第9話


 うわすげぇ奴がいる。と思った。最初は。




 俺の地元は、田舎で、田舎で、ド田舎で、大学生になった兄ちゃん姉ちゃんの世代はみんな自分の進学先で独り暮らしを始める。――そしてそのまま、卒業するまでほとんど地元に帰ってこない。必然、二十前後の『大人の先輩』ってのはみんな地元の就職組で、大学ってのがどんなとこかってのを教えてくれるような存在は俺には一人もいなかった。だから初めてのカンファレンスの時、堂々と講堂のど真ん中で「拙者こう見えて所謂アニメオタクと呼ばれる人種と違い以下略ぅウィドゥフォホホホホwww」とか吹き上がってるネルシャツ男を見たとき、「さすが大学まるで漫画みたいなやつがいるすげぇ」と思ったし、「あいつと仲良くすんのやめよう」と思った。絶対迫害される側のカーストに組み込まれる。




 俺は別にオタク趣味を悪いとも思わないし、なんなら耽溺している自信があった。大学では「そういうサークル」に入って、仲間を作りたいとも思っていた。それでもそうそう何度も同じ失敗を繰り返すほど愚かじゃない。地元の高校からこの大学にきている同級生はほとんどいなくて、せっかく人間関係を刷新できるんなら、俺は人間になりたかった。人間ってのは学ぶ生き物だ。




 それが気が付けばカブケンのきったない部室で同じ机を差し向いにくっちゃべることになったのは運命の悪戯としか言いようがない。




 いや、カブケンで再開した脇坂が初対面とまるで違うこざっぱりした見てくれになって、うざいしゃべり方であれど当初とは全く別のベクトルに振り切れていたことで、同一人物だと認識できなかったとか、あとはカブケンの会長に一目でアレしたからサークルを辞めるわけにいかなくなったとか、そういう実際的な理由はあったけど。




「ナカッペあれ見に行くやん? な? あれ。シンゴジ。行くやん? 絶対行くやん? わかってんねん俺ちゃん。絶対ナカッペいくやん? だからお願いというか頼みというか絶対出来がいいのはわかるけど一応どんなだったか封切りで見てネタバレにならない程度に速報して欲しいお願い俺ちゃん心の準備しないと無理。しんどい」


「ノミかお前」




 結局、カブケンに俺と一緒に入部したメンバーのほとんどは会長目当てで、当の会長の出席率がそう高くもなかったので、一年のほとんどを俺は脇坂と一緒に過ごした。




「脇坂」


「どう!? シンゴジどう!? わかるけど! ほんとはわかってるけど! なぁどうだった!?」


「行くぞ。――気分がいい。今日は奢りだっ!」


「抱いてぇ! 薄い本みたいにぃ!」


「はっはははダラシネェナ! 今日はオールだオール!」




 俺が当初思っていたキャンパスライフが、はたしてカブケンの部室にあったかというとそうじゃない。少なくとも365日の300日近くをちっちゃいおっさんと過ごす生活は想像してはいなかった。




 ただし、俺はちゃんと人間で、脇坂一樹は俺が人生で初めて飲んだ酒の向かい合わせだった。




「向井このみ一回生でッス! 主な守備範囲は特撮とコロコロ! 好きなニチ朝番組はクラッシュギアでッス!」


「アクと業と声がすげぇ!」


「……ターボ? ニトロ?」


「油を注ぐなおっさん」


「スイマッセン! リアタイの時ちっちゃすぎてショーパンがまぶしかった記憶しかないっス! だから両方ッス!」


「だから業が! いやほんと深いな!?」




 翌年、いよいよ会長が新入生勧誘にもほとんど顔を出さなかったこともあって、ちらほら見学に来た一回生は十分も持たずに「あ、自分ら、友達と待ち合わせしてるんで……」だの言いながら失せていくなか勢いと声量だけで飛び込んできた後輩は頭おかしいんじゃないかと思った。




