第7話 美術部緊急会議


 私の名前は椎名由衣。今年から二年で、美術部に所属している。

 元々興味はなかった。けれど、入学式の時に見た美術部の先輩の絵から発せられる木漏れ日の柔らかさと居心地の良さに、自分もこういうことをしてみたいと思ってしまった。決して絵が上手だとか、そういう下地があるわけではなかったけど、先輩や同級生のおかげで黙々と創作に打ち込む楽しみみたいなものも出てきた。


 元々他人に興味があるほうではなかった。絵は素敵だったけど、それを描いた人が気になるなんて気持ちが自分にあることに気付いたのは、入部して半年程経ってからだった。


 花谷翠。一学年上の女子の先輩は、口数も少なくて、話す機会もあまりなかった。何より、近寄りがたい雰囲気があった。わからないことがあれば教えてくれるし、先回りして色々と手助けしてくれる気配りや配慮にはとても感謝しているし、素敵な人だなと何回も思った。けれども、その整いすぎた顔のせいか、綺麗な所作のせいか、言葉の端々に感じる純粋さのせいか、一番の理由は、あの柔らかな夏の木漏れ日の絵を描いた人が、花谷先輩だったことを知ったせいなのか。


 部活の後たまたま一緒に下校した時に、道端の小さな花を見つけて先輩はしゃがみこんだ。ただの雑草だと思っていた私に、タチツボスミレという花の名を教えてくれた。どんなに絵が上手になっても、私の目は世の中の美しさを捉えてはくれない。先輩の目に映っている世界は、きっと美しい。


 見えない壁は、気軽に話しかけたり雑談したりするような私の性格を消し去ってしまった。変にはしゃいで、花谷先輩の前で変に思われたらどうしようだとか、下世話な話で引かれたらどうしようだとか、友達や他の人の前では一切考えなかった心配事のせいで、彼女の前では演技をしてしまう。本当は違うのに、礼儀正しくしようだとか、おとなしくしようだとか、きっとそれは、彼女が見る素敵なものを、私も同じように覗いてみたいとか、そんな不相応なことを思ってしまったのが発端なのかもしれない。


 そんな風に思いながら時間は過ぎていき二年になった。花谷先輩が新しい部長になり、新入生獲得のための展示をして受付をしていた時に事件は起きた。


「……冷静で物静かで、迂闊には近寄れない美しさを醸し出す優しいあの部長――が、なんであんな子犬みたいにはしゃいでるの!? 可愛いんですけど! 棟里くんとどういう関係!? お姉ちゃんって何!? とりあえず峰咲先輩と小牧先輩と、あと、あと、部員全員に報告して緊急会議したいんだけど!」


 もう部長はいない。私はフルパワーで同級生で一緒に受付をしていた秋野くんに思っていたことをぶつける。


「椎名さん形容詞が多すぎ……ちょっと落ち着いて! 緊急会議って……部長がかわいそうじゃないか」

「顔赤くして窓の外を見るしかできない秋野くんは口答えしないで! ええ、部長が棟里くんの前でもじもじしてた姿が可愛すぎるのはわかるけど、だからこそ緊急会議しなきゃ!」

「……」


 私の目は世界の美しさを映し出してはくれないと思っていた。でも、私は今日尊いものを見た。きっと世界で一番尊いものを!


**********


「えー、では、第一回、うちの美術部部長がこんなに可愛いわけがない会議をはじめますーぱちぱちぱち」


 一体俺は何を聞かされているのだろうか。後輩で二年の椎名が、今後の美術部のための重要な話し合いをしたいからと言ってきた。俺たち三年は受験生だから、冬前にはもう部室に顔を出すことも少なくなるだろう。次の部長が誰になるかはまだわからないが、自発的に行動する椎名は次の部長に適しているかもしれないなどと思っていた矢先、彼女の口から瞬時には理解できない言葉が発せられた。


