首なしたちのばか騒ぎ phase8
ジャバウォックとの死闘が明けてから一時間弱。
すっかり夜の気配が濃くなり、戦いの痕跡でぼろぼろになった公園の景観も深い闇に隠されていた。
「よし、と。傷は痛まないかな?
「かたじけない」
「すまねえな」
ストラと
「では、この中へ入ってゆっくり休んでいてくれ。あなたたちで最後だよ」
「そうかい、最後かい」
どことなく神妙な面持ちのニコルイ・ニコルフの生首を、七兵衛は怪訝そうに見やる。
「む、どうしたのだ、にこにこ殿? 主のご好意を無駄にするわけにはいかぬ。拙者らに今、できることは療養することだ」
「……そうだな。ありがとよ、ストラちゃん、カボチャ坊主! 楽しかったぜ」
「それでは暇をいただきまする」
にかっと歯を見せて笑うニコルフと、律儀に首だけで礼をする七兵衛はリュックの中へ入っていく。ストラは微笑をたたえながら手を振って彼らを見送ったのち、リュックの口を閉じる。
「みんな、頑張ってくれたんだな」
大悟はそうつぶやく。彼の体からはもう炎は消えており、顔に着いていた半分に割れたカボチャは傍らに置かれている。
「まったくだ。首にしとくにゃ惜しいやつらだぜ」
半分だけのカボチャが同意した。
「これで済んだんだな? ストラ」
「ああ、なんとか、もってくれたようだよ」
オーバーの確認に答えたストラは、糸が切れたように公園の地面に倒れ込んだ。
「社長!」
慌てて駆け寄り、ストラの体を抱き起こす大悟だったが、その手から伝わる彼女の体温はぞっとするほど冷たかった。
「ヴォーパルの剣の鞘である私が、オーバーの首とつながったんだ。ジャバウォックとヴォーパルの剣は相容れない。反動が来たんだろうよ」
「そんな、じゃあ、俺が余計な作戦を考えたせいで……!」
「それに乗ると決めたのは私もオーバーも同じだ。それに、ああでもしないとジャバウォックには勝てなかったからな」
大悟が慌ててストラの肩を揺さぶる。オーバーは黙ってそれを見ていた。
「お取込み中、失礼します」
ふいに、背後から声がかけられる。振り向くと、ひょろりとした首なしの男が立っていた。
「死神……」
「
そう言って、四郎は倒れているストラの下に歩み寄り、しゃがんだ。
「四郎さんか、あなたの首は、あそこにあります」
たどたどしく言葉を紡ぐストラが指差した先、壊れかけたブランコの上に、線の細い男の首が乗っていた。
「さすがは首借りストラさん。さすがはネクストラ。こんなに早く僕の首を取り返してくれるとは」
四郎は意気揚々とブランコに近づき、自分の首を手に取って体に差し込む。首がつながったのを確かめるために頭を上下左右に動かし、納得がいったようにうなずく。
「四郎さん、依頼は果たしたので、報酬をいただいてもいいかな」
「構いませんが、
「取り消さなくていい。ただ、一日だけ待ってもらえないかな。彼の命を刈り取るのを、明日にずらしてほしい」
「社長、なに言ってるんすか」
そんなことよりも今のストラが心配で、大悟はストラの肩を抱え、上半身を起こす。
「その程度でしたら問題ありませんね。死はあなたたちにとっては大事なことかもしれませんが、実は我々死神の業界にとってはさほど重んじられていないのです。命日を一日ずらすぐらいなら、上司もお許しになるでしょう」
「感謝します」
四郎はあっさりと承諾し、ストラは礼を言った。
「ただし、代わりといってはなんですが、あなたの『死』を看取らせてください」
「どういう、ことですか?」
恐る恐る、大悟は訊く。答えは、なんとなくわかっていた。
「ストラ・メリーデコレイトさん。およびにジャック・オ・ランタンのオーバーさん。お二人は人間ではないので死神の管轄外ですが、あなたがたの死がもうそこまで近づいていることぐらいは僕にもわかります。今夜の鮎坂さんの死を見送る代わりに、あなたたちの最期につき合わせてください」
「お安い御用ですよ」
ストラはかすれた笑いを漏らした。
大悟は傍らにいる割れたカボチャにも問いかける。
「オーバー、お前もか? お前までいなくなるのか?」
