ー第二章ーハリウッドでゾンビ退治

『というわけで、アーモンド。エアロスミスゾンビの撃退を頼むよ』

「了解しましたわ。けれどその座標ならお兄さまが近いですわね」

『まぁ二人がかりのほうが早く終わるし、それにザックは今生存者の捜索で手が離せない』

「そうですわね。やはりわたくしが一肌脱ぐしかありませんわ」

 屋上でアーモンドへの無線を聞いていた康介たち一行。

 マリナもボブも、助けが来ないという知らせから顔色がまた青く染まっていたが、康介だけは高ぶりを隠せないでいた。

 それに映画をモチーフにしたゾンビパニックの可能性もあるという。

 映画もゾンビも好きな彼にとっては、この上なく興奮するシチュエーションだ。

『こっちでもセンパイと他の解決法がないか探ってみるよ。とにかく、君はエアロスミスゾンビの撃退を。あと、他にも映画にちなんだゾンビがいないか探してみてほしい』

「わかりましたわ」

 無線を切ったアーモンドは銃を肩に担ぎ、康介らに背を向けた。

「なぁ、アーモンド」

 だが康介はアーモンドの前に立つと、物欲しげに彼の瞳を見た。

「俺たちにも、銃、くれよ」

 そう言った康介を無視してアーモンドはわざと大きな歩幅でどんどんと歩き出す。

「なぁ、あの様子だといっぱい武器用意してるんだろ? ちょっとくらいいいじゃないか」

 それでもアーモンドは無視して歩く。

「俺たちここに置いてくつもり?」

「……一般人を危険な目に遭わせられませんわ」

「でもここで何も持たずにただ待機って方が危なくないか? なぁ、マリナ?」

「……せめて、武器は欲しいわね。何かあった時のために必要よ」

「そう言ってるしさ、それに人が多い方がゾンビに対応しやすくないか?」

「足手まといなら勘弁ですわ。それに、もしあなたたちが死ねば処理するのはわたくしですのよ? そんなこと、夢見が悪いですわ」

 かたくなに拒むアーモンドに、康介は最終手段を用いることにした。

「なら俺が戦力になるって証明してやるよ」

 康介は鉄パイプを握ると、あっという間に階段を駆け下りていった。

 背後で制止を叫ぶマリナたちの言葉すら聞かず、階段下に群がるゾンビに立ち向かっていった。

 そして鉄パイプを振り回しゾンビの頭を次々とかち割っていく。

「ほら、これでどうだ?」

「何好き勝手してますの!? 早く戻りなさい!」

「お前が俺を認めない限り戻らない!」

「わかりましたわ! 認めます! 認めますから早く戻りなさい!」

 アーモンドのその言葉でようやく康介は階上へ。

 血が付いた鉄パイプを放り投げ、自慢げに笑う。

「俺、ゾンビ映画めっちゃ見てるから使えると思うぜ?」

「確かに力はありますわね。けれど、自分勝手な行動をされると困るのはこっちですわ。もっと周りのことを考えてくださる?」

「もしシュワちゃんなら、俺たちを守りながらでも戦うだろうなぁ。でも、あんたには無理か。無許可のシュワルツェネッガーだしな」

 ピクリ、とアーモンドの眉間が動いた。

 彼女の華奢な腕が康介の胸ぐらに伸びる。

 どこにそんな力があるのかと思うほどの強い力で、彼女は康介の服の襟首をグイっと引っ張った。

「安い挑発に乗ると思わないでくださいまし。わたくし、そんなに甘い女じゃありませんのよ」

「……そうかよ」

「……けれど今回は特別ですわ。ただし、無茶なことは絶対にしない約束ですわよ」

 アーモンドは康介から腕を外すと、また背を向けて歩きだした。

 しかし今度は手でついて来い、と合図を促したのだ。

「やったぜ、これで武器が手に入る」

「……また、ゾンビの群れの中に行くの? 私、嫌だよ」

「俺もだ。死ぬ確率が上がる」

「いや、軍人に守ってもらえるんだぜ? 序盤での軍人の頼りがいの高さは折り紙付きだ。バイオハザードでもそれは保証されてる」

「コースケ。これは映画じゃなくて現実よ? いつまでも夢見てないでよ。それに彼女、軍人の妹でしょ?」

 マリナの冷たい瞳が康介をとらえたが彼はそんなことお構いなしだ。

「たとえ現実だとしても、映画をモチーフにしてるんだ。映画みたいなことが起こる可能性は十分にある。現にさっきもピンチにアーモンドが駆けつけてくれただろう? あの銃さばきは多分兄貴仕込みだ。たとえ妹だとしても頼れる」

