第2話 役所
「行こうか、役所」
鞄を持ち立ち上がれば、水瀬はすっかり無表情に戻った。
「七条くん、役所ってどう言うことかしら? 私の頭がおかしいと思っているのなら、病院に連れて行くべきよ」
「水瀬は病院に連れて行かれてもいいのか? ……そうじゃなくて、今までなんの手続きもしてないみたいだから、一度役所に行って手続きしよう」
「手続き?」
水瀬がこてんと小さな頭を傾げる。まさかとは思ったが、本当に何も知らないようだ。
「たとえば初回の書類提出とか……水瀬が視えてるモノとかの説明もしてくれると思うぞ」
「それって、」
「役所って5時までだっけ? 急がないと間に合わないかも」
時間を確認しながら、バスの時刻表を見返す。この田舎でバスに乗り遅れてしまえば後はない。
「……わかったわ。聞きたいことは後にするから、行きましょう」
役所についたのは4時半。平日にも関わらず、かなり混み合っている。
受付窓口の横に置いてあった用紙を取り、空いている椅子に腰掛けた。隣に座った水瀬に用紙を渡す。
「これ記入して。あ、ペンある?」
「持ってるわ」
水瀬がさらさらと必要事項を記入していく。そのペンが、ピタリと止まった。
「……ねえ。この用紙、いつから妖怪や霊が見えますか、とか、家族に能力者はいますか、なんて書いてあるのだけど」
「うん、よくわからなかったら大体でいいと思うよ」
「そうじゃなくて、なんで普通の市役所にこんな用紙があるのよ。いたずらにしては手がこみすぎてるわ」
「どこの役所にもあるけど」
ピクリと美しい形の眉が動いた。
「嘘でしょう? 妖怪ってそんなにポピュラーなものだったかしら?」
「視える人は少数派だと思うけど。視えることも隠すし」
それが、水瀬が今まで俺以外の視える人と出会わなかった理由だろう。それにしたって、この歳まで放置されているのはかなり特殊なケースだと思う。
「じゃあなんでこんなところにこんな書類が堂々と置いてあるのよ!」
「うーん……一定数は水瀬みたいに普通の家から視える人が出るから、一般の役所が窓口をしてるんだ。能力者の管理をしてるのは別の組織だけど、わかりやすいよう役所にも書類を置いてるんだよ。まあ、水瀬は今まで役所とか来なかったみたいだから、あんまり意味なかったのかもな」
「来たわよ。一人暮らしだもの。最近も、来たのに……」
水瀬が手元の用紙へと目線を落とす。ふるふると、長いまつ毛が震えていた。
「へえ。じゃあ注意力ないんだ」
「なんですって?」
「い、いや。だって一般人はともかく、能力者には見えやすいように置いてあるし……で、でも水瀬が見逃したんだったら置き方が悪かったのかも?」
いきなりギロリと水瀬の大きな目玉がこちらを見て、慌てて弁解する。水瀬はふいと書類に視線を戻した。
「どうせ、私は注意力が足りないマヌケよ。……ねえ、この後見人の欄はなに?」
「あっ。まずい、忘れてた。ちょっと待ってて」
慌てて外に出て電話をかけた。
焦ったいコールの後。
「あ。もしもし兄貴? あのさ、JKの後見人やんない? めっちゃかわいいよ」
「……和臣、俺この時間寝てんの。知ってるだろ」
少し掠れた、実の兄の声。まるで寝起きのように覇気がない。どうしたんだ、悪質な睡眠妨害にでもあったか。
「もう役所閉まっちゃうからさ、頼むよ兄貴」
役所の時計が示すのは、4時48分。
「はあ、反省してくれ……。で、なんだって? 後見人? どこの誰の?」
「俺のクラスメイト。めっちゃかわいいぞ」
「さっきから可愛いのはよくわかったが、とにかく一度会ってみないことにはな。あと、俺が後見人になるってことはウチの門下に入ることになるぞ。その子が元々どこの子かは知らないが、ウチに入ってもいいんだな?」
めんどくさ。サクッとやってくれないのか。
「難しいことは置いといて、名前だけ貸してよ」
「無理だ。大体、名前だけならお前がやればいいだろ? 免許はまだ持ってるんだから」
「えーー」
当てが外れた。また役所の中の時計を覗いたところで。
「もう寝直したいから切るぞ。それから、そういう大事なことはちゃんと父さんにも相談しろ。お前は全部急すぎだ」
ブツっと電話が切れた。時間を確認すると4時50分。
仕方がない。本当に本当に不本意だが、俺の名前だけ貸すか。他に頼まれてくれそうな人もいないし。
中に戻れば、水瀬は書類の残りの記入は全て済ませていた。すっと背筋を伸ばして、まっすぐ前を向いて待合所のベンチに座っている。それだけで、何か他の人とは違う空気を纏っているように見えた。
「水瀬。後見人の欄は、俺の名前書いといて」
「え?」
