こぼれ話(4)

春と花とATM

「.......春子さん!」


「パパ静かに! ドラマ見てるのよ!」


 娘は部活動の合宿中。年下の上司がくれた休暇によって、今は妻と家に二人きり。


「.......春子さん、今夜食事に行きませんか?」


 ソファでドラマを見ていた妻は、驚いたように目を開く。ただしそれは自分の誘いのせいではなく、ドラマの中の主人公が車に轢かれたからだ。


「.......うそ、急展開.......」


「春子さん、何日か休暇を頂いたんだ。2人で食事に行かないか?」


「食事って.......どうせ夜にはいなくなるでしょ? そこら辺の出前でも取った方がいいんじゃない?」


「夜も休みだよ。休暇をもらったんだ」


 ぱちんっとテレビが消える。ちょうど次週の予告が終わった所だった。


「.......そう言って何度も食事中に仕事に行ったじゃない。嫌よ、私1人でお店で食べるの」


「今日は大丈夫だよ。ホテルのレストラン、予約したんだけど.......どうかな?」


「.......どこのホテルよ。もう、服もメイクも楽じゃないんだから! いいお値段の所じゃないと割にあわないわよ!」


 ぷりぷり怒って妻は着替えに行った。

 君にプロポーズしたホテルだよ、とは言わないでおいた。


「ちょっと! パパも着替えて! ホテルなんでしょ、そんな格好じゃ恥ずかしい!」


「はいはい」


「なによ! 一緒にいる私が恥ずかしいんだからね! シャツ着てよ!」


 そう言いつつ、もう何年も使っていないシャツがしっかりアイロンがけされているのが分かって。

 だからこの人が好きなんだと思った。


「春子さん、食事の前に買い物に行こうか。欲しいものはない?」


「.......そんなもの、パパのお金で欲しいだけ買ってるわ」


 そう言いつつ、この人の持ち物が増えたようには思えない。昔青い宝石が好きと言っていたのに、身につけるアクセサリーは昔と同じままだった。


「はは、僕はATMだものね」


「そ、そうよ! パパは裕子の学費と生活費だけ入れてくれればいいの! ATMなんだから!」


「春子さん、今は裕子がいないから。パパって呼ぶより、名前で呼んでほしいな」


「な、何言ってるのよ! 私達いくつだと思ってるの!?」


「いくつになっても名前は変わらないよ、春子さん」


「.............なによ、自分だってずっとママって呼んでたくせに」


「君は裕子のママだからね」


「.......私素敵な青い宝石が欲しい! とびっきり大きいの!」


「はは、お手柔らかに!」


 その後宝石ショップへ入って。自分には全部綺麗に見えたのに、妻は何も欲しくないと店を出た。


「あの青いピアスは、綺麗だったと思うけど。本当にいらないのか?」


「.......がいいの」


「え?」


 そっぽを向きながら妻はメガネ屋に入った。


「あなた、そのメガネいつまで使ってるの? 私が選んであげる、あなたいっつも同じ物しか買わないんだから!」


「これは譲れない。このメガネとこの髪型が僕の黄金比なんだ!」


「昔は七三分けなんてしてなかったじゃない!おじさん臭いのよ、昔みたいに髪を上げていればいいんじゃない!」


「それは僕の黒歴史だ! 忘れてくれ!」


 昔の自分はとんでもないバカだった。いつまでも子供というか、自信だけは溢れたガキだった。


「あの頃のあなたったら、勢いだけで生きてたものね! まさか一条に勝負を挑むとは思わなかった! ふふ、おかしい!」


「.......君が強い男がいいと言うから」


「今じゃ丸くなっちゃって。仕事の電話の時のあなた、別人みたい! ふふ、「いやぁ! さすがです隊長!」って、誰よあなた!」


「.......いい上司でね。まだ子供だけど、いい人なんだ。ついて行こうと思えるよ」


「ふぅん。だから家に帰ってこないの。素敵な上司で良かったじゃない」


 妻が真緑のフレームを手に取った。


「あ、いや、たまたま年末は立て込んで.......」


  それとなく黒いフレームを差し出しても、見向きもされなかった。


「.......そろそろ時間ね、フレームはこれ」


「.......色は黒でもよろしいでしょうか? 私の仕事着は黒の着物でして。それにピンクのフレームは、少々コメディすぎるかと.......」


「こちらで検討しておきます、花田経理部長っ」


 そのままメガネは買わずにホテルのレストランに行けば、妻が黙り込んだ。


「気に入らなかった?」


「.......覚えてたの」


「そりゃあね。春子さん、ずっと仕事ばかりですまない。裕子のことも、君に任せっきりだ」


「.......いいわよ、もう。あなたはATMなんだから、お金さえ入れてくれれば。帰ってこなくたって、ATMなんだから、当たり前だし」


「.......もう、花田裕二はいらないかな? 君たちはもう僕を必要としないかな?」


「.......」


 運ばれてきたワインを、妻が一気に煽った。


「は、春子さん! そんな飲み方.......! 弱いんだから気をつけないと!」


「裕二さん!」


 真っ赤になった妻は、1度自分を睨んで。急に視線を下げて、ぐりぐりと左手の指輪をいじっていた。


「裕二さん.......もうちょっとお金がなくたっていいから.......」


 ああ、可愛らしい。おじさんが何を言っているんだと思うが、この人が酒を飲んでも顔色が変わらないのを知っているし、この人が素直になる瞬間の可愛さを、自分は誰より知っている。


 ちらっと上目遣いで自分を見た妻は、小さな声で言った。


「.......もうちょっと帰ってきて欲しい.......です」


「.......全力で帰ります。いやぁ! 裕子が冷たいから、もう帰らない方がいいのかと!」


「ふん。中学生なのにベタベタするからよ」


「.............恐ろしい事を聞いたんだが、高校生になるともっと反抗的になるって本当?」


「.......」


 食事の後、足元がおぼつかない妻が、やはりアクセサリーが欲しいと言ったので店に入って。

 迷わずこれ、と指さした物を買った。


「ふふふー、買ってもらっちゃった!」


「春子さん、転ぶよ」


 完全に出来上がった妻は、ニコニコと笑いながら先を歩く。


「裕二さん、指みーせて!」


「はいはい」


 妻に買ったのは、なんの宝石もついていない指輪。シンプルなペアリングだった。

 さっきまで年齢を気にしていたのに、急に自分とのペアリングをねだった妻を見て。


「.......春子さん」


「ふふふー、裕子にはナイショね! 」


「僕は今だって、君のためなら一条に喧嘩を売れるよ」


 それはダメ、と寄ってきた妻と手を繋いで、家に帰った。

 合宿から帰った娘は、昔のようにパパ大好きとは言わないが。小さなお土産をくれた。


 自分は家に帰るタイプのATMになろうと思った。

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