卒業

 久しぶりにきっちりとネクタイをしめ、ブレザーのボタンをとめた制服。今年の夏には自分の制服の丈が随分足りなくなっていて、慌てて兄貴の制服を引っ張りだした。それは少しデカくてイラついた。

 今日はゴメンな、とトカゲに謝ってランプを兄に預けた。

 いつもの革靴を履いて、空っぽの通学鞄を持って。


「いってきます!」


 早くも妹以外泣いている家族に苦笑しつつ、外へ出た。


 今日は、卒業式だ。




 小学校の頃から乗っているバスに乗り、何となく座らず外を眺める。まだまだ学生が乗ってくるバス停からは遠い。静かなバスの中で、少しダボつく制服に目を落とす。なんだか、中学の入学式を思い出す。

 運転手さんに挨拶をして、学校近くでバスを降りた。6年も通った校舎が、やけに大きく見えた。


「よおー! 和臣なに浸ってんだよー!」


「うるせぇバカ」


 校門前で待ち構えていたバカに肩を組まれ、そのまま校舎へ入った。薄汚れた上履きに履き替えて、廊下をベラベラ話しながら進む。後ろから走ってきた山田や高瀬達とも、どうでもいい話をして教室へ入った。


「やっべー! 和臣、ロッカーの中片付けたか? 俺の半分持ってくれ!」


「残念だな。俺のロッカーには持ち帰るタイミングを見失っていたスラムダンク全巻がある。お前の手伝いをする余裕はない!」


「うっわ! バカじゃん!」


「山田ぁ.......! 半分持ってえええ!!」


「仕方ないやつだな.......」


 お前ら俺のスラムダンク読んでたくせに。というか誰だよ19巻持ってって返さないやつ。返せよ。和臣図書館は今日で営業終了だ。


「席つけー! 胸の花配るぞー! 式まで壊すなよー!」


 名簿と大きな荷物を持ってやってきた担任教師が、後援会のパンフレットやクリアファイルやらを配り始める。


「15分後に廊下に並んどけ!」


 担任はそれだけ言うと教室を出て行った。

 俺がクラスの男どもに19巻の所持を確認していると。


「和臣、ネクタイ曲がってるわ」


「え? ありがとう」


 葉月にネクタイを直される。ついでに胸に付けた花飾りも調整された。


「うわー! 七条夫妻最後も熱々じゃーん!」


「仕方ないな.......ほら、ネクタイ曲がってるぞ」


 涙を流すクラスメイトのネクタイを直してやる。なぜか俺の前に涙の行列が出来た。我がクラスの最終彼女居ない同盟の末路がこれか。悲惨だな。

 男のネクタイなど直して精神を削られたあと。


 廊下に並んだ列のまま、音楽の流れる体育館へと入場した。並べられたパイプ椅子に座り、校長や知らない人達の話をあくびを殺して耐える。


 担任の少し上ずった声が、俺たちの名前をびっくりするぐらい丁寧に、堂々と読み上げていく。自分の名前が入った卒業証書を持って、音楽の流れる体育館を後にした。ちらりと見た葉月のお母さんはハンカチを目に当てていた。そして目を逸らした俺の家族は号泣。この世の終わりぐらいの泣き方だぞ。


「卒アル配るぞー!」


「先生泣いてね?」


 そのあと担任教師が体罰で訴えられるギリギリのところで自制し、鼻息荒く教卓に両手をついた。そして、よく通る声で、静かな教室へ声を投げる。


「今日で、お前達は卒業だ。この先の進路は、皆それぞれあると思う。焦らなくていい、ただ、誠実に過ごせ。.......お前達の人生が幸せであることを願う」


 クラスの記念撮影や、ロッカーの荷物の引き上げも終わったというのに、教室には多くの生徒が残っている。廊下は保護者と生徒でごった返し、他クラスの生徒も教師も関係なく話に花を咲かせていた。


「先生」


 女子との携帯での記念撮影にぎこちない笑顔で答えていた担任教師に声をかけた。


「.......七条」


「今まで、本当にお世話になりました。先生がいなかったら、たぶん俺は卒業出来なかったし、大学にも行けなかったです。先生が先生で本当に良かった。ありがとうございました」


「.......本当になぁ!」


 急に担任がスーツの腕で目を覆った。俺だけでなく教室にいた全員が固まる。嘘だろこの暴君家庭科教師が?