「だはは、俺様はジャバウォックの首の一部だからな。本体が消えりゃあ俺様もあとを追うしかねえだろ」
野郎の尻を追いかけるのは趣味じゃねえけどな、と半分に欠けたオーバーは言う。
「そんな……」
大悟は腕の中のストラとオーバーを交互に見やる。ストラの顔は、闇の中に溶けて消えそうなくらい青白かった。
「厳密には死ではなく消滅ですが、まあ、どちらも広義では大差ありませんね。では、今生の挨拶をごゆるりとどうぞ」
「待ってください、早すぎる。あんまりじゃないか」
大悟は首を振る。やっと取り戻した、自分の首を。
それを見て、ストラは目を細めた。
「お願い、覚えているかな。私がいなくなったあと、首だけになった者たちを頼むという」
「こんなときに、最後まで仕事のことばっかり……。社長自身がやりたいことはないんですか」
「あるさ。あるとも。でもね、私はもう充分に鞘としての役目を終えた。だから、もういいんだ。大悟、きみはよく働いてくれた。それに、よく誰かのために怒ったり、悲しんだりしてくれたな。誰かと一緒に傷ついてくれるきみなら、私のいない間のネクストラを任せられる。首たちを、頼むよ。彼らは首だけじゃ生きていけないから」
大悟の手に、自分の手を重ねる。少年は黙って握り返した。
「……わかった。一日だけだけど、きみの代わりに社長をやってやりますよ」
大悟の目の端には、今にも流れ落ちそうな涙の雫が浮かんでいる。
「おい、大悟。なんか勘違いしてるみてえだから、今のうちに言っとくぜ」
今度はオーバーが口を開いた。
「俺様は消えるが、お前はさっきなにを食った? 俺様は、お前の中にしつこく残り続けるんだぜ。さよならなんてくだらねえことは言わねえよ」
だっはっは、と優しいカボチャは憎らしく笑う。
「お前は最悪の体だったよ。もろいし、弱いし、そのくせうるさくて欲張りだ」
オーバーは最後まで歯に衣を着せない。
「だがよ、最悪の体だったが、居心地は悪くなかったぜ」
歯に衣を着せないからこそ、彼の言葉には嘘はなく、どこまでもまっすぐだった。大悟も言い返してやる。
「お前だって最悪の頭だ。口は悪いし下品だし、カボチャのくせに色好きだしな。でもなにより最悪なのは、いつの間にか勝手に人の中にいついていることだ……」
「そいつは確かに最悪だな」
半分になったカボチャは、牙を吊り上げた。
やがて、ストラとオーバーの体が光を帯びてくる。
「私はジャバウォックを倒すという目的しか持っていなかったけど、きみたちのおかげで退屈しない寄り道ができた。きみたちに出会えたのは最上のサプライズだった。いいものだな、サプライズとは」
ストラは力を抜いて微笑んだ。
「怪物の首のきれっぱしに過ぎない俺様だが、お前らといるうちに、心と夢を手に入れられた気がするぜ。ジャバウォックの野郎よりも上等なやつをな。ああ、いい気分だ」
オーバーの頭が透けていく。ストラの体も同様に、だんだん薄れていく。
最後に、二人はまったく同じ言葉を告げた。
「ありがとう」
二人がどうやって消えたのかは、視界が滲んでいる大悟にはよく見えなかった。
ただ、手で乱暴に目をぬぐったときにはもう、社長と同僚の姿は跡形もなくなっていた。
「ありがとう? それは、俺の台詞だってのに……」
うなだれる大悟の後ろで、四郎は踵を返す。
「僕は人間の死しか見たことはありませんが、あんなに満足そうにこの世から去っていった者を見るのは久しぶりでした。それも一晩に二人も」
四郎は歩き、公園を出て行く。
「いい夜ですね。では、また明日、伺いますね」
死神が去ったあと、大悟は濡れた瞳で空を見上げる。
「ああ、本当にいい夜だ」
なんとなしに抱いた感想を、大悟はそのまま口にした。
「オーバーのもう半分が、そこにある」
七月最後の夜空には、オレンジ色に光る半月が静かに浮かんでいた。
そして、少年は立ち上がり、リュックを背負う。リュックはいつもより何倍も重く、背中にのしかかってきた。
これをネクストラに持って行って。
それから、家に帰るのだ。
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