4301

平崎芥郎

4301

 「……」

 「うーん……分からないなぁ……」

 白い壁に白い床。それらには大理石のような光沢があり、二人の青年を微かに映し出している。彼らが見ている方向には、一つの灰色のダイヤル式の金庫があり、中央に紙が貼り付けられている。そこには乱雑な文字で『4301』と書かれている。反対方向には扉があるが少し錆びれている。

 「……洋太郎、なんで俺らこうなったんだ?」

 「…んな事言われても……俺ただ付いていっただけだし……お前の方が知ってんじゃね?」

 「うーん……さっぱり」

 「……ちょーだりぃ」

 気怠そうな目に少し伸びたスポーツ刈りの青年は、先程から欠伸が止まらない様子であった。青い長袖と長絝の体育着を着ており、左胸には白い刺繍ししゅうで『三好』と施されている。

 もう一方の青年も同じような格好をしており、左胸には『西山』と施されている。眉毛が隠れる程度の長さの髪に、黒い縁の眼鏡をしている。

 「正直さ……放課後だしいいけどさ……出たら出たで、怒られんのがだりぃかなって……あぁあ……センコー来て、帰れ帰れ言われるかもだし」

  「……なんか、ごめん」

 「あぁ……まぁ別に……とりあえず出る方法考えね?」

 

 

 事の発端は先刻せんこく約二時間前のことであった。

 西山明にしやまあきら三好洋太郎みよしようたろうは、その日いつも通りの昼休みを迎え、何気ない話をしていた。とはいえ、客観的に見た場合これは会話ではなく、西山の一方的な話に三好が相槌あいづちをしているような状況にしか見えない。

 この日、二人の在籍するクラスは 昼休み後に、体育の授業が控えていた。全員が体育着の姿に着替え、それぞれの昼休みを満喫していた。それは西山と三好も例外ではない。

 「それでさ、この数学の問題がどれだけ面白いかっていうと、どこまで適当に作られた数字が細かく分解されていくかを考えるのが面白いんだよ」

 「へぇ…」

 そのような会話をしていた時だった。西山の後頭部に、何かが刺さるような感覚が走る。

 「いて……ん?」

 西山は椅子の背もたれに手をかけ、下を見る。そのには一つの紙飛行機が落ちていた。ルーズリーフで作ったにしては、少し大きめな紙で折られており、右翼部には『西山君へ』と鉛筆で書かれている。

 「なんだこれ……」

 西山が手を伸ばし、それを拾い上げる。

 「んぁ?んだそれ……」

 「さぁ……俺へ、って書いてある」

 「マジ……ラブレターじゃね?」

 「俺にか?」

 「さぁ……わかんね」

 西山はおもむろに紙飛行機を開くと、そこには三行程度の文章が書かれていた。

 

 放課後、体育館倉庫に来てください。

 話したいことがあります。

 待ってます。 隣のクラスの田中より

 

 「お…ラブレターじゃん。しかも田中って、結構可愛いって言われてる奴じゃね?」

 「えぇ……俺、田中と話したことないんだけど……」

 「マジ?」 

 「うん……なんか怖いなこれ」

 「あぁあ……まぁとりあえず行ってみればいいじゃん?俺は寝るけど」

 「お前も来い」

 西山は三好の肩に手を置き、三好は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 「洋太郎、この前奢ったろ?」

 「えぇ……マジ?」

 こうして彼らは体育館倉庫へ向かうことになった。

 

 体育の授業を終え、帰りのホームルームが終わる。生徒達は制服に着替え、帰る準備を整えている。

 「洋太郎、行くぞ」

 「え……あぁ……そういやあったな……だりぃ」

 「まぁまぁ、俺断るつもりだからすぐ終わるさ」

 「え……断んの?田中可愛いぜ?」

 「でもさ……急に告られても困るし、まぁ時間欲しいとか行ってすぐ終わらすよ」

 「あぁ……まぁそれなら」

 二人は体育着のまま、鞄を持ち教室を後にした。

 二人のクラスのある東館から少し離れた別館に体育館倉庫はあった。体育館と別館は隣接しているものの、東館とは隣接しておらず、一度外履きに履き替えなくてはならない。

 「あぁ……もうだるくなってきた……」

 「洋太郎、早いって」

 「もう全部繋げてくんねぇかな校舎。だりぃマジで」

 そんな愚痴を零しながらも三好は西山についていったのであった。

 

