こぼれ話(8)

Cute、Pretty、Beautiful!

  やっと生まれた。


 彼女に1番初めにかけられた言葉は、それだった。


「.......可愛くなぁい!」


 渡された黒い着物を見て、五条治は顔をしかめる。小学生のような外見の18歳。その彼女が受け取ったのは、胸に「五」の染抜きと袖に2本の線が入った黒い着物。術者ならば誰もが憧れるそれを嫌そうにつまんで、彼女はこう言った。


「これ、着たくなぁい!」


「お嬢様、それは規則でございます」


 彼女の周りには、数名の大人達。幼い頃から彼女に付いてきた使用人達だった。


「もっとフリフリならいいけどぉ.......」


「お嬢様」


 彼女の家。五条の家には、数百年に1度、「天才」が生まれる。最強の術者は、いつだって五条の家が輩出しているのだ。それによって最強の座を掴んでいる五条家は、常に「天才」を望んでいた。彼女には多すぎるほどの兄姉達がいるが、彼女はその誰とも会ったことがなかった。


「.......めんどくさぁい」


「お嬢様」


「うさちゃん見てこよぉっと!」


 バサッと、黒い着物を使用人達への目くらましに使って。彼女は、たたっと広い屋敷の廊下を駆けた。

 そのまま、誰よりも軽やかに壁を張って、宙へと駆け上がる。


 誰も彼女に着いては来られない。誰も彼女の隣に立てない。


 彼女は18歳で、どんな妖怪よりも、どんな術者よりも強かった。彼女は生まれた時から、誰の隣にもいなかった。


「可愛くないなら、いらないわぁ」


 彼女には、ルールがあった。人とは少しズレた、彼女だけのルールが。

 彼女は可愛いものが好きだった。動物も服も色も、なんでも可愛い物が好きだった。

 可愛くない物に、価値を見出すことが出来なかった。

 彼女の中では、「可愛い」がルールだった。それが他の人とはズレていることぐらい、聡い彼女は分かっていた。


「.......」


 空に張った壁を足場に、眼下の街並みを見下ろす。何か可愛い物はないかと、目を凝らしていた時。


 屋根の上を駆ける、謎の男を見つけた。


 彼女は、その男を。ただ、空の上から。あくび混じりに眺めていた。それに「可愛くない」と判定を下して別の場所に目を移そうとした時。


 何故か、男と目が合った。


 信じられなかった。なぜなら、最強の彼女が人に見られないよう術をかけていたから。たとえ天地がひっくり返っても、見つかるはずがなかったのだ。


「変なのぉ」


「変でしょうか」


 重力などないように、ふわりと自分で張った壁を蹴って空へ上がってきた男は。全身黒い服に、顔の半分までも黒い布で覆っていた。


「可愛くなぁい!」


「?」


「そんなに真っ黒で、全然可愛くないわぁ! もっとピンクにすればいいのにぃ」


 男は、少し考えてから。


「あなたも全身黒い服かと」


 彼女の、真っ黒なゴスロリを見た。靴下まで黒い彼女は、ケラケラと笑いだす。男は、ピクリともせずにまた口を開いた。


「申し訳ございません。女性の服装には疎く」


「違うよぉ! これは、私が可愛くないから黒いのよぉ?」


「?」


「私は、可愛くないのぉ。だから、可愛い物の隣りには居られないのよぉ?」


 彼女は。

 自分に、価値を見出せなかった。たとえ誰よりも優れた術者でも、誰よりも治療の術が理解できても。そんなもの、なんの価値もなかった。なぜなら。


 彼女のルールでは、「可愛い」しか価値を持たないのだから。


 治という名前も、可愛くなさすぎて嫌いだった。誰も呼ばない名前だが、それでも許せないほど嫌いだった。可愛い服を着ると、自分が可愛くないのが目立って嫌いだった。だから彼女は、黒い服を着る。服のデザインを可愛いくするのは、彼女なりの歩み寄りだった。

 でも先程の黒い着物は、さすがに可愛くないの度が過ぎていて着られなかった。あれは嫌だった。普通にセンスがないと思った。彼女は少しワガママなところがあった。


「あなた、屋根の上で何してるのぉ? 足は早いけど、術は下手くそねぇ!」


「私は」


 誰も彼女の名を呼ばない。もちろん彼女が呼ばせないということもあるが、誰もが恐れて呼べないのだ。

 彼女は、誰よりも強かった。


 誰も彼女に着いては来られない。誰も彼女の隣に立てない。


 それを、彼女は。本当に、心の底から理解して、納得して。

 それで、どこか。


「私は、あなたを。可愛らしいと思います」


「.......むぅ?」


 目の前のおかしな男は、軽く手足をふって。


「申し訳ございません。そろそろ間に合わなくなる時間ですので、失礼します」


「どこ行くのぉ?」


「.......アルバイトと、」


 ぐっと手足の筋肉をしならせた男は。


「反抗期を終わらせに」


 音もなく、重力も無いように、軽やかに屋根へと降りていった。そしてそのまま、普通の人間にしては速すぎるスピードで駆けて行った。


「.......変なのぉ」


 彼女にとって、可愛くない物は価値がない。彼女にとってこの世で1番価値がないものは、1番可愛くない、彼女自身だった。

 ただ、ズレた彼女は他人からの自分の評価を正しく理解していた。自分の術者としての価値も、怖さも。彼女にとっては無価値なそれが、他人にとってどれほどの物かを理解していた。


