母の写真とモノクロ映像

夏山茂樹

男の娘、亡き母との思い出を演出したい

 一秒二十四コマ。これは、特撮劇であるサンダーバードを撮る際に使用されたカメラのコマ数だそうだ。これを七十五コマや百二十コマに増やすと、映像がゆっくり動いているように見えて、特に特撮シーンで役立ったという。


 そしてカメラのワークショップがその年、六月に私の勤めていた小学校で行われていた。このワークショップではモノクロフィルムを動かすカメラを使って、モノクロ映画の演出を実際に体験するものだった。


 元々は四月、二ヶ月後の芸術鑑賞会に向けて、会議が進められていた。小学校では前年度にあらかじめ何をするかを決めておき、その分野のトップを呼んで児童たちに作品を鑑賞させるのが決まりだったらしい。

 その年は本来、音楽の先生が決めていたクラシック鑑賞をするはずだった。その前年は映画鑑賞、これは教頭が決めたそうだ。


 だが会議上での話で、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストという作家の話題になった。この作家はスウェーデンの人気ホラー作家で、デビュー作が映画化され、ハリウッドでもリメイクされた化け物作家だ。


 スウェーデン語の教師であるヤンソン先生が彼のファンで、スウェーデンからわざわざ原書を取り寄せるほどのファンなのだという。


「そういえば今年もヨンが新作を出すそうなんですよ。その名も”himmelstrand”(空の海岸)!」


「ああ、彼はモリッシーのファンでしたよねえ。デビュー作のタイトルもモリッシーの曲から取ったのでしょう?」


「そうですねえ、彼は歌詞をモチーフにした軽い文体で物語を書きます。実際にデビュー作の一章目もスウェーデンの曲から一部引用がありましたから」


 ヤンソン先生が眉を上げる。ここから芸術鑑賞会の題材と音楽が絡まっていく。


「日本でも黒澤明が七人の侍で、作曲家と何回も揉めたそうじゃないですか。それなら音楽と映画の絡め方について、児童たちに教えるのはどうですか?」


「いやでもねえ、今年はクラシック鑑賞でしょ? ここからどう変えるんですか?」


 教頭が眉を潜めて両肘を机に立てながらうつむく。ここで場の空気が一気に変わる。私は新任教師なので何も言えない立場にいたが、小さく手を挙げて提案してみることにした。この学校は年功序列というものがないかわり、新任教師でもある程度実践力がないと通用しない現場なのだ。


「黒澤明は羅生門で作品年代当時の年が刻まれた瓦を何千枚も、羅生門のセットのために使いました。また、雨にイメージを持たせるために墨を混ぜた水をホースで降らせたそうです。それなら、映画の演出を実際に行うワークショップはどうでしょう? 知り合いの映像作家がモノクロにこだわって撮影してますから、ある程度の準備ならできますよ」


「じゃあクラシック鑑賞はどうするんですか?」


 教頭の鋭い質問にも答えられる範囲で答える。


「それなら私が映画音楽を音質の良い音源をクラシック楽団に作っていただきます。最高レベルの楽団なのだからできます」


「まあ、音源の負担を柚木先生がしていただくなら結構ですが。そこで発生した費用は手当てとして後で出ますから」


「それではワークショップでいいですね?」


「実践も必要ですからね。それにプロがいるならいいでしょう。ちなみにその方の名前を教えていただけませんか?」


「六月坂唯といいます。実は恥ずかしながら、学生時代に彼女からカメラの扱い方は教わっていますから、私も使い方を教えることはできますよ」


 六月坂唯はモノクロにこだわった映像と演出で、国際的な映画賞を何度も受賞したことのある実力派だ。特に無音映画の『十二時の魔女』で知られている。映画マニアなら知らない人はいないレベルの人だ。