 体育館倉庫に辿り着く。外装は一か月前にあった工事により、白いペンキで壁が塗られ、非常に清潔感を感じる。

 「うーん……中にいるのかな……」

 「とりあえず、入ってみればいいんじゃん?」

 そう言うと、三好は体育館倉庫のドアノブを捻る。すると、ガチャと音を立てて押し出される。鍵は開いていた。

 「まぁ、そりゃそうだわな」

 「わざわざ鍵借りたの?田中さん……」

 「まぁ……人に見られんの怖かったんじゃね?」

 二人が中へ入る。

 内装は先程の見た目とは正反対の汚さであった。石でできたような壁と床は、どこか冷たさとザラつきを感じさせる。体育用具はほとんど手入れがされていないのか、砂や埃を被っていた。カラーコーンの乗っている台車やラインカーがそのせいか綺麗に見える。

 しかし、問題はそこではなかった。そこには西山を呼び出したはずの田中の姿がなかった。

 「あれ……田中いねぇんだけど」

 「ほんとだ……どうして……うっ」

 「ん?え……」

 三好が振り返ると、西山がうつ伏せで倒れていた。彼の足元には何か黒い影があり、三好はゆっくりと上を見ようとするが、その直後に鋭い痛みが頭を襲う。

 「っつ……」

 三好が意思と反して倒れる。少しずつ狭まる視界の中、微かに誰かの微笑むような声が聞こえた気がした。

 

 こうして二人は、あの白い部屋で目を覚ましたのである。勿論、後方にあったドアが開くはずもなく、こうして今に至る。

 「うーん……まだ頭痛い」

 「それな……あぁ……だりぃし痛ぇし、踏んだり蹴ったりじゃねぇか……で、なんかわかったか?」

 「そんな事言われても……俺も殴られてんだぜ?」

 「んな事言ったってよ、そもそもお前が行ったのが原因だろ?」

 「まぁそうだけどさ……うーん……ん?」

 ふと西山が金庫の裏を見ると、一枚の紙切れが落ちていた。手を伸ばし、指先を動かして引き寄せる。

 「ん?なんだそれ」

 「わからない……」

 紙の一部を破りとったもののようで、そこには鉛筆で『西山君の好きなものはなぁんだ?』と書かれていた。

 「……この字って」

 「あぁ……多分田中のだな。紙飛行機の奴とおんなじような文字してるし」

 「……俺の好きなこと?」

 「…………数学?」

 「まぁそうだな……意味深な数字も書いてあるし、そういう事だよな……」

 二人は熟考し始める。白い空間にはやがて、ピーーーという無音ならではの張り詰めた空気音が二人を包み込んだ。 

 「…………あ」

 「……ん?」

 「……昼休みさ、お前、俺に数学の話してなかった?」

 「うん……してた……」

 「……なんだっけ…………そなんとか」

 「素因数分解?」

 「それ。それでこれ出来んじゃね?お前ここ最近俺にずっとその話してたじゃん」

 言われるがままに、西山は目の前の金庫の『4301』を凝視する。

 「4301だと……11……17……23かな」

 「え……書かずにするとか……お前怖ぇな」

 「ただ割り算するだけだよ?」

 「いや……違う気がする……まぁとりあえず、それでやれよ…」

 西山がダイヤルを11、17、23と順番に回していくと、カチャッという微かな音が鳴った。

 「お?」

 「え……まさか空いたっぽい?」

 「多分……というか完全に開いた……」

 「え、こわ」

 「……洋太郎、開けてみる?」

 「いや、俺見てるわ」

 西山はゆっくりと金庫の扉を開ける。すると、金庫の隙間から勢いよく紙のような何かが一気に溢れ出した。それは全て、写真の束のようだった。

 「おぉ!?」

 「え、何、怖ぇ怖ぇ怖ぇ!」

 あまりにも突然の出来事に、二人はお互いを見つめ合い、沈黙した。

 「…………びっくりした」

 「……心臓に悪ぃな」

 「なんだこれ……………え?」

 「ん……?なんだ……………は?」

 西山が手に取った写真の一枚。それを見た瞬間、二人の身体は固まった。

 