 だから。


 請われるまま、妖怪も退治して。怪我も治して。1番の席に、座っていた。座っていようと、そこにいようと、努力していた。ここにしか、可愛くない自分の居場所はないのだから。皆、彼女が恐くてたまらないのだから。

 なにせ、彼女は。

 可愛くないのだ。


「お嬢様、おかえりなさいませ」


「むう」


 もう20歳を超えた彼女は、未だにそう呼ばれていた。ここ数年で自分の隊から何人もの副隊長が辞め、彼女は恐れられている。


 誰も彼女に着いては来られない。誰も彼女の隣に立てない。


 それが、どうしようもなく突きつけられていた。


「みんな、私の隣にはいないのよぉ?」


 彼女は屋敷の屋根に座って、朝焼けの空を見て。可愛いなぁ、と思っていた。


「お久しぶりです」


 いつの間にか彼女の隣に立っていたのは、数年前に見たおかしな男だった。相変わらず全身真っ黒な服だったが、顔を覆う布は無くなっていた。


「.......変なのぉ!」


 五条の屋敷へと、誰にも気付かれずに入ってくるなど、普通の人間には不可能だ。しかも、彼女の記憶の中の男は、下手くそな術を使う一般的な術者だった。


「変でしょうか」


「うん! 変!」


「そうですか」


 男は、すっと腰を折った。


「灘勝博と申します。以前は名乗りもせず、申し訳ありませんでした」


「.......反抗期は終わったのぉ?」


 彼女は、自分の爪を見ながらそう言った。

 男は、微塵も変わらぬ表情で。


「滞りなく終了しました。これで、私は自身の意思により行動することが可能となりました」


「へぇ」


 彼女は、黒い男に興味がなかった。彼女の興味が向くのは、可愛い物だけ。


「この6年間、私は術者になるための勉学に励みました」


「むう」


 もう少し可愛く話せないものか、彼女はそんな事を考えていた。


「数年前に免許を取得し、こちらへ伺いました。そして本日、私自身の意思による行動を実行するに至りました」


「めんどくさぁい! お話が長いのよぉ!」


「申し訳ございません」


 男は、また腰を折って。そのまま、膝をついた。



「あなたのお名前を、お聞きしたく」



 彼女は。自分を見上げる男を、わけも分からず見つめていた。今、この男は自分に名前を聞いたのか。まさか、そのためだけにこんなところまで忍び込んできたのか。


「.......五条」


 男の表情は動かない。ただ、朝日に輝く黒い瞳が。切れ長な瞳の中にある、輝きが。


「.......治」


 可愛い、と思ってしまったのだ。


 彼女は、他人が好きだった。自分以外の人間を、自分を恐る術者達を。可愛いと、思っていたのだ。

 だから。自分の隣に居ないのも、理解できたし納得していた。

 でも。それでも、どこか。


「治様。私は明日、総能の試験を受けて参ります」


「治って呼ぶなぁ!」


 彼女が怒鳴りつけても、男はその可愛い瞳のまま。


「.......では。私が、あなたの名前を呼ぶことを許される立場になるまで、お待ちいただけますか?」


「むう?」


「私は、あなたを尊敬しています。あなたの実力に、憧れています」


「.......どこで私を知ったのぉ?」


 この男と会ったのは、数年前の空の上が最初で最後だった。彼女の実力に憧れることに疑問はないが、その実力を知るには男は彼女との接点がなかった。


「前回、お会いした時に。私の目指すべき場所は、あなたのいる場所だと」


「あれだけでぇ?」


「はい。あなたに会ったために、私は反抗期を終わらせました」


「むう」


「高みに立つ人間を、私は初めて目にしたのです」


 誰も彼女に着いては来られない。誰も彼女の隣に立てない。


「なら、分かるでしょお? あなたじゃここまで来られないわぁ」


「自ら申し上げる事でもないですが。私は、壁登りは得意だと認識しております」


「.......にんにん?」


「にんにんです」


 可愛い。そう、思ってしまったのだ。


「.......勝博ぉ」


「はい」


「術、教えてあげるぅ」


 誰も彼女に着いては来られない。誰も彼女の隣に立てない。

 それを誰よりも理解している彼女は、可愛いみんなの隣には居ない。みんなの隣には、行けない。それを理解している彼女が、男に歩み寄って。


「ありがとうございます。ですが、試験は自身の実力で受けたいと思っております」


 普通に拒否された。


「むう! 可愛くなぁい! 勝博ぉ、待ちなさぁい!」


「自身の力であなたに追いつきたいのです」


 その後足の速さだけで逃げ切る事に成功したと思った勝博は。

 第五隊入隊試験と、その副隊長就任のための試験を受けに行った京都で。

 待ち伏せしていた五条治に、札だらけにされ本部の部屋に転がされた。


 最強の副隊長が誕生したのは、その5時間後。

 可愛くない彼女が、短くした髪に桃色の髪留めを付けるのは、その10年後。

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