「映画をモチーフにしてるって……そんなのたまたまでしょ?」

「たまたまだとしても、だ。俺はアーモンドについていく。ゾンビ溢れる街で世界のために戦う、こんなチャンス、二度とないからな」

 そう言って康介は二人に背を向けた。

 何か言いたそうなマリナだが、大きくため息をついて康介の方へ歩みを進める。

「私もついていく。そんな考えしてるコースケだけじゃどうなるかわからないし、アーモンドにも迷惑かけるかも。だから私は、コースケのストッパーになる」

「ストッパーなんて……そんなのいらねぇよ」

 そんなマリナの背を見て、ボブも震えながらだが一歩踏み出した。

「お、俺も行く……! 死ぬ確率は上がるけど、一人で待機してたほうがよっぽど死にやすいからな……!」

「ボブ、大丈夫だ。いざとなれば俺が守るから」

 康介らはこうしてまた、ハリウッドの地を歩くこととなった。


「目立ちますが、ここからは車で移動しますわ」

「うわっ……ハマーじゃん」

 アーモンドはハマーの後部扉を開き、大きなバッグを取り出した。

 チャックを開くと中には大量の銃火器が詰め込まれているのが目に入る。

「その前に武器ですわ。好きなものを取ってくださいまし」

「いろいろあるんだね……」

 まるで武器庫のような車内を見て、若干引き気味のマリナ。

「わたくしの財力があればこれくらい余裕でそろえることができますの。こんなのほんの一部ですわよ」

「お嬢様言葉は飾りじゃないってことだな」

 康介は武器をあさり、気に入った一つを取り出した。

「じゃあ俺はやっぱりクロスボウだな」

「ウォーキング・デッドに感化されすぎじゃない?」

「クロスボウは扱いが難しいですわ。初心者はやめておいたほうがいいですわ」

「ならウィンチェスターの散弾銃。シュワちゃんと同じの」

「それはわたくしのですわ。触らないでくださいまし」

「じゃあSKB。アイアムアヒーローと同じの」

 康介は散弾銃を手に取る。

 予想以上にずっしりとした重みに、得物を持つ実感と得体の知れぬ高揚感が沸き上がってきた。

「私はライフル銃ならなんでも。お父さんと何度か狩猟に出かけて使ってたんだ」

 ライフルを取るマリナの隣で、ボブがピストルを取ろうかどうか迷っていた。

「どうしたの、ボブ?」

「……俺はいいや。戦うって怖いし、そもそも銃なんて使ったことないし」

 そう言って手をひっこめたボブ。

 しかし横からやってきたアーモンドが無理やりボブの手にピストルを持たせた。

「これは自分を守るものですわ。ゾンビを殺すためのモノじゃありませんの」

「自分を守るもの……」

「それに、本当に危なくなったらわたくしが助けますわ」

 ボブたちはアーモンドの言葉を胸に刻みつつ、ハマーに乗り込んだ。

 康介はアーモンドの隣へ、マリナらは後部座席に腰を下ろす。

 車の中にも様々な武器や機械が転がっており、ハマーの大きさを物語っている。

「アーモンド、足、届くのか?」

「バカにしないでくださいまし。届きますわ。なんたってお兄さまカスタムですもの!」

「調整されてるだけじゃねぇか……まぁいいや。それじゃさっそく出発しようぜ」

 なぜか康介が先導を取り、アーモンドが車を発進させる。

 エンジンが震え車が動き出す。

 その音に誘われてゾンビがやってくるが、鋼鉄の箱を止めることはできず、無残にも次々と轢き殺されていく。

 黒みを帯びたねっとりとした液体が車窓に飛び散るが、ワイパーがそれを丁寧に流し落とした。

「……改めて見ると、ハリウッド、やばいな」

 康介は車窓から外を見て、つぶやいた。

 もともとは観光客が闊歩していた道路も、撮影のためにクルーが多く集っていたスタジオも、俳優を夢見てやってきた人間が集う住宅街も、ゾンビだらけだ。

 あたりに転がる人間の死体はきっと、自殺なのだろう。

 家族と思しき集団の死体や、お互い手を取り合い死んだ恋人らしき死体。

「こうしてみると、すごい惨状だな……」

 康介はぽつりつぶやいた。

 誰に言うわけでもない言葉だが、隣に座るアーモンドから言葉が返ってきた。

「まるで地獄ですわ。いえ、聖書の黙示録ですわね。こんなに人が死んで、最低最悪な日ですの」

「この中には自分で死んだ人もいる……ほんと、最悪だな」

 康介は「くそ!」と叫び窓を叩いた。

 手を伝うじんわりとした痛みとともに湧き上がるやりきれない理不尽さ。

だがそのあとに彼を襲ったのは、そんな感情を持つことが映画の主人公みたいだ、というナルシズムだった。

「車ってすごいわよね。言い方悪いけど、外がこんなになってても私たちは安全。文明のありがたさを今実感したわ」

「確かになぁ。車って超便利」

 マリナもボブも車のありがたさにしみじみとしているよう。

 康介もそう思うと同時に物足りなさを感じていた。

 このままいけばゾンビとは戦わずに目的地まで到達する。そうなれば自分の出番がないからだ。

「タバコ、吸いますわよ」

「……ご自由に」

 車に揺られながら康介は終始微妙な顔を浮かべていた。

 そんな顔をするのはアーモンドがタバコを吸っているからだ、と自分に言い聞かせて。

「ね、ねぇ……後ろ……車、ついてきてない?」

 高速道路に乗った頃だった、マリナが震え声で背後を見た。

 それにつられて康介もちらりとバックミラーで背後を見る。

 スリムな流線型のフォルムのグレーがかった車がついてきている。

「生存者じゃないか? 車の音につられてやってきたのかも」

 彼女とは打って変わり楽観的なボブ。

 だがそれは言葉だけで、彼の足は自然と震えている。

「スコープですわ。これで運転手を確認してみてくださいまし」

 アーモンドからスコープを受け取ったマリナは、車窓越しに背後の車の運転手を確認する。

 だがすぐにスコープから目を離し、首を横に振った。

「……ゾンビが運転してる」

「やっぱりか。俺はそう思ってたよ。あの車、きっとチャージャーだ。一般人があんな車乗ってるわけねぇし。で、どんな奴が運転してたんだ?」

「坊主頭のゾンビ」

「坊主頭で車……なぁ、体型はどんな感じだ? がっちり系? あと身長もいるな。どれくらいだと思う?」

 言われてマリナはもう一度スコープを覗いた。

「がっちりはしてるけど……身長は普通くらいかな? あとほんとにつるっつるな頭」

「『ワイルド・スピード』の『ヴィン・ディーゼル』だ」

「そうなの?」

 マリナの問いに康介はうなずいて答える。

「車を運転する坊主頭ってワイルド・スピードには結構出てくるんだけど……体型と坊主具合で何となくわかる。綺麗な坊主頭はドミニク役のヴィン・ディーゼルだ。つか俺たち、坊主頭に襲われる確率高くないか?」

