眼鏡
散々だ。散々すぎる。
地に伏し泣きながら、仁王立ちした婆さんを見上げた。ずり落ちた伊達メガネが余計に涙を誘う。
「別にあんたに教科書通りの勉強を教えるなんて期待してなかったけどね。弟子の頼みを聞く前に逃げ出すなんて、まだ叱り足りなかったかい?」
「無理だ! 婆ちゃん無理だ! 副隊長試験は無理だ!」
「元隊長が何言ってんだい!」
葉月が副隊長試験の参考書を持ったまま妹と一緒に寄ってくる。助けに来てくれたのではなく、いかにも難しいですといった参考書の付箋がついた部分を見せて迫ってきていた。だから無理だってば。
「あなたに筆記を手伝ってもらうのは無理だと思って言わなかったのだけど、術には詳しいみたいね」
「詳しくない! 大体実技でも自信を失いつつある俺に筆記対策なんて無理だ! しかも副隊長試験! 総能で1番難しいやつだぞ!?」
副隊長試験。何を隠そう、総能で1番難しいと言われる試験である。
まず筆記試験。制限時間内には到底終わらない量の難問を大量に出され、1問でも空欄があれば即不合格。大体の人はここで落ちる。
そして実技。これはいくつかあるのだが、部隊に所属していたり実績があったりすると免除されるものもある。ただ、術の技量を見せるものと実地試験は絶対に受けさせられる。ほとんどはここで自信を失って途中帰宅する。
このように、総能の副隊長試験とは受験者泣かせの恐ろしい試験である。花田さんと杉原さんは若かりし頃一緒に受けて一緒に合格したらしい。試験直後殴り合いになりお互い奥歯が折れたなどというエピソードは知らない。本当に知らない。
ちなみに、俺はこの試験を受けたことは無い。隊長になるのに試験は要らないからだ。多少頭が悪かろうと性格に問題があろうと、強ければ良い。術者としての実力以外の要素は、隊長選出には一切絡まないのだ。これが良いのか悪いのか分からないが、確実にコミュニケーションに問題が出ていることは間違いない。へるぷ。
「葉月お姉ちゃんは、副隊長になりたいの?」
「えっ、葉月、まさか他の隊に移動する気か!? 特別隊は不満か!?」
「いいえ。試験を受けるのは腕試しと、副隊長の資格を持っているとそれだけでお給料が上がるからよ。特別隊から移動するつもりは無いわ」
葉月以外全員が微妙な顔をした。給料の方の理由はまだいい。問題は腕試しの方だ。なんてレベルの腕試しだ。思考がアグレッシブ過ぎる。
「.......実技は和臣が教えてやりな。筆記も見てやれる所は見てやりなよ。あたしにゃ副隊長試験の対策なんて荷が重いよ」
「実技はもう受け入れるけど俺に筆記で教えられる部分は皆無だ」
自分で言うのもなんだが、俺はバカだ。俺に教わったら確実に不合格だろう。
「あら、今さっき試験に出そうなことを話してたじゃない。教科書に載っていないことも試験に出ると書いてあったのよ」
「あんなのほんの雑談だろ!? 試験に出るような話は知らない! 姉貴か兄貴に頼んでくれ!」
葉月と言い合っていると、いつの間にか婆さんと妹は座って授業を始めていた。婆さんめ、完全に俺に丸投げしやがったな。まあ問題なのは俺の弟子なんだけどな! 分かってるよ俺がやるよ! やってやるよ!
