第51話 糸
「か.......み。かず.......み。起きなさい」
「.......ん?」
「いい? 絶対に振り返ってはダメよ。すぐに帰りなさい」
「.......えーっと.......」
起き上がって見ると、周りは真っ暗で、何も見えなかった。それなのに、自分の手や足はハッキリと見える。
「いい?和臣」
後ろから声をかけられる。
「振り返ってはダメ。まっすぐ帰りなさい」
「.......帰る? 帰るって.......」
「大丈夫、あなたを呼ぶ人がいるわ。きっと帰れる」
「.......んー?」
振り向こうとすると、頭を掴まれて固定される。
「振り返ってはダメ、絶対よ」
「えーっと、じゃあ、振り向かないから。ここはどこ?」
「.......和臣、よく頑張ったわね。偉かったね」
後ろから、頭を撫でられる。
「え?」
「ずっといい子にしてたものね。大丈夫よ、大丈夫。絶対に帰れるわ」
「えーっと、泣いてる?」
「.......ふふ。泣いてないわ、花粉症なのよ」
「この時期に.......?」
「そうよ。さ、早く行きなさい。絶対に振り返ってはダメよ」
後ろから立たされて、背中を押される。
「和臣、約束して! 絶対に振り返ってはダメ!」
「よく分からないけど.......わかったよ!」
振り返らずに、右手だけ上げて別れを告げる。
そのまままっすぐ歩き出した。
「.......あなたは、私に似て方向音痴に育っちゃったけど。きっと大丈夫ね、糸が繋がってるから」
しばらく歩いても、何も変わらない。
ただずっと暗い空間が広がっているだけ。
「ここはどこだ.......?」
恐らく、まあ万に1つほどの可能性ではあるが、俺は迷子だ。
「まず、こんなに暗いところあったか? 電気だって札だって山ほど張ったはず.......」
とりあえずまた歩き出す。
「.......ん?どこに札をはったんだっけ?」
とりあえず左に曲がってみる。
「.......ていうか、俺はどこに帰るんだっけ?」
謎の階段を登ってみる。
「.......ていうか、俺って誰だっけ.......」
ざわざわと背筋に寒気がはしる。
自分の心臓の音だけが耳に響く。
「.......や、やだなぁ! 俺ったら忘れん坊!」
袴を握りしめて、早足で歩く。
謎の階段を下ってみる。
「.......どうしよう」
不安に満ちた細い声が、自分のものだと気づいた時、もう耐えられなかった。
「う、うわぁぁぁ!」
どこにいるのか、どこに行くのかも分からず走り出す。
すぐに疲れて、その場に立ち止まる。
「.......ど、どうしよう」
下を向いて、ぎゅっと袴を握りしめる。
今、俺は何をしているのか。俺は何なのか。
「.......」
涙が零れそうだったので、ぐっと上を向いた。
そうすれば、空が見えた。ずっと黒いだけだと思っていた空は、黒くはなかった。
よく見れば、うごうごと蠢いている空。
所狭しと空から生えていたのは、人の手。
「ひっ!」
下を見れば、人の足と手が蠢いている。
「わ、わっ!!」
横からは、人の髪の毛が伸びてくる。
「っ!!」
足がすくんで動けなくなる。
後ろから、何かの匂いがした。
何かは分からないが、覚えのある匂い。
今わかるたった1つの記憶を振り返ろうとして、くいっと右手が引っ張られた。
「.......?」
右手を見ると、小指に糸が結んであった。
「なんだ.......?」
その糸に触れると、他の指にも糸が結ばれていることに気づいた。
「糸.......いと.......」
匂いが強くなる。
振り向きたい、振り返りたい。
「糸.......」
結ばれた糸が引っ張られる。
何故だかよく分からないが、俺が振り向きたい気持ちよりも、この指に結ばれた糸の方が正しいのだと思った。
糸は、絶対に正しいのだと。
「なんで.......糸.......」
後ろの匂いが酷い。振り返りたい。どうしても。
「わっ! ちょ、ちょっと!」
ぐいぐいと糸が引っ張られる。
そのまま引っ張られるように走り出して、ぐにゃぐにゃとした地面を踏んでいく。
怖くて怖くて、寒い。
後ろを振り返りたい。匂いが、匂いがする!