 ワイルド・スピードとは大半の人間が知っているカーアクション映画だ。

 『ドウェイン・ジョンソン』や『ジェイソン・ステイサム』など坊主頭の祭典でもある。

「え!? ちょ、ちょっと! 結構近づいてきてるんだけど!」

「まさかドミニクトレースするってのか? ハマーでチャージャーの速度に勝てるわけないだろ!」

 チャージャーがエンジンを噴かせ、思い切り近づいてくる。

 あっという間にハマーの横につき、並走を始める。

「アーモンド、車はやばいって! 映画じゃ大抵負けた方は爆発するんだよ!」

「……黙ってくださいまし。気が散りますわ」

 アーモンドが思い切りハンドルを切った。

 ぎゅぎぎぃ! と地面とタイヤが摩擦を起こし、けたたましい叫び声をあげながら車体が回転する。

 もちろん、チャージャーのほうへだ。

 大きさならハマーのほうが上。その巨体を活かしチャージャーをはじいた。

 だが相手はドミニク役のディーゼルだ。

 華麗なハンドルさばきでまたもハマーにくっつき、並走を始める。

「つかまってくださいまし。飛ばしますわよ!」

 アーモンドは力いっぱいアクセルを踏んだ。

 ぎゅいっと加速した車体。車内の康介らはジェットコースターが速度を上げた時のように、ぐんっ! と背もたれに押し付けられる。

ぎゅんぎゅんと加速して、窓の外の風景も瞬きする間に過ぎ去る。

 目まぐるしく過ぎ去る景色に康介は吐き気を覚え、嗚咽をこらえる。

 だがアーモンドには康介らがどうなろうと関係ない。

「いきますわよ!」

 康介がふとアーモンドの方を見る。

 彼女の瞳には、どこぞの豆腐屋の走り屋みたく、負けない、という意地がこもった熱が見て取れた。

「お前ってハンドル握ると人変わるタイプ?」

「黙ってくださいまし! 舌を噛みますわよ!」

 アクセルを踏み込みレバーをがたがたといじり、ハンドルを大きく切りまくる。

 小回りは効かないが、持ち合わせた馬力と車体の重さでチャージャーを圧倒していく。

アメリカの高速道路は車社会のため日本よりも車線が多く、広い。

 ハマーが十分な勢いをつけてぶつかることができるハリウッドならではの戦い方だ。

「これなら勝てるか……!?」

 ハマーの渾身のアタック、これですべてが決まったと思いきや、チャージャーは急ブレーキを踏み込み背後に回り込んだ。

 今度はチャージャーの反撃だ。

 背後から執拗な突進を喰らわされる。

 大きく揺れる車体の中、康介は思い切り窓ガラスに頭を打ち付けてしまう。

「いってぇ……」

「あいつ……やりますわね……」

 ハマーとチャージャーの猛烈なレース。

 だがアーモンドは背後のチャージャーに気を取られ気が付かない。

 目の前に車の群れが立ちはだかるように乗り捨てられていることに。

「アーモンド! 前! 前!」

「……大丈夫ですわ」

 アーモンドがまたもアクセルを踏んで思い切り加速をつける。

 そして目の前の車のボンネットを巨体で押し潰し進んだのだ。

「おい! さすがにこれはやりすぎだろ!?」

「そうですわね……確かに、やりすぎましたわね」

 アーモンドのつぶやきとともに、ハマーは思い切り速度を落としてしまった。

「アーモンド!? 速度落ちてるって!」

「さっきのでタイヤがやられましたわ。パンクですの」

 アーモンドの言う通り、さっき潰した車体の破片が右後部タイヤに刺さってしまったようだ。

 もちろんそれは、先ほどまでのカーチェイスやゾンビを轢き殺していたことによるダメージの蓄積が原因ともいえる。

 ハマーの速度が見る見るうちに下がり、チャージャーが距離を詰めてくる。

「マリナ、後ろにロケットランチャーがありますわ。それを使って撃退してくださいまし」

「え!? 私が!? てかもっと早く使ってればよかったよね!?」

「弾の替えがないからですわ。絶対にはずせませんの。それに、できるだけあなたたちには戦いに参加してほしくなかったんですわ……けれど、状況が変わりましたの」

 唐突に指名されたマリナは困惑する。

「早くしてくださいまし。無茶を言ってるのはわかりますけど、このままじゃ死にますわよ」

「……分かったわ」

 命がかかっていることを再認識すると、マリナは意を決してロケットランチャーを手に取った。

「M202! コマンドーにも出てきた破壊力抜群のロケットランチャー!」

「二発しかありませんわ。慎重に狙ってくださいまし」

「そんなこと言わないで……緊張して撃てなくなる……」

 後部の扉を開いて、マリナは震える腕を何とか抑え込みランチャーを肩に担いだ。

「重っ……」

 ディーゼルゾンビじゃなくチャージャーを行動不能にすればいい。マリナはそれだけを考え照準を絞る。

 そして、ぐっと力強くトリガーを引いた。

 ぶしゅーっ! と強烈な音とともに弾が射出され、窓ガラスを突き抜けた、ハマーの。

 ミサイルは康介の頬すれすれを通り、窓ガラスを割り、前方に乗り捨てられたパトカーを無残に木っ端みじんにした。

 ガラス片が康介の頬を少し切っただけで済んだのは、奇跡といってもいいだろう。

「ごめん! 銃口逆だった!」

「コマンドーの真似をしたいのは俺もわかる……けど今じゃないだろ!?」

「真似じゃないって!」

「真似じゃないなら余計立ち悪いぞ」

 マリナは今度こそ銃口をチャージャーに向け、引き金を引いた。

 速度が出ないハマーに密接するようについてきたチャージャーは避けられない。

 ミサイルはチャージャーのボンネットに当たり、エンジンに引火、大爆発を起こした。

 それと同時にタイヤが限界を迎えたハマーも止まる。

「車で移動できるのはここまでですわね」

「まぁ、そうなるよな……」

 康介は燃え盛るチャージャーとパンクしたハマーを見てがっくりと肩を落とした。

 その落胆は優秀な車がお釈迦になったからではなく、このピンチを自分はただ見ているだけしかできなかったから。

 彼はディーゼルゾンビ戦で、英雄になり損ねたのだった。


「銃は必要最低限、銃弾はありったけ持って行きますのよ」

 パンクした車から必要なものを選りすぐりカバンに詰めていく作業の途中、ボブが何か発見したのか嬉々とした声を上げた。

「スペアのタイヤ! これでまた走れるよな? ったくあるならあるって言ってくれよ」

「車はもう使いませんの」

 だがアーモンドはボブをその一言で片づける。

 どうして、と不満そうなボブにアーモンドは付け加える。

「カースタントはもうこりごりですの」

「確かにそうだ。あんなの続けられると……吐きそう」

 アーモンドに乗っかるように康介はわざとらしくえづいてみせた。

「それにもうミサイルもありませんわ」

 ミサイルのような破壊力の高い武器がなければ、車同士のぶつかり合いで勝つしかない。

 しかし相手となるのはきっと歴戦のカーアクション映画のキャラクターたち。

 そんな相手にカースタント素人のアーモンドが勝つにはそれなりの奇跡が必要となるだろう。

「だから残念ですけど諦めてほしいですわ」

「マリナはどうだ? 猟をしてたんだから運転席のゾンビを狙撃したり」

「無理よ。私は動かない動物しか相手にしたことないからダメ。お父さんならできるかもしれないけど……ってお父さん! お母さんも! 無事かな?」

 思い出したように叫んだマリナはスマホを操作し両親に電話しようとするが、つながらないようで首を横に振った。

「電波が混線してるっぽい」

「まぁそうだろうな。こんなパニックじゃ電波も届かないだろ」

 康介も伯父に連絡しようとしたが、やはりつながらずそっとスマホをポケットへ。

「やっぱりタイショー通じなかった?」

「あぁ。もうパニックが始まって数時間たってる。心配だな……いや、あの人のことだ。ムラマサでバッタバッタとゾンビなぎ倒してるだろう。もしかしたらゾンビ相手にスシ握ってるかもな」