「.......と、とりあえず実技から」
思った5分の1の声量と勢いで、ランプを持ってのろのろと庭へ降りる。葉月は少し嬉しそうにあとを着いてきた。
「そう言えば、いつ試験受けるって決めたんだ?」
「受験が終わってから暇だったから、おばあちゃん家の術の本を借りて読んでいたの。そうしたらこの参考書が出てきて、私も副隊長試験を受けてみようかしらって思ったのよ」
思ったより最近の話でほっとする。葉月のことだから去年からよ、などと真顔で言われて師匠としてのプライドを打ち砕かれる可能性も覚悟していたのに。いや、約1ヶ月相談されなかったという事実も十分辛いんですけどね。ズタボロですけどね精神。
「実技.......私の場合、2つ免除されて受ける試験は3つよ。実地試験が2つね」
「へぇ。2つも免除なんて良かったな」
「でも実技試験の内容は毎年変わるから、油断は出来ないわ」
「うん。というか今の葉月じゃ技量面でも合格ラインに乗らないな」
葉月が参考書を持ったまま固まる。俺はその場にしゃがんで小石を拾って、地面にごりごりと数字を書いていく。
「葉月の霊力の総量は、他の副隊長と比べて多い訳じゃない。良くて同等、下手したら少ないぐらいだ」
葉月が隣にしゃがんできて、じっと地面を見つめる。
「でもそれはハンデにならない。理由は分かるか?」
「いいえ」
「葉月は霊力の扱いが桁違いに上手い。燃費が良すぎるんだ。俺が見てた感じ、ざっくりで普通10必要なところを葉月は4か3で回してる」
「.......全部初耳よ」
「え、そんだけ燃費良くて自覚無しとかあるの?」
以前葉月の霊力の扱いが上手すぎて、師匠の立場危うしと焦って勉強したことがある。しかし結局、俺がいける所には限界があると知った。俺には普通10のところをせいぜい6ぐらいにしかできない。それでも、霊力は葉月の総量の2倍以上はあるので誤魔化せているのだ。
「だから、葉月の問題は術の技術。葉月は今でも十分術が使えるけど、副隊長試験はそう簡単じゃない。俺は.......俺はバカだから、技術を上げるための方法を反復練習しか知らない。ごめん」
「意外ね。あなたでも反復練習なんてするの?」
「俺に術を教えたのは婆ちゃんだぞ?」
教科書を見ながら、万全の状態で使えるだけじゃ意味が無い。たとえどんな状況、どんな邪魔をされようと、頭空っぽでも完璧に使えるようにならないといけない。そう教わったのはいつだったか、当時は術を使っている最中に竹刀を握ったタケ爺を連れてこないでくれと思っていたが、今となればこの教えの有り難さが分かる。ありがとう婆さんとタケ爺、おかげで生きてる。
苦い思い出は綺麗に洗い流して、残った美しい思い出に感謝しながら小石で地面に「5×10」と書いた。
「これはなんの数字?」
「5は術の規模。10は回数。例えば.......【
目の前に、ビシッと五角形の壁が10枚張られる。
「こんな感じのを壁、攻撃系、拘束系の術で出来るようにすることが合格ラインだって言われてる。回数の方、十歌の次はすぐ実質的な上限の百歌に飛ぶから、10回は結構難しい要求だな」
「私、まだ5×6が限界よ。あなたや五条隊長が使うみたいに、字を重ねたり加えたりもできない」
「あれはオプションだからまだ気にしなくていい。あとは.......少し難しい字を使った術なんか使えると印象いいな。強い意味を持つ字ほど、流す霊力も増えるし加減が難しくて使える人が少ない。アピールチャンスだ」
「あなたがたまに使う貫通、とか?」
「そうそう。あれは俺も練習したし、今でもあんまり使いたくない。疲れるし難しいし」
「そう」
そのあとも地面にガリガリと数字を書いて、たまに漢字を書い意味を教えて。
なんだか師弟っぽいやり取りをして、夕方まで少し葉月の術の練習を見届けて。
いつの間にか帰っていた妹を追いかけるように、2人でバスに乗った。夕飯はカニですよ葉月さん。カニは俺が剥いてあげるから、素手で殻を割ろうとしないでね。穏やかに美味しく食べようね。
「ねえ、お師匠さん。私気がついたのだけど」
「甲殻類の強さに? 良かったよ気がついてくれて」
「これ、合格ラインに行くまで途方もなく時間がかかるわ」
知ってた。でも初めから年単位で時間がかかるだろうことは分かっていたので、もう最後まで付き合う覚悟だ。というか師匠なので絶対最後まで見届けなければ。
「まあ、そもそも術者になって3年で受けるようなテストじゃないからね。葉月さんは今の時点で優秀過ぎですよ」
「今日はありがとう、お師匠さん」
「いーえ。俺は本当になんにも教えられないんで、せめて実技は頑張りますよ」
自分の術のテンプレ問題も解決せねば。個性ってなんだ。
バスを降りて坂道を歩いていると、突然葉月が俺の顔から伊達メガネを取った。付けてるの忘れてたぜ。
「.......これのおかげかしら? 今日のあなたは知的に見えるわ」
「ふっ。インテリジェンスな師匠を尊敬してくれても」
「サングラスはあんなに似合って無かったのに。そして知的と言った事を訂正するわ」
切れ味抜群ですね葉月さん。
すると、おもむろにに葉月が俺の伊達メガネをかけた。
「ぐっ」
「ちょ、ちょっと! どうしたのよ!」
「か、かわ、かっこ、萌え.......」
なぜだ。なぜ普段メガネをかけない子がメガネをかけるとこんなに可愛いんだ。完全にノーマークだったぜメガネ。お前、そんな伝説のアイテムだったのかよ。そう言えば花田さんも中田さんも装備してるし、魔王倒せるやつじゃん。
「.......私、視力は両方とも2.0なのよね」
とりあえず、俺の願望にメイドとメガネが追加された。
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