エピローグ 「……心休まる日常はどこで迷子になってるのかな」

「――と、いうわけで、正式加入しました家政部門階級第一位小間使い《レディーズメイド》、世界一可愛いクロエ・ウォーカーちゃんです! 今日から宜しくお願いしますね、せ・ん・ぱ・い?」


 リースたちの再雇用も叶い、穏やかな日常が戻ってきた……はずであった。

 リビングには主であるノアとリース、ソフィア、狂華のメイドが三名。そして、新たに雇用されたというクロエが席に着いていた。

 横ピースを決める金髪メイドを見て、リースの顔に影が差す。室温が数度下がった気がする。だというのに、汗が止まらないのはなぜであろうか。


「……なぜ、貴方がいるのですか? あくまで、正式なメイドが決まるまでの仮雇用であったはずですが?」

「あはっ! やだぁ~リースせんぱ~い。ちょ~怒ってるぅ~。めっちゃうけるんですけど~」


 止めて煽らないでリースめちゃくちゃ怒ってるから!


 ノアの前では表情こそにこやかだが、目の奥は明らかに笑っていない。MSCでは冷静冷徹などと呼ばれているらしいが、その実沸点はとても低く、煽り耐性もない。

 あわあわするノアを尻目に、クロエは口角を吊り上げ、道化のように笑う。


「まあしょうがないので教えてあげます。先輩がど~しても? 教えて欲しいと頭を下げるので? 仕方なくですよ~?」


 大火の中に火炎瓶を投げるが如き所業。

 燃料をくべられたリースの怒りは、しかし表には出てこない。内に内に溜め込み、逆に頭は冷えていく。浮かべられた微笑みに、ノアへと向ける温かさなどなく、ただただ冷たい。


「リース先輩たちを雇用し直すにはどうしたらいいかってご主人様に訊かれたので、助言をしてあげたんですよ」

「助言、ですか?」


 クロエの言葉を受け、リースの顔がノアへと向く。

 ノアとしてはこっちに矛先を向けるなと言いたい。とはいえ、リースとて敬愛する主に怒りを向けるほど愚かではない。向けられたリースの顔には、困惑だけが残っていた。


「あ、はい。それでお母様にお願いすれば全部解決するって」

「事実である、と。ですが、それがどうしてこのような淫乱女を雇うことと繋がるのでしょうか?」

「漏れてる。心の声が漏れてるよリース」


 クロエへと意識を戻した瞬間、氷柱つららのように鋭く冷たい言葉が零れ落ちる。「申し訳ございません、ご主人様」と謝罪こそするが、それは主に不快な言葉を聞かせたことであり、クロエへの謝罪ではなかった。

 そのようなこと、言われずともクロエも理解しているのだろう。罵られたせいか頬がピクピクと引き攣る。返す言葉に遠慮はない。


「う~ふふ~。それは、教える代わりにこのまま私を雇ってくだちゃいって、お願いしたからですよ」

「主に対価を求めるとはなんたる不遜。ご主人様、このような無礼千万な米国女など即刻解雇致しましょう」

「はっ! 自分勝手にお世話し過ぎてご主人様に風邪をひかせた英国女がなにか言ってるわ。可愛がり過ぎて嫌がられるとか、ペット飼いたての子供かっての」



 ――氷の砕ける幻聴が響いた――



 リースに対して、現在最も触れてはいけない話題に、躊躇なく触れていくクロエ。リースにとって、その失敗は人生唯一の汚点にして、悔やんでも悔やみきれないトラウマだ。傷の塞がりきっていない傷口に塩を塗り込むが如き所業。

 これまで、ずっと笑顔だったリースの顔から表情が抜け落ちる。

 能面のように感情がなくなった瞳は凍えるように冷たく、傷へと触れたクロエへをまなこに映す。


「よく仰いましたね。それは教育をされたいという意味で宜しいでしょうか?」

「ばっか言わないで下さいよ~。失敗したばかりの先輩に教わることなんてなに一つありませんよ~だ」

「あの……リース?」


 これはだめだ、止まらない。


 そう思いつつも、恐々と名前を呼ぶと、彼女は太陽の下で花びらを広げる大輪のように笑う。


「申し訳ございません、ご主人様。少々、食卓を愚か者の血で汚すことをお許し下さいませ。安心して下さい。一滴の血も残さずお掃除致しますので」


 表情とは裏腹に、その言動は紅く濡れていたが。


「そういう問題ではないけれども!?」


 こうなるとリースは止められないと、今度はクロエに顔を向ける。

 もう止めて! という意思を込めて見つめると、彼女もリースと同じように可憐な笑顔を咲かせる。


「ご主人様ぁ~? ちょ~っと身の程知らずのリース先輩にお灸を据えるだけですから、安心して下さいね~?」

「なにも安心できる要素がないけれども!?」


 団らんの食卓が一転、血で血を争う戦場へと変わってしまう。

 まさに一触即発。火気の一つでもあれば、一瞬にして燃え上がってしまうだろう。

 もう互いしか目に入っていないのか、こそこそと移動するノアには触れてこない。もしくは、危険故に離れることを良しとしたか。

 慌ててノアはソフィアに助けを求める。


「ちょっとソフィアさん!? あれ止めてよ!?」

「嫌ですわぁ。面倒臭いですものぉ。それに、私は今読書で忙しいんですわぁ」

「お仕事中のはずなんだけどねぇ!?」


 優雅に紅茶を飲み、我関せずと本を読み続けるソフィア。

 彼女が読んでいるのは『芥川龍之介全集2』の『蜘蛛の糸』。どうやらノアに救いはないらしい。

 最後の希望と、ソフィアの隣に座る狂華に縋る。


「狂華~」

「あっはっは。いやいや、とても愉快な催しじゃないか。止めるなんてもったいない。紅茶を飲みながら観戦するというのも、乙なものだよ?」

「ぜんっぜん乙でもなんでもないけど!? 血生臭い殺陣たてになるけども!?」

「血が流れてる時点で、殺陣ではなく実践だね」

「呑気!」


 争いを止めるどころか、諍いそのものを楽しみ出す始末。全くもって役に立たない。

 こうしてノアが助けを求めている間にも事態は悪化しており、リースは短剣を、クロエに至っては小型の拳銃を構えていた。


「なんで拳銃なんて持ってるの!?」

「拳銃の所持なんて、アメリカじゃあ普通ですよ?」

「ここは日本!」

「あはは~。冗談ですよ~ご主人様。モデルガンモデルガン」


 コロコロと笑うクロエ。とても冗談には聞こえない。そもそも、リースに向けた銃口を降ろす気は一切ない。

 リースは短剣を投擲するように構え、クロエは引き金に指を掛けている。

 食卓がメイドの血によって汚れるかというところで、ついに爆発したのは――ノアだった。


「も――っ!! ご主人様の命令です! 全員止まれ――――ッ!!」


 ノアの望む平穏はまだまだ戻ってくることはなく、メイドたちとの騒がしくも華やかな日常が続くようだ。

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