悪の循環
@asyura071492
最悪のはじまり
「かわいそうに……」
口を手で押さえながら太った男は汗を流して言う。
太った男の目線の先には惨状が広がっていた。
血やガラスの破片がちりばめられた地面には女が仰向けでモノのように転がっている。
女の目には光が無い。
女の近くには声を枯らせながら、地面に突っ伏している男がいる。
その男の左手の薬指には指輪が嫌にきれいに光っていた。
太った男はそのモノのように転がった女と突っ伏している男に一瞥を向けた後、苦い表情をしてその場を去る。
今となっては地獄の惨状となっているその場所はほんの数分前まではきれいなテラスであった。
―数分前―
人気のにぎわうテラス―
休日ということもあり、いつもよりも人が込み合っていた。
そこには二人の男女が何やらに話していた。
「なんでわざわざこんな人が多いときに見てまわらなきゃいけないんだよ…」
男はふっとため息をつきながらテーブルに着くと同時にぼやいている。
その男の無神経な発言に対して女はむっとしながら男に切り返す。
「いや~だってさぁ・・・最近ドタバタしててゆっくりしてなかったしさぁ…ねぇ?」
女は自分の膨れた腹をゆっくりと撫でながら男を見る。
女はまるで自分だけの意見ではないかのように妙に強気であり、男はその女の腹を見て何も言い返せないでいた。
「いや、今もゆっくりできてないんだけど…ていうか、そのお腹擦るのちょっとずるい気もするんですけど。」
少し首をかしげている男の横を通り過ぎようとしたウエィターがつまずく。
ウエィターがつまずいた拍子にグラスを割ってしまう。
「申訳ありません!」
ウエィターがかがんで割れたグラスの破片を一つ一つ丁寧に拾い始める。
男の座っている位置からだとかがんだウエィターの胸元がどうしてもちらついてしまう。男は女に悟られまいとするが男の視線は胸元から揺るがない。
「なーに見てんの?」
はっとして前を向くと先ほどとは打って変わって女はジト目をしている。
「あ、えっと、そのごめん…」
男は縮こまりながら言う。
「もうすぐパパになるっていうのに、そんなんじゃ不安だなぁ…」
「あ、はい…すいません…」
男は女の顔をまともに見れずにただ謝ることしかできなかった。
女は男のその様子を見てふと笑い優しいまなざしをする。
「たよりにしてるんだからね、パパ―」
女がそういった瞬間、轟音が鳴り響く。
その轟音と同時にテラスが吹き飛ぶ。
その場にいた者は誰も理解ができなかった。
ガラスは粉々になり、その場にいた数人の人間が突然吹っ飛んだ。
大型トラックが突っ込んできたのである。
のちの警察の現場検証によって分かったことであったが、その大型車は点検があまりされておらずブレーキが効かなくなってしまったようである。
運転手は即死だったー
「キーン」という高音が頭から離れないまま、男がゆっくりと顔を上げてまず目に入ったのはあられもない姿の女であった。
男は混乱した。そして現実であるということを認識し始めるのにそう時間はかからなかった。
男は叫ぶ。涙を流しながら。
その二人を見て太った男は苦い表情をしながらその場をゆっくりと立ち去っていく。男が叫んでいるのを聞きつつも振り返らず立ち去っていた。
―数週間後―
暗い部屋。まるで無音を埋めるようにテレビを垂れ流し状態になっている。
昼下がりだというのにカーテンを閉め切っているせいか異様に部屋は暗く、
まさに外界と隔絶されたような空間がそこには広がっていた。
男はひどく痩せていた。食事をしていなかったというわけではない、単純に食べても嘔吐してしまうのだ。その証拠に食べかすは床に散乱している。
男は食事をしてもまるで罪滅ぼしをするかのように嘔吐する。
そんな状態が事故以来続いていた。
警察、親戚、同僚、男の周りの人々がみな口をそろえて言う。
「あれは事故だった。奥さんやお子さんのことは気の毒だが、いつかは受け入れなければいけない。」
頭ではわかっている。しかし、理性以上の強烈な感情が男を惑わす。
「なんで俺なんだ…」
男は自分の過去を振り返った。
何がいけなかったのか、答えなど見つかるはずがないのに過去に自分が犯してしまった罪を振り返った。
宿題を写したこと、落ちていた金をネコババしたこと、上司に嘘をついてまでコンサートに行ったこと。男の中ではいくつか思い浮かんだが、どれも今回の事故と釣り合っていないようにしか感じなかった。
どうしようもない気持ちを整理できず、ふと天井を仰いだ時、そこにナニかがいた。およそ人間とはかけ離れた風貌のそのナニかは天井にぶら下がっていて男をじっと見ている。
昆虫のような硬質なボディの割に細長い手足を伸ばしたそのナニかはゆっくりと男の目の前に着地する。
いつからいたのか?こいつはなんなのか?幻覚でも見ているのか?と同時に思考してしまったせいか完全に男の思考が停止する。
