第15話 名前

 部屋で無理やり婆さんの隣に座らされて、水瀬と机を挟んで向かい合う。


「ほら、和臣。黙ってないで自分でちゃんと言うんだよ」


「.......」


「七条くん、七条だからってどういうこと?」


「.......実はな、この世界には集めるとなんでも願いが叶うという七つの」


「和臣、ふざけてないでちゃんとやるんだ」


「.......」


 また黙った俺に、婆さんが諦めたようにため息をついた。


「はあ.......。じゃあ、私が言うよ。いいね?」


「.......」


 よくはない。


「まったく.......。葉月、この子があんたの師匠になりたがったのはね、あんたのになろうとしたんだよ」


「後ろ盾?」


「そうだ。プロの術者としてやっていくには、後ろ盾がないと大変なんだ。この世界はまだ、家柄だとか血統だとかががうるさくてね。全くのフリーの術者で成功する奴もいるにはいるが、ほとんどが何処かの家の門下に入っている」


 フリーの術者は何かと大変だ。もし本気で術者として出世したいなら、何かそれなりの後ろ盾があった方がいい。


「なら、私も何処かの門下になった方がいいの?」


「いや、葉月のように大きくなってから能力者になった人が門下に入っても、大変な事が多い。そもそも特殊な例だし、どこも大きな家だからしがらみも多い……他の門下生も沢山いるんだ。特に葉月みたいに一般の出で、まだ何も知らない子がいきなり入るのは大変だろう。だから和臣は、葉月が自由にやっていけるような後ろ盾を用意してやろうと思ったんだろ?」


「.......いや、俺は七つのボールを集めて自分の願いを叶えようと」


「おばあちゃん、七条くんが後ろ盾ってどういうこと?」


 せめて突っ込んでくれ。


「七条はね、有名なんだよ」


「有名?」


「そうだ。昔から、本当に昔から、能力者こっちの世界で力を持っている家があったんだ。その家たちに、昔の権力者が10個の大きな霊山を管理させた。それが一条から九条まである9つの家と、れいの家」


「じゃあ、七条くんの家って.......」


「日本の能力者の家では、10本の指に入る名家だ」


「知らなかったわ.......」


 俺もあんまり知りたくなかった。堅苦しいよ。自分の家だけど。


「和臣が隠してたからね」


「.......別に、隠してないし」


「和臣はその七条の息子。この世界じゃこれ以上ない生まれだ。でも、この子は少し前に突然能力者としての生活を辞めた。七条の表の家業も継ぐ気がないようだし、総能からの仕事もまったくやらない。七条本家の中で、1番から遠いのが今のこの子だ」


 まさにダメ息子。改めて自分のダメさを一つ一つ挙げられるともはや感動する。逆に凄いことにすら思えてくる。


「……だから、わざわざ私の師匠になってくれたのね」


「この子はバカだし人に教えるなんて出来やしない。それでも、本物の七条の弟子と言うだけで、能力者の中では箔が付く。葉月が本当に術者としてやっていくなら、このままこの子の弟子でいた方がいい」