 自己紹介でいきなり性癖ぶちまけるやつがいるか。




 いや、あの自己紹介が無かったら、俺は向井と仲良くなろうと思えたかどうか怪しいが。




 脇坂の第一印象とは全くの真逆で、向井はまったくオタクには見えなかった。身長は俺より少し高いくらいで、ちょっと肩幅が広いが細身の体に、俺みたいな田舎のオタクにはわからない「一般人らしいお洒落」をちゃんとしていた。あとから説明を受けたが要するに上下のデザインに統一感があって場面に似合ってればお洒落だとかなんとか。




「そうは言ってもちゃんとした服って高いんだろ?」


「自分、全身無印良品とユニクロッスよ? あとしまむら。先輩がだめだめなのはコーディネート理論を理解できてないからッス!」


「ACのアセンブリならできる」


「なら出来るっスよ! 要は同じことッス! アドバイスするんで早速でっぱつッス!」




 それでもやっぱり、俺にとって「お洒落な女子」ってのは完全な異生物だ。脇坂と二人して特撮の話をしているときなんかは混ざれるが、どうしても心のどこかで怯えていた。




 いや、むしろ、普通のお洒落な女子より怖かったかもしれない。




 同じ趣味をもつ、同じ土俵のはずの歳下にまでなぶられたら、もう何も言い訳できなくなってしまう。




「いやでも俺ほら今月はフォールアウト4買わなきゃ」


「今週末の会同は会長くるらしいッスよ」


「行くぞ後輩。きりきり歩け」


「ウィッス! まずはユニクロっス! 黒スキニーっス!」




 俺は向井に結構失礼な態度を多々とったと思うけど、それでも向井このみはいい奴だった。




「……ナカッペ先輩。ウェイストランドの冒険はどうっスか」


「いや、その」


「……その靴、かっこいいっスね」


「あ、はは、わかる? いや、こう、一目惚れっていうか」


「……最近なんか痩せたっスか?」


「はは……」


「……わかりました、女、向井このみ。責任とりまッス!」


「は!?」




 結局、向井の援助物資投入によってその夏、俺は3万円の革靴ステーキを食う悲劇から逃れえた。




「目覚めたてで楽しいからって生活費ぶっこんで靴買ってたら死ぬッスよ!? 食うんスか!? 食うつもりッスかその歩きづらそうな革靴!!」


「怒鳴んないで腹に響く……」


「もうすぐできるから辛抱するっス!」




 その日は一日中こんこんとお叱りを受けて、俺は尻が落ち着かない事この上なかったのだけど、向井このみは初めて俺の部屋にきて、初めて俺に手料理を作った他人になった。




 酒が入った向井は「私の考えたさいつよイナズマイレブン」について語るだけのマシーンになってしまうので、俺の中に仄かに燻っていた邪な期待は打ち破られることになったのだけど。向井のカルマの煮凝りを右から左に聞き流している俺は、胃袋以外のところが、満ち足りていた。




 俺は人間になりたかった。




 自分の居場所があって、みんなに選ばれていて、自分で責任が取れて、嘘でもなんでも使いこなせる、立派な、大人の、人間に。




 人間は、俺は学ぶ生き物だ。




 二人の事を、一緒に過ごして、知って、学んで。




 俺は、楽しく大学生をやれていた。




「まぁ、そんな感じだ」


「要するにヒネにヒネとった面倒くさいお主の面倒を見てくれた心優しい無免許介護師というわけか」


「お? 屋外に出て活性あがってますねえるふさん? ちょっと殴り合いしとく?」




 えるふから『セブン・リーグ・フープ』を借りた俺は、私鉄を乗り継ぎ大学近くの公園に繰り出していた。公園といっても子供が遊ぶような感じのそれではなく、遊歩道と庭園が絡み合い、昼間には大学生が芝生に座り込んで弁当をかっ食らうような具合の場所だ。あと春には絶好の花見スポットになる。




