お酒はハタチになってから

倉庫

 暗く冷たい、ただそれだけの空間で。

 たった1人で、ずっと何も出来ないというのは。


「.......」


 どんな気持ちだろうか。


「和臣!」


 ばんっと開いた扉から、太陽の光と女の子が飛び込んできた。長袖の体操服を着た葉月は、体育倉庫の床に体育座りしていた俺を見て。


「なんでこんな所にいるのよ! もう6時間目終わっちゃうじゃない!」


 怒ったように眉を上げて、俺に手を貸して立たせた。なんだか泣きそうになった。葉月の手あったけぇ。というか俺の手が冷たい。今日に限って体操服の短パンをチョイスした自分を殴り殺してやりたい。くそ、だって珍しく山田が体操服忘れたって言うから。田中だったら問答無用で短パン貸したのに。


「.......話せば長くなるんだが、体育の後先生にボール片して来いって言われて、気がついたら鍵閉められて出られなくなったんだ」


 真面目にボールを片していたらいつの間にか入り口が開かなくなっていた絶望を知って欲しい。冬の体育倉庫は寒すぎるし窓もないので真っ暗だしと最悪だった。泣かなかったのは褒めてもらいたい。何となく体力の無駄使いの先を想像してしまって、ぴくりとも動かずにじっとしていたのだ。トカゲさえ持っていれば泣き叫んでいた。


「単純明快に答えてくれてどうもありがとう、おバカさん。でも一体どうして4時間目の体育から発見されずにここにいるのかしら?」


「俺が聞きたい! 俺が、知りたい!」


「.......はぁ。よりによってなんでこっちの倉庫なのよ。あっちの新しい方ばかり探したじゃない」


「え!? 倉庫2個あんの!?」


 初耳なんですけど。俺この学校中学の頃から通ってるんですけど。


「あなたがボールを片すべきだった倉庫は向こうよ。こっちはほとんど使われていないの」


「.......どうりで誰も来てくれない訳だ。いや、てっきり高3のこの時期にとうとういじめが始まったのかと」


 よかったよかった。これで一件落着だな。さあ帰ろう。寒いから室内に入れてくれ。


「あなた今、先生達にこの時期に授業をサボる不良扱いされてるわ」


 落着してなかった。大問題が起きていた。


「お家に連絡したそうよ」


 大問題どころじゃない。事件だ。

 お願いだからもう一度体育倉庫の鍵をかけてくれ。そして開けないでくれ。たとえ姉が来ようとも。


「でも、あなたのお家は留守電だったらしいわ」


「あ、そっか」


 思い出した。今我が家は、先日から最高に不機嫌な裏山のせいで大忙しなのだ。最近は父と姉だけでなく、兄貴の昼間の睡眠時間すら削って山を宥めに行っている。それでもたまに手をつけられないほどの癇癪を起こす裏山を見て、俺は思った。


 あ、たぶんこれ俺のせいだ、と。


 思い返してみれば、知らない外国人に銃で撃たれたり何も言わず国外に出たり、知らない神様に出血大サービスをしたり海が好きだと叫んだり。思い当たる節がありすぎた。完全に俺のせいだった。

 なので、父と姉に土下座をして海の図鑑を持って山へ入ろうとしたのが3日前。命の危険を感じないでも無かったが、もう多少食われてもいいかな、ぐらいに思っていた。

 結果は山に入る前に姉にぶん殴られて引きずり戻され、父と兄貴に説教をされて1日離れに幽閉された。

 そして俺は今でも山に近づくことを禁止されている。


「お姉さん達、まだ大変なのね」


「申し訳ない」


 本当に申し訳ない。やっぱり俺が謝りに行った方が良かったんじゃないだろうか。俺が怒らせたんだし。とりあえず家の掃除も洗濯も俺がやります。年末の離れの掃除も俺がやります。ごめんなさい。


「失礼しまーす.......」


 頭を下げながら職員室へ入った。授業中なのでがらんとした職員室の中を進み、1番角の席でコーヒーを飲んでいる俺のクラスの担任に声をかける。


「先生、」


「七条! お前この時期にサボりとは何考えてる! 頭はどうしようもねぇんだから素行には気をつけろ!」


 口の悪い男の家庭科教師である担任は、俺を見るなり椅子に座りながら怒鳴りつけた。

 そして、葉月の顔を見るなり急に静かになる。この態度の差。教師にあるまじき態度すぎるだろ。まあ原因は俺にあるんだけども。


「水瀬、どうした。さっきの授業もいなかったらしいが.......体調不良か?」


「いえ。七条くんを探していました。それから七条くんは体育倉庫に閉じこめられていて、サボりではありません。サボりは私です」


 担任はコーヒーをひっくり返し、なぜか立ち上がって名簿を振り回した。俺は仕方ないので、床にコーヒーが零れる前にティッシュで拭いておく。


「し、七条ぉー! お前、お前水瀬になにしたんだ! 水瀬、不良の言いなりになんてなるな! .......はっ! 分かった、家庭科の成績に悩んでるんだな!? だったら七条より先生を信じろ!」


 2重3重に失礼だな。それに葉月に家庭科を教えるのは初めから先生の仕事でしょうが。俺には荷が重い。


「先生、俺不良じゃないです。本気で体育倉庫に閉じ込められて、水瀬さんが助けてくれました」


「週末の球技大会の準備をしていた人が、中を確認せず鍵をしめてしまったそうなんです。私もそれに気がつくのに時間がかかってしまいました」


 担任は、わなわなと震えてもう一度椅子に座った。そして、片手で頭を抑えて。


「.......七条、大丈夫か.......」


「成績なら大丈夫じゃないって先生が昨日言ってました」


「違う! 怪我うんぬんの話だ! お前は中学の時から変なことにばっかり巻き込まれやがって! 目の前で誘拐されかけたり中高両方の修学旅行で居なくなったり! 新任だった俺にとんでもないトラウマ植え付けやがって!!」


「いや、その節はどうもー」


 葉月がナメクジの大群を見るような目で俺を見ていた。

 目の前の担任教師は、この学校で俺が間違いなく1番お世話になっている先生だ。中学の時は担任でも無いのにたくさん助けてもらった。ありがとうございます。


「あぁー、七条、水瀬、お前らのことは俺から他の先生に言っといてやる。だからさっさと着替えて授業戻れ、ってもうあと10分も無いな.......ちっ。しょうがねぇ、1本あったけぇ飲み物買ってやるよ。誰にも言うなよ、今どきなんでもすぐ問題になるからな」


 それはたぶん先生の口が悪いから変に問題になるんだと思います。と口からでかかった言葉は、なんだかんだ言って奢ってもらうのは嬉しいので黙っておいた。


「あざっす! 先生やっぱり優しいっすね!」


「ありがとうございます、先生」


 担任の後について、自販機で温かい飲み物を買ってもらう。しみるぜ。


「じゃ、お前らちゃんと帰れよ。あと水瀬、雑巾ぐらいは縫えるようにしてやるから、勉強の息抜きにでも家庭科室に来い」


「.......! はい! ありがとうございます!」


 嬉しそうな葉月に、担任は仕方ないな、と言うように笑って職員室へ戻って行った。俺は担任の未来を思って泣いた。可哀想に。


「和臣、そろそろ帰りましょう」


「うん」


 教室へ戻って、田中に騒がれながら着替えて。

 葉月と一緒に家に帰って夕飯を妹と3人で食べた。



 学校からの留守電にブチ切れた姉に叩き起され怒られたのは、夜中の3時だった。

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