チャレンジ0年生

伊達

「えー、皆さんお待たせしましたー」


 俺史上最高の爽やかな笑顔で障子を開けて、和室、もとい生徒達が待つ教室へと足を踏み入れる。

 トカゲのランプと術の教科書を何冊か小脇に抱え、前に買った伊達メガネのツルを指で押し上げる。教卓は無いので、生徒達が座る机の対面に腰を下ろした。そして、また爽やかな笑顔を作って。


「本日の授業はこのわたくし、七条和臣が担当させていただきます。不慣れですが、よろしくお願いします!」


 対面に座った生徒達、もとい葉月と妹が、理不尽過ぎるクレーマーを見る目で俺を見ていた。

 折れかけた心を無視し、気を取り直してもう一度メガネを押し上げる。ゆかりんが表紙の教科書達を、久しぶり見る机の上に置いた。ランプは足元に置いておく。


「えー、婆ちゃ.......いつもの担当講師は、さっき怒り狂って寝込ん.......体調不良のため、本日はわたくしが代行させていただきます」


「「.......」」


「じゃあ、授業の前にテレビでも見」


 机の下で2つの足に思い切り蹴られ、新米講師七条和臣は心身共に折れた。

 畳にうつ伏せになって泣いた。



 ことの始まりは約1時間前に遡る。


 俺は田中達との全力北海道旅行を終え、贅沢に買い込んだカニで作った炊き込みご飯と他のお土産を持って、俺に術を教えてくれた婆さんと無理やり剣道をやらせようとしてくるタケ爺の家に向かっていた。

 炊き込みご飯のあまりの出来にニヤつきながら婆さんの家の玄関を開けた瞬間、胴に飛び蹴りが入った。咄嗟に炊き込みご飯は守ったが、俺は玄関に盛大にひっくり返った。約半年ぶりのあんまりな再会に、「何すんだよ!」と口を開いた瞬間頭を叩かれ、何故か出会い頭から怒り狂っていた婆さんに玄関先で怒られ続けた。

 途中でやってきたタケ爺が土産と炊き込みご飯を回収して行っても、婆さんの怒りは冷めやらない。俺への文句総能への文句ちゃんと飯食ってんのか卒業おめでとう等々、ほぼ息継ぎなしで怒り続けていた婆さんは最終的に酸欠になり座り込んだ。

 罪悪感に駆られた俺は、泣きながら婆さんを布団に運んだ。

 そして、布団の中にいる婆さんに今日妹が術を習いに来ると言われ、悲しみと涙と共に伊達メガネを取り出したのだ。


 そんな感じで今に至る。

 何故か葉月までいるのは想定外だったが、まあいい。どうせ何人居ようと一緒だ。悪い意味で。


「.......あなた、おばあちゃんに何をしたのよ」


「土産と炊き込みご飯を持って行っただけなんだ。でも玄関で酸欠になるまで怒らせちゃった」


「和兄、最っっ低」


「.......うん、割と心にきてる」


 敬老の精神を大事にしていきたい。本当にごめんなさい婆ちゃん。

 止まらない涙を拭って、メガネをかけ直した。大丈夫。安心してくれ、俺はやるよ。婆ちゃんの教えを受け継ぐよ。そして、中身がスカスカの冷凍ガニを見る目で俺を見ていた2人に、ビシッと教科書を向けた。


「よし、じゃあ教科書開い.......て.......」


「「?」」


 頭の中に、「和臣の術は、教科書通り過ぎてわかりやすいわぁ」と軽くトラウマになりつつあるゴスロリ少女の言葉が響いた。開きかけた教科書を震える手で机に置く。

 昔婆さんに術を習った時、基礎が出来ないと何も出来ないと言われたピュアな俺は、素直に教科書をまるっと完コピした。そして特にこだわりがないままここまで来てしまったので、今更個性を出そうとしても急には無理だった。そんな訳で、俺は未だにハルに指摘された問題を解決出来ていない。ダメダメ無個性男なのだ。泣ける。