「はは、そうかも」

「それにマリナの親父さんだって、猟が得意なんだろ? 『ウォーキング・デッド』で初めに会ったおっさんみたいにライフルをうまく使って生き残ってるって」

 康介は心配をごまかすように無理やりおどけてみせる。

『アーモンド、聞こえてるかい? ボクだ』

 と、彼らの話に割り込むように無線が鳴る。

 ジェイソンからの無線にアーモンドは答える。

『少し厄介なことになりそうだ。ハリウッドが爆撃されるかも。上はゾンビもろともハリウッドを消すつもりだ』

「そうならないうちに逃げろと?」

『友人としてならそう言う。けれど軍人としての立場から言えば、爆撃される前に君に諸悪の根源を倒してもらいたい。無茶なお願いだとはわかっている。けれどもう頼れる人間もいない』

「……期待はしないでくださいまし」

『あぁ、ほどほどにしておくよ。それじゃあまた何か進展があったら連絡する』

「今度はいいニュースを期待してますわよ」

 ジェイソンとの連絡が切れ、アーモンドも荷造りへ戻る。

 康介もまた荷造りをしながら思う、次に自分と戦うのは誰か、そこで自分が主人公になるにはどうすればいいか、と。

(次は誰が来る? 来てほしいのは……『ミッション・インポッシブル』の『トム・クルーズ』かも。いや、最近路線で『ファンタスティック・ビースト』の『エディ・レッドメイン』? そう言えば女優を見てないな。『ゴースト・イン・ザ・シェル』の『スカーレット・ヨハンソン』とか出てきたりして)

