第50話 線を引く

 

「じゃあ、線を引こうか! 和臣くん!!」


 いきなり、こんな場所に現れたそいつは。


「.......お、お前!! なんでここに!!」


「ほらほら、そろそろ降りてきちゃうよ?」


「っ!!」


 まるで日常会話のように、男は天を指さし言った。


「あの子も、もう持たないんじゃないかい? 人があそこまで踏み込んだ消されちゃうよ?」


「お前っ!!」


 零様をあの子呼ばわり、この状況でも飄々としているその態度。

 俺たちの敵であるこいつは今ここで消し飛ばすべきだが、今はどうしても余裕がない。


「っ! 【切糸せっし】っ!!」


 降ってきた何かを術で切り刻む。

 もう手一杯だった。こんな男に構っていられない。


「うーん。それは使い方が違うんだ、糸で切っても、刀には勝てないだろ?」


「.......っうるさい!」


「君ならできるはずなんだよ! この僕が言うんだ、大丈夫! やってみようよ!」


「お前、何言ってんだ!!」


「おや、あの子もうダメじゃないか?」


 はっと上を見ると、零様は膝をついて、白い着物を紅く染めていた。


「.......くそっ!!」


 糸がその人を包むより早く。


「ほいっと」


 隣の男が、ぱちんと指をならす。

 その瞬間、能力者の頂点に立つ、白い人が。


 消えた。


「なっっ!!」


「それじゃ、これで心配事もなくなった事だし! この危機を、乗り越えようじゃないか!」


「お、お前っ!! お前!!」


「ほらほら、そんなに感情的にならずに。リラックスしていこう! 君なら大丈夫だからね!」


「何、言ってんだああ!!」


 ばちんっと俺の周りが弾ける。制御出来なかった霊力が溢れ出し、ただのエネルギーとして、闇雲にあたりを破壊する。


「おお! さすが、最高だよ! この調子で線を引いてみよう!」


「邪魔を、するなぁあああ!!」


 俺の糸が男を刻む前に、ピタリと止まった。


「なっ……! ど、どうして、なんで、俺の、いと、糸が、」


 俺が、俺より信頼する糸が動かない。

 何かにつかえているような感覚はない。

 ただ。

 糸が、のだ。


「な、なんで!? どうして止まるんだ!?」


 指を動かして糸を操っても、何をしても男の前で糸が止まる。

 あの男が何かをしている風でもない。

 つまり。

 俺の、糸が。この男を刻むことを拒否している。


「あ、あぁ.......!! ど、どうしよう.......!! どうしよう!! い、糸が、糸が!!」


 もう冷静でいられない。

 絶対に正しい俺の糸が、ここに来て。裏切る、なんて。


「落ち着きたまえ! 君の糸は君を裏切ってなんかいないよ!」


「うぁ.......、お、俺の、糸!!」


「っ! しょうがないか! 僕はこの服が気に入ってるんだけど!」


 男がばっと俺に近づく。

 そして、俺の真後ろに立ち、俺の肩を掴んだ。

 俺の右手を後ろから取り、天に向かって持ち上げる。


 俺の手を握るその腕は、白い着物を着ていた。


 無理やり印を結ばされ、耳元で囁かれる。


「いいかい? 君の糸は正しかったよ。なんたって、僕がいないと君は線を引けないからね!」


「.......え?」


「ふふ、あはははぁ! さあ、線を引こうか! 人が、神との境界を決めるんだ! 最高だと思わないかい?」


「な.......に?」


「さあ、足は肩幅に開いて! 相手から目を逸らしてはいけないよ? そして、1番大事なことだ! 君は得意だろう?」


「お、お前.......」


「はははぁ! ほら、それが出来たら教えてあげるよ! だから、1番大事なことは、何かわかるね?」


 そっと、囁くように。慈愛に満ちたような声に。


「.......余裕だな! こんなところで俺が負けるか! かかってこいやぁっ! なんだろうと、返り討ちだぁああ!!」


「最高、さいっこうだよ!! ずっと君を待っていた!!」


 天を睨んで、神のある場所を見る。

 絶対的な存在が、この地に降りようとしている。


 大昔に別れた神と人。

 絶対的な溝が、今、埋まる。


「さあ、糸を引くんだ。しっかり場所を見据えてね!」


「言われるまでもねぇ!! 」


 天に向かって糸を張っていく。

 俺の糸は、俺が思うより早く、俺が想像するより美しく、天に向かっていく。


