第17話 財布

 少しの間を置いて、奥から受付のお姉さんが戻って来た。

 なぜかでっぷりと太ったおじさんも一緒に出て来た。それはなんの気配りですかお姉さん。


「いやいやいや! 大変申し訳ありません! まさかがいらっしゃっているとは!」


 でっぷりとしたおっさんはやけに大きな声で、この広い受付に響くように言った。面倒なことになったかもしれない。


「まさか、最年少取得者様が来るとは思いませんで、確認に時間がかかってしまいましたよ! 大変申し訳ありません!」


「あの、免許の更新に来たんですけど」


「もちろんでございます! 大変申し訳ないのですが、試験は受けていただきたく.......」


「そりゃ受けますけど」


 俺をなんだと思ってるんだ。不正を強要されるようなことはしてないぞ。


「これはこれは! ありがとうございます!」


「じゃあ、書類を」


「七条様は、七条孝臣隊長殿の弟様でいらっしゃいますよね?」


「.......はあ、まあ」


「やはりそうでしたか! 七条本家の方でいらっしゃる! いやはや! 七条様には日頃から、本当にお世話になっておりまして」


 めんどくさい。


「わたくし、八鏡やかがみ支部長の平田と申します。どうかお見知りおきを」


「.......はあ」


 めんどくさい。


「七条隊長の弟様と言えば、天才で有名でいらっしゃる! ぜひ八鏡支部でのお仕事もお考えください。ああ、でも今後はお兄様のいらっしゃる第七隊にお入りになる予定でしょうか?」


「.......いえ」


 めんどう、くさい。


「それとも、七条様程の実力であればお兄様の代わりに隊長を」


 だんっと音がした。

 見れば、受付の机に握りしめた拳を振り下ろしていた。


「.......すみません。試験、受けさせてください」


「え、ええ! もちろんでございます! では、書類に記入を.......」


 おっさんはあわあわと奥に引っ込んでしまった。

 痛い沈黙の中、黙って書類に記入をしていく。


「和臣」


「ん?」


「ここ、後見人のサインが必要なの」


「ああ、はい」


 葉月の書類にサインをして、自分の分の書類と一緒に受付のお姉さんに提出する。


「ふ、普通免許の方は11時より筆記の試験です! 試験場は3階のB11室です。そ、そして、七条様は10時30分より筆記試験になります! し、試験場は4階のC7室です!」