 二人は大学から比較的近くに住んでいるので、ここがちょうど三人の住処からの中心点になる。




 公園に到着してすぐ、二人には連絡してある。もう三十分と待たずに、来てくれるはずだ。




 当たり前のような顔でついてきたえるふと一緒に、ベンチに腰掛けて、待つ。




「なーんでせっかく貸してやったのにわざわざ電車乗ってきたんかとか聞きたいことはいろいろあるが」


「うん」


「とりあえず、お主一体どうするのかの?」




 ベンチの背もたれに蓮っ葉に肘をかけ、夜空を見上げながら、部屋での問いをえるふが繰り返す。


「解っとると思うが、隠すには隠すなりに理由があるぞ? 特にその、ちっこいおっさんのほうなんぞいかにもややこしそうじゃけど」


「コスプレの延長……とはいかないわな、流石に」


「それはさすがに舐めすぎじゃろー」




 どうするのか。




「どうしたもんかなぁ……」




 ほんと。




 どうしたもんかな。




「まぁ、それはおいおい考えるさ」


「……ほぉん」


「あとお前なんでいんの」


「え、ここに至ってそれ聞く?」




 逆になんで聞かれないと思ってたんだよ。




「じゃって面白そうじゃしってダメダメ、バッタはダメじゃバッタは虫は止めよ。止めよ。止めてください」


「居てもいいけどお前紹介すんの超めんどくさいんだけど」


「なんとかなると思うがの。あと帰れとか言われんのなんか新鮮じゃな。デレた? セミも止めろください。めっちゃ虫捕まえんのうまいんじゃがこの下郎」


「田舎民舐めんな」




 とか、なんとか。




 揺ってる間に日も暮れて、街灯がチカチカ瞬き始める。俺の住む町よりずっと栄えたこの辺じゃ、見上げても星らしい星はとんと見えない。




 月だけ、ぽかんと開けた口みたいに浮かんでいる。




 二人が来たのは、やっぱり思った通りの、連絡してから三十分後だった。




 連れだって、ベンチに座った俺のちょうど真向かいから、歩いてくる。




「……うぃーす」


「おっす」


「ンばんわッス」




 俺が立ち上がったのに合わせて、示し合わせたように二人が足を止める。




 遠い。




 昼までのバカ騒ぎが嘘みたいに。




 距離もそうだが――四、五メートルってとこか――それ以外が、どうしようもなく遠い。眼鏡越しの二人の姿が、見慣れなくて、なじまなくて。




 二人もまた、俺の顔を見て、押し黙っている。わかってるんだろう。きっと、二人にとってはよく知る道具なんだろう。




 俺の隣の、えるふのことに触れないのも、きっと二人の予想の範疇だったからなんだろう。




「……まぁ、なんだ」唇をなめて、切り出す。「そういうことなんだけどさ」




「そういうことってまぁそういうことってことやね、わかるわ。うん。わかる」


「ッス。ぶっちゃけ昼には察してたッス。というかメガネかけた時から」


「……結構平静を装ってたつもりなんだけど」


「だって先輩、私と目が合った、、、、、、、っスもん」




 言われて気が付く。




 俺に向井の背が縮んで見えていたということは、今まで目線だと思っていたところはまるで見当違いだったということで。




「つまりメガネかけるまでの先輩は私の胸元凝視して喋ってたんスけどね?」


「傍から見てる俺ちゃんがハラハラする絵面でしたわ。視線にエロさの欠片もないのがなおのことサイコでヤバかった」


「そういうの早く教えてよ頼むから。なぁ」




 泳がせとくには重篤な奴だと思うんですけど。




「教えるにも、な。わかるやん? ――わかっちゃったら、困るやつやん?」




 脇坂が。




 それこそ、目線どころか、何もかも違って見える、それでも脇坂だとわかってしまう、見たことの無い女性が、言う。




「教えなかったのは、うん。俺ちゃんらが悪いんやけど、さ」


「……」


「あー、でも、あれ。なんていうの。俺ちゃん、別にこう、やらしい理由で男の子の格好で男の子に混ざっとったわけちゃうねん。いや、うん。先に、こんなん言うべきちゃうねんけど。うん」


