男女七条冬物語(女)

「.......もう1杯、いただける?」


 女神のように微笑んだ彼女は、空になったグラスと首を同時にこてん、と倒した。


「かしこまりました」


 駅の近く、半地下のバーでバイトして早2ヶ月。初めて目にした、店長が言うにはここの常連なのだという彼女は、今まで見た女性の中で、最も.......魅力的だった。その整った顔立ちはもちろん、細く白い手首、長くしなやかな指。グラスにつける度に濡れて輝く熟れた唇。なにより、その大人びた色気をまといつつ、まっさらとしか言い様がない微笑みに惹き付けられて仕方ない。


「.......」


 彼女はその微笑みに似つかわしくない、ウィスキーのロック3杯目に口をつけた。そして、また微笑む。先程度数の高いカクテルを5杯飲んでいたことを考えても、そろそろこの女神を止めなければならないのではないかと思っていた。しかし、自分にはそんな冒涜的なことは出来ない。.......というか、こんな美人に話しかけるとか怖くて出来ない。こっちはただの大学生だ。無理だこんなお姉さんと話すなんて。


「静香」


「はぁい」


 美人お姉さんの肩を叩いたのは、これは先日もウチのバーに来た男。特段イケメンという訳でもなければ、ブサイクという訳でもない。背格好も一般的。正直お姉さんと並ぶと冴えない。


「静香、飲みすぎだよ。もうやめなって」


「ふふ。だってあんたが遅いんだもん」


 コートも脱がずにお姉さんの隣に座った男が、水を、と俺に声をかけて、べったりとしなだれかかってくるお姉さんに苦笑していた。くそ、そんな顔するならそこ変われ。

 グラスに水を入れて差し出して、ポーズだけのグラス拭きに戻った俺はその後もチラチラとその2人を見ていた。


「静香、また男フッたんだって? 今回もどこかの会社の御曹司だとか言ってなかった? 僕は心配だよ、幼なじみとしてね」


「ふふふ。あんた私の幼なじみー」


「そうだよ。僕は分家の次男だけど、小学校の前から君を知ってる幼なじみとして心配してる。無礼も許してね」


「うん」


 なんだそのトンデモ設定。このお姉さんの幼なじみ? 前世どんな徳を積んでそんな幸運手に入れたんだ。


「なんで静香は結婚しないんだい? その気になればすぐだろう。その前に、静香がその気のない男と付き合ってることが理解出来ないんだけどね」


「.......ふは、忘れたの? バカね」


 お姉さんは、つっと長い指を冴えない男の唇に当てた。なんて光景だ、えろびでおかと思った。


「.......あんたが、静香は経験が無さすぎるって言ったの。ずっと女子校で、大学行かなかったから.......経験無さすぎって、言ったの」


「.......それで御曹司あさりを?」


「.......漁ってない。断らなかっただけ」


 ぷくっと頬をふくらませたお姉さん。その光景に目を疑うが、その頬を冴えない男が指でつついて潰したのには殺意すら湧いた。何してくれてんだこの男。


「.......でも、みんなすぐホテル行こって言うんだもん。結婚もしてないのに、ダメでしょ? だから、フッたの。私、急に、あの人嫌いになっちゃったの。待てが出来ない、嫌な土蜘蛛みたいだと思っちゃった。ふふ、変なの!」


 ん? 土蜘蛛? 普通待てが出来ない犬とかじゃないのかな。お姉さん程になると例えのセンスすら変わってくるのか。


「.......やめなよこんな事。僕が謝るから、もうそんなことするなよ」


「うん、わかった。.......ねえ」


 お姉さんは、水の入ったグラスを口につけて。違う、と言いながら冴えない男のコートを掴んだ。


「.......私、経験無さすぎ?」


「ごめんって。そんなことないよ」


「あはは! 嘘ついてる! あんたやめなそういうの!」


 ニコニコのお姉さん。完全に出来上がっちゃってるが、可愛いから俺的にはおっけー。


「.......静香さん。あまり、外では」


「.......あんたのそういうとこ、大っ嫌い」


 ぐりっと冴えない男の腕に顔を押し付けたお姉さんは、んー、ふふ、としばらくするとまた笑いだした。


「.......ね、あんたは彼女いないの?」


「.......そうだね」


「ねーえ、じゃあ」


「ダメですよ、静香さん。僕じゃダメなんです」


「んー.......。ね、何がダメ? 経験無さすぎだから? 性格キツいから? お料理、和臣の方が上手いから?」


 冴えない男は、お姉さんの背中をとんとんと叩き始める。完全に寝かしつけようとしている。この男どれだけ罪を重ねる気だ。


「.......君も分かってるだろ? 僕は分家.......しかも七の字も貰えない、遠い分家の次男だ。でも静香は本家の長女。婿入りにだって僕じゃ格が足りない」


「気にしないでいいの、そんなの。.......でも、私、知ってる。あんたが、私のこと、好きじゃないの知ってる」


 え。これはまずいのでは無いですか。お姉さんの声が震えだしたし、鼻声っぽいし。この冴えない男死刑にしろよ。冴えないくせになにお姉さん泣かしてんだよ。


「.......静香」


「ずっと私だけ好きだったの知ってる! あんたが中学で彼女作った時、よかったねって言ったけど。.......私、私はあんたしか優しい男知らない! 私の狭い世界にはあんたしか男の人がいないの!」


「.......御曹司たちは?」


「.......嫌い。ほ、本当は今日.......無理やりホテル連れてかれて.......下蹴りあげてヒールで踏んで顔面ひっぱたいて来てやったの。.......でも縛らなかった。褒めて?」


「.......偉いね、静香」


「ふふふふ、あはは! 変なの! でも褒めてあげる! もっとこっち来な!」


 さっきまでのしんみりムードはどこへやら、満面の笑みで冴えない男に抱きつくお姉さん。うわ、胸が腕に。


「.......ね、私、あんたが好きよ。.......今日、人生で初めて告白して、初めてフラれた」


「シラフの時に言って欲しかったね」


「.......ふふ、それじゃ言えないもん。だからこんなに飲んだんだもん」


 お姉さん可愛いな。初めの大人びた色気は少し薄れて、今度は少女のような可憐さを醸し出している。


「.......静香」


「.......ん」


「寝ないで聞いて。.......僕は、君が思ってるより.......待てが出来ない土蜘蛛だよ? あと、バカだ。答えは分かってるのに、それを無視するバカだ」


「んん.......あんたは、.......河童。」


 お姉さんは、ニヤッと笑ったまま男に持たれて寝てしまった。男は、お姉さんの分のお金も置いて。


「騒がせてすみませんでした。また」


「お気をつけて.......」


 大事そうに、でも慣れた様子でお姉さんを背負って、店を出ていった。




 あれ以来バーに来なくなったあのお姉さんが、冴えない男に荷物を持たせて、堂々とショッピングしているのを見たのは.......ほんの少し後の、春の話。

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