男女七条恋物語(男・初夏)

 私は、総能の治安維持部隊、七条孝臣隊長率いる第七隊の副隊長である。

 最近は体調も戻ったように見える私の隊長は、今日は自ら外に出て見回りをしていた。最近のオカルトブームに辟易しているのは、何も私だけではないのだ。


「.......」


 隊長のいない執務室を眺める。彼がいつも姿勢よく書類や文書を書いている机の上は、全ての物がキチンと整頓されている。それは見えない引き出しや棚の中も同じだろう。

 私の隊長は、最近本部に行くとなるとほんの少し、ほんの少しだけ表情が変わる。おそらく私以外、誰も気づいていないであろう小さな変化。それは、きっと。


「.......本部務めの、誰か」


 呟いて、しまったと思った。たとえこの場に誰もいなくとも、私がいる。私が聞いているのだ。声に出してしまえば、どんどん気になってしまう。隊長の初恋の相手は誰なのか、どんな人なのか、彼に相応しいのか、そうでないのか。また、私の隊長を傷つける最低女では無いのか。

 何を考えているのだ、バカバカしい。そんなの全て私が決めることではない。彼が決めることだ。私はただの副隊長で、彼が仕事においてもし万が一誤った判断をすれば止める、それだけだ。

 それだけなのだ。


「うわ、窓も開けてないのか。大丈夫か、暑くないか? 水分は取ってるな?」


 軽いノックの後、汗の粒が光る彼がこの部屋に入ってくる。彼の為の部屋なのだからノックは不要なのだが、私がいるからといつもそうして入ってくる。


「.......申し訳ありません。今すぐ空調を」


 室温を見れば、27度。ここ最近、梅雨を飛ばして上がり始めたとニュースが言う気温を自分では実感していなかった。だが、早くこの部屋の温度と湿度を下げなければ。彼は一度だって言ったことは無かったが、暑がりなのだ。


「いや、君が暑くないならいいんだ。君、エアコン苦手だろう?」


「いえ、外からお帰りになった隊長が優先です」


「じゃあ窓を開けよう。あとは団扇で十分だ」


 彼が上から2番目の引き出しから若草色の団扇を取り出す間に、サッと窓を開ける。少し湿った風すら心地よかった。


「しかし、このまま夏休みに入られると困るな。怪談ブームに今より勢いがつく」


「動画配信サイトでも、その手の動画の人気は加速しています。肝試しを撮影した動画など、いくつか気になる場所を撮影した物がありました」


「それはどうした?」


「立ち入り禁止の場所へ立ち入った動画は削除を要請済みです。その他の対応は管理部に引き継ぎました」


「さすがだ、仕事が早くて助かるよ」


 団扇をパタパタ扇ぎながら、少し頬をゆるめる隊長。額や首に浮かぶ汗は未だ引かない。団扇の動きと共に揺れる黒い髪は、いつもより少し湿っぽい。


「隊長、先程本部より書類が届きました。こちらはいつもの隊の書類ですので、私が。そちらは隊長宛です」


「あぁ、ありがとう。.......やけに多いな?」


 隊長に手渡したのは、三通の黒い封筒。それに大量の白い封筒だった。普段の倍以上の量のそれに、一瞬怪訝そうな顔をしてから白い封筒一つ一つの名前に目を通し始める。


「経理部、経理部、管理部、.......人事部? なんだ、法務部まであるのか」


「最近、他の隊での勤務中での一般人との接触が目立つからでしょうか」


「そうだろうな。.......こっちは全部本部からか。ん、また署名か.......」


 隊長が1番上の引き出しから、大きな隊のハンコの横にある自身のハンコを取り出した。私は戸棚から筆と硯を取り出す。署名の際には、筆と墨を。達筆な彼の書く彼の名前は、見る度に私にずしりと重く責任感を感じさせる。それを誇らしく思うのは、副隊長なら皆そうだろう。


「墨をすりましょうか?」


「いや、実はこの間墨汁を貰ったんだ。本部で文を書こうとしたら筆とコレが出てきて、確かに楽だなと思って貰ってきたんだ」


「.......墨は私がすりますので、隊長の手は煩わせません」


「君に毎回やらせるのも申し訳ないからな」


 違う。やりたくてやっているのだ。あなたが昔好きだと言った墨の匂いと、あなたの真剣に文をしたためる姿が見たくてやっているのだ。

 そんな香りの立たない量産品では、私の隊長に釣り合わない。

 そんな物を出す管理部は、私の隊長の何を見ているのか。


「.......」


 どきりとした。隊長が、手の中の墨汁のボトルを見て、ほんの少し頬をゆるめたから。

 なぜそんな物を見て、そんなに柔らかな表情をするのか。

 分かっている。察している。私を誰だと思っているのだ。常に彼の隣りにいた、彼の副隊長だ。彼の役に立つためだったらなんでもやってきた。こんなにもわかりやすい感情の発露を、見逃すはずがない。


「隊長。そう言えば、初恋の方はどうなさいましたか?」


 がっだーん、と隊長が机の上のパソコンやファイルを押しのけ額を打ち付けた。


「隊長!? 大丈夫ですか!? お怪我は!?」


「.......と、唐突だな。君が仕事中にその手の話をしてくるとは.......俺もまだまだ君を知らなかったか」


 少し赤くなった額を押さえながら、隊長が苦笑いを浮かべた顔を上げる。確かに、自分らしくない質問だった。勤務中に上司にするような話では無い。なんて失態だ、この人の副隊長として恥ずかしい。


