第26話 決意

 何事もないままやってきた百鬼夜行5日目。


 何故かゆかりんも一緒に、山の目の前の駅のベンチで妖怪を待つ。

 大きな山を見つめながら、土産にも買った千枚漬けをかじった。

 ゆかりんは今日もあの素晴らしい格好をしているが、見てはいけない気がする。目が合ったら最後、俺は生きて家に帰れないだろう。


「.......」


「.......」


「.......」


 誰も何も話さない。ゆかりんと葉月からは何か黒いオーラが出ている気がした。

 やはり黙ってぽりぽり千枚漬けをかじる。


 ぽり、ぽり、ぽり。

 ぽり、ぽり、.......ぽり。


「【れつ】」


 葉月がとうとう、転がっている空き缶に術をかけ始めた。


「【禁蹴きんしゅく】」


 ゆかりんまでも空き缶に術をかける。

 あっという間に空き缶は見るも無残な姿になってしまった。

 そっとベンチから腰を上げ、かわいそうな空き缶を拾ってゴミ箱に入れた。


 その日は3つの空き缶をいじめて終わった。


 次の日。ゆかりんと葉月は俺が買ったコーラの缶を執拗にいじめる。

 心が痛いのは何故なのか。


「お?」


 いきなり、胸元に入れていた携帯が震えた。

 表示された発信元は総能本部の、今回の京都の百鬼夜行の担当者。


「はーい。七条ですけど」




「溢れた!!」





「……はい?」


 思わず聞き返した。電話越しに叫ぶものだから、マイクの音が割れてしまっている。


「山の近くにいるな! 早く逃げろ!」


「えーっと?」


「溢れたんだよ!」


 慌てすぎて何を言っているのか分からない。


 溢れたとは、なんだ。


 逃げると言ってもどこへ、何から逃げるんだ。


「あの、何かあったんですか?」


「狐だ! が出たんだ! 境界なんて関係ない! 大量の妖怪が山から溢れた!」


「.......は?」


 今、何が出たと。


「今はれい様が抑えているがもう持たない! じきに他のも山から溢れる!」


「ちょっと、まて.......。溢れたんなら、退治しないと! 山から出たら、すぐそこに一般人がわんさか住んでるんだぞ!」


「無理、無理なんだよ! 山にいた零の関係の術者もほとんどやられた! 普通の術者が敵うわけないだろ!」


「っなんのために集めたんだ!」


「うわぁ! ま、まずいぞ! 溢れ出した! 早く逃げろ!!」


 ぶちんっと電話が切れた。真っ暗な画面から目を離す。


 目の前の山を見ても、昨日との違いは分からない。

 ただ、肌がピリつく。どこか空気が変わった。


「和臣? どうしたのよ、急に大声なんて出して」


 不思議そうに寄ってきた2人に。


「いいか。よく聞け。2人とも、今すぐ電車に乗って京都から出ろ」


「「え?」」


「この時間ならギリギリ電車が動いてる。無理そうならタクシー拾え」


 葉月に財布を握らせて、駅に押し込む。


「ちょっと、どういうこと!?」


「七条和臣! 私も!?」


「急げ。絶対に戻ってくるなよ」


「「ちょっと!」」


 電車に2人を押し込んで、走り出した電車を見送る。


 駅から出て、山を睨んだ。


 目線をそのままに携帯を取り出して。


「もしもし?」


「和臣! 今百鬼夜行なんだよ! 兄ちゃん仕事してんの!」


 ガサガサ、と兄貴の声の後ろに雑音が聞こえた。電話から口を離して指示を叫ぶ兄貴の声も。


「兄貴、まだ連絡いってないか?」


「はぁ? 何のことだ」


「京都で九尾が出た」


「は」


「葉月は帰らせた。上手く行けば今日中に京都を出るから、誰か迎えによこしてくれ」


「.......葉月ちゃん、って……お前は?」


「妖怪が溢れたんだ。このままだと、一般人の所まで来る」


「お前はっ!?」


 ふっ、と鼻から笑いが漏れた。


「俺、一応しっかり仕事はこなすタイプなんだよ」


「おいっ!おいっ!」


「それに、俺ゆかりんのファンだし」


「和臣!」


「俺、葉月の師匠だし」


「和臣! 話を聞け!」


「思いっきり、やってみようかな!」


「頼む! 話を聞いてくれ!」


 通話を切る。もう気が取られることのないよう携帯を遠くへ放って、しっかり装備してきた手袋と指環を確かめた。


 ここは山の目の前。幸いこの前方には、ほとんど人は住んでいない。問題はこの後ろ。に、たくさんの人が住んでいる。

 それに、葉月達の乗った電車もある。

 俺は、ゆかりんのファンだ。ゆかりんには次のグラビアも頑張ってもらいたい。

 俺は、葉月の師匠だ。何も教えられなかったが、せめて。


 せめて、弟子は守らないといけない。



 大きく息を吸って、吐く。



 山がおかしな色を帯び始めた。

 それは、全て妖怪だ。もちろんただの雑魚も多い。

 ただ、土蜘蛛なんて軽く食ってしまう妖怪も、人なんて一口で食ってしまえる妖怪も、沢山いる。

 まだここには来ない。来てからでは遅い。

 この周辺の能力者は零の関係者ばかり。

 恐らくほとんどが山に行ってしまっているだろう。

 頼れるのは、自分の10本の指だけ。

 今日持ってきた札はたったの10枚。こんなもの、なんの足しにもならない。


 大きく息を吸って、吐く。


 今出来る最大の量の糸を出した。

 辺りに糸を巡らせ、できるだけ広い範囲に糸を張る。


 大きく息を吸って、吐く。


 地面に、つま先で1本線を引いた。

 強く、強く。何度も。

 決して消えないように、決して忘れないように。

 決して、越えさせないように。


 大きく息を吸って、吐いて。




 その線を、飛び越えた。



 山から溢れた妖怪がだんだんとハッキリ見え始める。

 大丈夫。このぐらいなら何とかできる。

 俺は散々、耳に痛いほど天才だと言われてきたじゃないか。こんなもの、何ともないだろう?


 すっと、また大きく肺に空気を取り込んで。



「七条家が術者、七条和臣!お勤め、全うさせていただきます!」



 糸が震えた。

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