終章

その「おかえり」が聞きたくて

 八月一日。ジャバウォックとの決戦が終わった翌日。

 昨日、大悟たいごはリュックをネクストラに置いてきたあと、その足で自分の家に帰った。

 三ヶ月ぶりに家に帰ったもんだから、よく帰ってきたねとか今までどこに行っていたとか、いろいろ訊かれることを覚悟していたが、杞憂に終わった。

 どうやら、自分のいない間はジャックが「鮎坂あゆさか大悟」として生活していたらしく、学校にまで行っていたようだ。大悟が非日常を経験していた間、ジャックは日常を満喫していたというわけだ。

 彩朝あやさだけが、いつもよりほんの少しだけ手厚く歓迎してくれた。

 夜に友だちから電話で課題を訊かれたが、しばらく授業を受けていないのでしどろもどろな返事をしていたら「お前、なんかばかになったな」と言われたのが地味にショックだった。

 思わぬジャバウォックの罠を食らったままベッドに倒れ込むようにして眠り、たっぷりと寝て昼頃に母に叩き起こされた。「夏休みだからって生活リズムは崩すな」と怒られた。「昨日までは早寝早起きだったのに」と言われてまたもやショックを受けた。世界に害しか及ぼさない凶悪な怪物のジャバウォックは、鮎坂家ではいい子だった。あるいは、家族や友だちがいる人間の生活に憧れていたのかもしれない。ちなみに彩朝はまだ寝ていた。不公平だ。

