第8話 帰宅

 夜の坂道で、俺が水瀬の師匠になった後。

 家の玄関には、まさに鬼の形相をした姉と妹が待っていた。


「あ、た、ただいまー」


「ただいまじゃないっ!」


 怒鳴った姉は途端に冷め切った表情で腕を組んで、俺を睨みつける。


「和臣、あんた1回そこに座りな」


「え? でも、ここ、玄関……」


「和兄、座って」


「はい」


 妹にまで冷たく言われたので、大人しく玄関に座る。

 もちろん正座だ。


「あの、お邪魔します」


「ああ、葉月ちゃん。いらっしゃい。お風呂湧いてるから、入っていいわよ。着替えは私のやつで我慢してね。お風呂の場所は明恵さんに聞いてもらえる?」


「はい、ありがとうございます」


 水瀬は明恵さんと奥へ行ってしまった。ただの1度も振り返ることなく。

 早々に弟子に見捨てられた。


「和臣、あんた自分が何したのかわかってるの?」


 頭上の姉に、冷たい声で問いかけられる。


「ええっと.......? じ、自分がしたことと言いますと……?」


「お姉ちゃん、和兄にわかるわけないじゃん」


 今のはとても堪えた。妹は完全に姉の味方だ。ちなみにいつも通りである。


「あんた、なにも持たずに飛び出したんだって? それで、丸腰で土蜘蛛退治? 馬鹿なことしてんじゃないわよ」


 姉は腕を組んだまま俺を睨む。というか見下す。


「あんた、いったい何年術使ってないのよ。それが急に、土蜘蛛? はっ、笑わせないで」


 笑わせるつもりはなかったんです。


「しかも、怪我したんだって? 油断してんじゃないわよ。馬鹿も過ぎると笑えないね」


 笑ってくれないんですね。


「確かにあんたは強いわよ。でも、世の中そんなに甘くない。もっと考えて動きな」


 冷たく言い切った後、姉はこちらにべしっと何かを投げつけて自分の部屋に帰っていった。

 傷心の中、立ち上がろうとすると。


「和兄、私も話があるんだけど」


 妹も腕を組んで俺を見下していた。

 姉より迫力はないが、心の痛みは大きい。6つも下の妹なのに。


「和兄、腕、痛かった?」


「いや、そこまででもなかったです」


「あっそ。それ、静香お姉ちゃんが作ったお札。痛み止めだって」


 さっき姉に投げつけられたのは、布でできた札だった。


「静香お姉ちゃん、お家に帰ってきてからずっと怒ってたよ。お父さんは明日には帰るって」


「そうか」


「それから、」


「はい」


 真面目に返事をしたら、妹の目が釣り上がった。

 こういう顔は本当に姉に似ていると思う。


「遅い! はやく帰るって言った!」


 よく見ると妹は唇を噛んで、涙が零れないよう必死に我慢していた。


「ごめん。怖かったか?」


「全然! お姉ちゃん帰ってきたし!」


 立ち上がって、熱い妹の頭を撫でた。


「待っててくれてありがとう。清香はもうお姉さんになったんだな」


「.......まだ立っていいって言ってないし」


 清香が下を向くと、ぱたぱたと雫が落ちた。

 それを見なかったことにして。


「清香、もう寝よう。俺も風呂入って寝るから」


「……」


 鼻を啜った妹は、ぐっと上を向いて。


「明日、朝眠かったら和兄のせいだからねっ!」


 だっと走って行ってしまった。

 居間に行ってみると、風呂から出た水瀬と明恵さんだけがいた。


「和臣くん、はやくお風呂入っちゃおうね。お洋服は洗濯かごに入れておいてね」


「うん。明恵さん、あとは俺がやっとくから、もう休んでいいよ」


「あらぁ、急にかっこよくなっちゃって。そうよね、おばさん邪魔よね。それでも、今日はもう遅いから早く寝てね」


 明らかに何か勘違いしている明恵さんは、ニコニコ笑ってさっさと部屋を出て行ってしまった。あとでどうやって説明しよう。


「はぁ……水瀬、俺風呂入ってくるから」


「ええ」


