前方要注意

  後先考えない男は、女の両親が興奮気味に用意した寝床でじっと考え込んでいた。

  お転婆な嫁のことではない。男にとってそんなことはもう興味の外のことだった。

  男が考えていたのはあの浜のこと。人間ではどうする事もできない船のことだった。


「.......道満が怒るよ、これは」


  そんな浜をなんとかすると言ってしまったので、男はとりあえず簡単に術をかけて京都に帰ろうと思っていた。短い間なら、なんとかできそうだった。

  そして、友人へ報告しなければならないことを思い出した。男の妻だが、友人の妻のお転婆娘のことを。


「うーん! これは僕が全面的に悪い! 笑えてくるね! はははぁ! ごめんよ道満!」


「.......道摩法師様」


「まさかの急展開! はははぁ! 泣けるよ!」


  部屋の外からしとやかな声がした。


「.......あの、今夜は」


「よし! 任せたまえ! 段々愉快になってきたよ!」


  ぱんっと手を鳴らして襖を開ける。驚いて固まった女を部屋に入れて、男は言った。


「まず君に言わなくてはならないことがあるよ! 言ってもいいかな!?」


「は、はい!」


「僕道満じゃないんだ! 僕は安倍晴明! 最低男さ!」


「ふふ、ご冗談がお上手.......そ、そうか.......私が緊張してるから.......やっぱり素敵な人.......!」


「正直さの敗北!!」


  男が今まで感じたことのない雰囲気だった。男は人の話を聞かないが、自分の話が聞かれなかったことなど初めてのことだった。最低男である。


「僕はね、ゴミ虫以下の安倍晴明なんだ。それでも君は僕のお嫁さんになってくれるかい? もしいいなら僕は子供が欲しい!2人ぐらい欲しいよ!」


  ズレた男はもう愉快なのか泣きたいのかもわからなくて、ただズレた勢いだけが増していった。


「こ、子供.......!! もちろん、お望みなら!」


「あれ!? 聞いてない!? はははぁ! でも子供はいいのかい!? もう少し危機感を持ちたまえ! 女の子だろ!?」


「妻ですから!.......はしたなかったですか?」


「それ以前の問題! はははぁ! 君の旦那は変態の安倍晴明なんだよ! 返品なら今!」


「あの! 私の旦那様を悪く言わないでください!」


「通じない! はははぁ! これは本当に愉快かもしれない!」


  その夜は騒ぐだけ騒いで、結局何も得られなかった。

  男はそれから何日も、昼は浜に術をかけて、夜は女と語り合う日々を過ごした。


「そろそろ京都に帰るかな! 道満が癇癪を起こすよ!」


  久しぶりの散歩の途中で、男は土産を買いに街にいた。ぶらぶらと歩くうちに、男は桜のかんざしを見つけ、友人が男だという事も気にせずそれを買った。なかなかよくできていて、男はその作り物の桜が気に入った。


「さて! 僕のお転婆奥さんはついてきてくれるかな?」


  ぱんっと手を鳴らせばそこは女の家。

  いまだに男を最低ゴミ虫変態男と認めない、お転婆な女の家だった。


  人の気配の代わりに、血の匂いを残した。


「おや?」


  どの部屋にも、生き物はいなかった。

  ただ、見知った形の肉が、赤い海に浸かっているだけ。


「.......」


  ぱんっと手を鳴らして、男は浜辺に立つ。一度行った場所ならば、多少の制限はあるがほぼ自由に移動できる男は、いつもは静かすぎる浜辺を歩く。

  今は、やけに赤い、おかしな浜を。


「.......」


  砂浜の一角に、おかしな棒が刺さっていた。9本の長い杭には縄が張られ、びっしりと札がついていた。

  男は縄も札も灰にして、10本目の杭を見た。その杭は、他の9本の杭に囲まれた場所の真ん中で、何かを突き刺していた。何かと何かを、突き刺していた。

  男はその中心にひょいと足を踏み入れて。


「ああ、だからか。びっくりするほど短絡的で、人間らしいね。知らないものほど恐ろしいと言うし、さぞかし驚いただろうね」


  杭に貫かれていたのは。

  右目を潰された、お転婆な女。

  その上から串刺しにされていたのは、顔の右半分に痣のある、得体の知れない、人が醜いと呼ぶであろう、


  人魚。


「顔の痣を見て、君を引きずってきたのかな? このおぞましい魚もどきも、君と一緒に殺してしまえばもう安心だって? はははぁ! 僕にはわからない理屈だよ!」


  ぱんっと手を鳴らして杭を抜く。女と人魚の形の肉を見て。男は笑った。


「あぁ! 驚くほど安っぽい物語だね! 僕は物語に興味なんてないけど、この出来の悪さは流石にわかるよ!」


  男はそっと女の手をとって。気がついた。


「.......船が来たのか。君も他の人と一緒に、攫われたんだね。.......なんだ」


  体だけ残して、中身を攫われた女。男はそんな女の頭に、桜のかんざしをさして。


「僕が悪んじゃないか」


  男ほどの術者でも、船は止められなかった。人間では、どうしようもできなかった。時間も、力も何もかも足りなかった。

  びちり、と隣で人魚が跳ねた。とりあえず殺そうと男が手刀を作れば。


『道摩法師様道摩法師様助けてっ!! 私は何もしていません!! 信じて! 道摩法師様!』


  びだんっと跳ねながら人魚は叫ぶ。


「へえ。人魚って喋るのか! 中々面白いじゃないか!」


『私は関係ないんです! お願い、あの人を呼んで! 京都一の陰陽師なの! 絶対になんとかしてくれる!!』


「はははぁ! もしかして、声真似かな? 悪趣味だね!」


『.......ごめんなさい!!』


  女の声を流していた人魚は、それきり動かなくなった。


「.......ああ、これは良くないね。このままじゃ僕は嘘つき最低クズ男だ。道満にも申し訳ないよ」


  男は女の形をした肉を見て。目線もやらずに人魚を刻んで、ニヤリと笑った。


「はははぁ! 僕の奥さんと、もう一度話さないとね! 僕にも責任感ってものがあるのさ!」


  人魚の肉は、味がしなかった。


「人じゃどうしようもないなら、人じゃなくなればいいってね!」


  男には、後先考えないところがあった。


  それから男は、ぱちんっと指を鳴らせばどこへだって行けた。船が来るまで、天の近くに腰掛けて浜を見いていた。男は暇だったので、女の家も他の家も燃やした。先日やって来て人々に杭を売り付けた陰陽師は、新しい呪いの実験に使った。もうほとんど人が船に攫われてしまった町だったが、残りの人を暇つぶしに呪ってみたりした。

  それでもまだ暇でたまらなかったが、船が来るまで海を見ていた。


「ああ、やっと来たね!」


  ぱちんっと指を鳴らして。手刀で船を裂いて。

  零れた中身の中から、一つを掬い上げた。


「やあ! 久しぶりだね! 早速だけど、僕君に言わなくてはならない事があるんだ! 聞いてくれるかい?」


  男の両手で掬った黒い何かは、ポタポタと指の隙間から零れていく。


「僕はね、安倍晴明なんだ。最低男さ!」


  船はゆっくりと海に戻っていく。いろんなものを満杯に積んで、ゆっくりと暗い海を進む。


「.......それから。もしかしたら君は、桜と同じくらい美しいのかもしれないよ。作り物なんかじゃ、釣り合っていなかった。本物と見比べたかったね」


  もう男の手からほとんどが零れ落ちてしまって。


「はははぁ! 君の夫はこんな最低嘘つき変態男なのさ! 返品なら」


『しない!! 私の好きな人、悪く言わないで!』


  全て零れて、男はぱちんっと指を鳴らす。聞こえるはずのない返事を都合の良い妄想だと笑って、男は京都に帰った。

  それから、友人に殴られて。

  桜を待つ間、浜に行って術をかけた。暇つぶしにはちょうど良いので、驚くような規模と精度の術をかけた。もう誰も攫われないように、そんな人間らしい気持ちは元々無くて、ただあの浜を何とかすると約束したからやっただけ。その気持ちも段々薄れて、本当に暇だから術をかけていた。この行為に意味を求めることは、もうやめていた。


  そして、桜を見ていたある日。友人との長い長い勝負が始まった。


  男はもう、後先のことしか考えていなかった。

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