 朝食兼昼食を食べて、外に出る。夏休みの間が命日だというのはなんだかもったいないなどというのんきなことを考えながら、大悟はぶらぶらと歩き回った。

 気ままに歩いていたはずなのに、足は自然とネクストラへ向かっていた。帰巣本能というのはこういうものかもしれないな、と妙に感心したのがついさっきの話。

 そして今、大悟は社長室にいる。

 社長室に置いてあるリュックの中の首は、なぜか勝手に飛び回ったり喋ったりしなかった。ストラがいたからこそ、彼らは首だけで活動できたのだろう。

 やはり自分にはネクストラの社長は向いていない。しかし、一日だけとはいえ社長をやると決めたことに変わりはない。

 社長室の机に座り、少し偉そうにふんぞりかえってみるが、形だけの社長はとても空しかった。横のリュックに目をやり、心の中で謝る。

 元の体に返せそうになくて、申し訳ない、と。

 ストラから受け取った鍵を引き出しに差すが、ちっともわくわくしない。どんなサプライズがあろうとも、もう心にさざ波は立ちはしない。

 死ぬ前にもう一度だけストラとオーバーに会って、くだらないことを話したかった。

 しかし、その願望はもうじき叶うかもしれない。

 自分も今日、死ぬのだから。

 いつか必ず四郎がやってくる。大悟は黙って椅子に深く腰を下ろし、あの死神を待つことにした。

 ノックの音がした。

 そらきた。いよいよだ。


「どうぞ」


 大悟は声をかけ、来客を迎え入れる。


「失礼」


 ドアを開けて入ってきたのは、夏だというのにコートを着込み、マフラーを首に巻いたサイドテールの少女だった。


「…………」


 ストラだった。


「…………えっ」


 ストラ・メリーデコレイトだった。


「…………ええええええ!? なにやってんのなんでここにいるんですか社長!?」


「今はきみが社長のはずではないのか?」


「そうだった。いや、そうじゃなくて! なんで生きてるんですか!?」


「不服か?」


「不思議なんだよ!」


 大悟は椅子から立ち上がり一気にまくしたてた。すると、ストラは歩み寄り、鍵の差し込まれた引き出しを開ける。引き出しの中には、どこか見覚えのある手帳が入っていた。


「これのおかげだね」


「それって、死神の……」


 ストラが手にしているのは、四郎しろうが持っていた閻魔帳えんまちょうだった。


「中を見てごらん」


 元社長の少女は偉そうに閻魔帳を突き出す。現社長の大悟はそれを受け取り、ぱらぱらとページをめくり、ふと手を止める。

 そのページには、こう書かれていた。


「鮎坂大悟 八十年後」。


「八十年後?」


 以前見た時は「鮎坂大悟 三日後 七月三十一日」と書かれていたはずなのだが、「三日後」のところが書き換えられており、日にちは消されている。


「閻魔帳を上書きしたんだ。これできみは八十年後まで死ぬことはない。約束したろう。死なせないと」


「いや、そもそもどうやってこんなもの手に入れたんですか」


「この人に手伝ってもらったんだ」


 ストラはリュックを漁り、中から一人の首を出す。その男は――


出利葉いでりはさん!」


「どうも、ご無沙汰していやす」


 くたびれた中年の男、出利葉は挨拶をした。大悟がリュックの中の首にどんなに話しかけても誰も目を開けず反応しなかったのに、今は元気に飛び回っている始末だ。さすが本物の社長は違う。


「私は手癖が悪くてね、ちょいと拝借したんでさあ」


「まさか、死神からすったんですか!?」


 確かに出利葉の首を着けたストラは四郎の肩を叩いたりしていた。だが、あの一瞬ですったとは……。


「出利葉さんは超一流のスリ師だからね」


「いやあ、それほどでも」


「褒めてるんすかそれ!?」


 照れくさそうにしている出利葉を見て、大悟は複雑な気分になる。犯罪行為で自分の命は助かったのか。こんな裏技みたいな抜け道があっていいのだろうか。


「あれ、でも俺が訊いたのは、なぜ社長が復活しているのかであって、俺の寿命のことじゃないんですけど」


「おっと、先に別のネタばらしをしてしまったかな」


 いたずらっぽくストラは口元に手を当てる。なんだか楽しそうだ。


「次のページを見てごらん」


 言われるがままにページをめくると、「ストラ・メリーデコレイト 八十年後 十二月二十四日」という文字が目に留まる。


「社長の名前は閻魔帳にないはずじゃあ……?」


「そう、閻魔帳には人間の名前と寿命しか記載されない。だけどそれは裏を返せば、もし人間でない者がそこに自分の名前を書いたのなら、人間になれるということではないのかと思ってね」


 またもルールを逆手に取った反則技だった。


「つまり、今の社長は」


「閻魔帳に名前を書き、人間として生まれ変わったのさ。私という存在を上書きしたと言ってもいい」


「人間業とは思えねえ」


「人間だよ、これでも。今は指紋だってあるし、この格好が暑くて汗も出る」


「季節に合った服装をすればいいのに!」


「おしゃれは我慢というんだろう?」


「それおしゃれだったんすか」


 ふふん、とサイドテールをかき上げるストラ。ふわりと髪がなびく。


「どうだ、最強のサプライズだろう」


「こんなの、ずるすぎる」


 嬉しすぎる誤算だった。人生には想定外のことが多々起こる。だからこそ、人生はやめられないのだ。なにが起こるかわからないという期待が希望となるから。

 そこで大悟は新たな希望を見つける。


「! じゃあ、オーバーやエッカルトさんも生き返らせられるんじゃあ……!」


「いや、残念ながらそれは無理だったよ。首だけ生き返らせるという細かい芸当は閻魔帳ではできないし、オーバーの場合だと一緒にジャバウォックまでも蘇らせてしまうからな」


「あ……」


 一縷の望みを即座に否定されて、大悟の声のトーンが落ちる。


「彼らは彼らなりに満足していったんだ。再び起こすのは野暮だと思うことにしよう。ところで、平均的な寿命にしようかと思ってとりあえず八十年後と書いてしまったんだけど、異存はないかな?」