「お、お前は.......! 卒業してくれてよかったよ.......! 本当に、本当なぁ.......!」


「せ、先生マジで? 嘘でしょ?」


「お前をなぁ.......! 夜の日光で探し回った日を思い出すとなぁ.......! なぜか血だらけで学校来た日なんかなぁ.......!」


「いやぁ、その節はどうも」


 急にガシッと、担任が俺の両肩を掴んだ。その目が、まっすぐに俺を見て。


「.......いつでも来い。俺は、ずっとお前の先生だ」


 じわっと涙が出てきた。それでも涙は堪えて、笑って俺の電話番号を渡して教室を出た。19巻が抜けた漫画を詰めた鞄を背負い直し、ごった返す廊下を進もうとすると。


「和臣ー! 先生泣かせたってマジー?」


「うるせぇバカ」


「これから山田達とカラオケ行くんだけど和臣も来いよ! タンバリンお前専用の作るからさ!」


「失礼極まりないな。俺の歌も聞けよ」


「.......」


 いつも通り元気が有り余っていたはずのバカが静かになったので、俺も後から行くと伝えて廊下を進む。人気のない、施錠された屋上へと続く階段の踊り場へ着くと。


「和兄! お父さん達泣き止まないよぉ.......」


 半べその妹と、静かに泣いている父と姉と兄貴。まだ泣いてんのか。


「兄貴、鞄持って」


「.......ああ」


 とりあえず漫画の処理には成功した。卒業証書を父に渡すと、何やらブツブツ呟いたあと静かになった。姉には卒業アルバムを渡す。姉はずっとハンカチに顔を押し当てて、全く顔をあげる気配がない。七条家ピンチ。


「和臣くん」


「あ! お義父さんにお義母さん! どうも、ご無沙汰してます!」


「まだ、お義父さんでは、ない」


 葉月のご両親が来たことで、父が真っ赤な目ではあるが涙を止めて話し始めた。兄と姉はまだ泣いている。ダメだこりゃ。


「和臣くん、葉月見なかったかしら? お友達と写真撮ってくるらしいんだけど.......」


「あ、探してきます」


 父に帰りは遊んでくると告げて、ごった返す廊下へ戻った。特に話したこともない奴と写真を撮ったり、女子に話しかけられたり。ただの廊下が、まるで別世界のようだった。


「葉月知らない?」


 よく葉月と一緒にいる女子に声をかけた。


「あー.......後輩に呼び出されて、体育館裏行ったよ」


「なっ!!」


「ファイト! 七条!」


 走った。階段を駆け下りて、見慣れた校舎を走って。体育館裏へたどり着く直前。


「し、七条先輩!」


「ん?」


 3人組の後輩女子に呼び止められる。俯く1人を励ましている2人。なんだリンチか。卒業したからって調子乗んなよ的なアレか?


「だ、だ、」


「? .......あ、高瀬? まだ居るかな.......呼ぼうか?」


 ぶんぶん首をふる女子。なんだかちょっと川田に似ているな。


「第二ボタン.......! 下さい!」


「え?」


「七条先輩、の.......だ、ダメならいいんです! 知ってるので! 水瀬先輩と付き合ってるの!」


「いいよ。俺ので良ければ」


 ブレザーからボタンを1つ取って渡した。兄貴のボタンは当時の女子生徒達に全て奪われていたので、ボタンだけは俺の制服から付け替えた。イラつくな。

 ボタンを持って真っ赤になって頭を下げた女子生徒は、いきなり走ってどこかへ消えた。はて、俺は何をしに来たんだっけな、と思っていると。


「.......そう。あげたの、ボタン」


「ひっ」


 耳元でした声に飛び上がる。振り返ると、無表情の葉月が立っていた。


「い、いつからそちらに!?」


「第二ボタン下さい、からよ」


「.......いりますか? ボタン」


「全てむしって寄越しなさい。そのネクタイも、学年章も」


「いえす葉月様!」


 早急にボタンをむしりネクタイと学年章を外し献上した。葉月は口をへの字に曲げてそれを受け取ると。


「.......私の第二ボタン、あげるわ」


「身に余る幸せ!」


 葉月の第二ボタンを受け取る。俺は一体何をしてるんだ。家宝にします。


「あ、葉月。お義母さんが呼んで.......って告白ーー!!」


「な、なによ急に」


 若干引いている葉月に1歩近づいて聞く。


「こ、後輩にお呼び出しされたそうで! あ、愛の告白ですか!? まさか駆け落ちとかする気ですか!? 俺は捨てられるんでしょうか!?」


「返事はいらないと言われたわ。でもお断りしてきたところよ。駆け落ちするならあなたとするわ」


「良かった.......。でも俺の彼女が可愛すぎて変な虫が着くーー」


 泣きながら葉月を抱きしめて頭を撫でていると。


「.......卒業ね」


 ぽつりと、葉月が呟いた。


「そうだね」


「.......お姉さん達、すごく泣いてたわね」


「あはは、小学校も中学の時もあんなでさー。結構困るんだよな、あそこまで泣かれると」


 抱きしめていた葉月を離して、校舎を見上げた。葉月が俺のボタンやネクタイをポケットにしまっている横で。


「.......俺は、大人になれないと思われてたんだ」


 手を止めて、少し顔を歪めた葉月は。


「.......そう、かしら」


「まあ行方不明の回数異常だったしな。そう思うのも仕方ない。俺が親でも泣く自信がある」


「反省しなさいよ」


 葉月と一緒に校舎へ歩き出す。


「でも、俺はちゃんと大人になるよ。.......一緒に大人になってくださいね、葉月さん」


「あなたとなら、おばあちゃんにだって、子供にだってなれるわ」


 卒業、おめでとう。

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