「和臣? どうしたのよ。あと私は別に勉強しに来た訳じゃないわ」


「和兄、私1人で勉強するから無理しなくていいよ。帰ってお仕事したら?」


 水原さんに押し付けられた仕事は昨日ちゃんとふぁっくすで送っておいた。術はアレだがふぁっくすは完全に使いこなしている。


「あら清香ちゃん、免許を取るの?」


「うん、ゴールデンウィークに試験に行くの。テストって難しかった?」


「清香ちゃんなら問題ないと思うわ」


「私、頑張るね!」


 教科書を読み始めた妹に、笑顔で時折質問に答える葉月。2人とも淡々と勉強していて、伊達メガネの俺は完全に蚊帳の外だった。

 心配そうに俺を見上げるトカゲに頷き、静かに教科書を開けた。別に仲間はずれにされた訳じゃないから。1人で本読みたいだけだから。ほら、表紙のゆかりんが可愛いだろ。俺も淡々と勉強してるだけだから。


「.......ねえ、和兄。ここ教えて」


「えっ」


 妹が指さしたのは、試験対策の中でも基礎の基礎の部分。妹なら絶対に理解しているだろう所だった。葉月も黙って俺の答えを待っている。完全に2人に気を使われた。色々泣きそうになるのを堪えて、口を開く。


「術者は、昔陰陽師が使っていた術を体系的に落とし込んで、もっと簡単に、いつでもどこでも力を流せば使えるようにした術を使う」


「うん」


 これはほぼ教科書に書いてある通り。このままでは俺はただの教科書読み上げ機だ。この際思い切り違う話をしてやろうと舵を切る。


「陰陽師が使ってた術は、もうほとんど残っていないんだ。資料に残ってるものも、全体のほんの一部だと言われてる」


 1番役立つ資料として、かの天才陰陽師、安倍晴明が残したものが総能の書庫に厳重に保管されている。変態本人は墨をすりすぎて道満さんに怒られたから筆ぬぐいで書いたと言っていた。そんなものを俺達は大事にしてると思うと泣ける。


「今の術の元なのに、なんでちゃんと残ってないの?」


「陰陽師の術はな、声に出さないものが多かったらしい。だから記録に残らないんだ。今の治療の術、あれはその名残りだな。霊力を多く使うし、人によってハッキリ得意不得意が別れるだろ? 意味を持つ字を当てて、力を流せば働く術式に落とし込んだ今の術とは少し違うんだ」


「ふーん」


「でも、使い勝手は良くない上術者を選ぶ陰陽師の術が、今の術より優れていた部分もあるんだ。その効果や威力とか、星や方角、神の概念の組み合わせとか。術者を増やすために、今の術では削ぎ落としてしまった部分だな」


 いつからかはハッキリ分からないが、日本は方向転換したのだ。陰と陽を扱える数少ない強力な陰陽師を抱えるのでは無く、数多くのそこそこの術者を増やす方向に。その術者達を黒、つまり陰として、たった一人の陽と分けた。陰と陽は互いが存在しなければ存在し得ない。そのバランスは常に保たれる。数多くのと、ひとつのを釣り合わせたのだ。人から、に置き換えることで。俺は、昨年末に知ったこの事実を未だ忘れられないでいた。

 ちなみにこんなことを考えている、いや、知っているとバレたら一条さんがやって来て首を撥ねてくる。気をつけよう。


「あなたが術で役立ちそうなことをスラスラ話すなんて恐怖すら覚えるわ。本物かしら」


「辛辣.......」


 本物のあなたの師匠ですよこれでも。

 急にはっとした葉月が、鞄から分厚い本を取り出した。その難しそうな本には見覚えがある。総能の副隊長試験の参考書だ。まずい、とランプを引っ掴んで逃げ出そうとしたところで。


「待ちな」


 入り口で仁王立ちしていた婆さんに足をひっかけられ転ばされた。


 敬老の精神で泣いた。

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