「あ、はい。どうも」


「じゃあ日にちは自分で決めるといい。いつがいい?」


 わくわくした様子でストラは万年筆と閻魔帳を手渡してくる。


「自分の命日の話でそんなに盛り上がれませんて!」


 言いつつ、受け取る大悟であった。


「ところで社長はなんでクリスマスイブなんです?」


「私の誕生日だからだ。とくに深い意味はないよ」


「軽い理由だった」


 ん~~~、と大悟は頭をひねり、ふと思いついてさらさらと万年筆を閻魔帳の紙面に走らせる。


「じゃあ俺もそれでいいか」


「へ?」


 書き終えた大悟が閻魔帳をストラに返す。大悟のページには「鮎坂大悟 八十年後 十二月二十四日」と記入されていた。

 ストラは固まる。それからゆっくりと大悟の方を見た。


「これはつまり、私と同じ日に一緒に死にたいという風にも思えるのだが?」


「あ」


 そこで大悟は恥ずかしくなり、なんとなしに決めたことを後悔した。


「い、今から書き直します!」


「させませんよ」


 いきなり神出してきた四郎が大悟の手から素早く閻魔帳を取り上げる。


「閻魔帳の改竄とはやってくれましたねえ。僕たち死神には閻魔帳の内容を書き換えることが許されていないので、もうこの際これでいくしかありませんし」


 四郎は額に手をやってため息をついた。


「とにかくこれは返してもらいますよ。本当なら寿命の書き換え及び書き足しも、上司に報告して正すべきなのかもしれませんが、それだと僕が閻魔帳をすられたこともばれてしまいます。だから、今回だけは目をつむりましょうかね」


 八十年後にまた会いましょう、と言い残して、四郎は社長室の壁をすり抜けて去っていった。


「行っちゃった……」


「行っちゃったな」


 大悟とストラはしばらく四郎のすり抜けた壁を見つめていた。

 おもむろにストラが切り出す。


「ところで、いつまでそこにいる気かな? 社長のご帰還だよ」


「はあ」


 ストラは大悟の代わりに社長机に座る。そして、閻魔帳の入っていたところとは違う一番上の引き出しを開けた。そこには『emeth』の文字が刻まれている。ゴーレムのギガントーテムの命の文字だ。先頭の『e』はマジックのようなもので黒くぐちゃぐちゃに塗りつぶされていて、読むことができない。


「なにやってるんですか?」


「大切なことだ」


 ストラは彫刻刀を手に、引き出しの中をごりごりと削っていた。大悟が覗き込むと、黒く塗りつぶされたところに真っ白な『e』の文字が刻まれ、『emeth』が完成していた。とたんに社内の灯りが点き、大理石の床も磨かれたようにつやつやに輝き始める。


「トムさんが、生き返った!」


「閻魔帳を書き足したことでさっき思いついた。文字を消されて死んだのなら、書き直してやれば生き返るんじゃないか、ってね。もっと早く気づくべきだったな。久しぶり、トムさん」


