笑う門には

温泉

「おお.......!」


 なんだか挙動のおかしな兄貴と来た京都総能本部。地獄のような夏の定例会議のあと。


 俺は、手元に残ったに、喜びを抑えられなくなっていた。


「和臣ぃ! 良かったねぇ!」


「うん」


 よしよしとハルに頭を撫でられる。ハルは最近俺の頭を撫でるのがお気に入りなのか、ことある事に撫でられる。害は無いので放置しているが、ハゲそうになったら止めようと思う。


「ゆっくり休んでおいでねぇ」


「あぁ.......! 温泉旅館で仕事、しかも終わり次第温泉で休んで来ていいとか! 最高かよ!」


 今回特別隊にまわってきた仕事は、1泊10万はくだらない高級温泉旅館での仕事だった。なんでも無許可での怪異使用の可能性があるので調査が必要なのだそうだ。

 これは正直管理部の仕事なのだが、ほぼ旅行のような好条件でまわってきたのなら文句は無い。むしろ喜んでやる。


 俺は、最近疲れていたのだ。


 特段何かをしている訳でもない。

 ただ、普通に大学に通って初めての定期試験を受けたり、特別隊の隊員募集が失敗し全く仕事が減らなかったり、葉月の副隊長試験対策で自分のバカさを痛感したり、妹が相変わらず俺限定に思春期と反抗期のコラボレーションを繰り出しているだけだ。こんなことで疲れた、などと言ったら花田さんに飛び蹴りされてしまうかもしれない。

 だが、昨日俺が兄貴の分のアイスを食べたからか兄貴の様子はおかしいし、久しぶりに会った河童はすこぶる機嫌が悪かった。何もしていないのに尻子玉を抜かれかけた。正直辛い。辛すぎた。もう心も体もズタボロだ。


 そんな訳で、俺は温泉旅行(オプションで仕事)を心から喜んでいた。元々温泉は好きでもないが、ゆっくりするのは大好きだ。

 ありがとう総能。今まで誤解しててごめん。めちゃくちゃ良い奴だったんだな、お土産買ってくるわ。


「私ぃ、お土産は温泉卵がいいぃー!」


「おう! 沢山買ってくる!」


「わぁ! やったぁ!」


 ぴょんっと跳ねて両手をあげたハルを、勝博さんが流れるように回収しつつ無駄な動きのないお辞儀をして部屋を出ていった。分かりました、勝博さんのお土産も温泉卵ですね。買い占めてきます。


「.........................」


 じっと部屋の端から鋭い目で俺を見つめていた一条さんは、何故か少し首を傾げてからまた目をそらした。分かりました。全然何も分からないけど温泉旅館にありがちな土産屋にある謎の木刀買ってきます。


「いやぁ、久しぶりに隊長のこんな笑顔を見た気がしますよ! 仕事も捌けないあの筋肉は塵にしてやろうかと思いましたが、隊長にお喜びいただけたのなら保留にしておきます!」


「杉原さんへのお土産は温泉まんじゅうにしましょう!」


「はは、週末が楽しみですねぇ!」


 にこにことしている花田さんに、最後までにこにこと車まで見送ってもらった。そして家に帰ってから、喜びをそのままに葉月に温泉旅行(おまけで仕事)の話をすれば、テンションの高さを気味悪がられた。楽しみすぎてそれすらあまり気にならなかった。


 そう言えば。その日、兄貴は帰って来なかった。




 そんなこんなで、週末。集合場所になった駅前で。


「ちょっと葉月、コイツなんでこんなにご機嫌なのよ。清香に無視されておかしくなったの?」


「それもあるけど、最近暑さとストレスで弱ってたのよ。そこに温泉旅行で.......おかしくなったの」


「結局おかしくなってんじゃないの。て言うか、この程度の暑さでおかしくなってたら真夏どうなんのよ」


 若干引いているゆかりん、ナイスアイドルだ。詩太さんと行ったライブで喉を痛めたのは記憶に新しい。


「隊長ー! それにお二人とも! おまたせして申し訳ありません!」


 駅の中から、荷物を持って走ってきた花田さんと中田さん。相当走ったのか、中田さんはうっすら汗をかいていた。


「部長、だから隊に車を買うべきなんです! 本部の車がパンクしてるなんて.......残りの車は全部使われてますし」


「.......いや、しかし活動も不定期な隊に車は.......」


 花田さんの歯切れが悪い。今朝花田さんから急遽電車移動になる、と連絡を受けた時は驚いたが、そういう事だったのか。ちなみに俺は今回旅行の雰囲気を楽しみたいので電車で嬉しい。


