第二章「一長一短」

 

「さて。おにぎりの続きを──」

 桜は鮭のおにぎりを口に運びかけたとき、ふと広場に立っている時計台が目に入った。時刻は十二時五十分。昼休みの残り時間は十分を切っていた。

「もうこんな時間。──それにしてもアカネちゃんはどうされたのでしょうか」

 あの様子なら遅くても二十分程で終わるはずだ。

 桜はここまで苦悩するプリントであったか思い返そうとしたが、それよりも食欲が先に立ってしまい考えることを中断した。

「アカネちゃんならきっと大丈夫です。多分」

 桜はおにぎりを頬張った。

 

 

 〜〜〜〜〜

 

 

 時は戻り桜が教室を出た頃、アカネはプリントの内容を改めて確認し頭を悩ませていた。内容はこれまでの学校生活やこれからの期待、不安。更には志望する進路や将来の夢といった入学当初に配られるアンケート調査であった。

 全体の問題数は十分もあれば問題無く終わる量であったが、アカネはプリントを前にし額に手で杖を立て筆を止めていた。今現在取り掛かってから五分は経過しているが、プリントにはアカネのフルネームと回答欄に一つチェックが付けらただけであった。

「うーんええっと・・・? これはどうだったっけ」

 その様子を見た学級委員の男子──片栗孝明かたくりたかあきは声をかけた。

「あの、別にこれササッとでも・・・」

「なんだこれ、どこまで思い出せばいいんだ?」

 アカネは昔からアンケートには時間をかけて考えないと気が済まないタイプであった。

 過去に桜と二人で出掛けてた時、一度街頭アンケートを受けたことがあり、アカネはその質問者が腰痛を訴えるまで脳漿のうしょうを絞らせたこともあった。

 困った様子を見せる孝明の元へ、彼の友人が近くにそっと現れた。友人は孝明に小さく声をかけた。

「片栗、いい加減アイツほっとこうぜ。長いこと一人でうるさいし」

 孝明は腰に手を当て問いに返した。

 

「そうか? 俺はああいう一生懸命な人は好きだな。なんかタイプというか──」

 

「おい馬鹿、声」

「え?」

 友人の問いへの回答にしては充分を通り越した声量で孝明は返事をしてしまった。そしてその声は当然の如くアカネの耳に入ってしまった。

 カクテルパーティ効果。大勢の人が一斉に会話する中でも、自分の名前や深い関わりのある言葉などには自然と聞き取れてしまうという現象。アカネはまさにその効果を発揮させた。顔を上げたアカネは声の聞こえた方向を確認し、孝明の視線が自分に向いていたことに気付くと徐々に赤ら顔を顕にした。そしてアカネは無言で席を立った。

「えっ、ちょっと」

 孝明の声は届かず、アカネはそのままそそくさと教室を出ていってしまった。

「あらー」

 隣に居た友人は呆れた様子で自分の席に戻った。一連のやり取りを見ていた周りの数人の中からは小声でヒューヒューとからかうような声が聞こえた。

 孝明は自らの悪い癖へ失望と虚脱感に苛まれた。

 

 

 

「な、なななんなのあの人。いきなりタイプとかなんとか」

 教室を飛び出たアカネは早歩きで廊下を進んでいた。

 アカネには今までにこういった恋愛経験はほとんど無かった。その為にこういった些細な刺激への耐性が付いておらず、我にもなく教室を飛び出してしまった。

「勢いで出ちゃったけど、プリントの続きどうしようかな」

 途方に暮れていたアカネの横を二人組の生徒がすれ違った。アカネは偶然その二人の会話を小耳で挟んだ。

「図書室やっと空いたってよ」

「あー整備中だったっけ。結構広いらしいよな」

 そういえば図書室は改修工事によって利用禁止になっていた。ピンと来たアカネは図書室へ向かうことに決めた。

 

「へぇー。意外に広いんだな」

 図書室は高校にしては広々と作られていた。本来なら教室が二部屋分程だが、この学校のものは体育館を一回り小さくしたくらいの広さであった。

 どこもホコリひとつ見当たらず、床には綺麗にワックスがかけられている。図書室全体のベースカラーとして木目の色が使われており落ち着きのある空間となっている。室内の中心には長いテーブルが三列ほど置かれ、奥には窓に向けて一人用の机が並べられていた。