 社屋兼社員のゴーレムは、蛍光灯をウインクするように明滅させた。


「うん、元気でなにより。これでネクストラも復活だ」


 満足そうな笑顔を浮かべたストラは、大悟を見つめてくる。


「ではひとまず、社長の座を返してもらうよ」


「はい、どうぞ」


「これできみは社員に元通りだ」


「はい、どうも」


「異論はないのか?」


 これからも社員でい続けることになんの疑問も抱いていない大悟に、ストラは首をかしげる。もう、その首が落ちそうにならないかとはらはらする必要もない。


「ネクストラで働いてて、改めて思ったんですよ。やっぱりパセリは嫌いだなって」


「ごめん、ちょっと意味がわからないのだが」


 退屈はパセリのようなものだ。味気なく、たいして美味くもないうえに栄養が豊富なわけでもない。だが――


「私はパセリも好きなのだが? 皿の上に命を添える絵描きのようで」


 そう、人生は常にメインディッシュだけ続けばいいというものではない。適度な箸休めも必要なのだ。退屈というパセリがあるからこそ、刺激的な体験は鮮やかに爆ぜる。

 もちろん、ストラにはパセリが退屈の比喩であることなど知る由もない。だが、大悟にとっては充分に会話が通じてしまった。

 まさか、ずっと貫いてきた自分の持論が、こんなにあっけない一言で崩れ落ちるとは。本当に、一寸先はサプライズだ。

 知らず、大悟の口元が緩む。何気ないたった一言で自分の価値観がひっくり返る。そのこと自体も快感だったし、それをもたらしてくれた少女が最高だと思ったからだ。


「どうした? 私はおかしなことを言ったか?」


「いいえ、でも、面白かったです」


 いい顔で応じる大悟に、ストラは手を差し伸べる。社長の座に返り咲き、笑顔の花も咲かせて。


「では改めて。これからも、私を手伝ってくれるかな?」


 不意打ちの笑顔に、どきっとする大悟。その動揺を悟られぬように、柔らかく小さな手を取った。ストラの手からは、確かに命の鼓動が脈打っているのが感じられた。

 反対に自分の胸の鼓動が静まるよう祈りながら、大悟は静かに手を離す。

 ストラは満足げに机の上で手を組んだ。


「それじゃあさっそく社長命令だよ、大悟。もう私を社長と呼ぶのはやめなさい」


「えっと、」


 大悟が命令の意味を汲み取ろうとしていると、突然、床に置いていたリュックからいくつもの首がわあっと飛び出してきた。


「すとら殿、よくぞご無事で!」


「ストラちゃん、よう戻ってきたのお」


 包帯まみれの七兵衛とニコルフが新しいストラの門出を喜ぶ。


「そういや、人間になったってことはもう寿命を分けられないんでやしょう? 私ら大丈夫なんですかい?」


「心配ないよ。消滅の恐れがあったのはジャックが首を奪った者の寿命を吸い取って自分のものにしていたせいだからな。でもそのジャックはもういない。首や体だけが勝手に消えてしまうことはなくなるよ、きっと」


「そうだ、今は細かいことなど気にするな出利葉殿!」


 七兵衛が出利葉の首に近づき、がははと笑い飛ばす。出利葉は若干引いていた。気づけばストラを慕っている首たちが社長室の中を飛び回り、すっかり宴会かお祭りムードになっていた。


「酒を飲みてえ気分だぜ。ウォッカがいい」


「傷が開くからやめときやしょうね、お爺さん」


「最近耳が遠くてのお」


「くそじじい」


 普段はストッパーになることが多いニコルフまで浮かれて空気に酔っている。


「なにがそんなにめでたいんですか?」


「なにを言う、大悟殿! お主がすとら殿に見初められたからよ!」


「あのストラちゃんに春が来た、か。長生きはしてみるもんだ」


「いや、そういうわけじゃ、ないのだが……あれ?」


 ストラが小さく否定をするが、七兵衛もニコルフもテンションがハイになっている。


「照れるな照れるな! しかし、孫娘が嫁に行くってのはこんな気分なのかねえ」


「あの、だから……」


 もはや生首たちは聞く耳を持たず、笑い合って好き放題に騒いでいる。

 一方で、当の大悟は戸惑っていた。なぜだろう。ストラのことが気になってしかたがない。顔は赤く熱く、胸は締め付けられるようだ。

 なぜ、今になってこんなにも彼女を意識してしまうのか。

 そのとき、オーバーの別れ際の言葉が頭をよぎった。


『俺様は、お前の中にしつこく残り続けるんだぜ』


 自分はオーバーを食って、一つになっている。大悟の中には、オーバーがいる。


「……あのカボチャ野郎」


 知らず、大悟は毒づいた。

 思い至ってしまったからだ。今の自分のストラへの気持ちが、この胸の中でくすぶる感情が、オーバーの忘れ形見であるということに。


「厄介なもんを俺の中に置いていきやがって」


 大悟の中のオーバーが、だっはっはと大笑いしている気がした。

 薄々おかしいとは思っていたのだ。いくら自分がサプライズ好きでも、ここまでどっぷりと長く非日常に浸かり続けられていたことが。いつの間にか徐々にストラのことを大事に考えていっていたことが。自分の中で、あの少女の優先順位が高くなっていることが不思議でならなかった。

 すべては、オーバーから大悟に流れ込んできた恋心が原因だったというわけだ。恋は人を変えるとはよく言ったものだ。


「ストラ!」


 生首たちのパレードの中心にいる彼女の名前を大悟は呼ぶ。

 ストラたちの視線が自分に集まってくるのを感じながら、大悟は二番目に伝えたい気持ちを口にした。


「おかえり」


 ストラは一回だけ目を瞬かせ、それからすぐに顔をほころばせた。


「ああ、ただいま」


 そんな彼女を見て、大悟の中にある考えが芽吹いていく。

 ストラに首ったけなこの思いは、今はまだオーバーからの借り物の気持ちだが。いつかは本物になってしまうのではないのかと。

 それが少しだけ怖く、けれども心なしか楽しみで。

 だから大悟は、彼女のために働きたいと思った。

 彼女とともに働き、ともに生き、ともに死ぬのだ。

 もう二度と、くびになってたまるものか。

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