 と、同時にまだ見ぬ彼の会いたい俳優たちに思いを馳せる。

 自分は今、雲の上の存在たちに、ゾンビだろうと出会っている。それと同時に戦っている。

 彼はそれにひどく興奮を覚え、ニマニマとしながら荷造りをする。


 そして出発。

 街は相変わらず壊滅的な酷さ。ゾンビパニックからすでに2~3時間は経過しているが、生存者らしき人影はどこにも見えない。

「はぁ……重い……休憩にしないか?」

「おい、ボブ。出発してからまだ20分くらいしかたってないぞ? 休憩、早すぎないか?」

「そうよボブ。そんなに重いなら荷物減らせばよかったのに」

 パニックが始まってからはやけに生き残ることにこだわるボブ。彼の荷物はパンパンに膨れ上がっており、康介らの倍以上の重さだ。

「いや、これくらいないと安心できないよ……」

「むしろそんなに重いと逆に危ないんじゃないか? ゾンビが襲ってきたら逃げられないだろうし」

「お、俺の運動神経をバカにするなよ!? 俺はウィル・スミスなんだぞ!?」

「小太りの、ね」

「おしゃべりもいいですけど、周りを警戒してくださいまし」

 アーモンドの一言で康介らは緊張の糸をピン、と張る。

 彼らの視界にはゾンビがいないが、いつどこの物陰から現れるかわかったものではない。

「とにかくボブ。いざとなったらそれ、捨てろよ。危ないから」

「……分かったよ、コースケ」

 ボブにそう言ったのち、康介はピリリ、と肌に殺気を感じた。

 それは次第に大きくなり、ぞわり、と総毛立つひりついた空気を覚える。

 アーモンドも同じようで、素早く銃を構えて腰を落とし、警戒態勢を取った。

「……何か、来ますわよ」

 アーモンドに倣い康介も同じように銃を構える。

 映画俳優みたいにかっこよく構えた彼だが、周りから見ればへっぴり腰のように見えた。

「どこから来るか……」

 今までよりも格段に大きな殺気。

 今までゾンビ相手に優勢を築いていたアーモンドでさえ、額に冷や汗が浮かんでいた。

「あ、あそこ! 屋根の上!」

 マリナが叫んで指さした先、家屋の屋根の上にゆらり、と立つゾンビがいた。

 彼女はさっと銃を構えたが、その一瞬の間にゾンビは宙に飛び上がっていた。

「ボブ! 危ない!」

 ゾンビの狙いは荷物のせいで動きづらいボブだ。

 康介の怒声にも似た叫びのおかげで、ボブは間一髪のところでとびかかってくるゾンビの襲撃から逃れることができた。

 だが、背負ったかばんは破け、中からゴロゴロと銃弾や爆弾が零れ落ちる。

「軽くなってよかったな……って軽口言ってる場合じゃない、か」

 康介は襲い掛かってきたゾンビのほうを見た。

 獣を彷彿とさせる毛深い身体、ぎらぎらと輝く鋭い眼光、そして、手の甲あたりから伸びる鋭いかぎ爪。

「あいつは」

 康介がその名を言おうとした刹那、ゾンビが吼えた。

 それはまさに獣。彼の役にふさわしいほどの威圧感。

「……『ウルヴァリン』だ」

「え……?」

「『ヒュー・ジャックマン』だよ! 『X―MEN』シリーズのウルヴァリン! ようやくアメコミの登場かよ!」

 彼はウルヴァリンの登場に戦慄を覚えたと同時、それ以上の、内に秘めようもない歓喜があふれだした。

 ウルヴァリンとはMARVELコミックに登場するミュータントだ。

 イタチ科の動物、クズリをイメージして生み出されたそのキャラクターは、獣同様の獰猛さと強靭な肉体を持ち合わせ、悪を自慢の爪で切り裂く正義のヒーロー。

 キャラが濃いアメコミヒーローたちの中にいても抜群の人気だ。

「ヒュー・ジャックマンゾンビ……俺が主人公になるには格好の獲物……」

 康介は汗ばむ手でギュっと銃を握りなおすと、ゾンビに向かって一直線に立ち向かっていった。

「俺が、倒してみせる! 手出しはするなよ!」

「待ちなさい! 勝手な行動はしないって約束ですわよ!」

「勝手じゃない! みんなを守るためだ! だから手出し無用!」

「はぁ……ならお手並み拝見ですわ」

「え? ほんとにいいの? コースケ一人で戦わせて」

 そう尋ねるマリナにアーモンドはため息交じりに答える。

「ああいうバカは一回痛い目見たほうがいいですわ。まぁ痛い目の一歩手前で助けますけど」

「まぁ確かにそうね。コースケにはいい薬になるかも」

 二人が言いあっている間に康介はジャックマンゾンビへ攻撃を仕掛けていた。

 先手必勝。降りたってまだ体勢の整っていないジャックマンゾンビに、康介は散弾の雨を二度降らした。

 だがそれはウルヴァリンのかぎ爪によって着弾する前に、見事真っ二つに切られてしまう。もちろん全弾だ。

 散弾銃は一発の弾丸の中に小型の弾丸がいくつも仕込まれており、発射の衝撃で中の弾丸が飛び散り攻撃できる。

 もっと簡単に説明するなら普通の銃は一点への攻撃、散弾銃は面への攻撃だ。

 狙った部位に着弾させることは難しいが、複数の弾が着弾する可能性を秘めているのでダメージは期待できる。

 だがそれを、ゾンビは一発残らず高速のかぎ爪により切り落としてしまったのだ。

「映画みたいに簡単にはいかせてくれないみたいだな……」

 康介はにやりと笑い、ショットガンの体をぱっきりと折った。

 可動部から折れ曲がったショットガンは、彼に向かい空の薬莢を発射する。

 それをさっと手で払いのけるともう一度そこに銃弾を詰め込んでいく。

「慣れた手つきですわね」

「映画の影響。すぐに真似したがるんだから」

 アーモンドたちにそう言われているとも気付かないほど、康介は戦いに、いや、戦っている自分に酔いしれていた。

「さっきは二発一気に撃ったからいけないんだ。次はタイミングをずらして……どうだ!」

 康介は引き金を引く。

 飛び出した銃口が敵に襲い掛かる前に鋭い爪で引き裂かれてしまう。

 だがそのタイミングを見計らいもう一度彼は銃弾を放った。

 ぎゅしゅり―。

 銃弾は異様な音を立て、ジャックマンゾンビの胸に襲い掛かり自慢の筋肉をえぐり取った。

 ぼたぼたとそこから垂れ落ちる、腐敗した黒い血液。

「よっし! ヒット!」

 ゾンビの胸元に空いた無数の穴。そこから漏れる血は人間なら死に至るレベルだ。

 一度死んだゾンビならばたいしたものではないだろうが、肉体へのダメージは確実に通っているはずだ。

「この調子なら余裕かも?」

 康介は余裕の笑みを浮かべながらリロードを行う。

 だがその一瞬の出来事だった。

 ゾンビの負った傷が見る見る間に消えていくのだ。

 弾丸で空いた穴は完全に消え去り、そもそも銃弾を受けた事実さえなくなっているよう。

「おいおい、まさか」

「ヒーリング・ファクターね」

「ヒーリング・ファクター?」

 アーモンドが頭にクエスチョンを浮かべた。

「まさかX―MEN見てないの?」

「……シュワルツェネッガー以外見る気になりませんの」

「シュワ愛もそこまで来ると異常ね」

 はぁ、とため息をつきマリナはそれに答える。

「ヒーリング・ファクターはウルヴァリンの能力よ。どんな怪我でも回復することができる不死身の肉体。獣の獰猛性、鋭い爪、強靭な肉体、そしてヒーリング・ファクターの不死身の治癒力、それがウルヴァリンの力なの。もっと詳しく知りたいなら映画を見ることをお勧めするわ。というか名作だから絶対見て。『SAMURAI』以外」

「サムライ?」

「えぇ。ウルヴァリンシリーズの二作目で日本が舞台。原作コミックでも日本とは関わりが深いキャラだから日本が舞台でもいいんだけど……やっぱり外国人が思う日本なのよね。ヤクザのイメージだったりニンジャが出てきたり……」