 

 そこに写っていたのは、西山の姿であった。

 しかし、それには三好の姿もあり、二人が信号待ちをしている様子であった。

 「んだこれ……」

 「……まさか」

 西山は息を飲みながらも、一枚一枚手に取っていく。

 その写真全てに西山の姿があり、常に中央に西山の顔があった。更には、教室で話している様子や体育の授業で卓球をしている様子だけではなく、男子トイレで用を足している西山の姿や、西山が普段着で歩いている姿さえあった。

 「……」

 「……」

 二人はもはや声が出なかった。この写真を撮った人間が、昼休みに紙飛行機を投げ、放課後に呼び出し、この部屋に監禁したであろう、田中であることは間違いなかったからである。

 その時だった。

 

 「ずっと見てたんだよ?」

 「!!」

 それは二人が到底出すことが出来ない高さの声。背筋に電流が走るような恐怖が、部屋の張り詰めた空気に突き刺さり、二人はゆっくりと後ろを振り返る。

 そこに居たのは、長い睫毛まつげに黒く美しい頭髪。鼻は通っており、唇は少し赤い。二重の目は少し曲がった形で、こちらに微笑んでいる様子だ。

 そこには、二人が想定していた人物、張本人である田中がいた。

 「ず……………っと見てたんだよ?でも予想以上に西山君気づいてくれなくてさ……。あまりにも気づいてくれないから、紙飛行機投げちゃった。」

 「……どうして」

 「どうして?それは……好きだからだよ?だから、二人で話したくて呼んだのに……どうしてその男がいるの」

 田中は三好を鋭い眼光で一瞥する。しかし、三好も引けを取らない眼光で凝視している。彼は元々目付きが悪かっただけだが、田中はその目を見た瞬間、三好の頭部を殴る。

 「っつ……!」

 「洋太郎!」

 西山は動こうとするが、身体が思うように動かない。恐怖によって固まってしまっているようだった。

 「あんたがいるせいでさ!!話しかけられないのよ!しかも西山君が話してるのに机に突っ伏してさ!何……?西山君がそんなにつまんないの?馬鹿にしてるよねほんとさぁ!ムカつくのよ……いつも昼休み廊下から見てるとさ……いつもいつもいつもいつも相槌しかしないでつまらなそうに……!私はね……あんたなんかよりも一番西山君を知ってるの……!だから……消えて?」

 そう言うと田中は自分のスカートを少し捲ると、足の付け根に隠したナイフを取り出した。

 「私の前から……いなくなって?」

 田中が三好に向かってナイフを振りあげたその時、

 「あのさぁ!!」

 と西山が声をあげる。その顔に恐怖はなかった。寧ろそれを乗り越えた感情といっても過言ではないだろう。

 それは怒りだ。

 「田中さん……君は俺の事、よく知ってるって言ったよね。でもさ、俺の事はよく知ってるって言っても、洋太郎のことよく知らないんだね」

 「……え?どういうこと……?」

 「はぁ……こんな人に呼び出されて、こんな殺風景な部屋に閉じ込められて、写真撮られて……よく分からない告白されても、何もないよ本当に……」

 「おい……『あのこと』言うな。結構俺気にしてるし、だりぃし……」

 「いいや、この人多分、『あのこと』言わないとわかんないよ。俺の事はよく知ってても、俺の近くにいた洋太郎のことを理解してない時点で、この人は俺の心理的な部分を見てないんだから」