「名前貸すだけだから、特に何もしないけど。ほら、時間ないから早く」
時計の針がどんどん動いていく。ここまで来て間に合わないなど、また後日こんな面倒なことに付き合うなど、本当にごめんだった。役所の待ち時間ほど意味を見出せないものはない。
「わ、わかったわよ……」
水瀬がペンを握り、スラスラと美しい字で俺の名前が書かれていく。
女子に名前を覚えられていたのはちょっと嬉しいが、視える人間は俺の恋愛対象外だ。残念。
「よし、窓口いくぞ」
1番端、他より少しほの暗いそこは、不思議と周りに人がいなかった。
「七条くん、この窓口やってるの? 誰も並んでいないじゃない」
「ああ、これは軽い人払いの術で……能力者には見えやすくて、普通の人にはなんだか行きにくい感じを出してる。と言うか、水瀬って本当に能力者? こんな簡単な術に引っかかるの、一般人ぐらいだぞ?」
夜の公園で見た身のこなしの割に、なんだか鈍すぎる。
「……私だって、わからないわよ。でも、ずっと変なものは見えるし、それが、……人を襲ってるのだって、」
水瀬が少し下を向いて、絞り出すように話したのを聞いて、冷水を浴びたような気分になった。
「悪い。本当にごめん。よくわからないまま、見えてるのが自分だけだって思ってたら不安だよな。ごめん、馬鹿にしたつもりじゃないんだ」
「……気にしてないわ」
窓口の椅子に座ると、目の前には後頭部の防御力が心ともないおじさんがいた。そのおじさんに記入した書類を提出する。
「すみません、こっちの子、新規なんですけど」
「ああ、はい。新規ということは、一般の家から?」
「はい」
おじさんは提出した書類をジロジロ見て、顎を揉みながら感心した様に口を開いた。
「へえ、この年まで気づかなかったの。本当に?」
「はい、今までずっと1人だと思っていたそうで」
「ああ、そりゃ大変でしたねえ。じゃあ、ちょっと確認してきますから」
おじさんが奥に引っ込む。役所はここからが長い。暇つぶしに机の上に貼られたやけにポップな薬物防止ポスターを見ていると。
「ねえ、七条くん。あの人普通にあの書類の話をしていたけど」
「うん、あの人も能力者なんじゃないか?」
「さっきから思っていたのだけど。「能力者」って、なに?」
「そこからかーー」
思わず天を仰ぎ顔を覆った。
そうだ、水瀬はずっと一人で、誰も教えてやる人がいなかったのだ。
役所に頼めば説明してくれるだろうが、先程の失言のお詫びも兼ねて俺が説明しようと思う。
人差し指を立てて、自分史上最高に真面目な顔を作った。
「いいか、能力者って言うのはな」
「はーい、確認できましたよ。これ登録カード。無くさないでくださいよ、再発行は面倒なんでね。それから、説明希望との事だったんですけど、今日はもう役所閉まっちゃうんですよね。後日いらっしゃいます?」
テカテカと光るカードを持って出てきた後頭部も発光しているおじさん。おじさんは腕時計を確認してから、チラッと俺を見た。
「いえ、こっちで説明しておくんで」
「そうですか。では、ほかに何かあれば
役所を出ても、水瀬はじっと真新しいカードを見ていた。
「水瀬、そのカード結構大事だから無くさない方がいいよ。あと、これから暇だったら俺の家来る? 多分今日父さんいるから」
「ちょ、ちょっと。話が急すぎてついていけないわ。い、いきなりお家だなんて」
「大事なこととか説明するから」
主に父が。
「ねえ、さっきから七条くんはやけに能力? とかに詳しいようだけど、どうしてなの?」
「ああ、俺? 俺はちょっと……特殊な家に生まれた感じかな。生まれた時から能力者……妖怪だとかが視える人ってわかってたというか……、まあ、それも話すから。で、家くる?」
「行くわ」
「ウチ結構遠いからバス乗るよ」
無表情の水瀬は、何か覚悟を決めたように口を引き結んだ。なんの覚悟だろうか。
そのまま2人で黙ってバスに乗って、黙ってバスを降りて家まで歩いた。今までなんの接点もなかったクラスの美少女と、楽しく会話など続くはずがなかった。気まずい。誰か女子との会話を教えてくれ。
結局沈黙のまま家に着くと、水瀬が少し首を上に傾けて、ボソッと呟いた。
「……お屋敷?」
「ちょっと古いだけだって」
「七条」の表札の掛かった門をくぐって、外で立ち尽くす水瀬を招く。
「どうぞ、いらっしゃい」
「お、お邪魔します」
とりあえず、女子を連れてきたなど姉と妹だけには見つからないようにしなければ。
古く軋む廊下の足音に気をつけながら、客間へ向かった。
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