「日本にはニンジャがいますのよね。ニンジャが出てくるのは当り前ですわ」

「暗殺集団を放置するほど日本はバカじゃないわよ……」

「っておい、マリナ。さっきから聞いてるけど、お前、なんかコースケっぽいぞ? 映画の解説なんかしちゃって」

「……コースケに毒されちゃったかも」

 なんて彼らがやり取りをしている間にも康介は何発もゾンビの体に銃弾をお見舞いしているのだが、すべてがヒーリング・ファクターによって回復されてしまっている。

「くそっ! 撃っても撃っても回復しやがる!」

 ダメージが通らない苛立ちと焦りから、リロードする手から銃弾が零れ落ちた。

 それが康介の大きな隙となった。

 一瞬の好機も見逃さないジャックマンゾンビにより、康介との距離はほとんどゼロに。

 鋭い爪が彼の喉元を引き裂かんと襲い掛かる。

 咄嗟に身をそらし攻撃をかわしたが、彼の耳には空を切る、ひゅん、という死の音が張り付いて離れない。

「見てられませんの」

「同感。ほら、ボブも隠れてないで康介を助けるわよ」

「……マリナの奴、さっきまでビビってたのにもう適応したのか……」

 ボブは小言を言いながらも物陰から出てき、拳銃を構えた。

 マリナも銃を取り出して狙撃の構えをとる。

 アーモンドは小柄な体を駆使して、一瞬でゾンビの股下に潜り込むと無防備な腹に散弾をぶち込んだ。

 腐敗した臓物交じりの血液を体に浴びながら、アーモンドは康介の股をくぐり、彼を引っ張りいったんゾンビと距離を取った。

「アーモンド! 手出しするなって言っただろう!?」

「見てられませんわ。これ以上は弾の無駄になりますし」

「俺だって一人で倒せる!」

「回復能力のある敵に、無策でですの?」

「それは……」

 アーモンドは体に付いた臓物の破片を払い落としていく。

 もちろんその間にゾンビの傷は塞がっていく。

 康介が策を思いつくには短すぎる時間だ。

「無謀にもほどがありますの」

 アーモンドは冷たくそう言うと銃を握りしめてジャックマンゾンビへと立ち向かう。

 だが彼女にも策があるはずがない。

 あるのはただ、康介たちを守らねばならぬという正義感だけ。

「……お兄さまなら、無謀でも無策でも、人を守り抜きますの」

 兄譲りの自己犠牲を伴う危うい正義感。しかしそれが彼女を前に進ませる原動力であった。

「ほんと、わたくしも人のこと言えませんの」

 口元だけふっと歪ませたアーモンドは、ジャックマンゾンビへ銃弾をお見舞いした。

 今度は散弾ではなくスラッグ弾。大型の獣を相手にする際によく用いられる特殊な弾頭だ。

 散弾のように拡散はしないが、巨大な弾丸が破壊力を引き出してくれる。

 この弾丸なら鋭い爪もひとたまりもないだろう、そんなアーモンドの思いとは裏腹にゾンビはいともたやすくそれを切り落として見せたのだ。

 しかも爪には綻び一つないときた。

「……」

 アーモンドはなるべく冷静に相手を観察する。

 銃弾での牽制を駆けながら相手の動きを探り、どう対処すべきかを見る。

 動きは素早いがゾンビになっている分、目で追えないことはない。

 問題は回復能力だが、彼にはある思い付きがあった。

 彼はショットガンを背負うと、代わりにマシンガンを取り出した。

「これなら回復できないですわよね」

 ゾンビに浴びせる銃弾の嵐。

 爪で切り落とすが間に合わず着弾し、体に無数の穴が開き文字通りハチの巣状態だ。

 弾倉のすべてを打ち尽くした後には、ゾンビの体は見るに堪えないくらいボロボロと朽ちていた。

 だがそれでもだ、ゾンビは自己の体を修復したのだ。

 アーモンドは舌打ち一つ、もう一度ゾンビの体に銃弾の雨を降らせるが、やはりそれはすぐに回復されてしまう。

「本当に不死身ですの……?」

「アーモンド! 下がって!」

 背後からのマリナの声にアーモンドはさっと下がる。

 巨大な銃声、のちに爆発。

 マリナがボブの落とした爆弾を狙撃したのだ。

 爆風に飲み込まれるゾンビ。ダメ押しでアーモンドがグレネードを投入し更にダメージを与える。

「マリナ、いいセンスですわ」

「動かないものなら任せてよね」

 マリナはガッツポーズを取りVサインを送る。

 アーモンドもほっとしたように頬を緩めていたが、康介はそれを悔しそうに見るしかない。

「倒せた、よね? さすがにあの爆発じゃ」

 だが、マリナの言葉はそこで途切れることに。

 爆風が晴れ、姿を現したのはほぼ無傷のゾンビ。

「まだ死んでないの?」

「いや、一回死んでるし」

 康介のツッコみにマリナはにらみをきかす。

 だがそれを気にすることのない康介は嬉々とした表情を浮かべた。

「さすがウルヴァリンだな。倒しがいがあるぜ」

「コースケ、さすがにあれは勝てないよ。逃げたほうがいいって」

「戦略的撤退ですわ」

 その言葉に耳を傾けず猛突しようとする康介を二人が止める。

「な、なぁ……またゾンビが来たんだけど……」

 と、ボブの震え声がした方を見ると、ゆらゆらと訪れるもう一つの影。

 赤い全身スーツ、背中に背負った二本の刀、スーツから滴り落ちる黒い血がそれをゾンビだと証明している。

「なぁ、コースケ……あいつって……」

「あぁ。『デッドプール』だ。『ライアン・レイノルズ』ゾンビだよ!」

 デッドプール、ウルヴァリンと同じくX―MEN出身のヒーローだ。

 軽口を叩きながらバッタバッタとゴア表現を用い敵を倒し、観客との壁ですら打ち壊す無責任ヒーロー。

 面白いがパロネタが多いので見るときはX―MENシリーズを見返しておいた方がいい。

「デッドプールも回復能力あったよな?」

 震え声のボブ。それはそうだろう。回復能力持ちの超絶ヒーローゾンビが二体もやってきたのだから無理もない。

「こいつらは主役級の獲物……こいつを倒せば俺が主役同然だよな?」

 とびかかってくるレイノルズゾンビに真っ向から立ち向かう康介。

 だがレイノルズゾンビは康介を飛び越え、ジャックマンゾンビへと向かい刀を抜いた。

 レイノルズの刀とジャックマンの爪、二つがぶつかり合いギリギリと火花を散らす。

「同士討ち? どういうこと? デッドプールはゾンビじゃなかったの?」

「ウルヴァリンとデッドプール、案外仲が悪いんだ。って言ってもデッドプールが一方的に突っかかってるだけだけどな」

 マリナの問いかけに康介は答えた。

「デッドプールの映画を見たらわかるんだけど、ウルヴァリンのことを茶化すセリフが結構あるんだ。役者同士も仲が悪いけど仲がいいし」

「仲が悪いけど、仲がいい?」

「わかりやすく言うとだな……ちょっと腐った表現になるがケンカップルみたいなものだ」

「ゾンビだけに?」

「うっせぇ。とにかく、二人はライバル的関係にあるんだ」

「だから戦ってるってこと?」

「かもしれない」

 ここまで言っておいてだが、康介も確信は持てていないのは確かだ。

 そもそもこのゾンビパニックの原因すらわからず、なぜゾンビが映画キャラの力を使えるかもわかっていないのだから当然である。

 レイノルズとジャックマンは康介らにお構いなしで戦いを繰り広げていく。

「俺ちゃんはお前が嫌いなんだよ。いい作品ばっかに恵まれてうらやましいぜ」

「お前、あんまり人気がないときにウルヴァリンに出してやっただろ」

「俺ちゃんに対して批判しかなかったのにでかい面するなよ。自慢の口も縫い合わされて大変だったっての」

「だからって自分の映画で過去改変するのはどうかと思うぞ。『グリーンランタン』なんてもう誰も覚えてなくて観客がぽかんとしてたぞ」

「俺ちゃんが満足したからいいんです~!」

「コースケ、アテレコやめて」

「……ごめん」

 二人の戦いはまだ続きそうなので、康介たちはその場をそろっと立ち去ることに。

 結局ジャックマンもレイノルズも追いかけてくることはなかった。


「ウルヴァリン、倒したいなぁ」

「コースケ、まだ言ってるの?」

 撤退した後も康介はうだうだとそう言っている。

「でもあいつがまた襲ってくるかもしれないだろ? その前に倒し方を探らないと」

「あの回復能力はマグニートーじゃないと倒せなくない?」

「マグニートー?」

 X―MENを知らないアーモンドは尋ねる。

「マグニートーは磁場を操る力を持っていて金属を自在に操ることができるの」

「そもそもウルヴァリンの能力の秘密はミュータント実験で体に注入されたアダマンチウム合金だ。それを抜くとウルヴァリンの力はなくなる」

「けどまだ獣化の力があるよね。一回マグニートーにアダマンチウム抜かれてたけど、そのあとに獣化してぼっこぼこにしてたし」

「じゃあ妖刀ムラマサだな。ウルヴァリンを傷つけることができる刀だ」

「ムラマサってタイショーの刀じゃなかったっけ」

「おじさんのとこに行くか。やっぱ心配だし生存確認も兼ねてな」

 一歩踏み出した康介をアーモンドが制止した。

「待てくださいまし。爆撃はどうなりますの?」

「爆撃? ゾンビパニックを終わらせればそんな心配しなくていいだろ? それにお前の兄貴が対処してくれるって。大丈夫。実はこう見えて俺結構剣道やってたんだぜ? 剣があれば百人力さ。それにほら、おじさんのところに生存者がいるかもしれない」