「花田さん、これ」


「隊長.......?」


 ごそごそと鞄から取り出した新車のパンフレットを、笑顔で花田さんに差し出した。次の瞬間中田さんがきゃぁっ、と黄色い歓声を上げて奪って行った。


「すごい.......! 国産の4駆が! しかも新車で! やはり国産エンジンですよね。無駄を削ぎ落としたスポーツカーよりも、無骨でありながら確かな力強さを感じる国産の4駆で急勾配を危なげなく駆け上がりたいんです」


 毎度どうしたんだ中田さんは。

 葉月と一緒にパンフレットをのぞき込んでいたゆかりんが、はいっと手を挙げて中田さんに質問した。


「エンジンってそんなに車ごとに違うんですか? みんな一緒じゃないの?」


「違います」


 中田さんのメガネの奥が光った気がした。花田さんが呆れたように肩を竦め、苦々しい顔でパンフレットに目を落とす。「もっと車高を低く.......」などと聞こえたのは無かった事にした。

中田さんはいつにも増して圧強めで口を開いた。


「エンジンとは、心臓です。車が動くために絶対に必要な動力源、エネルギーを生み出す機関です。恐ろしいまでの力を生み出すことが可能にも関わらず、力強さと繊細さを兼ね備え、そこで発生する音まで美しく.......」


 ちょっと何言ってるか分からなくなってきたので、俺も花田さんとパンフレットを見る。葉月とゆかりんは困った顔で中田さんの話を聞いていた。


「ところで隊長」


「なんですか花田さん」


「これは経費では落ちません」


 さすが経理部長。無駄な経費は出さない、当たり前だが流石である。しかし、安心して欲しい。


「大丈夫です。茨木童子は俺にトラウマとお金をくれました。それも結構な」


「隊長、笑えませんよ」


「「ははは」」


 ひとしきり笑ったあと、またカバンから分厚いファイルを取り出す。カバンの奥にある金のランプでは、トカゲが不満そうにガラスに張り付いていた。ごめんて。宿についたらすぐ出して温泉見せてやるからな。暖かいんだぞ。


「えー、では。皆さん揃ったところで、今回の旅こ.......失礼、仕事の説明をします。花田さん、お願いします!」


「はい! 今回の仕事は、無許可の怪異使用の調査になります。まだハッキリとこの旅館での怪異の使用は確認されていませんが、発見でき次第罰則規定に従い対処します。怪異の使用について、何か疑問などありますか?」


 ゆかりんがビシッと手を上げる。


「怪異の使用ってことは、この旅館妖怪飼ってるってことですか?」


「はい、おそらくは。契約を交わしている可能性も否定できませんが、そういった例は総能の管轄外では現在非常に少ないかと」


 そもそも、罰則規定に書かれている怪異の使用とは、大まかに言って2種類。妖怪を飼って恩恵を得ることと、妖怪などと契約して恩恵を得ることだ。


 現在、たとえ表に出ない場合でも、怪異の使用には総能の許可がいる。それはもう沢山の手続きと書類が必要になる。本当にもう頭がおかしくなりそうなレベルで沢山必要になる。なので個人ではほとんどやっていないのだが、極たまに総能発足前からの怪異使用が無許可のまま放置されていることがある。今回もおそらくそのパターンだ。

 それを罰したり、使用者へ説明するのはまあまあ面倒なのだが、今回は終わりさえすれば綺麗な場所でゴロゴロできる。やったぜ。


 目の前で、ふと思い出したように葉月が手を挙げた。


「あの、もしかして和臣達の家の山も.......」


「はい。最大規模の怪異との契約例ですね。怪異、それも位が高いものとの契約は大変難しく、さらに人間側に利益を出すのはより困難です。それを最大規模で行い、最大限の成功をおさめているのが一条から九条までの家だと言われています」


「花田さん、俺より詳しいですね」


「はは、隊長、ご冗談を! 契約などの詳しい内容は、各家の当主以外には誰一人知りませんよ!」


 唐突に、目の前に黒塗りの車が滑り込んだ。まさかと思ったら俺達の迎えの車だった。さすが高級温泉旅館。


 乗り込んだ車は温泉の匂いがする頃に停車し、ドアが開く。


「ようこそお越しくださいました」


 ずらりと、古い門の前に並び頭を下げる従業員達。その中から女将らしき女性がにこやかに進み出た。


「七条様、どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。3日間、貸切にてご案内させていただきます」


 俺達全員、話が違うと顔を見合わせた。

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