「和臣! 戻ってきて!!」
バタンっと、目の前で門が開いた。
糸にひかれてその門を走り抜けるとき、思い出した。
この匂いが何なのか。
昔、この匂いを嗅いだ。
大好きな人が、二度と俺に笑いかけなくなった時。
大好きな人が、真っ白な骨になった時の匂い。
母さんが、火葬された時の匂いだ。
「あっ.......」
門を抜けると、そこには。
「和臣!!」
「葉月.......」
ぎゅっ、と震える彼女に抱きしめられる。
「か、和臣、和臣!!」
「.......あぁ、俺は和臣か.......」
「大丈夫か!?」
兄貴の声がする。
抱きしめられたまま、右手を見た。
小指に結ばれた赤い糸は、見えなくなってしまったけれど。
「.......ありがとう、葉月」
葉月は声を上げて泣いた。
葉月の背中を叩きながら、周りを見ると、それは酷い惨状だった。
兄貴は手を包帯でぐるぐる巻にし、ハルは頭に包帯を巻いて、ゴスロリはボロボロだった。
花田さんも中田さんも、メガネが割れていた。
「.......何があったんだ? 天は地に落ちなかっただろ?」
「もっ、門、がっ!! 門が開いて!! 」
「.......門が開いたんだ。大量の霊が溢れ出て、臨時部隊は大きな被害を被った」
兄貴が、怖い顔で話し出す。
「.......門.......」
「それで、お前が、門に、落ちた」
「あぁ.......」
「.......俺は、お前の兄ちゃんなのに。お前を、助けるよりも、部隊を優先した」
「うん.......」
「.......すまん.......。兄ちゃん失格だ.......、葉月ちゃんが、ずっとお前を呼んでくれたんだ。門が閉じたあとも、ずっと」
「うん」
「ごめんな.......」
葉月の頭を撫でながら、兄貴を見る。
兄貴のこんな顔なんて、見たことがなかった。
「いや、ありがとう」
「.......は?」
「多分、兄貴の分も繋がってたから」
「お前、何言って.......」
「よし! 葉月、ちょっとごめんな」
葉月を抱いたまま、胸元から札を取り出す。
「【
合計20体。もちろん全部医療用。
「怪我人の治療に行くぞ、兄貴は怪我人だから座ってろ」
「お、おい! お前.......」
「葉月、手伝ってくれるか?」
「あっ、あたりっまえでしょ!!」
「よし! まずはその顔何とかしてからだけどな!」
葉月の顔を拭って、式神を向かわせる。
「あぁあ、ひっどい顔だな。部隊の被害と同じくらい酷い!」
「ば、ばかっ!」
「ほら、行くぞ」
俺の使う糸は、怪我の治療にも使える。
この場では貴重な医療班として働かなければ。
「か、和臣!」
「ん?」
「1度だけしか言わないわ! よく聞きなさい!」
「おう」
葉月は俺を睨んで、耳を真っ赤にしながら言った。
ちょうど朝日が登って、葉月の顔を真っ赤に染める。
1年で1番めでたい日の出が、いつもと変わらず登った。
「あなたが好きよ! この世でも、あの世でも1番好き! 絶対に離れないから!」
「.......葉月」
「な、何よ! 笑うなら笑いなさいよ!」
「ありがとう」
そして、そのまま。
部隊の人も、兄貴も見ている中で。
学年で1番可愛い女の子の。
天才術者で俺の弟子の。
俺が1番好きな女の子の。
暖かい、唇を奪った。
繋がった赤い糸が、そこにあると信じて。
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