2kgの戦争
「.......和臣。大事な話があるの」
放課後、やけに真剣な葉月が俺の前にやって来た。
別れ話か、などとほざいた不届き者にはチョップをお見舞いした。本来なら死刑だぞ、幸運だったな。
「なに? ここで話す感じ?」
「.......1kg」
「は?」
「今回用意したミルクチョコレートよ。事態は一刻を争うの。お願い、台所をかしてちょうだい」
「.......何をするおつもりで.......?」
「かわいらしいスイーツ作りよ。やっぱり手作りかしらって思ったの」
「.......人体錬成だ.......」
おそらく禁忌を犯す場所となる家の台所を思って涙が出た。たとえ明日がバレンタインデーと言う甘い1日であろうと、1kgと言う単語は甘い思いには結びつかない。きっと何か恐ろしい実験が始まるのだ。
「ホワイトチョコレートは半分の量しか買ってないのだけど、大丈夫かしら?」
「チョコレート工場開くの? ていうかもしかして合計1.5kg!?」
「あら、そんなわけないでしょ? ブラックチョコレート0.5kgも合わせて2kgよ」
「人体錬成だ.......」
どこに連絡すればいいのか。総能か、警察か。炎の大佐はどこにいる。
「し、七条くん.......」
青い顔をした川田がそっと話しかけてきた。
「あの、あのね。葉月、昨日もチョコ作ったんだけど.......こ、焦げて何も残らなかったの」
「だから2kg.......」
量の問題では無いと思います葉月さん。
「わ、私の教え方が悪くて.......ごめんね?」
「いや、川田は悪くない.......あとは俺が何とかする。任せてくれ、チョコは無駄にしない!」
「が、頑張って!」
戦場は我が家の台所。合計2kgのチョコレートと、レシピは完璧不器用少女との戦いが、幕を上げる。
チョコレート戦争は早々に幕を下ろすことになった。というか幕が上がる前に俺達の完全敗北。命だけはお助けください。
「「.......」」
「葉月お姉ちゃん.......わ、私がやるよ!」
「大丈夫よ。板チョコを刻むくらい私だって出来るわ」
葉月はそう言いつつ箱から板チョコを出して砕いた。包丁は1度も握っていない。
「.......和臣」
「姉貴、俺は先に言ったはずだ。冗談抜きでやばいと」
「.......」
台所に入ってから約30分。葉月が完璧に板チョコを刻めるまで砕いたチョコを量産するのをやめず、台所に広がった甘い香りに反して俺と姉の心は静かに落ち着いていた。まるで暗い森の奥のよう。
「静香お姉ちゃーん! チョコレート多すぎるよ! どうしよう!」
「.......全部溶かしてしまいなさい。それで好きなものにでもかけて食べなさい。それでも余るようなら.......和臣、あなたチョコレート一気飲み大会に出場したがってたわよね?」
「お姉さん、俺死んじゃいます。鼻血とかいうレベルじゃないですよね」
「あ、葉月お姉ちゃんホワイトチョコまで開けないで!」
「「.......」」
姉が黙ってチョコを溶かし始めた。俺も静かにチョコを溶かす。初めてやるが、心を無にしてヘラで混ぜた。なんて滑らか。もうどうでもいい、兄貴と父に全部プレゼントだ。
「.......和臣」
「葉月.......」
しゅんと下を向いた葉月が可愛そうで可愛くて、思わず溶かしたチョコがついたスプーンを葉月の口に入れた。
「.......美味しい」
「ならよかった.......清香とイチゴかなんか持っておいでよ」
「.......ええ」
妹が切なくなるぐらい葉月に気を使って、台所はしんみりした空気に包まれる。
姉がマシュマロやら何やらチョコに入れて、冷蔵庫にしまった。そしてホワイトチョコを溶かす。家の主食がチョコなのかと疑うレベルの量。
「和兄、イチゴ持ってきた! チョコちょうだい!」
「おお! ほら、沢山食べていいぞ!」
「や、やったー! 葉月お姉ちゃんのチョコ、美味しいなー!」
悲しい。我が家の呪われた演技力も、この空気を打ち破れない自分の不甲斐なさも。
「.......」
姉が何やら粉を混ぜ始め、それを入れてオーブンを閉めた。札をはって封印しそうな勢いだった。
「.......バレンタインって、そもそも男性から女性に花束をおくる習慣らしいわ」
姉がみかんにチョコをつけて言った。
「あ、ああ! なら俺が花買ってこなきゃ! ごめんな葉月!」
「.......私、料理どころか細かいことは全て苦手なの」
「へ、へぇー」
葉月は眉と口をへの字に曲げて、揺れる瞳で俺を見上げる。
「.......お嫁にいけないかしら.......?」
悲し可愛くて、思わず抱きしめようとした時。姉がとんでもない速さで葉月を抱きしめた。
「ウチにお嫁においで!! 大丈夫よ、家事なんて和臣がやるんだから!」
「私も葉月お姉ちゃん大好き!!」
妹もぎゅっと仲間に加わって、俺は料理本を買うことを決めた。
ぱしゃりと間抜けな音がして、台所の入り口を見れば仕事服の兄と落ち着かない様子の父がいた。
「.......孝臣.......お前のお嫁さんは.......」
「父さん.......俺の泣き声が動画に入るから.......」
姉が静かに父と兄貴の口にチョコを押し込んで、兄貴の肩をそっと叩いた。
「「.......」」
ここまで切ない気持ちになることがあるのか。
「.......和臣」
「.......なに? 兄貴の事なら気にしなくていいよ、悲しいから」
「.......来年こそ、チョコを刻むわ」
第二次チョコレート戦争宣戦布告。敗色濃厚、それでも引かぬ、チョコ武将。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます