腐敗

 ずぷりと小さな手が俺の腹から抜かれる。

 膝を突いても、目は離さない。


『いたぁ』


 せり上がってくきたものを飲み込んで、小さな肩に手を置く。じうっと音がして腐った匂いがした。手袋も指環も、腐って落ちた。


「.......いないよ。水場に行こう」


『どおけぶれえいものの』


「ごめんね。でも、俺さ.......」


 ばちん、と手が弾かれて主が車に向かう。


「.......待て! もういいよ! 豊作も何もいらないよ! 周りを見て! もう畑も家もないんだよ!」


 ぐぷっと血が戻ってきて、乱暴に袖で拭った。


『おんなおんなおんなおんな』


「ダメなんだよ.......」


 いつの間にか目を開けていた花田さんがすっと表情を消した。

 先程預けた天狗の扇を出して、主に向ける。


「待て!! 殺しちゃ.......うぇ」


 また血が戻ってくる。自分の体から、嫌な匂いがする。


「隊長!! 私の仕事は、あなたを見殺しにすることでは無い!!」


「.......大丈夫だから! 殺すな!!」


 血の涙を流しながら、主が車に近づく。


「隊長!! 諦めろ!! もう戻らない、 2人も死ぬぞ!」


「.......だ、大丈夫。もう殺させない」


 左手で糸を操る。動きにくい右手で札を掴む。


「【御清おんきよめ御浄おんきよめ御穏清おんおんきよめ御冴おんさえて御凛おんさむく.......ぐ、・御戻おんいたり御戾おんもどる】」


「隊長!?」


 この間の書類、ちゃんと出しておいて良かった。

 不安定な術の使用、俺は大いに賛成する。


「【御戻おんいたり御戾おんもどり御穏返おんおんかえり御帰おんかえす】」


 札を投げて、右手で引を結ぶ。もう手が動かない。

 左手の糸は優しく優しく主の周りに集まっていく。


「【至緻助雨しちじょう】」


 ふわっと糸が主を包む。糸が解けた後には、綺麗な白い着物を着た小さなものがいた。ただ、まだ腐っている。


『あ、あ、でも、ほしい』


 ばんっと車のドアが吹き飛んだ。

 花田さんが扇を向ける。ゆかりんと葉月は、一瞬体を強ばらせて。

 一気に車から駆け下りた。固まった主の横を走り抜けて、こちらに来る。


「和臣!!」


「副隊長!! 私も手伝う!!」


 俺の前にゆかりんと花田さんが立って、葉月が俺の肩を抱く。

 その手を払って、引を結んだままの右手を主に向ける。


「.......ほ、ら。水場、行くぞ」


『おんな、いない? でも、欲しい』


「「「え?」」」


「いないって、い、言ったじゃん。それ、にさ。ホント、は、ほし、欲しくない、んだよ。貰い、過ぎたんだ」


「和臣、和臣!! 血、血が!! 手が!」


 左手で葉月の肩を叩いて、人差し指を口に当てる。

 あまり叫ばれるとバレてしまうかもしれない。

 今はまだ、葉月とゆかりんの手にびっしり書かれた術は、きちんと働いてる。


『おんな、いない。なら、お前でいいや』


 ずいっと、俺の目の前に赤黒い穴が2つ現れる。顔の真ん中にぽっかり空いた穴からは、ドロドロと涙が溢れている。


「ほ、ホントに? 俺で、いい、っ、の?」


『うん』


「よ、よく、.......見て。俺が.......誰の、お気に、入りか」


 ぺたりと小さな手が俺の首を掴む。3本しか指がない手が触れれば、じうじうと皮膚が腐る。


「和臣!!」


 葉月が泣いていた。泣かないで欲しい。笑った顔の方が好きだから。


『ひっ』


「わ、わかっ、た?」


『あ、あ、あ、』


「ほら。のこ、りも、.......ぐっ。綺麗に、しよう」


 残った左手で主の手を取って、ゆっくり引き寄せる。

 じうじうと嫌な匂いがする。


「もど、れるよ」


『ぁあいいいいぃ!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! あなたの物って知らなかった!! 取るつもりはなかった!! ごめんなさい!! 見ないでぇ.......!!』


 パタン、と力が抜ける。小さな人の形が崩れて、腕の中に大きな鳥が残った。


「.......はな、ださん。ちょ、と。て、手伝って.......」


「隊長.......!!」


 花田さんとゆかりんもよってきて、2人は泣いていて、花田さんは七三分けが崩れていた。


「.......は、はは。怖い?」


 腐りかけな隊長などホラーだろう。


「「バカ!!」」


 葉月は手で顔を覆って泣き出してしまった。俺も悲しくなるので、笑って欲しい。


「隊長、隊長!! 治療を! ご自身でも術を!」


 脇腹の傷を見た花田さんが、札を取りこぼした。

 ちょっとグロテスク過ぎて、自分でも見れない。


「あせ、るな。副、隊長。水場、い、行くぞ」


「無理です!! し、死んでしまう!!」


「.......だ、から。急ぐ、ぞ」


「あんた!! そんなになって、どうすんのよ!!」


 ゆかりんが札を手に持って治療に加わる。うわ、下手くそ。


「.......変態、来て、る?」


「和臣くん!! バカかい!? どうするんだ! 今回は僕じゃ助けてあげられないんだ! 君も分かるだろ!?」


 遠くで変態の声がする。多分、今あいつは近寄れないんだ。あいつは強すぎる上、分類としては悪いものだから、今近ずいたら死ぬ。俺が。腕の中の主も、もう戻れなくなる。悪い方向に、引きずられる。


「.......水場、連れ、てって」


「君は!!」


 ぱちん、と音がして。胸まで水に浸かる。冷たい。痛い。じゅうじゅう音がして、主が暴れるのを押さえる。


「な、流れる、まで! も、.......うちょっと! 我慢し、てくれ!」


「和臣ぃ.......!!」


 川の淵にへたりこんで泣いている葉月と、バシャバシャと入ってくる花田さん。ゆかりんは立ち尽くしていた。


『ごめんなさい!!』


「大、丈夫。怒ら、ないでって、た、頼ん、どく」


『.......あ、あぁ.......』


 綺麗な白い鳥は、長いこと赤黒い汚れを吐き出していた。


「.......ん。き、綺麗に、なっ、たな! も、もう天狗、なんか、に、負けん、な!」


『.......ごめんなさい。ごめんなさい』


 真っ白な鳥は、俺の腕の中で震えていた。


「と、飛べ、る?」


『え?』


「ま、また、来る、から。ばい、ばい」


『.......ありがとう』


 ばさりと鳥が飛んで。花田さんが俺を水から引き上げた。


「隊長.......!! き、救急車、いや、こんな山じゃ.......くそ、なんでろくに治療もできないんだ、私は!」


「.......は、花、ださんも、焦るん、ですね」


「隊長、やめてください! お願いします、お願いしますから.......!!」


 岸に引き上げられて、花田さんが忙しなく術をかけていく。


「どうする.......考えろ、花田裕二.......お前の頭は飾りか.......」


 ブツブツ花田さんが話す。そう言えば。


「き、今日。」


「隊長!! 黙ってください!! 話すなら治療を!」


「クリス、マスで、すね」


「なに、言って.......!!」


 そのまま、目を閉じた。ぱちん、と音が聞こえた気がした。

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