 恥ずかしながら、私はこの六月坂と交際していたことがあり、一緒に撮った映画作品もあった。その作品も韓国の映画祭に出品されたが、ノミネートで終わってしまった。


 だが当時も連絡をとり合う仲で、彼女に六月の予定を聞いたところ、二十一日が空いていた。しかし、二十一日は土曜日だった。


「うーん、まだ作品の構想が練られないのよね」


 そう話す彼女に、私はモノクロでドキュメンタリーを撮ってみてはどうかと勧めた。どういうことかというと、私が勤めていた学校は基本孤児院が運営している私立小学校で、その孤児たちはインデル症候群の患者たち、通称レッテだったからだ。


 『ドラキュラ病』と呼ばれたその病はポーダーゲンという薬を妊婦が飲むことで、その病を患った赤ん坊が生まれる。実際に社会問題になったこともある。そして、遺伝する可能性もある。


 その子供たちにまつわるドキュメンタリーを撮れば彼らへの差別や偏見を軽く出来る可能性もあるし、閉ざされたレッテたちの社会を見せることで普通の一般社会にも影響を及ぼせると考えたのだ。


「二十一日にカメラを持って来いよ。俺に特に懐いてる教え子がな、光場朗ひかりばあきらの一人息子なんだ」


「光場朗ねえ……。お父さんが目の前で殺された事件だっけ。あの事件はあまり掘り起こしたくないんだけど」


「まあ、一人息子も左目を抉られて今は義眼だからな。父親のことは知らないみたいだけど、KUNGARに目を付けられてる。だから警戒の意味でもお前の作品がほしい」


「そう……。KUNGARかあ。じゃあ撮り甲斐はあるわね」


 教頭たちを説得し、二十一日にワークショップを開くことになった。共用トイレで光場の一人息子である桜野琳音にそのことを話すと、彼は驚いた顔をしてうつむいた。


「おれがドキュメンタリーの主役?」


「ああ。お前がワークショップでしたい演出を考えたり、実際に学んでやってみるんだ。そこを六月坂って監督さんが撮るんだ」


 今度は顔を少し上げ、長い髪を後ろに結えながら話を聞く琳音。サラサラの髪が一本一本揺れて一本のポニーテールが出来上がる。

 その様も映像に撮りたいほど、琳音は端正で中性的な顔をしている。彼の亡き母がレッテの国際美人コンテストで、日本代表だっただけあるなとここで思わされた。


「でもおれ、撮りたいものなんて何もないよ?」


「何でもいいんだ。例えば……、亡き母との思い出とか」


「空想の思い出を作ればいいってことか……。映像の中だけど叶うならそれでいいかな」


 彼は寂しそうに笑うと、誰かがトイレの前を通った。するとその陰で瞬間陰影ができ、彼の心の闇を映しているように見えた。


「お前の作りたい思い出って何だ?」


「……おれって昔から女装してるじゃん? にいちゃんと初めて会った時も、ワンピースを着てたでしょ? 父によく言われたんだ。『お前の母さんはいつか鏡に現れる』って」


 なるほど。鏡と化粧品を用意すればいいわけか。確かにモノクロとカラーでは俳優に施すメイクは違ってくる。カラー映画画で始めたばかりの頃、化粧担当がその違いで苦労したというのは聞いたことがあるが、モノクロ映像用の化粧を琳音に教えればいいのか。


「お前が化粧をして、大人っぽく見えたところで母ちゃんに鏡で会えたね、って感じの話か」


「あっ、いえ。髪をいじって、です。でも母さんの写真が無いんです」


「そうなのか……。ネットでも調べてみたか?」


 すると琳音は静かにうなずいてからは何も言わなかった。彼に申し訳ないことをしてしまった。自分のキャリアのために、大学時代にしていたバイトのベビーシッター相手だった教え子を傷つけた。湧いてくる罪悪感に、私も黙り込んで何も言えなくなった。だが、琳音が手を握って微笑んでくる。