「.......っ!!」


 それでも、届かない。やはり、人が神に触れることなど、許されないのだ。


「違うよ。和臣くん。ここに糸を引いても意味が無い。もっと遠く、もっと高く、もっと深く、もっと近くだ」


「はぁ!? 何言って」


 ぎゅっと手を握られた。

 背後から寄せられた口に、耳元で、静かに話されたのは。


「僕が、見せてあげる。だから、君が引くんだ。神が立ち入ることを許さない境界を」



 ふっと、周りの音が消えた。

 周りの景色も、温度も、全て消えた。

 暗く明るい、何も無い場所で。

 俺は。


 一筋の、光を見た。


 そして、俺の糸が。1本の糸が。


 すっと、線を引いた。





「はっ.......!!」


 周りに音が戻る。呼吸が戻る。

 ハルの壁を踏みしめて、俺は変わらず立っていた。


 天は。


「止まっ、た.......?」


 神は、その場から動かない。

 ただ、じっとそこに在るだけ。


「はははぁ!! 最高、最高最高最高だっ!! 分かるかい? 君は今、人は今!! 絶対的な存在に線を引いたんだ!! もうこれで、神は人の領域に踏み込めない!」


「.......それは、平気なのか?」


「大体はこれまで通りさ! 神の怒りも慈しみも、変わらず地には降り注ぐ。ただ、人の領域に踏み込んで一方的に人を変えることなど、もう出来ない!!」


 男は白い着物の袖をなびかせて、くるくると壁の上を回っている。まるで芝居がかった仕草で、ただ大袈裟に喜んでみせる。


「お前は.......?」


 何一つわからない目の前の男。しかし、なぜか敵意を持てなくなってしまった俺は、そう問いかけた。


「ああ! そうだったね! 教えてあげると約束したよ!」


 男は、ピタリと止まって俺を見て。


「僕はね、君達がれいと呼んでいる人の、友人だったんだよ」


「は?」


「ああ、あの子はもう大丈夫なようだね! 君の式神は優秀だ!」


 男に続いて地上を覗くと、白い着物を着たあの人が俺の式神に治療されているのが見えた。ほっと胸を撫で下ろす。


「よ、よかった.......。じゃあ、結局お前は.......?」


「はははぁ! 僕は君が大好きだからね! 特別に僕の名前を教えよう!」


 男がぱちんっと指をならすと、白い着物の男の頭には黒い烏帽子が。これまた急に現れた扇子を広げ、こちらに向かって微笑む。


「陰陽師、安倍晴明あべのせいめい。あの子は僕の友人の子孫なんだよ」


「あ、あべの.......?」


「はははぁ! 驚いたかい? その顔も最高だね!」


「だ、だって.......それ、何年前の人だよ、ここまで来て冗談は.......」


「昔ちょっと海で拾い食いをしてね。死ねなくなったんだ! 君も知らない魚は食べない方がいい」


「は、はぁ!? お前、お前それっ!!」


「はははぁ! 僕はずっと君を待っていたんだ!700年も前からね!」


「な、ななひゃく.......」


 思わずふらりとよろける。色々なことが理解を超えていて、眩暈がした。


「やっと産まれてきてくれて、よかった! 僕は君が好きで仕方ないんだ!」


「.......お前の、友人って」


「ああ! あの子のご先祖さまだね! 特別だよ? あの子は自分の名前を隠しているようだから!」


「ま、まて! 隠してるなら言うな、ってちょっと!」


蘆屋道満あしやどうまん、僕の友人であり零の家を作った人さ!」


「お、おい! なんで言うんだよ!」


「はははぁ! だって僕は君が好きなんだ! 700年もずっと君を思っていたんだよ!」


「.......へ、変態だ.......」


「はははぁ! 道満もそう言ってたよ!」


 またくるくると回り出した男が、この国の歴史上で1番の術者だったなんて信じられない。いや、信じたくない。


「.......ん?」


 ぴた、と男が動きを止める。それから、不思議そうに目を瞬かせて。


「どうした、変態.......。あ、天を縫わなきゃいけないのか.......」


「まずい!! 和臣くん、こっちに!」


「はあ?」


 慌てた様子の男が手を伸ばしたのを、


「.......え?」


 俺は、落ちた。


 暗いくらい、地の底に。

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