第10話 暗記
「もしかして.......天才?」
水瀬が合わせていた両手を下ろすと、足元からの突風もおさまる。
「七条くん、どうかしら?」
どうもこうも。
「水瀬、実は経験者だったりする?」
「そんなわけないでしょ、今のがはじめてよ。それより、どうだったの?」
「才能あるとは思ってたけど、こっちも凄いな.......」
恐らく水瀬は、力の流し方が上手いのだ。
それも異常なレベルで。
今まで術を知らなかったとは考えられないほどに。
「水瀬、ちょっとまっててくれ」
急いで自分の部屋から、術の教科書を持ってくる。
これは総能が出している初心者用の教科書だ。
恐らく水瀬は、この本にのっている術ならすぐに使える。初めて術を使う上での最大の難関、霊力の扱いが初めから熟練者レベルだからだ。
早速師匠の必要性が失われ始めた。
「水瀬、これ読んでみてくれ。多分もう使えるから」
水瀬は、無表情のままぱらぱらと教科書のページをめくって。
「【
よりによってこの教科書の中で1番難易度の高い術を選んだ。
ばちんっ、と音がして、額に軽い衝撃。
「いたい.......。水瀬、よく読め。これは人に向けて使ってはいけませんって書いてあるだろ」
「あら、師匠よ?」
「師匠も人ですけど.......?」
もしかして師匠には人権無かったりしますか。
「じゃあ、七条くんだからよ」
「七条くんも人間ですよ.......」
術より痛い。心が。
「でも、本当に使えたわ。これで妖怪退治も捗るわね」
「いやいや、こんなもんじゃ雑魚しか倒せないぞ。それに、普通の免許も取れない」
「なによ、結局おだてただけなの?」
「何言ってるんだ、これはすごいぞ。初めてでここまでできるなんて本物だ。この調子なら夏には免許が取れる.......これは本当にすごいぞ!」
「なによ、急に嬉しそうにして.......七条くんのくせに.......」
最後の一言が気になるが、水瀬の才能は本物だ。
俺も師匠として興奮が抑えられない。本当にすごい。
水瀬は、将来絶対に良い術者になる。
「とりあえずその本全部覚えるぞ。そしたらもう少し難しい術にいこう」
「わかったわ!」
水瀬もやる気のようだ。よし、この感じはまさに師匠と弟子感が出て素晴らしい。雰囲気も完璧だ。
「じゃあ、とりあえず1回全部使ってみてくれ」
「七条くんへ向けて?」
「なぜ.......?」
なぜ七条くんに。もしかして嫌いか、俺のこと嫌いなのか。
「目標があった方が気持ちが入るの」
「それは目標なのか.......?」
「標的とも言うわね」
心は傷ついたが、水瀬の言うことも分からなくもない。
「仕方ないな……【
ポケットに入れていた紙の札を使って式神を出す。式神とは、簡単にいえば動力源からボディ、行動プログラムまで、全てが術者による完全自作のしもべ、つまり自作のお手伝いロボットだ。
今回の式神のデザインは人型で、俺よりチビでデブでブサイク。
「じゃあコイツに向かって術を使ってみてくれ」
「かわいそうよ.......」
水瀬はさっと目線を外し、手を胸の前に引っ込めた。無表情なのに本当に悲しそうな目をしている。
「なんでだよ。コイツは式神、いわば術で作った置物だ。今回は動く指示も出してない。ただ霊力を持って立ってるだけだぞ」
「このデザインにするあなたの考えが全て丸見えなことよ.......かわいそうだわ」
「かわいそうって俺がかよ.......」
目から熱い汗が出た。
「でも、まあいいわ。さっそくやってみるわね」
ぱっといつも通りに戻った水瀬は、教科書の術を順番に式神にかけ始めた。
最後の1つをかけたところで、式神がぼんっと消える。
「おお、全部一発か! 流石だな!」
「ねえ、今の子、消えちゃったけど」
「元々そういう風に出したんだから平気」
割るために買った皿みたいなものだ。消えたのはただ役目を終えたからというだけの話。
「そう。ねえ、私も人を出せるようになるかしら?」
「人体錬成は禁忌だぞ」
「いいから早く教えなさいよ」
不穏な空気に、ビシッと敬礼して答えた。