「申し訳ありません。一度外に出て、反省して参ります」


 頭を冷やすべきだ。部下の見回りにでもついて行って、自分の立場を思い出すべきだ。


「そんなに気にすることじゃない。それに、書類仕事は何も黙ってやらなくてもいい。.......少し個人的な話をしてもいいだろうか、俺の副隊長」


「はい、私の隊長」


 隊長は白い封筒を持って、部屋の中央のソファへと移動してきた。私の定位置となっている場所の正面だ。

 私も書類を持ってソファに腰を下ろし、隊長と2人同じ机で書類を書く。記入漏れ、誤字脱字、数字のミス、全て一切無いように丁寧に、かつ迅速に。目の前の彼がなんでもないようこなす速度に遅れぬように。


「君も知っていると思うが、最近本部へ行くことが増えたんだ。そこで.......その。俺の.......初恋の相手、と言うのが.......本部に、居てだな」


「はい」


 チラチラとこちらを見ながら言いづらそうに言っているが、そこまでは全て察している。管理部の人間で、私の隊長に市販の墨汁を差し出すような若い女だとは分かっているのだ。問題はその先だ。


「その人は.......いつも頑張っているんだ。色々失敗して、可哀想なほど落ち込むんだが、それでも泣きそうになりながら次を頑張っている。なんと言うか.......手を出してはいけないんだが、彼女の歩く道にある小石は取り除きたいというか.......転ばないようにしたいというか、怪我する前に俺が代わりたいというか。妹が初めて歩いた時のような」


「守りたくなるような女性、ということでしょうか?」


「それだ」


 書類から顔を上げて、真剣な顔で私を見つめる隊長。心配になってきた。


「そして、その守りたくなるような女性とはどこまでお話になられたのですか? 結婚を前提としたお付き合いをご提案されたのでは?」


「.......」


 沈黙に書類から顔を上げれば、私の隊長はその大きな両手で顔を覆って小さくなっていた。うそだ。それはさすがに嘘だ。だって目の前のこの人は、やると決めたらやる人だし、もう30手前のいい大人で、今はもう夏の1歩手前で。


「.......この間、廊下でお疲れ様と声をかけた」


「だから何?」


「え?」


「失礼しました。どうも鼻の調子が.......んん、ごほん」


 何を言ってるんだこの人は。今年の冬に思いを告げるだなんだ言っておいて、未だお疲れ様の一言だけだと。それでは結婚するのは何十年後なのだ。聞く限りその女性は自分から隊長にアプローチするタイプでも無さそうだし、これは大変な問題だ。このままでは私の隊長が片思いのままだ。これは、由々しき問題である。


「隊長、今週末の本部への呼び出しですが」


「あぁ。夏前の定例会議か」


「はい。その際その女性に思いを告げるべきかと」


 がっだーん、と隊長がソファから転がり落ちた。目をぱちくりさせて、床から私を見上げている。


「今日は色々と急だな、君は.......!」


「隊長、今年ももう半分が過ぎました。残りは6ヶ月もありません」


「それは、そうだが.......」


「何もいきなりプロポーズをする訳ではありません。食事に誘うなど、個人的な誘いを提案することで好意を示すのはいかがでしょう」


「それ、き、気持ち悪くないか.......!? 急に俺に誘われれば、女性は怖いだろう!」


「何がでしょうか? 誠意を持っての提案であれば、不快感はないかと」


 大変な衝撃を受けたと言わんばかりに、隊長が口を開けて動かなくなる。衝撃を受けているのは私の方だ。この人はここまでこじらせていたのか。


「隊長に声をかけられて、喜ばない女性は少ないかと。少なくとも、私はそのような女性は思いつきません」


「.......ふっ。ありがとう」


 あぁ、伝わらなかった。本気で言ったのに、本当なのに。困ったように笑う彼は、私の言葉をお世辞か何かだと思って受け流した。違う、これは本心だ。いつものように目を見てくれれば分かるはずなのに、どうして。


「.......私の隊長は、素晴らしいお人です」


「ありがとう。そんな顔をしないでくれ。君に嫌な思いをさせたい訳じゃないんだ」


「.......本当に、隊長に声をかけられて断る人なんて、私には考えられません。私の言葉では、信用に足りませんか?」


 ぱちり、と瞬きをした目の前の彼は。


「.......いや、君の言葉を信じる。今度、彼女を食事に誘うと約束する、俺の副隊長」


「はい、私の隊長」


 揺るがなくなった目は、まっすぐ私を見ていた。

 だが、女性に声をかける程度でここまでしないといけない隊長に腹が立たない訳では無い。


「隊長」


「どうした? その書類は、今回は俺に書かせてくれ。感謝の気持ち.......には足りないが、せめてやらせてくれないか」


 手元の書類に伸ばされた手から書類を遠ざけ、ソファを立った。そして、そのまま執務机の方へ。


「隊長。墨を、すってもよろしいでしょうか?」


「え?」


「好きなんです、香りが」


 隊長は、私の手元の硯と墨を見て。


「そうか。俺も好きなんだ、墨の香り」


 知っている。

 まだ、私の方が知っている。


「じゃあ、頼んだ」


「隊長。こちらでお待ち下さい。その書類は私の仕事です」


 気まずそうに記入していた手が止まる。そして、執務机の方へ。


「いつもありがとう。君には本当に助けられてばかりだな」


「いえ。私がお世話になっているばかりです」


 初夏の匂いが混じった風に、墨の香り。穏やかに私の手元を見る彼の首筋には、未だ汗が浮く。

 こんな、素晴らしい時間が好きだ。でも。


「ですので、隊長の恋を応援するのは当たり前です」


「.......本当に頼りにしているよ、俺の副隊長」


 その言葉が、何より欲しいのだ。

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