私は学校が終わると、幼馴染みのいる病室を訪れる。


秋斗あきと君、そろそろ起きてもいい頃じゃないかな」


 病院のベッドで眠る秋斗君の頬をつつきながら、私は毎日同じようなことを言う。

 秋斗君がこうして、眠り初めてもうすぐ一年が経過しようとしてる。


「そろそろ私に謝らせてくれても、いいんじゃないかな」


 秋斗君は自殺をするため、屋上から飛び降りた。

 学校でいじめられていたのが原因だ。かなり悪質で残酷ないじめだったらしい。

 学校が違うので、私は秋斗君が病院に運ばれるまで、そのことを知らなかった。でも、そんなことが言い訳になるとは思わなかった。


「ねえ、秋斗君。もうすぐ一年だよ。そろそろ秋斗君に会いたいよ……」


 秋斗君がいつ目覚めるか、医者にもわからないそうだ。明日、目が覚めるかもしれないし、このまま一生目覚めないかもしれない。


 私はだた、秋斗君ともう一度話したいのだ。


「お願いだから、起きて。秋斗君、私は待っているよ」



 * * *



『秋斗君が目を覚ました』


 帰りのショートホームルームが終わって、スマホを見ると、母からそんなメッセージが届いていた。


『でも、記憶がないみたい』


 続いたメッセージに心臓が止まりそうになるものの、それでも秋斗君が目覚めたことが嬉しくて、私は教室を飛び出した。

 1秒でも早く、秋斗君に会いたかった。



 病室に行くと、秋斗君しかいなかった。

 秋斗君のご両親は、医者と話をしているという。


「こ、こんにちは」


 おそるおそる私は、病室に足を踏み入れた。

 いつも通っていた病室が、全く別物になってしまった感じがする。

 つん、と病院特有の匂いが私の鼻を刺激した。


「こんにちは」


 窓の外を見ていた秋斗君は、私の声に反応し、私の方を向いた。


 ――――ああ、そうなのか。


 その一言で、私は悟ってしまう。


「……あの、どちら様、ですか」


 ――――秋斗君は本当に記憶がないと。


「すみません。僕、記憶がないらしくて、わからないんです」


 ――――この秋斗君は、私が知っている秋斗君ではないと。


「お名前を聞いても、いいですか」


 私は泣きそうになるのを堪えて、秋斗君に歩み寄る。


「私は、大場おおばこうです。秋斗君の幼馴染みです」

「貴女が紅さんですか」

「私のこと、知ってるんですか」


 私のこと少しは覚えているのだろうか、と少しばかりの期待を抱いてしまう。

 そんなわけ、ないのに。


「はい。母から聞きました。僕が病院で眠っている間、毎日尋ねてくれた幼馴染みがいると」

「そう、ですか」


 秋斗君の「母」という発音に戸惑いがあった。本当に全部、忘れているんだなと改めて実感する。

 私のことなんて、覚えているはずもないだろう。


 私は椅子に座って、秋斗君の方を見る。

 顔は相変わらず、秋斗君なのだ。正真正銘の秋斗君なのだ。

 だけど、中身がまるで違う。秋斗君じゃない。


 そのことが、私の頭の中をぐるぐると循環する。


「ねえ、秋斗君。私は、今まで通り貴方と接した方がいいですか? それとも、違う方がいいですか?」

「…………」

「……そんなこといきなり言われても、困っちゃいますよね」


 私としてはどうしてもはっきりさせておきたかった部分なのだが、聞かれる本人としてはすぐに決められる問題じゃないだろう。


「……紅さんが許してくれるなら、以前と同じように接してください」

「いいんですか?」

「紅さんさえ良ければ」


 秋斗君はにこりと微笑んだ。笑う顔は私の知っている秋斗君だった。


「じゃあ、秋斗君。こんな感じなんだけど」

「僕のこと、秋斗君って呼ぶんですね」

「うん。小さい頃からの癖で」

「僕は紅さんのこと、なんて呼んでましたか?」

「紅ちゃん、かな」

「紅、ちゃん」


 秋斗君は、微かに頬を赤らめて、呟いた。


「僕も、紅ちゃんって呼んでいいですか?」

「うん、いいよ。あと、敬語じゃなくていいよ」

「紅ちゃん。こんな感じかな」

「……うん、そんな感じ」


 やっぱり、中身は全く秋斗君じゃない。

 紅ちゃん、と呼ぶその声音は一緒でも、ニュアンスというのか、何かが圧倒的に違う。


 私が切なそうな顔をしていたからなのだろうか、秋斗君は、


「……紅ちゃん。僕、早く思い出すからね」


 と、気遣うような言葉を言う。

 秋斗君も、少し困った顔で微笑んでいた。


 一番不安なのは、何も知らない秋斗君なのに。

 そんな彼に気を遣わせてどうするのだ。


「思い出さなくてもいいんだよ」

「え」


 私の投げかけた言葉に、秋斗君は声を漏らして驚いた。

 一日も早く記憶を思い出してほしい。そう皆が願っていると、秋斗君は思っていたのだろう。


「秋斗君の記憶は、辛いものも多いはずなんだ。だから、無理に思い出さなくて大丈夫だよ。私は、思い出して欲しくない」


 秋斗君にもう一度辛い思いをさせたくない。

 それが私の本音。私の願い。

 だから……。


「でも、僕は紅ちゃんと過ごした日々を、早く思い出したい」

「……秋斗君」

「僕にとって、紅ちゃんは大切な人だったんだよね? そのくらいは、なんとなくわかるんだ」


 秋斗君は私の瞳を覗き込むようにして言った。

 その汚れのない綺麗な瞳に、私はどきりとしてしまう。


「私との思い出も、そんなに綺麗なものじゃないよ」


 でも、私にとっては大切なものだった。

 喧嘩だってしたし、違う学校に通い始めてからは、疎遠になった。八つ当たりだってした。醜い部分だって沢山見せた。


 でも、それは秋斗君だったから、できたことで。

 秋斗君じゃなかったら、私はこんなことをしていない。


「それでも、僕と紅ちゃんにとっては、大切なものだったんでしょ?」

「……うん。でもね、秋斗君」


 秋斗君の気持ちは嬉しい。でも、違う。違うのだ。

 今の秋斗君と、私が好きな秋斗君は、違う。


「いいんだ。このままで」

「どうして?」

「思い出なんて、また一から作っていけばいいんだよ」


 だから、私は“秋斗君”との思い出に、蓋をする。


「でも、秋斗君。未練がましい私のために、ひとつだけ、我儘を許してくれるかな。それで全部、終わりにするから」

「うん、良いよ」


 秋斗君は快く頷いてくれた。

 だから私は遠慮なく秋斗君の顔を覗き込んで、そして。


 唇と唇を合わせた。



 ––––––––––貴方のことが、好きでした。



 もう届かない想いを心の中で告げる。


 こうして、私の恋は終わり、そして始まるのだ。



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