 康介は聞く耳を持たないですたすたと先に行ってしまう。

 仕方なくそれに続くアーモンドたち。

 だが5分もたたないうちにまた別のゾンビと遭遇することとなった。

「おい、あいつ……何してんだ? 中腰で頭やら膝に水の入った皿を置いてるし」

 ゾンビは道の真ん中で、その先を封鎖するようにいた。

 中腰で頭、膝、手の甲に水の入った皿を置きながらも微動だにしない。

「あれは『ジャッキー・チェン』よ! 『酔拳』の修行中の!」

 カンフー映画好きのマリナが嬉々として答えた。

「さすがジャッキーだな。ゾンビになっても修行して、しかもあんな体勢で微動だにしない」

「よく見て。イスに座ってる。やっぱりゾンビになってもジャッキーはジャッキーね」

 微動だにしないのはゾンビが見えないようにイスに座っているからだ。

「あんなふうに道の真ん中にいられたら邪魔よね……私が相手するわ」

「いや、ここは俺が」

「ううん、私が行くわ。たとえゾンビでもジャッキーと手合わせする機会なんてないもの」

 康介を押しのけてマリナは一歩前へ出た。

 パキパキと指の関節を鳴らし、戦闘態勢だ。

「もしかして、素手か?」

「えぇ。私、カンフーの稽古してたし。早くこんなこと終わらせて稽古に行きたいのよ」

「今日は休め」

「一日休むだけで腕がなまるし。それにストレス発散。ほんと、わけのわからないことに巻き込まれてどうすりゃいいってのよ!」

「だからって行かせられませんわ。わたくしがサポートを」

「邪魔しないで。これは私がやりたいことなの。あなただってシュワルツェネッガーを相手にできるってなったら一人で戦ってみたくない?」

「……それは、まぁ……」

 マリナはぐっと伸びをして体の筋肉をほぐす。

 準備運動をばっちりとこなし、また一歩ジャッキーゾンビへ近づいていく。

「相手はジャッキーだぞ? 本当に大丈夫か?」

「何度も言わせないで。私は大丈夫。私にはカンフーの他にも『詠春拳』があるからね」

『詠春拳!?』

「ジェイソン、急にどうした? その、何とか拳ってのがそんなにすごいのか?」

 無線越しに嬉々とした声を上げたジェイソンに康介は尋ねた。

『詠春拳。映画にもなった『イップマン』が教えていた格闘術だよ。詳しい技や立ち回りは映画を見てくれればわかるよ。イップマンの波乱な一生をつづった手に汗握るアクション大作だからぜひ見てほしい』

「お、おう……」

『で、この詠春拳ってのは実はあの伝説のアクションスター『ブルース・リー』も習っていたんだよ。ブルースは詠春拳をモチーフにして『ジークンドー』の技と思想を作り出したんだ』

「へぇ……」

 そう言われても中国映画に詳しくない康介はさっぱりだ。

 ボブもアーモンドもそうらしく、どうやらぴんと来ていない。

『ま、彼女が本気で詠春拳を使えるというなら、勝敗はわからなくなるね』

 という間にもマリナはジャッキーゾンビの前へ。

「ジャッキー・チェン。お相手願いたい」

「お、おいバカ! ここは不意打ちだろ!」

『彼女はきっと格闘家としてジャッキーと戦いたいんだろう。格闘家にとって相手をリスペクトする気持ちは大切だと聞くし』

「そうはいってもなぁ……」

 マリナの言葉にこたえるようにジャッキーゾンビはイスから立ち上がった。

 地面に皿がぶつかり、パリン、と音を立てる。

 それが開戦の合図だった。

 ジャッキーゾンビの素早い一突きがマリナを襲う。

 マリナは一歩引いてそれを避けるが、連続した突きが彼女に降り注ぐ。

 だがマリナの動きも素早く、突きを見極めて軽々と避けていく。

『ほぅ……『蛇拳』を避けるとはさすがだね』

「じゃけんって、なんだっけ?」

『蛇の拳、と書いて蛇拳。蛇みたいに素早く滑らかな動きが特徴』

 康介は改めてジャッキーゾンビの動きを見た。

 確かに蛇が襲い掛かるみたく素早い突きだ。

 マリナは避けるのを止め、手刀のように構えた手で攻撃を払っていく。

 すべての攻撃を受け止めてはいるが、康介にはそれが劣勢であるかのように見えた。

「マリナ、圧されてるな……自慢の詠春拳ってのはどうしたんだよ」

『君にはあれが劣勢に見えるのか。ボクには対等に張り合っているように見える』

「は?」

『詠春拳の特徴は無駄を一切省いた堅実な守りの技の数々だ。隙がない動きで相手の攻撃をさばき切り、一転するチャンスを見つける。ほら、見てくれ』

 と、ジェイソンに言われ康介は彼女のほうを見た。

 連続攻撃で燃料切れを起こしたのか、一瞬隙が生まれたジャッキーゾンビの腹に連続パンチを繰り出しているではないか。

「なんだあの高速パンチ!?」

 康介はその場でマリナをまねてパンチを繰り出してみるが、彼女のようにうまくできず顔をしかめた。

『キミがやろうとしているのはボクシングみたいな全体重を使った引いて打つパンチだね。あの子がやっているのは体の軸をぶらさないで前に押し出すパンチ。腕を引かずに回転させる感じだね。だからダメージも少ない』

 目にもとまらぬパンチは次第にゾンビの顔面へと向かい、強烈な掌底によりゾンビを吹っ飛ばすことに成功した。

 ジャッキーゾンビは軽く3メートルは吹き飛び、地面に大きく激突する。

『詠春拳はほかの武術と比べると大技がなく地味。けれど繊細な技術により攻守一体の技を繰り出せる。さっきのパンチも間髪入れず連続で繰り出すから相手は反撃する暇がない。力を技術でカバーしてるんだよ』