さらにそのナニかは糸?ようなもので縫われた口を開かせる。
「お前の時間を取り戻したくないか?」
男はさらに頭を混乱させる。この得体のしれないものが発言をしたことではない。
近くで見るとよりこの世のものではない化け物であることを実感させられたからである。
「なぁ、聞こえてる?俺と契約をすれば時間を戻せるんだぜ、こんないい話ないだろ?」
男はそこでようやくナニモノかが話す内容に注意を向けられるようになった。
「お前、なんなんだ…? 契約? いったいどういうことなんだよ!」
男の発言に悪魔は口元をふっとさらに緩める。
「いや、俺ね、お前ら人間界でいう悪魔っていうわけ。それで契約する人間を探してんの。ここまではOK?」
男はまじまじとその目の前の存在に目を奪われる。
「そんでな、もしお前が契約してくれるっていうんなら、時間を戻してやる。どうだ?」
男は悪魔の言葉に興味を示す。
「時間を戻すって…じゃあ、嫁や子供を助けられるのか?!」
男は悪魔に対して前のめりになる。
「もちろんそれは十分に可能だ。お前の頑張り次第だがな。」
「本当か!?」
「ただし条件がいくつかある。1つ、一度しか時間の巻き戻しはできない。2つ、時間を巻き戻した後、俺や時間を巻き戻したという記憶は消去される。3つ、契約の代償としてお前の寿命を十年ほど頂く。」
男は少し考えて答える。
「十年…、それで助けられるのなら安いもんだ。」
「契約成立だな。」
悪魔はにやり笑い、男の頭を突然鷲掴みをする。男は突然のことに動揺する。
「おい、何すんだよっ…俺を殺すのか!?」
「早とちりすんじゃねぇ…さっきは「時間の巻き戻し」だなんて言ったがな、ようするにお前の意識を過去に飛ばすんだよ。それにお前がここで抵抗すると過去に飛ばせねぇぞ?」
男は悪魔にそう言われると借りてきた猫のように大人しくなる。
「ふん、最初からそうしとけ、そんじゃいくぜ。」
悪魔がそう言って手に力を籠めると男の意識が突然ブラックアウトする。
すると次の瞬間、目の前には元気な女ときれいなテラスの光景が広がっていた。
忘れもしない、あのテラスだ。
男の呼吸は乱れている。心配する女をよそに言葉を無視してあたりを見回している。
「ねぇ、聞いてる? どうかしたの?」
男は元気な嫁の姿を舐めまわすように見る。
「…もどってこれたのか??」
「はぁ?何が??…大丈夫?」
男が女の無事な姿を見て安心したのも束の間、ウエィターがつまづきグラスを割ってしまう。
男はそのグラスの割れる音で思い出す、数分後に起きる惨劇を。
男はいてもたってもいられず立ち上がる。
「今すぐここを出よう。」
女は少しあきれた様子で言う。
「どうしたの・・・?落ち着いてよ?」
男は時間が迫っていることを直感的に理解していた。息も苦しくなる。
「今すぐにここを出ないと、大変な事が起こる・・・! 時間がないんだ!早く!」
男は女の腕をつかみ無理やりに席を立たせる。
「ちょっと痛いって、ほんとどうしたの・・・?」
男は女が急がない様子に苛立ちを覚える。
「もうすぐっ!ここに車が突っ込んでくるんだっ!早く!」
男の発言に周りの客たちも驚きの反応を見せる。
圧倒的滑稽である男に皆が注目をしていた。嫁も周りの様子に耐え切れずにいた。
「わかったって…ほら、ほかの人の迷惑にもなるからお店出よ?」
女は男をなだめるように優しく言う。
「そうだっ!! あなたたちもすぐに逃げてください!! ほら、早く!!」
男の説得に応じようとする人は誰もいなかった。圧倒的アウェー。
彼の言葉に賛同するどころか、大抵は不信感を心のうちに秘めていた。
「ほら、行くよ!すみません、うちの人、なんか疲れちゃってるみたいで…。」
愛想笑いする女の後ろにぼんやりとトラックの影が見えた。
明らかにスピードを緩める様子もなくこちらに突っ込んできている。
「逃げろぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
男は嫁を手を引いて間一髪トラックを避ける。
トラックは人々を簡単につぶしていき、テラスに突っ込む。
さまざまな音が鳴り響く。悲鳴、ガラスの砕ける音、人体がつぶれていく音、まるでそれぞれが合さってひとつの音を奏でているようであった。
その音達が鳴り止んだ瞬間、一つの音が予定されていたかのようなタイミングでなる。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
悲鳴。はじめの悲鳴を皮切りにあちこちで悲鳴が鳴り響く。
ほんのさっきまで動いていた人物がピクリとも動かなくなっている。無理もない。男は女の安否を確認する。
「大丈夫か?」
「うん、少し転んだだけ…」