「はい! あの、今のは人ではなく式神と言ってですね。簡単な物ならすぐに使えると思います。それでも、人型の式神は少し難しくてですね、何せでかいので……難易度は準上級ぐらいでして。ああ、でも水瀬さんならすぐに修得できると思いますよ」
最後は手を揉みながら、下卑た笑いを浮かべ言い切った。
「急に下手に出はじめたわね」
「ええ、あっしは水瀬さんの師匠でやんすからねぇ。きひひ」
「もはや誰なのよ.......」
師匠でやんす。
「まあ、今のところ最優先なのはその教科書の術を覚えることだ。言葉の意味を覚えて、本を見なくても完璧にできるようにする。ここにのっている術は全ての基本だ。これを完璧にするのが一番大事なんだよ」
「覚えるって、この本全部?」
「そうだ。それが曖昧だと難しい術も全部ガタガタになる。その本一言一句全て暗記しろ。でも暗記するだけじゃなく、全て理解して自分のものにするんだ」
「わかったわ」
大変だが、基礎ほど大事なことは無い。どんなに凄い術者も、基礎はしっかりしているものだ。
「じゃあ、後はできるだけ早く覚えてきてくれ。覚えたら一応確認するからな」
「わかったわ、夜までには覚えるておくわね」
「そうか、夜までに.......え?」
「さっそく覚えてくるから、部屋を借りるわね」
「それはいいんだけど.......本気?」
この教科書は一体何ページあるとお思いですか?
「本気よ」
水瀬は何ともないようにそう言った。
そして水瀬は、本当に夜には教科書の全ての術、24個を覚えてきた。
「天才じゃん.......」
机に額をつけながら、世の中の脳みそ格差について考えていた。
「それはさっきも聞いたわ」
「めっちゃ頭いいじゃん.......」
「そうかしら。でも、勉強で困ったことはないわね」
「もしかして、実はもうひとつなぎの大秘宝の在処知ってる? 君が海賊王だよね?」
「さっきから何を言ってるのよ」
水瀬は海に浮かぶゴミを見る目で俺を見る。
「……じゃあ、次はもう少し難しい術をやるか」
気を取り直した俺は、『すぐにできる!一般中級術〜あなたもこれで免許が取れる!〜』(2018年第6版、全国総能力者連合協会公認) を水瀬に渡す。
「これを覚えれば普通の免許は取れるぞ」
「何よこの本、表紙が芸能人じゃない。本物なの?」
「ああ、天才術者アイドルゆかりんだ。この子は総能の公式宣伝部長として活動してる」
「この人、この間は大食いアイドルとしてテレビに出てたわよ」
「さすがゆかりん。術者とアイドルの2足のわらじを履きこなしてるな」
「.......」
水瀬は、また無表情でじっと手元の本を見ていた。
「七条くん、これあなたが買ったの?」
「? ああ、中級の本で1番わかりやすいし」
本当はゆかりんが表紙だったから必要もないのに買った。ファンです。
「そう.......」
「あ、もしかして水瀬もアイドルに興味があるのか? 水瀬ならいけるって。ゆかりんはカワイイ系だからキャラも被らないし、水瀬も天才術者アイドルとして活動してみたら? あ、その前に免許取らなきゃだった」
「おバカなんじゃないの?」
水瀬の目から何か出たと思う。
俺の心を切り裂いた何かが。
「じゃあ、この本も覚えてくるわね」
「ああ.......。でも中級になると、覚えただけじゃ使えないものもあって、それは俺が教えるから……」
「わかったわ。ねえ、明日から学校だけど、どうするの?」
「どうするって、普通に学校行くだろ」
俺達は真面目な学生だ。遊ぶのは放課後からだろう。
「いつ術を教えてくれるのよ」
「.......次の土日?」
「明日の放課後ね。お婆ちゃんの所に来るように言われてるから、七条くんも来てちょうだい」
「あれ、急な電波障害だな。水瀬に俺の言葉が通じない」
ハローハロー聞こえてますか。コミュニケーションが不全なんですが。
「じゃあ、明日の放課後ね。今日も泊めてもらえるかしら?」
「泊まるのは問題ないけど……俺の予定は?」
「まさかとは思うけど、何か予定があるの?」
「ないけど.......」
暇だ。ただ、俺はその暇を愛している。
「なによ、ならいいじゃない」
そうして俺は、愛する暇を失った。
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