「図書室ってより図書館だな」

 アカネはテーブルの空いている椅子を引いて腰をかけた。

 プリントを広げ筆箱を取り出そうとしたとき、向かいの席で本を読んでいた生徒が目に入った。その生徒は松岸桃子であった。

「あれ、もしかして松岸さん?」

 その声に反応して桃子は視線をアカネに移すと、一瞬にしてアカネのことを認識した。

「鳥居アカネさんですわね。ごきげんよう」

 聞いていた通り、長い髪とはうって変わりさっぱりとしたショートヘアであった。

「高校同じだったんだね。ずっと気付かなかった」

「桜さんも同じことを仰ってましたわ」

 桜に話を聞いた時から気にかけていた問いを投げた。

「どうしてそこまでバッサリしたの?」

「そうですわね。色々ありまして・・・」

「色々?」 

 桃子は右上部に設置された、老朽化により小さくガタンガタンと音を鳴らす換気扇へ視線を向けた。

「そ、その、気持ちを入れるためにも、ね?」 

「そうなんだ。凄く大事にしてるイメージがあったから、てっきり何か事情があったのかと」

「──!」

 桃子は慌てた様子で話を切りかえた。

「それより、鳥居さんも本を嗜みにいらして?」

「ん? いや、前に配られたアンケート忘れてて。それでさっきまで教室でやってたんだけど」

 アカネはプリントを机に広げた。

「聞いてよ。うちのクラスの学級委員がさ。いきなり私に、その・・・好き、とかタイプとか言ってきたんだよ!?」

「まぁ。なんて大胆ですこと」

 桃子は軽く目を見開いた。

「それも平然と周りに聞こえるくらい! ただでさえプリントに時間かかってるのに飛び出してきちゃったよ」

「でも、わたくしはお似合いかと存じますわ」

「なんで?!」

 アカネは机を両手で叩きつけ身を乗り出した。

 桃子は微笑んだ。

「フフ。お声の良さが似てらっしゃいませんの?」

 ハッとアカネは我に返る。周りに座っていた人達が皆アカネに視線を向けていた事に気がついた。アカネは軽く会釈をするとそっと席に腰をかけた。

「ご、ごめん」

「お気になさらないで」

 ヒートアップしてしまったようだ。そういえば入学当初に桜も視線を浴びていた時があった。その時は確か桃子と会話していたような・・・。

「一長一短・・・」

 奇しくもまたお互い様であった。

 

 図書室に来てから三十分が経過した頃、アカネはやっとの思いでアンケート最後の項目にチェックを入れ、ペンを置いた。

「やっと終わった〜」

 大きく伸びをするアカネに桃子が声をかけた。「よくお考えになってましたわね」

「あーなんかね。中々パッと決められなくて」

 そこまで大変だっただろうか? 桃子はアンケートを思い返すが特に苦戦させられたようには作られていなかったように思えた。

 いや、一つだけあった。

「家族関係・・・」 

「ん、どうした?」

「いえ、なんでもありませんわ」

 一瞬だけ表情を暗くした桃子にアカネは気付かなかった。

 図書室には足音や小さな話し声、紙のめくられる音に換気扇の回転音が静かに交差している。この空間には賑やかで無く静寂過ぎないちょうど良い落ち着きがあった。

「あまり御自身を見つめ過ぎなくてもよろしくてよ。いつの日か分からなくなってしまいますわ」

「え? お、おう」

 アカネは不意に言葉が通り過ぎ理解が及ばなかった。

 パタンと本を閉じた桃子は席を立ち上がった。

「それではここで。楽しい一時でしたわ」

「あ、うん。と言ってもまた後で会うけどな」

「そうでしたわ」

 クスッと笑った桃子は軽く会釈をするとそのまま図書室をあとにした。

「案外優しい人だったんだな」

 以前は今より増して頑固なお嬢様なイメージであった為に少々近寄り難かった。新しい学校生活に気持ちを乗り換え、前向きに進もうと彼女なりに成長したのだろう。

 アカネはプリントを折り、持ち物を整え席を立った。

 

 

 

 アカネはプリントを提出しに高橋先生が居る職員室に向かった。

 ノックを二回入れ「失礼します」と戸を開けた。すると、偶然目の前に高橋先生の姿が見えた。

「あ、高橋先生」「あ、鳥居さん」

 アカネは提出の旨を伝えよう口を開いた時、高橋先生が先手を打った。

「ノックは三回ですよ! 二回はお手洗いで使うものです」

「え、別にそれくらい」

「ダメです! 社会というのはそれはそれは厳しいものなんですから。私だって今まで散々苦労して──」

「分かった分かった。それより!」

 アカネはプリントを手渡した。

「これ出しに来たんだけど」

「あら、偉い! しっかりと提出ですね」

「いや出し忘れてたやつだよ」

 高橋先生はプリント広げた。

「あ、本当だ。やっぱり偉くないです」

「どっちですか・・・」

 ともあれ目的を果たしたアカネは「失礼しました」と言いながら職員室を出ようとした。すると高橋先生が「ちょっと待って」と止めた。

「手伝って欲しいことがあるんです」

「いやー、お腹空いたし」

「大丈夫。時間は取りませんよ!・・・多分」

 そう言って高橋先生は職員室の奥にある鍵置き場から鍵を一つ持ち、こちらに戻って来た。

 

 ドテーン!