 西山はそう言うと立ち上がり、田中を睨みつけた。田中は少し後退り、少し動揺していた。

 「な、何……わ、私は知ってるよ?西山君は、誰にも優しくて、真面目で、勉強が出来る子だって……」

 「だからさ……そこだよ。君ってさ、江戸川乱歩呼んだことある?」

 「……え?」

 「『僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうにかなるものですよ。』……ってね」

 「何……」

 「はぁ……やっぱり読んだことないんだ?だからね、要するにだよ。どれだけ君が俺の写真を撮ったって、どれだけ俺の後をつけたところで、君は俺を表面上でしか見てないんだよ。そして、それを自分の良いように作り替えているんだ。虚像だよ、虚像。俺だって怒る時は怒るし、苦手な教科だってある。他から見たら勉強ができる方だと思われるだろうけど、俺より勉強が出来るやつは山ほどいるんだよ」

 田中の柔らかな微笑が崩れ、溜息をつく。そこにはもう先程の田中はいない。

 「はぁ……だから何……?ちょっと萎えてきちゃった……」

 「ほら、やっぱり表面上でしか俺を好きじゃなかったんだよ」

 「だから何なの……?」

 「ナルコレプシー」

 「…………は?」

 「洋太郎の持病さ。やっぱり知らなかったんだね。洋太郎はね、あんな見た目で普段も気怠そうにしているけど、勉強はちゃんとしているし、先生に言われた仕事もちゃんとこなすんだ。欠席なんて一回もしたことないし、一部の先生には一目置かれていたりする、ね。でも、他のクラスの奴に聞くとわかるけど、洋太郎は、他のクラスの奴にはあまり良い奴には見えないんだ。当たり前だよ。他のクラスの奴が洋太郎の姿を見るのは、休み時間とその放課後なんだから。当然そこしか見なかったら、洋太郎はただ常に気怠そうにしてる男にしか見えないよ。俺だってそう思う。でもね、うちのクラスの奴らはみんな知ってるんだよ。洋太郎がすごく良い奴ってことをさ。そして、洋太郎がナルコレプシーという睡眠障害を持ってて、授業中に突然寝てしまうことも、その覚醒したあとは、しばらく脱力状態に入ってしまうから、昼休みは教室どころか、机を立つことすらできないことも、ね」

 「……嘘よ」

 「嘘じゃないさ。でも、そんな事を先生に聞いたとしても、洋太郎が念を押して言わせないようにしてるから、言わないだろうけどね……話を戻すけど、だから洋太郎が突然寝てしまって抜けた箇所を、俺が教えてたってわけ……伝わった?」

 「はぁ……しんど」

 「やっぱりそうだよね。俺もこういう説教じみた言い方してるからさ。付き合っても長く続かないんだよね」

 「……出てって」

 「ん?いいの?告白しなくて」

 「いいから出てってよ!!」

 そう言うと、田中は三好と西山の腕を引く。

 「そんな事をしなくても出ていくよ。この、部屋からね。体育館倉庫にあった台車で、俺らを運んだとすると、田中さんの力じゃ遠くには運べない。そうなると、この部屋は学校から遠くないだろうからね」

 そう言うと、西山は部屋のドアを開ける。

 空は夕暮れの赤黄色あかきいろに染まり、道路を挟んで大きな校舎と校門があった。

 「ほらね。洋太郎、帰ろう」

 「おう……っつー……あぁ、俺、このこと言わないんで、気にしないでいいから……あぁ痛えな……」

 三好は殴られた頬と未だ痛みが走る頭を交互に撫でながら、西山と出ていった。

 「……明」

 「ん?」

 「……よくあんな嘘思いついたな」

 「……やっぱわかった?」

 「……俺ナルコなんちゃらじゃねぇもん」

 「ナルコレプシーね。だって、あぁ言わないと、辻褄つじつま 合わないからさ。だって、四時間目になると洋太郎が居眠りするから、四時間目の授業の内容を俺が教えてる、なんて言っても、納得しないよ。寧ろもっと好意持たれて酷くなる」

 「まぁ……確かに」

 「さてと……制服取りに行くかい?」

 「俺持ってきた……だりぃし」

 「一緒に取りに行かないかい?」

 「奢った借りはもう返したろ?」

 「着替えればよかったなぁ……」

 「そういうとこはドジだよな。明ってさ」

 そのような何気ない話をしながら、二人は帰路に就く。夕焼けはどこか、一人の女の一時的な愛情に巻き込まれた二人を包むように、黄色に見える虹彩を放ち、彼らを照らしていた。

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