「今日はもう寝るか?」


「いいえ、少し説明をして欲しいの」


 水瀬はやっぱり無表情でそう言った。もう、あの坂道での笑顔の名残は微塵もない。表情筋硬めなのかな。


「ん。じゃあ、少し待っててくれ」


 急いでシャワーを浴びる。

 湯船には浸からず急いで体をふいて、姉から貰った札を腕に巻き、服を着た。


「悪い、水瀬。待たせたか?」


「早すぎないかしら? もっとゆっくり入ってもいいのに」


「それは平気。じゃあ、説明しようか」


 どさ、と水瀬の目の前に腰を下ろした。


「じゃあ、まず1つ、聞いてもいいかしら。今日会った妖怪、あれは何なの?」


「うん。あれは土蜘蛛っていう妖怪で、結構強い部類に入る。総能が付けてる危険度はBで、一般的な術者5人での対処を推奨してる」


 ちなみに俺との相性も悪かった。もう会いたくない。


「そ、そんなに強かったの?じゃあ、あなたは.......。いえ、これは後で聞くわ。その前に、あの妖怪は私が今まで見たことがないぐらい恐ろしかった。それに、人の言葉を話していたわ。そんな妖怪、初めて見た」


「そりゃあそうだろうな。土蜘蛛なんてそうそう会わないし、出たらすぐに退治されてる。今回は運が悪かったんだ」


 本当に災難だった、トラウマ級だろう。それでも真剣に俺に質問してくる水瀬は、やはり心が強いのだろう。


「あと、土蜘蛛が喋ってた理由か。妖怪はな、妖怪としての位が上がると、人間の言葉を使う奴らが出てくるんだ。位が上がったヤツらは、俺たちとの境界に近づけるんだよ。こっち側に近くなってるんだ」


 これは、人間にも言えることだが。


「難しい話ね。でも、改めて、そんな相手から助けてくれてありがとう、七条くん。あと、最後にあのお兄さんが言っていた免許って、何かしら?」


「あれ、言ってなかったっけ? 免許は術者に……術とか札を使って妖怪退治をする人達に、個人での術や能力の使用を許可するものだ。まあ、制限はあるんだけど。あ、一応国家資格だよ」


 と言っても見せる機会などほぼない。身分証としても使えるらしいが、一般人相手には使えないなど大変面倒なので1度も使ったことは無い。学生証で十分だ。


「私、免許持ってないわ。でも、今日札を使ってしまったのだけど」


「ああ、それは大丈夫。俺が見てたから」


 自分の顔を指差す。


「どういうことなの?」


「普通の免許は、免許を持ってる人自身の術使用しか許可していないんだけど、俺が持っているのは特免とくめんって言って、普通のより使用が許可されてる術と能力の上限がかなり広いんだ。あと、監督する他人の能力使用についての責任を持てる。つまり無免許の水瀬が札を使っても、俺が見ているなら大丈夫ってこと」


「すごいわね」


「まあ。それに、俺は一応水瀬の師匠だしな!」


 ドヤ顔で腕組みしてみた。びっくりするぐらい、水瀬はこちらを見なかった。


「七条くん、あなたもしかしてとても強いの?」


「あーー。それは、うーーん」


 何も乗っていない机の上に目線を移した。意味もなく頭をかく。


「さっきからなんではぐらかすのよ。アレを倒した時点で強いのはわかってるわ」


「いや、そのー」


 少し伸びた自分の爪を見る。どうにかしてそこをふわっとしたまま先に進めないだろうか。


「私、自分の師匠の実力ぐらい知っておきたいわ」


 師匠、の言葉が心に刺さる。こちらはお願いして師匠にさせてもらった身。負い目があるどころか全身眼球に近い。


「そうだよな、うん。水瀬の言うことはわかるんだけど.......」


「なら、教えてちょうだい」


「……うん」


 目を閉じ1度、大きく深呼吸をして。



 覚悟を、決めた。




「俺、天才だったんだよね」


 空気が凍った。

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