぎだ」
男だ。この間お姉さんをおぶって帰った冴えない男では無い。背が高い、黒い和服の男。バーに和服、という組み合わせですら格好よく見えるのは、この男の顔が格好いいからだ。まったくふざけた世の中だ。
「?」
お姉さんの方へやってきた男をまじまじと観察してしまう。どこかで見たことあるような整った顔。.......いや、今目の前にある整った顔が、2つ。
「.......兄さん、仕事は? なんでいるの?」
お兄様! お兄様でしたか! どうりでお姉さんに似ていらっしゃる!
唐突に目の前の男に好感を持った。一杯ぐらいサービスするのもやぶさかではない。お姉さんは一気に顔から赤みが引いて、笑みも引っ込んで驚いていた。
「仕事はこれからだ。ほら、風邪引くから、帰るぞ」
「.......もう少ししたら自分で帰るから大丈夫よ」
お姉さんは動かない。お兄様は困ったように頭をかいた。
「.......デート、すっぽかされたって?」
お兄様! なんてストレートな物言い! 酷い、酷すぎる! 見てくださいよ! お姉さん頭抱えちゃってるじゃないですか!
「気にするな。俺もよくすっぽかされた。それに、そのままフラれることは少ないと思うぞ。.......次のデートで買い物の後フラれることは多いが」
お兄様! なんかごめんなさい! お姉さんも心做しか先程とは違う感じで頭を抱えていた。
「.......ねえ、兄さん。私から相談しておいて、なんなんだけど.......私達は、2人でいくら考えても無駄なんじゃないかしら」
「マイナスかけるマイナスはプラスになるから、大丈夫だ」
「私はマイナスじゃないわよ! .......たぶん」
なんだか辛い沈黙がおりた。
「静香!」
店のドアが勢いよく開けられ、小綺麗なシャツを濡らし泥だらけにした冴えない男が転がり込んできた。出禁にしてやろうか。
「ご、ごめん! 少し、手間取ってしまって.......」
肩で息をする冴えない男。そんな一言で許されるわけないだろうがボケナス。この2人はな、お前のせいでとんでもない心の傷を負ったんだぞ。
お兄様が、冴えない男の肩に手を置いた。ガチガチに緊張しだした冴えない男に、お兄様が小声で何かを言ったことだけはわかる。それを聞いた冴えない男は真っ青な顔で腰を曲げ、頭を深く下げた。そんな冴えない男の肩を叩いて、お兄様は帰っていった。気がつくとカウンターにはお姉さんの分の会計と、多めのチップが置いてあった。
やばい、かっこいい。
「.......静香、ごめん」
「.......」
つーん、と無視をして、代わりに俺を上目遣いで見つめるお姉さん。あ、ダメだ好きになっちゃった。すごい好きになっちゃった。
「.......何が、ダメだったの?」
しばらく男が黙ってお姉さんに頭を下げていると、細い喉から震える声が発せられた。
「私、めんどくさい女だった.......?」
「違う!」
必死な顔の冴えない男の背中を見て、ぎょっとした。カウンターの中の自分だから見えたのだろう、腰の左上あたり。透けたシャツの下は、なんとも痛々しい痣になっていた。この男一体何したんだ。慌てて奥からビニール袋とタオルを持ってくる。ロックアイスはここにいくらでもある。
「使ってください」
「え? あ、あぁ.......ありがとう」
タオルで包んだ氷を男に渡す。男はそれを使うこともなく、お姉さんに謝り続けていた。まさかこの男、待ち合わせ前に車にでもひかれてたんじゃ。
「ちょっと! 怪我してるの!? どこ、早く見せな! 何したの!」
「.......川で」
「落ちたの!? こんな雨の日に!」
「.......河童の川流れを見た」
「えっ」
なんの比喩だ。泳ぎが上手い友達でも溺れていたのだろうか。なら自分が飛び込むのではなく消防に連絡しろ。
「静香は.......昔からあの河童と仲がいいから、思わずね」
「バカ!」
お姉さんが椅子から降りて、冴えない男の腰に氷を当てる。俺はカウンターからその2人を見下ろす。なんて拷問だ。
「ごめん、静香。連絡も無しに待たせて」
「.......今回は許してあげる。河童だから、特別ね」
「ありがとう」
まずい、キスでもしそうな雰囲気だ。完成に俺の存在はこの2人の頭の中から抜け落ちている。
「あれ、静香ちゃん孝臣くんには会えた? さっきそこで会ってさ」
店長ぉー!! 空気読めよこのくそじじい! いい雰囲気だっただろうが! 外でタバコでもなんでも吸ってこい! いつもパカパカ吸ってるだろ! そのちょび髭むしり取るぞ!
見ろよ! お姉さんちょっと照れちゃってるじゃないか! 男の方も気まずそうだろ!
「あのね、お二人さん」
店長が、店の奥から湯気のたつマグカップ2つを持って2人の前にしゃがむ。その2人に割り込む勇気、もはや尊敬します店長。
「このバイト君、見えない子だから。河童とか、あんまりやめてね」
「「!?」」
2人が驚愕の顔。冴えない男が、わなわなと口を開いた。
「ま、マスター前に、そういう人は雇わないって.......言ってなかった?」
「今どきこの時給で来てくれる子いないんだよ。人手不足には勝てないの」
2人はマグカップを持ったまま動かなくなってしまった。とりあえず俺が時給も安いのにここに来ているとディスられたことは分かる。時給上げてください。
「.......帰ります。お店濡らして、すみませんでした」
「今後もご贔屓にー」
冴えない男が、ピタリと寄り添うお姉さんの腰に手を回しながら出ていった。なんだかんだ言って、仲が良いカップルみたいだ。悔しいがお姉さんが幸せそうに男を見上げていたので良しとする。それはそうと。
「店長、時給あげ」
「マスターって呼んで」
お姉さんに幸あれ。
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