「理由は、なんか、わかんないけど、そういうんじゃないってのは疑ってねぇよ」


「……うん」


「教えなかったってのも、うん。別によくて」




 空を見上げる。




「話があって、呼んだんだけど」


「おう」


「うッス」


「俺は、別に二人に謝ってほしいわけじゃなくて。あのさ。これ、あっちのエルフに、あいつ、隣に最近越してきたんだけど。それで、あいつにこの眼鏡も借りてて、で」




 言いたいことがまとまらない。どこから話したものか。わかった顔でじっと立ってる二人が、どこまでわかってるのかもわからなくて。




 遠くて。




 片手にもった『セブン・リーグ・フープ』を、二人に、見せた。




「で、それで。これ、知ってる?」


「……おう。知っとる」


「使ったことないっスけど。――それ、なんかこう、分解転送再構成みたいなあれっスよね?」


「そう。なんか。そういうやつ」




 分解されて、飛ばされて、再構成されて。




 元の自分か、まるで違う何かなのか、一度使えば問い続けなくてはならない。物騒で、迷惑な、それを。




 俺は、自分の頭の上に掲げた。




「……ナカッペ?」




――行きたいところを念じると――




「先輩、それ、何してッ――」




――たどり着きたいところに行ける――




 二人が、遠くて。遠く感じて。




 だから俺は。




 手を離した。




 二人が、まるで違う何かで。俺の知る二人でない何かで。それでこんなにも遠いなら。




「――俺さ」




 それなら、これから、知ればいい。




「もう、二人の知ってる俺じゃなくなっちゃったんだけど」




 フープをくぐったその先に、手の届くくらい近くに、二人がいる。




 元居た場所から四、五メートルだけ、、、俺は二人に近づいた。




「これからも仲良くやってくんない?」




 自分でもわかるくらい情けない笑顔で、俺は笑ってみせた。




「ナカッペ……」




 脇坂が、俺のことを見上げつ「このドあっほぉッ!」「いってぇ!?」




「ナカッペお前あんなスコーンて! スコーンて! あんな勢いで潜るヤツちゃうであれ! なんや滅茶苦茶して! 後先考えぇや! 何考えてんのん! わからん! 俺ちゃんわからんわ!」


「大丈夫なんスか!? 変なとこから手ぇ生えてたりしないっスか!? 何してるんスかマジで!」


「なんか思ってたのと違う! 二人とももっとこうジーンっと来る奴じゃねぇの今の俺けっこうそういうつもりで!」


「なんでやねん! うわ生まれて初めてこんなありきたりなツッコミいれたわ。というかなんでやねん。いやわからん。ホンマに」




 なんでやねん。なんでやねん。と繰り返す脇坂と、俺の体を撫でまわして確認する向井。




 二人そろってちょっと涙目になってて笑う。




「は、はは」


「わろとる場合ちゃうでホンマ! なぁナカッペ聞いとる!?」


「先輩ちょっとお腹出てないスか!? これ元からっスか!? なんか幼虫とか混入してたりしないっスか!?」


「ごめん、いやごめんて。はは、あはは!」


「全然聞いてへんやんかナカッペァア!」


「ははははは!」




 ケタケタ笑ってしまって、なおのこと脇坂は怒って、向井は向井で「頭に異常が出てるっス! こんな陽気なの先輩じゃないっス!」とか騒ぎだして。




 それから三人して落ち着くまで、結局俺は笑い続けてしまったのだった。




 えるふ曰く。これから俺は『俺は俺なのか』問い続けないといけない。俺はひょっとしたら、人間じゃなくなってしまったかもしれない。




 俺は人間になりたかった。




 でも今は、これでいいや。




 今までと変わってしまった俺たちのことが、それでも変わりそうにもないことが愉快で。




 きっと今は、これでいいんだ。




 月はぽかんと口を開けてるみたいで。俺たちのことを笑ってみているみたいだった。



:::




「肝が冷えたわ馬鹿者め」


「ごめん」


「儂のことほったらかしじゃし」


「ごめんごめん」


「だいたいあんな近くに転移して、今のお主けっこうな割合であの二人が混入しとるぞ」


「それは気にしてねぇけどな」






「元から、そんなもんだよ」


「――ふんッ!」

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