「にいちゃんを信じてるよ。母さんの写真を見つけてくれるって。おれの夢を叶えてくれるって」


 今にも泣きそうな笑顔に、私は彼の母の写真を見つけることを誓ったのだった。


「ああ。二十一日までにはお前の母ちゃんを見つけてやる。これ、にいちゃんとの約束な」


 すると琳音は笑って小指を立ててきた。


「指切りゲンマン、だよ」


「嘘ついたら針飲おます。指切った」


 それからまず、私は琳音の母について調べることにした。レッテの国際美人コンテストで日本代表だということは、そのコンテストの参加者の名前を運営局に尋ねれば完了することだ。この仕事は簡単だった。


「……高屋敷琳たかやしきりんさんですね、ありがとうございます」


 次にKUNGARのデータベースのURLにアクセスする。KUNGARの会員だというのは琳音の父が組織の幹部だったことで明らかになっている。検索欄に『高屋敷琳』と入れると出た。岩手県一関市生まれ、兵庫県芦屋市出身。フリッカールナに参加し、旧神戸支部に配属。


 ここまでは分かったものの、肝心の写真が出てこない。それに幼少期のことについて書かれていない。もしかして一時期シェルターにいたのか。当時のシェルターについても調べてみる。するとこの小学校を運営する孤児院しか出てこず、私は小学校の卒業アルバムにあたってみることにした。


 さて、小学校の卒業アルバムなら写真が掲載されているだろうということで、その年のアルバムを見ると、やっと見つけた。高屋敷琳。


 十二歳当時の写真を見ているときっと吊り上がった大きな猫目にシュッとした鼻筋、少し厚い唇。よく見ても琳音によく似ている。髪型も。


 当日、六月坂がスタッフを連れて小学校に訪れた。彼らはワークショップのスタッフと撮影スタッフを兼ねている。彼らを目の前に、琳音は目を丸くして驚いていた。


「……何人もおれのために?」


「ああ。お前の撮影も兼ねている。あとお前の母ちゃんの写真だがな、この学校の卒業アルバムにあったよ」


 そう言って写真を見せると、琳音はあまりにも自分にそっくりなものだから方をストンと落として、しばらく何も言えないでいる。


「どうだ?」


「おれそっくりだ。鏡がなくてもよく分かるよ。ありがとう、にいちゃん……」


 琳音は涙を拭って、私に感謝してくれた。あとは撮影だ。その撮影で、琳音は既にカメラに撮られていた。


「なあにいちゃん。おれはあと、どうすればいいんだ?」


「ありのままでいればいい。普通にワークショップに参加して、したい演出をして来い」


 肩を叩いてやると、彼はうんとうなずいて震える肩を抱いて流れる涙を隠すように泣いていた。


 高屋敷のカメラがその姿を撮影する。古風な撮影カメラでこっそり撮った光場朗の息子、レッテの孤児、差別を受ける美少年。ヘイトクライムから身を守るためにできた女装という文化。全てが琳音のこのシーンに含まれていた。


 そのあと、ワークショップで演出を体験する琳音を間近で見ていた。墨を混ぜた雨を降らし、その中を傘をさし、俯き歩く。琳音はうつむいた時にできる影の部分が見せどころなのだ。


「……いいじゃねえか」


 それから、編集された映像を見て琳音が上を向いて歩こうを歌いながら、雨の道を歩く姿を見させられた。

 涙がこぼれないように上を向いて歩きたい。その意思とは逆に彼には影がさしている。私は琳音が作ったこのシーンを褒めた。


 すると彼は嬉しそうに笑い出し、喜んで私に抱きついてきた。


「にいちゃん、やっぱり大好き」


 そう抱きついてきた彼の体温は温かかった。人の温もりを久しぶりに感じる。私も思わず涙を流して、琳音に感謝の言葉を言うのだった。


「そう言うお前こそ、ありがとうな」


「……おれこそ、ありがと」


 ボソッと語られる言葉。だが琳音の言葉には温もりが込められていたのだった。

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母の写真とモノクロ映像 夏山茂樹 @minakolan

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