 

 しかし途中で──足元に障害物など何一つ無いのに──バランスを崩して床に倒れてしまった。更に、倒れる瞬間、近くの机に触れてしまい書類がバタバタと高橋先生へ雪崩込んだ。

「ちょ痛い! 助けて」

「えぇ」

 もしやこの先生はかなりのドジっ子なのだろうか。そういえば先週も何も無いところで急に転んでいた。

「ヴェィッ!? 熱っ!」

 書類の近くに置いてあった、湯気が立ったコーヒーが高橋先生の顔面に襲いかかった。

 アカネは昭和の有名な舞台番組が過り、とっさに天井を見上げたらいがセットされていないか確認した。

 

 高橋先生に連れられ着いた先には山積みになった教科書と一人の男子生徒が居た。

「げっ」

 その男子は片栗孝明だった。

「これ教室まで運んでもらえる?」

「先生、まじすか」

「ちょっと重たいけど何回か繰り返せば──」

「いやそっちじゃなくて」

 高橋先生はアカネの目線の先に気が付いた。

「あぁ片栗さんね。さすがに男手も必要だったし丁度良かったんです」

 無言のまま視線を泳がす孝明。

「うーん・・・」

 アカネは先の件もあって腑に落ちないが、ここまで来たので仕方なく手伝うことにした。

 

 先頭に高橋先生が歩き、後ろをアカネと孝明が着いて行く形で三人は廊下を歩いていた。

 うぅ、重い。荷物も、空気も。

 アカネと孝明は無言で運びながら脳裏で同じことを考えていた。

 お互いに視線を合わせないで進んでいると、遂に孝明が固い口を開いた。

「あ、あの」

「・・・」

「鳥居さん!!」

「ちょっと声!」

 すれ違う何人かの生徒がこちらを振り向いた。

「あ、あぁ。すみません」 

 孝明は小さく深呼吸をして続けた。

「さっきはその、誤解というか、そういう意味じゃないというか、いやそういうわけでない訳ではないといいいますか。えっと・・・」

「・・・急に言われたからビックリしただけ。あ、あれでしょ? 要はLikeの方ってことでしょ?」

「え、あっと、えーと」

 そういう訳でも無いが。だからといって否定することも出来ず、孝明は明確に答えが出せないでいた。だがそれ以上にお互いは「タイプ」という言葉には触れないようにした。

 はぁ、何をやっているのだろうか。

 アカネは今までの事を客観的に見つめ直した。

 別に大したことでも無く変にオーバーリアクションをとっていた自分らに呆れと失笑が込み上げた。そのまま気分を切り替えようと教科書を持ち上げている状態で軽く伸びをした。

 すると、アカネの爪先が急に起動を変え地面にぶつかった。教科書と自分の体重で支えられた重心は揺れに揺れて、あろう事か孝明の方向に向けてバランスを崩した。

「って、うわぁっ!」

「えっ?」

 

 ドン!

 バタバタバタ・・・。

 

 辺りに教科書が散らばった。

「う、うぅ。ごめ───ん!?」

 立ち上がろうとするアカネは瞬間的に状況を把握した。アカネの体は仰向けになった孝明へ完全に倒れ込んでいた。

「キャァァッ!」

「えっ!? ちょっと待──」

 

 ベシィッ!!

 

「なんでぇッ?!」

 咄嗟にアカネの平手打ちが孝明の頬に炸裂した。

「ま・・・まじで許さん」

 アカネはすぐさま散らばった教科書を積み直し運搬を再開した。

「えぇ・・・」

 呆気に取られた孝明も落ち着きを取り戻し、残った教科書を持ち上げた。しかしなんとなく自分の分が増えアカネの分が減っていたように感じた。

 

「お疲れ様。やっぱり男の子は力持ちです!」

 三人は自分の教室に来ていた。どうやら次の授業で使うものだったようだ。

「そうなんですかね」

 何故か途中から大分キツかったが。

 孝明は自分の席に向かうと彼の友人が何名か近づいてきた。

「あの大胆なアプローチからもうデートかよ」

「んなわけあるか! たまたま教科書運びを一瞬に手伝っただけだ」

 孝明はバッグから弁当を取り出し、ふりかけが乗せられた米をかきこんだ。

 即座に教室をあとにしたアカネはこれから先に気を重くしながら桜の元へ向かうのであった。

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花乃一服 春川仁士 @SpringSkip

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