「はーい」


 泣きそうなお姉さんから、受験者カードを苦笑いしつつ受け取って、奥の階段へ向かった。


「和臣」


「ん? どうした……ってあ、言っとくけど俺もB11ってどこか分からないぞ。それから、C7もどこかわからん!」


 えっへん、と胸を張って答えた。


「それも威張ることではないわ。……ねえ、大丈夫?」


「まあ、最後にはなんとかたどり着けるだろ。自分を信じようぜ」


「そっちじゃないわ。私、ああいう媚びの売り方嫌いよ」


 無表情なのになんだか不機嫌そうな葉月の様子に、自然と少し笑いが漏れた。


「同感。まあ、試験受けて帰るだけだから大丈夫だろ」


「そう、それならいいのよ」


 表情は変わらないが、少し満足そうな葉月を見て。


「なあ、昼飯どうする? ここ食堂あるから、試験終わったらそこで集合しようぜ」


「いいわね」


「じゃ、試験頑張ってな」


 手を振って別れて、自分の試験場へ向かう。

 とりあえず4階までは来たが、試験場がどこかさっぱり分からない。

 ぐるりとあたりを見回せば、廊下の先を1人の女の子が歩いているのが見えた。

 この階にいるということは、おそらく同じ受験者だろう。急いでその子の後について行った。


「C7試験場はこちらでーす」


 とある部屋の前に立っていた係の人に従って部屋に入る。

 俺の前を歩いていた女の子は隣の部屋に入っていった。


 そして、筆記試験開始時間。


 なぜ能力の使用免許なのに数学の試験があるのか。

 漢字ぐらい書けなくても今どき問題ない気がする。なんでこんな問題を解いているのか全くわからない。


 結局、2時間30分の試験で、俺は燃え尽きていた。


 真っ白になって試験部屋から出て、気づいた。


「食堂ってどこだ?」


 食堂どころかここがどこかもよく分からない。

 とりあえずその場をうろうろしていると、先程の女の子がまた現れた。

 とりあえず、もう一度その子について行くことにした。


「あ、すげえ食堂着いた」


 運がいいことに女の子の行き先も食堂だったようで、葉月と約束していた食堂にたどり着いた。

 小さくガッツポーズを決めると、目の前でくるり、と女の子が振り返って、ツカツカと俺に向かって来た。


「ちょっと! あんた!」


「え?」


「あんた、ストーカー? さっきからずっと私の後をつけて来て!」


「え……え、ちょっと、え?」


「あんまりしつこいと警察呼ぶから!」


「いや、あの、え? マジ?」


「なに? 言い訳があるなら言いなさいよ!」


「.......ゆかりん?」


「なに!?」


 目を三角にして怒っている女の子は、つい先日もテレビで目にした、天才術者アイドル兼大食いアイドル、ゆかりんだった。いつもテレビなどではサイドで高めに結ってある少し明るく染めた茶髪を、今は後ろでひとつに括っている。勝気そうなぱっちりとした瞳に、少し小さめな口。思っていたより身長は小さかった。


「ゆかりんだ!」


「和臣!」


 本物のゆかりんにファンとして興奮していると、慌てたような葉月が走ってきた。


「葉月、ゆかりんだ! 本物だ! ほら、教科書の表紙の!」


「和臣、あなた今とても目立ってるわよ!」


「ちょっと、この人あんたの彼氏? ずっと私の後つけて来て気持ち悪いんだけど!」


「彼氏なわけないでしょ! 失礼ね!」


 俺の心は死んだ。

 2人のかわいい女の子にここまで言われて無事な人間はいない。俺が彼氏だと失礼なのか。涙が出る。


「和臣、あなた最低ね。いくらファンでもストーカーだなんて」


「.......違うんです.......。どこに行けばいいのか分からなくて.......とりあえず、前にいた人について行っただけなんです.......」


「和臣、正直に言いなさい」


「本当です.......。ゆかりんって気づいたのも今です.......」


 溢れる涙で前が見えない。


「.......本当なの?」


「うん.......」


 本格的に涙が止まらなくなってきた俺を見た葉月が、くるっとゆかりんの方を振り向いた。


「あの、ごめんなさい。この人が気持ち悪いのは認めるけど、悪気があった訳ではないのよ。ちょっと迷子になってただけみたいなの」


「.......まあ、確かに嘘をついてる風でもないしね。今回だけは見逃してあげる」


 気持ち悪いのは認められたし嘘をついていないと納得もされた。俺は何を信じて生きていけばいいんだ。


「ありがとう。私は水瀬葉月よ、あなたは、ゆかりん、だったかしら?」


「そ。本名は町田まちだゆかり。そっちは?」


「和臣、自己紹介しなさい。あなた彼女のファンなんでしょ?」


「.......七条和臣です。気持ち悪くてすいません」


 俺のメンタルはもうボロボロだ。

 あと一撃で死ぬ。物理的に。優しくしてくれ。


「まあ、そんなに落ち込まなくていいわよ。こっちも言い過ぎたし。あんた迷子だっただけなんでしょ?」


「.......はい」


「じゃあ、この話は終わり! ねえ、これから時間あるならここで一緒にご飯食べない?」


「ご一緒させてもらうわ。いいわね、和臣」


「もちろんです」


 なぜか憧れのアイドルゆかりんとご飯を食べることになった。

 少しメンタルが回復する。これでしばらく生きていける。


「和臣の奢りね」


「わ、嬉しい。いっぱい食べちゃお!」


 2人のかわいい笑顔を見れたのは良かったが、財布が死んだ。

 やっぱり、涙は出た。

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