第16話 冷房

 とうとうやってきた、免許取得予定の三連休初日。

 朝早いというのに、駅前にはそこそこの人がいた。

 その人混みの中俺は、肩からかなり大きなボストンバッグをさげ、背中にもリュックを背負って立っていた。

 何処へ旅行に行くんだという大荷物だが、この荷物に旅行へ行く時の楽しい気持ちは一切詰まっていない。あるのは眠気と面倒くささだけだ。


 約束していた時間の少し前に、小さなカバンを1つ持った葉月がやってきた。


「お待たせ。すごい荷物ね」


「おう。じゃあ、行くか」


 駅の中へ歩き出そうとして。


「ねえ、私、まだ今日どこへ行くのか聞いてないのだけど」


「あれ? 言ってなかったっけ?」


「聞いてないわ」


 後ろをふりかえって、自分の家がある方向を指さした。


「山の向こう」


「え?」


「山の向こう側に試験場があるんだ。総能のでっかい支部だから」


「総能の支部……それはおばあちゃんのお家とは違うの?」


「全然違う。あっちはきちんとした施設なんだ。試験場だけじゃなくて、隊の宿舎とか、封印した妖怪の管理庫とか、色々ある」


「そう、すごいのね」


「めっちゃデカいぞ。俺は昔迷子になった!」


「威張ることではないわ」


「ちなみに京都にある総能本部はもっとデカい。俺は結局呼ばれた部屋にたどり着けないまま帰った」


「本当に威張ることではないわね」


 葉月は靴の中の小石を見る目で俺を見た。


「ところで、山の向こうまでって、どれぐらいかかるの?」


「うーん、1時間くらいか? ただ、電車が2時間に1本しかない。あと五分で出るから急ぐぞ」


「もっと焦りなさいよ!」


 走り出した葉月に腕を引っ張っられながらホームへ向かう。

 俺達が電車に飛び乗った瞬間に、ぷしゅーとドアが閉まった。


「おお、ギリギリセーフ」


「焦りなさいよ.......」


 電車には俺達以外ほとんど人がいなかった。

 それも2駅程で、あとは本当に誰もいなくなった。


「誰もいないわね」


「まあ、こっちなんにもないから」


「ねえ、試験ってどういうことをするの?」


「えー? なんだっけな.......」


「筆記もあるのよね?」


「あった気がする.......。あ! 実技試験は雑魚の妖怪を退治させられた気がする!」


 おぼろげな記憶から無理やり捻り出した答えを、若干興奮しながら水瀬に伝える。よくあんな苦い過去を思い出した俺。ナイス記憶力。


「あら、大丈夫かしら」


「葉月なら問題ないよ。本当に雑魚だったと思うし」


「それを倒せば合格なの?」


「いや、流石にそれだけじゃダメだけど、倒せなかったら不合格だな」


「そう.......緊張するわ」


 葉月が表情は動かさずに、片手でそっと長い髪を押さえた。


「本当に問題ないと思うけどな。葉月、今日は多分他の受験者もいるから、自分がどれぐらいのレベルか確認するといいよ。初心者とは思えないぐらい、相当ハイレベルだから」


「やけに褒めるじゃない。何か拾って食べたの?」


「俺だって普通に褒めるよ.......今までだって褒めてたじゃん.......」


 俺のことなんだと思ってるんだ。褒めて伸ばすタイプだよ。


「冗談よ。でも、和臣、がそこまで言うなら、もう少しリラックスして受けてみようかしら」


「それがいい。大事なのは気の持ち方だよ」


 そのまま電車に揺られ1時間。

 電車を降りて、何も無い1本道を歩くこと30分。


「和臣、どこまで歩くの?」


「たぶんもうすぐ.......」


 正直に言って、俺は疲れていた。

 最近急に暑くなり始め、ちょっと歩いただけで汗が出る。夏が近づいて来ていた。


「もう疲れたの?」


「俺、暑いの苦手なんだ.......」


 早く冷房の効いた部屋でアイスを食べたい。

 これでまだ夏ではないのなら、俺は一体夏どうなってしまうのか。たぶん溶ける。今までよく固形で残ってきたな。


「あ。あった」


 ひらけた目の前に現れたのは、白いコンクリートの建物。

 学校よりも大きいこの建物は、この裏にさらに大きな運動場と、武道館、宿舎を持っている。婆さんの家兼用の支部とは規模が違う。


「本当に大きいのね」


「だから言ったろ? 迷子になるなよ。俺も助けられないからな」


「気をつけるわ」


 建物の中に入れば、この世の絶望を見た。


「なっ.......!」


「ちょっと、急にどうしたのよ。何かあったの?」


「こんなことってあるか? 俺はどうしたらいいんだ.......!」


 あまりの絶望に、思わず胸を押さえて立ちすくむ。


「な、なによ。本当にどうしたのよ」


「葉月、どうやら俺はここまでのようだ。頑張って免許を取ってくれ。俺は、もうダメだ.......」


「どうしたのよ! ねえ、大丈夫なの?」


「大丈夫ではない」


「な、なにが.......?」


「ここ冷房入ってないじゃん.......。暑い、俺もう帰る.......」


 葉月は無言で俺のスネを蹴った。

 そして、萎びたほうれん草を見る目で俺を見た。


「しっかりしなさいよ」


「ごめんなさい.......」


 涙を堪えながら受付に行く。にこやかな受付のお姉さんに向かって。


「すいません、ここって冷房」


 ごちんっと葉月の蹴りがまたスネに入った。

 実際に涙を飲んで聞き直す。


「すいません、免許を取りたいんですけど」


「はい。普通能力使用免許でよろしいですか?」


「それです。あの、取るのはこの子なんですけど」


「大丈夫ですよ。では、必要書類に記入をお願いします。それから、登録カードか身分証をお預かりします」


 葉月がカードを渡して書類に記入していく。書類は細かい文字ばかりで、見ているだけで気が滅入った。


「.......あ。あと俺の免許の更新もお願いします」


「はい。こちらも普通免許でしょうか?」


「いえ、特免で」


「.......? ええっと、すみません。どちらの方が?」


 キョロキョロとお姉さんがあたりを見回す。


「俺です」


 いち早くボールペンを用意して、細かな書類の記入に備えた。さあ、いつでもかかって来い。


「す、すみません。特殊能力及び技能使用免許の更新ですか?」


「そうです」


「? ええっと.......?」


 未だ混乱している様子のお姉さんに、財布から取り出した自分の免許を差し出す。


「これの更新で」


「え……ほ、本物!? すみません! 少々お待ちください」


 お姉さんはぴゃっと奥へ引っ込んでしまった。


「はっ! もしかして.......冷房つけてくれるのか!?」


 なんて優しく気配りのできるお姉さんなんだ。これがプロの受け付けのお姉さんなのか。


「和臣、あなたおバカなんでしょ」


 葉月は記入中の書類から目を離さずに言った。

 今度こそ、気温より熱い涙が零れた。

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