「.......七条くん、私何も知らなかったわ。散々失礼な事を言って、ごめんなさい」


 ペコリと頭を下げられる。


「いや、俺、実際何も教えてないし.......」


 ただ情けない姿を見せただけだ。やめて謝らないで俺が惨め。


「でも、一体なんでこんな大事なことを隠していたのよ。七条くんのお家がそんなに有名だったなんて」


「.......俺、自分の家嫌いなんだよね」


 頬杖をついて、机の上にあった婆さんが書いた書道のお手本をぱらぱらとめくった。


「え?」


「家業とかめんどくさいし、家が有名だって言っても面倒が増えるだけだし。それに俺は次男だからな。色々ビミョーなんだよ。まあそれで変な気遣われるのも嫌いなんだけど」


「そう、だったの.......。ごめんなさい、私、本当に失礼だったわ」


 珍しく落ち込んだ様子の水瀬に、婆さんが優しく言った。


「気にしないでいいんだよ。元はと言えばこの子が言わなかったのがいけないんだ」


「でも.......」


「俺は変な気遣われる方が嫌だ。水瀬は今まで通りにしてくれ。まあ、術は婆ちゃんが見てくれるから、俺の出る幕はないけど」


 本当にお飾りだな俺。


「ああ、和臣。その事だけど。次の三連休で、あっちの支部に行って葉月と免許を取っておいで」


「次の連休? なんで?」


 予定はないが、なかなかに急だ。


「葉月の実力ならもう充分普通の免許が取れる。それに、あんただ」


「俺?」


「あんたの免許はそろそろ切れるだろ?」


 免許が切れる。そうか、切れるのか。


「え? 待ってくれ、免許の期限って何年?」


「6年だよ。今年の夏には切れるだろ?」


「やばい、忘れてた.......」


 ついこの前まで更新する気が全くなかったので、今更気がついた。まずい、このままでは水瀬の後見人欄がまた白紙になる。


「ちょうどいいから葉月連れて更新に行ってきな。葉月も、夏には免許を取っといた方がいいだろ?」


「わかった。水瀬、今度の連休免許取りに行くぞ」


「それは嬉しいのだけど、免許ってそんなにすぐ取れるものなの?」


「俺のはさすがに3日じゃ取れないけど、水瀬が取ろうとしてる普通の免許なら2日で取れる」


 普通の免許は使用が許可されている術が少ないからかすぐ取れる。確か試験は実技メインだった気がする。


「当日は何か準備が必要かしら?」


「和臣はともかく、葉月は何も持っていかなくていいよ。ああ、札ぐらいは持っていったほうがいいね。特技欄に書かれるかもしれないから」


「わかったわ」


 水瀬は表情を変えなかったものの、声だけは少し張り切ったように弾んでいた。

 婆さんが急にくるりと俺を振り返って。


「和臣、あんたがきちんと準備するんだよ! めんどくさがらずにきちんと道具も持っていくんだ、いいね?」


「はーい」


「心配だねえ.......」


「大丈夫だって、適当にぱーっとやってくるよ」


 ぱーっとね。


「.......頼むから、問題だけは起こさないでおくれ.......」


「任せとけって」


「おばあちゃん、私がしっかり見ておくわ」


「頼んだよ.......」


 疲れたような表情をした婆さんは「暗くなる前に帰りなよ」と言ってから部屋を出ていった。

 特にやる事もないので帰ろうとした時。


「ねえ」


「ん? なんだ?」


「私のこと、水瀬って呼ばないで」


 水瀬が、無表情のままじっと俺を見つめて言った。


「え? 急に? ……なんだ、いじめか? 俺はいじめには堂々と立ち向かうぞ」


「違うわよ。葉月って呼んで」


「へ?」


 いきなり、何を。


「で、弟子なんだから、名前で呼んだっていいでしょ! その代わり、私も和臣くんって呼ぶわ!」


「えーっと?」


 何が起きているのか。あまりにも急なことに頭が全くついて行かない。

 水瀬が、無表情の顔の中で、ちょっとだけ口を曲げた。


「なによ、ダメなの?」


「ダメではないけど.......急に?」


「だっ、だって! 和臣くんがお家のことが嫌いって言うから!」


 水瀬が斜め下を向きながら、怒ったように言った。


「.......もしかして水瀬、俺が七条って呼ばれるのを嫌がってるって思ったのか」


「〜〜! そうよ!」


 両耳が赤くなった水瀬が、ぎっと俺を睨みつけながら言った。その意味を、理解するのに少しだけ時間がかかった。


「ぷ。ふ、ふは、あはははは!」


「な、なによ! だって、あなたのお友達もみんな和臣って呼ぶじゃない!」


「あはは、ひぃー、おもしろ、ふふ。だから、俺が「七条」って呼ばれたくないって? はは! 皆が俺を和臣って言うのはな、「しちじょう」って、言いづらいからだ! ひひ」


「え?」


「しちって、言いづらいだろ? ふふ」


 みんな噛むから俺のことを名前で呼ぶのだ。田中など七条、とまともに発音できた試しはない。


「そ、そんな理由なの?」


 水瀬の整った瞳がぱちくりと瞬く。面白い、実はものすごく面白いぞこの人。


「そ、そう、あは、ははは! まあ、昔は色々思ったりしたけど。ふふ。さすがにもう何も思わないよ、ひぃ」


「なによ、そんなに笑って。どうせ私はバカよ」


「ははは! いや、ありがとう。葉月!」


「.......なによ、ニヤニヤしちゃって」


「だってな、葉月が良い奴だから」


「.......変な気、遣っちゃったのに?」


 葉月が上目遣いで、じろりと睨んでくる。それすらもおかしくてたまらなかった。


「だって、気の遣い方不器用過ぎるだろ。はは、葉月って可愛いな!」


「なっ!!」


 びく、と葉月の動きが一瞬止まる。そして、また動き出した。


「な、何言ってるのよ! バカでしょ、おバカなんでしょ!」


「あはははは!」


「〜〜!!」


 葉月は真っ赤な耳のまま、ばしんっと俺の背中を叩いた。

 めちゃくちゃ痛かったが、笑いは止まらなかった。


「葉月」


「.......なによ」


「俺、葉月のことは葉月って呼ぶから、その代わり葉月は俺のこと和臣って呼んでよ」


「バカにして!」


「してないよ、ははは!ほら、呼んでみてくれよ!」


「ばかずおみ」


「俺の名前は和臣だ、ひひ」


「和臣くん!」


「和臣、でいいよ」


「.......和臣」


「あははは! 本当に面白いな!」


 婆さんの家から出たのは、もう日が沈みかけた時だった。

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