「元気でね、夏彦なつひこ


 引っ越しが決まった彼氏に、私は笑顔で手を振った。


「おいおい、そんなに俺が引っ越していくのが嬉しいのか?」


 私の満面の笑顔っぷりに、夏彦は少しだけ名残惜しそうな顔をした。


「そんなわけないでしょ。寂しいに決まってるじゃん」

「本当か?」

「本当です~。少しは彼女のこと信頼してよね」

「でも、青葉あおばは俺がいなくても平気で過ごしそうだからなぁ……。浮気すんなよ?」

「そっちこそ」


 そうして、私たちは笑顔でしばしの『さよなら』をした。



 * * *



「最近、夏彦から連絡来ないなぁ」


 ベッドに寝そべりながら、私はスマホを見る。開いてあるのは、メッセージアプリの、夏彦の画面。

 夏彦から連絡は来なくて、だからと言って私からも連絡をしない。


 用事がないから当たり前と言ってしまえば、当たり前なんだけど。


 遠距離恋愛になってから最初のうちは、毎日電話したりメッセージを交換したりしていたが、それがだんだんと一日おき、三日おき、一週間おきと頻度が減っていた。

 互いに部活やなにやらで忙しくなって、時間が合わなくなったのはあるし、そう毎日話す内容があるわけでもない。


 でも、やっぱり音沙汰がないのは寂しい。


 夏彦とのメッセージのログを眺めながら、私は会いたいよ、と呟いた。



 ぴろん、とメッセージを受信した合図が鳴った。

 夏彦から?!、と期待したが、差出人はクラスメイトの男子だった。


 少しがっかりしながら、なんとなく彼からのメッセージを開く。


「え」


 そのメッセージの内容に、私はつい声を漏してしまう。


『好きです。付き合ってください』


 そういう、メッセージ。

 告白、だった。


 メッセージアプリで告白なんて、珍しくもなんともなかった。今は皆、こうやって告白していることは知っていた。

 私は直接夏彦に告白したけど。


 そこが問題ではなかった。

 彼は知っているはずだ。

 私と夏彦が付き合ってることを。


『私、夏彦と付き合ってるから』


 私はメッセージをさっさと送る。

 既読をつけたのに、返信が遅いと色々相手に考えさせてしまう。


『え、まだ付き合ってたの?』


 返ってきた言葉に、私は言葉を詰まらせる。

 やっぱり付き合ってるように、見えないのかな。


 私の心情なんかお構いなしに、ぴろんぴろんと、容赦なく鳴る。


『遠距離になるから、別れたのかと思ってた』

『今も夏彦のこと好きなの?』


 好きだよ、私はそう返信する。



 ――――好きだよ、少なくとも私は。夏彦がどうかは、知らないけど。



『夏彦の方はどうなの?』

『知らない』

『だったら、俺のことも考えてみてよ』


 その言葉に返信する気が起きなくて、私はメッセージアプリを閉じて、スマホを手放した。


 頭が真っ白になった。何も考えたくなかった。

 だから、何もない天井をぼんやりと見上げていた。


 でも、やっぱり夏彦のことが浮かんでくる。


「会いたいなぁ」


 呟く。


「会いたいなぁ」


 呟く。


「会いたいなぁ」


 呟く。


 夏彦が現るはずがない。

 夏彦から電話がかかってくるはずがない。

 夏彦からメッセージがくるわけがない。


 それでも。


「会いたいなぁ」


 呟く。


 ただぼんやりと、会いたいなぁ、と呟く。


 だんだんと、「会いたいなぁ」が機械的になってくる。なんとなく、「会いたいなぁ」を繰り返し続ける。


 それがなんだか、もどかしくなってきて。

 遂に私は、メッセージアプリで「会いたいなぁ」と送ってしまう。


 送ってから三秒経って、なんてものを送ってしまったんだと、はっと我に返る。

 こんなの送ったら、ただの重い女じゃないか。


 会いたくても会えないのは百も承知だし、こんなものいきなり送られたら、迷惑だろう。

 もしかしたら、夏彦は私と会いたくないかもしれないし。


 送信を取り消そうとするが、既読になっていることに気がつく。

 見られちゃった……。


 どうしようどうしよう、と軽いパニックになっていると、スマホが振動する。

 電話がかかってきた。相手は、夏彦から。


 余計にどうしよう、となってしまった私は、とりあえず通話ボタンを押した。夏彦と話したい、という欲望には敵わなかった。


「もしもし」


 どきどきと心臓を鳴らしながら、私は夏彦に話しかけた。


「大丈夫か?!」


 夏彦の声が耳に入ってきて、体中に響き渡る。

 夏彦だ。夏彦の声だ。


 幸福感に満たされながら、私は夏彦に言葉を返す。


「えーと、大丈夫って?」

「メッセージ送ってきたのは、青葉だろ。会いたいなぁって」

「そう、だけど」

「急にそんなの送られてきたら、何かあったのかって心配するだろ。なんとなく、いつもと様子が違うし」


 なんだ、夏彦には全てお見通しってわけか。

 そのことが少し可笑しくなってきて、それ以上に安心して、私は茶化すように言う。


「クラスの男子に告られた」

「はあ?!」

「たった今、メッセージで」

「……どう返信したんだ?」


 必死に聞いてくる夏彦の声を聞いて、「ああ、好きだなぁ」ってなる。

 この人の、こういう所が好きだなぁって。


「……ねえ、夏彦って私のこと好き?」

「はあ?! 急になんだよ」

「私は夏彦のこと、好きだよ。愛してる」

「お前……」


 電話の向こうで、夏彦が照れているのがよく伝わってくる。

 なんだ、こんなに簡単に話せるなら、もっと早く電話すれば良かった。


「私ね、夏彦にとって重い女になりたくなかったの。執拗に連絡とって、嫌がられたら本末転倒でしょ? だからなかなか連絡できなかったの」

「そんなわけないだろ」

「え?」

「青葉から連絡来て、嫌なわけないだろ。俺だって青葉のこと、す、好きなんだから」

「……照れちゃって可愛いの」

「うるせえ」


 私はベッドから降りて、窓を開ける。

 窓から空を見上げて、星を見る。きっと夏彦も、星空を見上げてる。そんな気がした。


「ねえ、夏彦。もうすぐ夏休みだね」

「そうだな」

「会いたいな。会えるよね」

「勿論。俺だって、青葉に会いたいしな」

「その言葉、信じていいんだね」

「当たり前だろ」


 そっか。そう呟いて、夏の星を見る。

 夏の大三角を形成する星々が丁度見えた。ベガ、デネブ、アルタイル。


「ていうかお前、告白ちゃんと断ったんだろうな?」

「どうでしょう」

「教えろよ」

「秘密」


 私たちはそうやって、ふざけあう。

 それが心地のいい距離だから、それでいい。


「また、電話するから」

「おう」

「メッセージも送る」

「俺も」

「おやすみ」

「おやすみ」


 電話が切れる。

 少し名残惜しかったけど、でももう大丈夫だ。


 私は夏の星座を見ながら、ふふふと笑いを漏した。



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