男はほっと胸をなでおろす。そして、男は自分のこの安心感を覚えたことに対して違和感を感じる。
―数時間後―
男は嫁のおなかの子が無事かどうかの検査をするために病院に来ていた。診察はすぐに終わり特に問題はなかったが大事をとって一日入院することが医者から伝えられた。
男はぽつんと一人総合受付のところで座っていた。女が病院に搬送されてからも事故によるけが人が搬送されていくのを男は一人で見ていた。
男は少し息を吐いて立ち上がる。そのまま、喫煙所に向かった。
喫煙所に向かったものの、喫煙所には入らずうなだれていた。
「おい、悪魔いるんだろ?」
男が喫煙所に向かったのは悪魔と会話するためであった。
悪魔はゆっくりと自動販売機の陰から現れる。
「よくわかったな。あの女、無事だったみたいだな。ミッションコンプリートおめでとさん。」
悪魔がニヤッとする。
「あぁ、無事だったよ。おなかの赤ちゃんもな。ほんとによかった。だけど、なぜか満足していないんだ。」
男は遠い目をしている。声もか細く、力が感じられない。
「まさか、ほかの奴の事気にしてるんじゃねぇだろうな?」
「俺、ほっとしたんだ。あんなことがあったのに、人がいっぱい死んだっていうのに…二人とも無事だと分かったら安心したんだ。もしかすると全員助けられたかもしれないのに…。」
悪魔は少しとぼけるように言う。
「…。」
男はまじまじと悪魔を見る。
「もし、もう一度だけ契約をしたいと言ったら契約をしてくれるのか?」
悪魔は男につめよるように
「まさか他の奴を助けたいとでもいうんじゃねぇだろうな。」
「俺がもう一度戻って全員を助ける。」
悪魔は嘲笑する。
「だーっはっはっは!! お前なんか勘違いしてねぇか?」
男は悪魔を睨みつける。
「どういうことだ…?」
「お前は確かにあの女を助けたかもしれないがよ、その分犠牲はちゃーんと出てるんだぜ?」
「な、何を言っている…?」
「お前が助けた命の分、本来死ぬはずではなかった人間が死んでるってことなんだよ!」
男は思わす立ち上がる。
「!?…じゃあ俺のせいで…その人たちは…」
「そう、お前のせいで死んだッ!お前が時間を巻き戻して余計なことをしなければ死ぬこともなかったのになぁ?」
「じゃ、じゃあもう一度巻き戻して―」
悪魔は食い気味で言う。
「だから助けられねぇよ。総合的な負のエネルギーの量は変えることはできねぇんだよ。」
男は顔をさらに顔をしかめる。
「負のエネルギー…?」
「負のエネルギーってのは人間にもたらす不幸。不変のエネルギー。今回の事故で多くの人間が不幸を被った。人間のそれぞれの価値観によって負のエネルギーは変わるが、総合的な量は変わらねぇ。」
男は息を飲み込む。
「じゃあ、俺が助けた分、他の人に負のエネルギーが…」
「その通り、負のエネルギーは誰か被るまでは収束することはない。誰が負のエネルギー被るのかは俺にも分からない…。」
男は愕然とした、全員が助けられると思っていた浅はかさに。そんな世の中が都合よく動くわけがないということに。
「それとも、もう一度巻き戻して試してみるか? 確実に助けられる保証もなく、誰にどんな被害が出るのかも分からねぇ。合理的な判断とは思えねぇな。」
男はこの悪魔の言葉を信じ切っていた。
というよりは自分の精神を保つために信じるほか無かった。
あの事故を防げなかったのは自分のせいではない。
負のエネルギーがある限り、自分にはどうすることもできない。
そう、言い聞かすことしかできなかった。
「そんなにへこむことはねぇよ。お前の契約の記憶は今から消す。こんな思いはしなくてもいいんだぜ。」
男は不覚にも悪魔の言葉に安心を覚えてしまう。
この罪悪感から一刻も早く解放されたかったのである。
「じゃあ、事故は俺のせいではない。俺と嫁は無事だった…ただそれだけ。」
「あぁ、安心しろ。それだけだ。」
悪魔は男の頭に手をかざす。すると次の瞬間、男の意識はブラックアウトする。
―数時間後―
男は自分の家でテレビを見ていた。テレビには今日の事故の様子が報道されていた。男は事故のことをあまり覚えていない。ただ、事故の衝撃で忘れてしまったのだろうと自分に言い聞かせていた。
報道では死者6名、その他負傷者は13名と報道されていた。
男は事故の現場にいたにも関わらす、まるで自分とは関係のないようなことの気がしていた。なぜかピンと来ない。
嫁もおなかの子も無事だったということもあるだろうがなぜか他人事のような気がしていた。
そして、ぽつりとつぶやく。
「かわいそうに。」
悪の循環 @asyura071492
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。悪の循環の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます