春夏秋冬恋物語
聖願心理
春
あ、今日もある。
私の下駄箱には、毎朝手紙が入っている。上履きにちょこんと乗せられた、ひとつの封筒。
「まめだなぁ……」
そんなことを呟きながら、私は手紙を取り、上履きに履き替える。右足のかかとの部分が上手く入らず、地面につま先を打ち付ける。
上履きがちゃんと履けると、二階の教室に向かうため、階段を上がる。桜の花びらが風に揺られて、舞っているのが、窓から見えた。
階段を登りながら、私は封筒をあける。糊で固定されていないので、簡単に中身の便箋を取り出すことができる。
今日は水玉模様の便箋だった。
そこに書かれている内容は、いつも同じ。
『好きです』
という、四文字だけ。
何が好きなのか、誰が書いたのか、そもそも誰宛なのか、一切わからない。
ただ、『好きです』という告白のような言葉が、少々不格好な文字で書かれてる。
字の雰囲気からして、たぶん男の子だ。
この謎だらけの手紙を、私は勝手に私宛の告白だと思うことにした。
だって、そっちの方が素敵でしょ?
そんなことを思いながら、鞄に手紙をしまう。このことは、友達には秘密にしている。
告白の手紙を受け取って、私の一日は始まる。
* * *
この手紙が届き始めたのは、私が高校二年生になってすぐの頃だった。
今年は桜の開花が遅くて、新学期が始まる頃はまだ蕾のままだった。でもどことなく春の予感がしていた。学年が上がったことやクラス替えがあったことも、理由なんだろうけど。
そんな高揚感を胸に秘めながら、新学期二日目、下駄箱を開けたら、封筒が上履きの上に乗せられていた。
なんだろうと思いながら、でも、こんなことが今時あるんだとドキドキしながら、私は恐る恐る封筒を手に取る。
桃色のシンプルな封筒だった。表に何も書かれていなかったので、裏を見てみるが、そこも綺麗なままだった。
それが、余計に緊張感を高める。微かに震えた手で、私は封筒から便箋を取り出した。
封筒と同じ種類の、桃色の便箋。そこには、こう書かれていた。
『好きです』
「ふへっ?!」
思わず私は、変な声を漏らしてしまう。息をするような小さな声だったので、誰にも気づかれることはなかった。
私は瞬きを何度かして、もう一度、便箋を見る。でもそこには、確かに『好きです』と書かれていた。それ以外には何も書かれていなかった。
いたずらなのかなぁと思いながら、私は便箋を封筒にしまい、鞄に投げるように入れた。
顔が熱くなってたことに、私は気づかなかった。
* * *
それから、毎日この手紙は届くようになった。流石に学校のない日はなかったけれど。
毎日毎日、同じ手紙が送られてきて、『好きです』という言葉に慣れてしまった。だが、面倒くさいとか嫌だとか思うことはなく、私の毎日の楽しみになった。
授業中、こっそり手紙を取り出しては、にんまりと見つめている。
やっぱり、差出人が誰かわからなくても、『好きです』と言われることは、嬉しい。なんだか胸がぽかぽかする。
差出人が誰だか知りたくて、早めに登校したこともあったけど、それでも手紙は必ず下駄箱にいた。
毎日毎日、少しずつ時間を早めたけど、それでも手紙の方が早かった。
だから、差出人を探すのをやめた。
きっと探してほしくないんだろうな、そう思ったから。
名前も連絡先も書かない。『好きです』以外、何も書かない。
差出人はよっぽど照れ屋なのだ。
色々なことは考えるし、疑問に思うけど、「まあいっか」と思うことにした。
* * *
桜が葉桜へと移り替わる頃の話だ。
その日、手紙の内容は違った。
一番最初の手紙と同じシンプルな桃色の便箋。
それに書かれたその言葉は。
『この手紙が貴女様に迷惑でないならば、放課後午後五時に、桜の木の下で待っています』
まさかの呼び出しの言葉だった。
どくん、と胸が鳴る。この正体不明の手紙の差出人が、遂にわかるかもしれない。
心臓の音。手の震え。期待感。
いっぺんにそれらが襲ってきて、楽しみで怖くて、そういうごちゃ混ぜな感情が私を襲ってきた。
その隙間に。
「あ、でも今日放課後、委員会あるじゃん」
用事を思い出す。
でも委員会自体、そんなに時間はかからないよね、と自己完結して、またわくわくした浮遊感に気分は戻る。
私はいつもより勢い良く、教室のドアを開けた。
* * *
――――こういうときに限って、どうして委員会は長引くんだろうか。
委員会が終わったのは、五時を十分ばかりすぎた頃だった。
私は急いで、教室を出る。鞄などは持たずに、桜の木に向かって走り出す。
もういないかな、帰っちゃったかな、そういう不安に襲われながら、靴を履き替える。
どうしてこんなに必死になってるんだろう、自問自答しながら、息を切らして走る。
手紙をくれた人に、会ってみたい。
それが、一番の理由だった。
毎日毎日、律儀に手紙をくれた人。
私のことを好きだと思っているかもしれない人。
その人に会ってみたいと思うのは、不思議なことじゃないはずだ。
そう結論づけて。
私は桜の木にたどり着いた。
――――誰も、いなかった。
「やっぱり、少し遅かったか……」
ぜぇはぁ、と息を切らしながら、木の幹に近づく。
少しくらい、待っててくれても良かったのに。
そこで、木の幹に封筒が貼られていることに気がつく。
表には、『
私の名前だ。
いつも手紙に書かれている不格好な字に似ている。
私は躊躇いながらも、手紙を幹から取った。
裏にはいつものように何も書かれていなかった。
嫌な予感をがしつつも、私は便せんを取り出した。
便箋には、いつもより少しだけ文字が多く書かれていた。
『咲楽先輩のことが好きでした。さようなら』
「……なんなの、これ」
そう呟かずにはいられない。
なんなのこれ。
なんなの、これ。
便箋に丸い滲みができる。
それを見て、私は初めて頬に何かが伝ってることを知った。
目から何かがこぼれていることを知った。
視界が歪んでいることを知った。
――――泣いていることを知った。
「なんで、私は、泣いてるの……」
これだけの言葉なのに。
『さようなら』がついただけなのに。何が『さようなら』なのかわからないのに。
差出人の貴方に会ったこともないのに。
何故だかとっても悲しくて、切なくて、胸がきゅうと締まる。
「……私は何がそんなに悲しいの」
答えはもう、知っていた。
知っていたけど、認めたくなかった。
――――私も、貴方に恋をしていたなんて。
会ったこともない、貴方に恋をしていた。
少なくとも、『さようなら』を言われて悲しくなるくらいには、貴女の事が好きだった。
「本当に好きだったなら、もう少し、待っててくれてもいいじゃん……」
そんなのは八つ当たりだった。
時間に間に合わなかったのは、私で。
貴方が照れ屋で怖がりなことも、十分わかっていた。
私は泣いた。
手紙を握りしめながらないた。便箋はくしゃくしゃだった。
桜の花びらと葉は、共に空を舞った。
そんな空の下で、私は涙を流していた。
その日以来、私の下駄箱に手紙が来ることはなかった。
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