男女七条冬物語(男)
「はぁーーーー」
執務机の上に肘をついて、片手で額を押さえる男性。鍛えられた身体を包むのは、胸元に「七」の染抜きと袖に2本の白線がある黒い着物。術者としてのある種のゴール、総能の治安維持部隊の隊長にまで上り詰めた実力派術者。私の上司、七条孝臣だ。
私は自分の着物の袖にある1本の白線をそっと見て、盛大にため息をついた上司に声をかけた。
「隊長。お疲れでしたら、お休みください。仮眠室の利用が面倒でしたら、こちらのソファへ毛布をお持ちします」
自分の座るソファの机を挟んだ向かいにある、黒い革のソファを示す。隊長は、弱々しく手を振ってそれを断った。
「いや、疲れてるんじゃないんだ。むしろもっと仕事をよこしてくれないか。.......そうだ、君のそれをくれ。細かい資料の確認なら君にも負けないと思ってる」
椅子から立って私の向かいのソファへ腰掛けた隊長は、その端正な顔でじっと私見つめてくる。正確には中々資料を渡さない私を不思議に思って見ているだけだ。
「私の仕事で隊長の手を煩わせることはできません。どうかお休みください」
「仕事がしたいんだ。それに君は今日早上がりだろ? 2人で早く終わらせたら丁度いい」
伸びてきた手からすっと資料を遠ざける。この人は。
「.......隊長は、最近のご自身の仕事量を見直すべきです」
「.......」
「それに隊長は、最近お痩せになりました。.......弟様.......七条元特別隊隊長が無事お帰りになった今でも、お疲れのご様子です」
隊長は、その長い指で前より少し肉の落ちた頬を撫でた。寝不足なのか、うっすら隈のある目元。こんなに不調そうでも、剃り残しは一切ない顎。その全てをふっと緩めて、私の上司は困ったように笑う。
この整った顔に、何人の女性が心奪われたのだろう。
「弟のことはもう大丈夫だ。心配かけてすまない」
「.......でしたら、1度医療機関への受診をお勧めします。体重の減少や不眠は重大な病気のサインかもしれません」
「いや、本当にそう言うのじゃないんだ。.......体重がもどらないのは、飯があまり食えないだけで」
「!?」
食事が取れていないなど、聞いていない。本当に重大な病気の可能性がある。
「今すぐ病院へ! ここには私が残ります! ですから!」
大声を上げて、資料を持ったまま立ち上がった。そのまま驚いた顔の隊長の元に駆け寄って、その肩に手を置こうとして。ピタリと動きを止めて、そのまま自分の横に手を下ろした。
「お、落ち着け。本当にそうじゃないんだ。心配させて悪かった」
「.......いえ。取り乱して申し訳ありません」
隊長は、見たこともない表情でうーんと唸り始めた。仕事中では決して見せないような、何かに激しく迷っているような顔だった。
「.......ですが、本日はお休みください。私が代わりに出ますので、どうか」
「いや、君の休日を潰すようなマネはしない。.......あー、本当につまらない話になるが.......聞いてくれるか? 俺の副隊長」
「はい。私の隊長」
私がこの人の部下になってから、何度も何度も繰り返したやり取り。.......というか、この人の部下になった当初一方的に突っかかって揚げ足を取るように細かい注意ばかりしていた私に、自分の立場を確認させるためにはじめたやり取りだ。
私は昔から神経質で、少しのミスもズレも許せないタチだった。それが祟り今の隊長の前に他の3人の隊長の副隊長をしていた期間は、合計で2年にも満たない。人の上に立つ人間が、ルーズでいいはずがない。その理想と、目の当たりにした現実の乖離に苛立ちを覚えていた私は、4人目の上司に初めから期待などしていなかった。ただただ、自暴自棄気味だった私は彼に自分の理想と苛立ちを押し付けた。
しかし、新しい上司は私の予想を裏切った。
彼は、私より細かく物事を見ていた。正直この私ですらウザいレベルに細かかった。そして、突っかかる私に彼は毎度こう言った。「君の目の前にいるのは誰だ? 俺の副隊長」と。そして、「私の隊長です」と答えるまでが1連の流れになった。今では滅多にしなくなったやり取りだが、私はこの言葉を一生忘れない。片時も。死んでからだって忘れない。
「.......俺は」
「はい」
目の前の上司は両手で顔を覆って。長い指の隙間から、ちらりと私を覗いて。
「俺は.......どうやら、は、初恋.......という物に、振り回されている」
びしり、と。自分から音がした気がした。
「俺は.......! 俺は、情けないことに、自分から女性に気持ちを告げたことがない! 自分に自信がないんだ!」
この上司は、とても顔が整っている。身体も鍛えられているし、性格は誠実だ。女性にも爽やかに気を配れるし、家族思い。さらにいわゆる3高.......高身長高学歴高収入、全て揃っている。加えて家柄もパーフェクトだ。たまに見る私物のセンスも悪くない。.......何より、私の隊長だ。どこに自信を失う要素があるのか。世の中の男は皆尻尾を巻いて逃げ出すレベルだろうに。
「.......それに.......俺はだんだん自分の気持ちが分からなくなってきたんだ。これが本当に好きという感情なのか、それとも別物なのか.......俺は一体どうしたいのか、その他もろもろを考えると飯が喉を通らない」
「.......」
「弟には.......告白してこいと言われた。だが、俺と彼女では年齢差がある。俺の年齢を考えると結婚も考えてしまうが.......重くないだろうか? 俺は.......俺は今まで数々の女性に捨てられてきた! もう、もう.......! もう耐えられん! しかも、彼女に嫌われるかもしれないと考えると夜も眠れないんだ!」
「.......乙女か」
「へ?」
「失礼しました。どうも喉の調子が.......ごほんごほん」
「俺は、俺は.......! こんな情けない、ヘタレ男だったんだ!.......俺の副隊長、幻滅したか?」
彼は見たこともないような、捨てられた子犬のような顔で私を見る。
「いえ、そのようなことは一生ありません。私の隊長」
いつも通り困ったように笑った彼は、「もう君は上がりの時間だ。お疲れ様、今日もありがとう」と言って執務机に戻った。
「隊長」
「ん? どうした? あ、そうだのど飴があった。ほら、手を出して」
ころん、と手のひらに蜂のイラストの包装に包まれたのど飴が乗せられる。
「.......隊長」
「弟にもらったんだ。自分で買ったくせに食いきれなかったらしい」
「.......隊長の、初恋.......実ることを、お祈りしています。もし何か私にできることがありましたら、どうぞお役に立たせてください。これでも女ですので、女性側の意見の参考にはなるかと」
私の隊長は、ぱちっと瞬きをして。
「ありがとう。俺の副隊長」
ふっと、優しく微笑んだ。
私は、第七隊副隊長。たとえ何があろうと、何を思おうと。
一生、この人に付き添うと決めたのだ。この人のために、自分の全てをかけて動くと決めたのだ。
たとえ、彼が私を見なくとも。
私は、彼の副隊長なのだから。
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