「椎名、一体何の会議なんだそれは」

「小牧副部長! よくぞ聞いてくれました! 今日の花谷部長の姿を見ていなかった方々にも説明は必要だと感じていますが、私と秋野くんは見てしまったのです。あられもない部長の姿を!」


 思わず秋野のほうを見れば、さっと目を逸らされる。いや、こいつは巻き込まれただけで、この茶番を共謀するような性格じゃないな。


「そういえば翠、今日かなり様子おかしかったわね…」


 峰咲が口を開く。峰咲は花谷部長と二年の時も同じクラスで、友人関係だ。彼女が様子がおかしかったと言うのなら、何かいつもとは違ったのだろう。しかし個人のことをこんな風に寄ってたかって話すというのは良いことではない気がする。


「峰咲先輩! そうですよね。様子がおかしかったのです。部長を表す言葉としてみなさまにおかれましてはどのようなことを思い浮かべますか? 花、可憐、冷静、おしとやか、大和撫子、慈愛、大人っぽくて、世俗にまみれず、触れれば消えてしまう雪のような儚さ。きっとみなさまにおかれましても、大方このようなイメージをお持ちのことでしょう」


 キリッとした表情で言うものの、その内容は何かがひどくおかしい。口調もいつものものとは違う。しかし、部長に対するイメージとして言わんとしたいことはわかる。周りを見れば、まぁ異論があるものなどいないといった様子だ。もちろん俺も大体そのイメージで、同じ部活の同級生として必要なコミュニケーションこそ取るものの、触れてはならないような儚さというのは特に同意してしまう。


「しかし! 今日私と秋野くんは見てしまったのです。花、可憐、子犬、うさぎ、とろけるチーズ、目の前の男子にべたべたして甘えたいのを必死に我慢しつつ、もし尻尾があったらぶんぶん振り回して飛んでいきそうな部長の姿を!」


 にわかには信じられない。整った顔立ちに、ふと見せる表情のない瞬間などは氷の彫刻を思い起こさせるような鋭さもある。そんな彼女が、し、尻尾ぶんぶんなど本当にあるのだろうか。


「へぇー、で、相手って誰なの?」

「峰咲先輩、リサーチは済んでおります。新入生の棟里陽太くんです!」

「でも、付き合ってるのかな。どっちなんだろうー…確かに今日、翠ってめちゃくちゃ機嫌良さそうというか浮かれてる感じで、いつもの冷静で大人びた感じじゃなくて、うん、子犬みたいにきゅんきゅんしてて、うさぎみたいにぴょんぴょんしそうな感じだったんだよね……。翠のこと知ってるクラスメイトの大体も、『一体何が!?』ってなってた気がする……」


 これ以上こんな話を聞いていてはいけない気がする。


「おいお前ら、そういう話は女子だけでやっとけ、とりあえず俺を巻き込むな」

「えぇ、副部長良いんですか? 最後の一年間となったこの時期に強力なライバルが…」

「馬鹿、俺はそういうのはねぇよ」


 一度も花谷翠に恋心を抱かなかったか?とと問われれば、それは嘘になる。が、それを言い出したなら俺たち三年の男子のほとんどが、一度は憧れ、恋心を抱いたやつばっかりだろう。同級生で勇気のあるやつが告白したって話を聞いたことも何回かある。しかしすべて撃沈されているわけで……高嶺の花っていうやつだ。夜空の星がいくら美しくても、それを手にいれようだなんて無理だと知って、いずれは諦めるものなのだ。


「いや……本当にそういうのないからな!」

「えぇ、そうなんですね……」


 半分まだ疑うような調子で椎名が答えるものの、この話題は諦めてくれたようだ。


「まぁ、付き合ってるにしても、付き合ってないにしても、棟里くんは今日この部に入部届けを出してくれました! 部活が楽しくなりそうですね!」


 春風や倉田は文化部らしくおとなしい性格で黙々と打ち込んでいるが、椎名はこういう部分で少しだけ減点だな、と勝手に次期部長候補のポイントから引き算することにした。


 

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