第8話 この人はわかりやすい
俺の友人……いや、親友と言っても良いだろう棟里との付き合いは中二の時に同じクラスになった頃からの関係だ。その友人に、とてつもなく可愛い女性の知り合いがいたことを俺は今日の今まで知らなかった。
教室に戻れば、他の生徒はたぶんまだ色々な部活紹介を見て回っているのか、既に帰った人も多いのか、誰もいなかった。席に戻ってとりあえず帰る支度だけでもしよう。
どこかで軽く飯でも食って、高校周辺で遊べそうなところでもぶらぶらしようとさっき棟里と話していたのでスマホを取り出す。トイレに行ってくると言った棟里を見送って、この辺りのことを検索していると、教室のドアが微かに開き、ひょっこりと顔が飛び出した。
美女……もとい花谷部長だ。次の瞬間、俺と目が合うと固まったようにぴしりと停止した。何か入部届けに不備でもあったのかもしれない。それか、棟里に用があるんだろうか。少し緊張するものの、話しかけないのも逆に変な気がしてドアのほうへと向かう。
「どうしました? もしかして入部届けに不備とか……」
「ああ、いえ。すみません大丈夫ですよ。ただ、もし知ってたらお聞きしたいんですが、棟里くんはもう帰りましたか?」
目の前にいるのが本当に先ほどの花谷部長と同じ人なのか一瞬わからなくなってしまった。姿も声も同じなのに、氷のような眼差しと丁寧過ぎる言葉使いに思わず一歩後ずさってしまう。天真爛漫な感じの気さくで優しい人というイメージは崩れ、触れてはならない神聖な何かが溢れ出している。同じ部活に入ることができたし、WIREを交換したい、お付き合いしたいと軽口をノリで言ってみたものの、だんだんと、超人気のアイドルに対して『あぁ、可愛い。推したい、付き合いたい』とぼやいていることとまったく同じような感じなのではと思い始めてしまう。棟里繋がりで仲良くなれるのではとか、そのくらいの下心はあるものの、それ以上のビジョンが一切見えてこない。
「……いや、棟里は今トイレっすね」
瞬間、花が咲くように花谷部長の表情が笑顔で染まる。美しく、しかし鋭い氷の眼差しが溶け出す様に、息を呑む。可愛すぎて直視できない。
「そ、そうなんですね」
「たぶんもうちょっとで帰ってくると思うんすけど」
棟里、本当に知り合いなのか。本当にたかが知り合いなのか。問い詰めたい。そういえば入部届けを書くときに、お姉ちゃんが書いてあげようかなんて言っていた。弟みたいなものに思われてるんじゃないかと聞いたけど、お前のその予想は外れてるんじゃないかと。
「あ、よ、棟里くん!」
花谷部長が右を向いて声をあげる。帰ってきたのか。よかった。この人と二人きりなんて、嬉しいという気持ちを通り越して、ただひたすらに緊張してしまう。そして花谷部長、さっきも気になったけど、『よ』ってたぶん陽太の『よ』ですよね?
「どうしました部長?」
棟里が戻ってきて、花谷部長に声をかける。とりあえず用事みたいなものが終わったら棟里を質問攻めにしなければ、などと考えていると。
「──っ」
花谷部長が今度は言葉を失ったように立ち尽くす。少しわかった。この人の表情、わかりやすい。いや、正確に言うと棟里の前にいるこの人はわかりやすい。棟里の態度が他人行儀過ぎると感じたのは俺だけじゃないはずだ。
「いや、そうですね、そう呼ばれるのが自然ですね……」
急に元気をなくした花谷部長は、ぽつりとそう呟きながら肩を降ろす。傍目に見ていると、なんだかすごく可哀想に見えてくる。
「もしよかったら一緒に帰らないかなって思って」
「……あー、でも俺、城山と遊んで帰ろうかなって話してて」
花谷部長の表情が一瞬で暗くなる。一時間後には暗黒面に堕ちてしまいそうなほどに。同年代とは違って大人っぽいなぁなんて思ってたけど、今はおもちゃを取り上げられた子犬にしか見えない。きゅーんって鳴いてそうな。
おい、友情は大事だが、その返答ができるお前の無情さにはあきれたぞ。そうじゃないだろう!と棟里を睨むと、何かを察したのか口を開く。
「……だから、城山と一緒に三人で遊ぶ?」
違う、そうじゃない! 圧倒的に二人きりで帰る状況だろう!
「いいの!?」
待て、花谷部長もそれで良いのか……。百歩譲ってものすごく仲が良い友人関係なのかもしれない。でも、花谷部長が満面の笑みを浮かべて、その頬を紅潮させているのを見れば……。これ見たことある。少女漫画の恋愛のシーンでこういう奴見たことある。ほわんほわんしたトーンの幻覚が見える。
「うん、城山も良いだろ? ちょっと鞄取ってくる」
「うん、待ってるね!って、私鞄忘れてた! ちょっと待ってて! 先に帰らないでね。ここにいてね」
この必死さ、俺返事してないぞ。三人で……。
全力で走り去る花谷部長を見て思った。
「あの人走るんだな……」
「いや、どういう感想なんだそれ。それよりほら、これを機会にWIRE交換とかやっとけよ?」
ソ・レ・カ!
棟里は良い奴だ。俺のためを思って三人で、なんて提案をしてくれたのか。だが残念なことに、もう俺の情熱はゼロに近くなっている。決して冷めやすいわけじゃない。でも、無理だろう。
だってあの人、お前のこと好きだぞ。
と言って良いものか迷う。棟里を中学から見てきたが、誰々が好きだとかそういう色恋の話は聞いたことがない。あんな美女が知り合いにいたら他の女子は目に入らないかなどと思ってみるものの、別に部長のことを好きなようにも見えない。親しくてあんなに可愛い子が身近にいたら恋のひとつでもして付き合ってろよと思ってしまうのだが、実は部長にものすごく性格的に問題があるのかな……いや、それはなさそうだけど。
ひとまず女子がいたら牛丼屋はあんまり良くないよなとか、そんな感じで頭を別のことに使うことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます