ッ!メッリーッさッん!いまッブラッジルッにッいるのかいないのか晴明!!ご注文承って!

久佐馬野景

 賀茂保憲は電話に怯えていた。

 ここは平安の世である。なので当然電話は固定電話ばかりである。さらに電話機にはディスプレイなどという上等なものはまだ実装されておらず、かかってくる電話の番号を表示することもできない。つまりはかかってきた電話が、一体何者からであるのか、確かめるためには受話器を取り上げない限りわからないのだ。かつての世は斯様に七面倒な手間を踏まなければならなかった。

 そこで必要になってくるのが、賀茂保憲を始めとした陰陽師たちであった。彼らは式占を行って一体何者から電話がかかってくるのかを、事前に占ってみせたのである。時に電話は呪術の道具として使われることもある。歴史に詳しい読者ならば、不穏な着信音とともに恐ろしい電話がかかってくるという話をご存知かもしれない。あれは携帯電話の普及した南北朝時代の話であるが、そのような悲劇が起こったのも、陰陽師が実権を失っていったために呪術師が電話回線に付け入る隙を生んでしまったという背景がある。

 さて、一流の陰陽師であるはずの賀茂保憲がなぜ電話に怯えているのか。話は数時間前に遡る。

 賀茂保憲はテレクラで女を漁っていた。なにせ陰陽師であるから、賀茂保憲の受ける電話は百発百中。サクラは絶対に引かないし早取りもほかの客には絶対に負けない。

 今日も行きずりの女と一夜をともにすべく、賀茂保憲はテレクラ店に入店し、狭い室内で電話を待っていた。

 電話が鳴るやいなや、賀茂保憲は受話器を取った。たとえワン切りだったとしても通話状態にしてしまうほどの早業。まさに筆頭陰陽師のなせる業である。

「もしもし、わたし、メリーさん。いま、京都駅にいるの」

 電話の相手はそう言って通話を切った。京都駅といえば平安京の南の端である。かつて都を守護する玄武と朱雀が熾烈な戦いを演じたことで知られる。

 賀茂保憲はすわ立ち上がった。歴戦の陰陽師としての直感が、これは怪異である、と告げていた。それも今までに類を見ない、全くの新風である。

 賀茂保憲は素早く九字を切り、テレクラをあとにした。

 都を早足で歩く。かつてのこの国の都には、当然無数の公衆電話ボックスが立ち並んでいた。この時代には公衆電話の上に十円玉を積んで、通話時間の刻限がくる前に何度も何度も十円玉を追加して電話を続けるという光景がよく見られた。

 と、空の電話ボックスの中から、激しいベルの音が響いた。

 公衆電話には、当然電話を受ける機能はない。賀茂保憲は不審に思うが、彼が陰陽師である以上、こうした怪異を見逃すわけにはいかない。公衆電話から話が膨らむ怪異談はかつてこの国の大きな規模を占めていた。陰陽師たるもの、怪異を前にしてそれを祓わねば名に傷がつくというもの。

 賀茂保憲は気合い一閃、受話器を取り上げた。

「もしもし、わたし、メリーさん。いま、梅小路京都西駅にいるの」

 なんと電話の向こうの相手は、先刻テレクラで賀茂保憲にかけてきたものと同じであった。

 どうやら怪異は賀茂保憲に狙いを定めているようであった。そして嵯峨野線で移動している。何者かと問い質そうとする前に、通話は切れていた。

 賀茂保憲は自宅に帰ると、真っ先にある者に電話をかけた。

 彼の弟子にして、日本を代表する陰陽師。皆様ご存知、安倍晴明にである。

「どうしました師匠」

 晴明の声は賀茂保憲が話してから、かなりの間を置いて聞こえてきた。賀茂保憲が素早くいま自身の身に起きている怪異について話すと、またかなりの間を置いて、晴明は返答する。

「それは困りましたね。手伝いたいのはやまやまなのですが、私はいま海の上でして」

 なにっ、と賀茂保憲は訝しむ。

「ほら、前に話したじゃないですか。ブラジルに出張ですよ。この電話も、船舶電話ですからね。通話料には気をつけてくださいよ」

 ブブブブブラジル!?

 なんたることであろうか。賀茂保憲が誰よりも信用する弟子が、地球の裏に海外出張とは。しかし安倍晴明の名声を思えば、彼にブラジルより勅命が下ってもおかしくはない。

 晴明は師に二言三言アドバイスをすると、電話を切ってしまった。そして同時に鳴る電話。受話器をとると、向こうの相手はやはり、あの怪異であった。

「もしもし、わたし、メリーさん。いま、丹波口駅にいるの」

 やはり嵯峨野線で近づいてきている――このままではこの家にまでやってきてしまうではないか。ええい、晴明はこんな時になんでまたブラジルに!

 苛立ちのあまり賀茂保憲は再び晴明に電話をかけた。

「なんですか師匠。時差を考えてください。時差を」

 それで電話は切れた。なんとも非情な弟子である。

 そこで賀茂保憲は天啓を得た。彼の自宅は事務所兼住宅であるため、電話は社用回線と自宅用回線の二つが通っている。つまり――賀茂保憲は電話線をめいっぱい伸ばして、今まで使っていた自宅用回線の電話機を社用回線の電話機の隣にまで持ってくる。

 そこに、かかってくる。怪異からの電話。受話器をとらずともそれと知れる。なにせ賀茂保憲は陰陽師である。

 賀茂保憲は素早く社用回線の電話の番号をプッシュし、晴明へと繋げる。回線が別であるために、一方の電話機で電話を受けながら、一方の電話機で電話をかけることができる。

 晴明が電話口に出る。そのタイミングを見計らって、賀茂保憲は怪異からの電話の受話器を取り上げ、二つの受話器を互い違いにぴったりと合わせる。

 受話器トゥー受話器。怪異の声は晴明に届き、晴明の声は怪異へと届く。自分の身に降りかかる怪異を別の方角に飛ばしてしまう、陰陽の術――方違えである。

 怪異からの電話が切れたことを確認し、受話器を戻す。晴明は――どうでもよい。奴ならばこの程度の怪異に負けはしまい。

 出張から戻ってきた晴明が話したところによると、メリーさんなる怪異はその後何度も晴明に電話をしたようだが、苦労して嵯峨野線から乗り換えて関西国際空港を目指し、いざ飛行機に乗ろうと報告をしたころには晴明は仕事を終えて帰りの船に乗ったところであった。

 最後にメリーさんはこう絶叫したとの由。

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