「なるほど……」

 一気にジャッキーゾンビに優勢を取ることができた、康介は純粋に尊敬のまなざしをマリナに送ったが、彼女は疑惑の瞳で倒れたゾンビを見ていた。

「おかしいわ……私、あんなに強く攻撃したつもりはないのに……」

 ジャッキーゾンビが手を使わず、足の力だけで勢いよく立ち上がった。

 そしてまるでターボエンジンでも搭載しているかのように、一気にマリナとの距離を詰める。

「くっ……!」

 足技で払いのけようとするマリナだが、ジャッキーゾンビは軽くジャンプしそれを避け、今度は空中にいながらも拳を浴びせかけてきた。

 マリナはすぐに体勢を戻しそれに対応するが、今度ばかりはさすがに劣勢のようだ。

 咄嗟に拳を突き出しジャッキーゾンビを吹き飛ばしたが、表情はやや曇っていた。

「やっぱり……さっきの一撃もあれだけの威力はない……もしかして、演技してる?」

『そうか! アクション映画で無敗の主人公ほど面白くないものはない。わざとああして吹き飛ばされた演技をして劣勢を装っているんだよ!』

「マジかよ……ゾンビになってもファンサービス旺盛って……」

 ジャッキーゾンビが今度は地面に転がったイスを足で器用に蹴飛ばして攻撃してくる。

 マリナはそれを間一髪で避けるが、すぐさまジャッキーゾンビは彼女の背後へ。

 まるでサッカーのリフティングでもするかのように地面にイスが着く前にキャッチ。もう一度彼女へ向かって蹴り飛ばした。

「痛っ!」

 彼女の体にイスが当たり、それはぼろりと壊れてしまう。

 だが逆に言えば、イスが体とぶつかり壊れてしまう衝撃がその一撃に加えられていたのだ。

 しかしマリナもやられっぱなしではない。

 壊れたイスの破片、特に鋭く尖ったものを選び次々とジャッキーゾンビへと蹴っていく。

 ゾンビはそれを手で払っていくが、すべて払いきれず、2、3欠片が体に突き刺さり、傷口から赤黒い血が垂れだした。

 そして最後、マリナの渾身の蹴りによりジャッキーゾンビは本当に後方へ吹き飛んだ。

「何とか一発、食らわせたわ……」

 はぁはぁ、とマリナは肩で息をする。

 だがゾンビはまた勢いよく立ち上がる。戦意はくじけていないよう。

 それもそうだ。

 一度死んだ身としてはスタミナも体の痛みも関係ないのだから。

「次は何かしら……」

 マリナはぐっと足に力を籠め、次の一手に構える。

 一方ゾンビは一歩踏み出したかと思うと、ふらりふらりとした足取りでマリナへと向かっていったのだ。

 その動きはまるで酔っ払い。

 ジャッキー映画を見ていない康介ですらわかる、あれは酔拳の動きだ。

『ついに酔拳が……』

「なぁ、ジェイソン。酔拳ってよく聞くけど、実際どんな技なんだ?」

『酔拳は中国の酒の仙人たちにあやかった技を指すんだ。詳しくは映画を見てほしい。修業を積んで師匠とだんだん打ち解けていくジャッキーは心に来るものがあるよ。それにあの時代はCGなんてないからね、すべて体当たりの戦いだ。とても熱い』

「へぇ……って、結構詳しいな」

『まぁね。中国語の勉強のためにジャッキー映画をビデオテープが擦り切れるくらい見たからね』

「ビデオテープって懐かしいな……」

 千鳥足でふらふらとしつつも、ゾンビの瞳はしっかりとマリナをとらえていた。

 繰り出される拳も先ほどの攻撃とは違い、めちゃくちゃな動きとタイミング。

 しかし確実にマリナを潰すために繰り出されている。

 とらえようのない拳に詠春拳も押され気味だ。

『詠春拳は力ではなく技術。同じ技術対決は苦手なのかもしれない』

「ならどうすれば……?」

 心配そうに見つめる康介。

 だが彼の心配も、自信に満ちた彼女の瞳を見れば薄らいだ。

「あの手を使うしかない、か……」

 彼女は小さくつぶやく塗料の手のひらを前に突き出し、細かく振動させながら交差するように動かした。

『あれは『無影拳』!?』

「むえいけん?」

『酔拳で敵が使った技。実際には存在しない拳法だけれど、要はだまし打ちだね。フェイントをかまして攻撃する』

「だまし打ちかよ……」

『でも実際だまし打ちは格闘技の有効な手段だよ。卑怯だからあまり使いたがる人がいないけれどね』

 マリナの手の動きに注視したジャッキーゾンビは、彼女が不意に放った蹴りに対処できなかった。

 そのまま彼女は幾度も拳をちらつかせながら、予想もつかない手でゾンビの体に一撃を加えていく。

 そしてフィニッシュと言わんばかりの強烈な一撃は、ゾンビの体を回転させながら吹っ飛ばした。

 思い切り吹き飛んだゾンビは頭から壁に激突し、バキリ、という異様な音を首元から発した。

「何か嫌な音がしたけど……」

 これ以降動かなくなったジャッキーゾンビ。

 マリナも康介も恐る恐るゾンビに近づいて、あぁ、とうめいて目をそむけた。

「首、まがってたね」

「あぁ。変な方向に」

「確かに私、強い拳入れたけど、ここまで吹き飛ばす力、なかったはず……」

「じゃあ、演技で吹き飛んで」

「自爆……これ、NGシーン行きよね」

 マリナは、はぁ、とため息を吐くと同時に額の汗をぬぐった。

 きらり、と汗の雫が輝きと共に地面に散っていく。

 彼女の晴れやかで、どこか物足りなさそうな何とも言えぬ表情に康介はまた、ドキリ、と胸が高鳴ったのを感じた。

「終わりって、案外あっけないのね。平凡な日常も、戦いも」

「……悟り開いた?」

「そりゃこんな終わりが来たら、ね」

 なんて笑いあいながら康介たちはジャッキーゾンビの元を離れる。

 だが彼らは気付かない。

「マリナ! コースケ! 後ろだ!」

 背後でジャッキーゾンビがもう一度立ち上がったことに。

「え……?」

 ボブの叫びで背後を振り向いた彼らだが、すでにジャッキーゾンビは攻撃の構え。

 拳が突き出されると同時に、彼らはようやく自分が危機的状況に陥っているのだと気づくしかなかった。

 もちろん、誰も彼らを助けられない。

 ボブもアーモンドも銃を構えるには遅く、マリナも自慢の格闘技を放つには体に力を籠める間もない。

 康介に至っては油断しきって棒立ちだ。反撃の手すらない。

 もはや絶体絶命。

 彼らの目に映るのはスローモーションのように動くジャッキーゾンビの拳。

 永遠に続くのかと思われる拳が到着するまでの時間。

 だがそんな彼らの横をかすめる超高速の青白い光。

 それはジャッキーゾンビの胸を貫いたのだった。

「脅威を排除。ミッション1コンプリート」

 彼らの背後から響く無機質な声。

 それがあの光の持ち主のモノだということはすぐに理解した。

「あれはジャッキーのNGシーンの演技だ。騙されるな」

 康介はゆっくりと後ろを振り向き、その姿に目を見開いた。

「し、『シルベスター・スタローン』だ……」

 その姿は紛れもなくシルベスター・スタローン。

「え? スタローン……キャー!」

 だがマリナは悲鳴を上げて目を覆う。

 もちろんそれはそうだろう。

 彼らの前に現れたスタローンは、一切何もまとっていない、正真正銘の全裸なのだから。

「ハリウッドスターは、あっちもハリウッド級なのか……」

 なぜスタローンが、しかも全裸なのか、そんなことはさておき、康介は自身の男としての敗北を感じていたのだった。


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