1028話 下手な考え太るに似たり
ヤンが頭をかいて唇を
「分かるように説明してくれよぉ。
ミツォタキスはなにもしないけど、他の連中が嫌がらせをしてくるのか?」
ヤンはなにかと、俺の説明を聞きたがるな。
なにより頑張って理解しようとしている。
俺自身の考えも整理出来るし……モルガンが睨んでも説明しよう。
なんのかんので息子に質問される父親の気分だ。
子供はいないけど多分そうだろう。
女神ラヴェンナは子供って感じがしないんだよなぁ……。
「まず前提として……。
ミツォタキス卿がラヴェンナのみに接触していると思いますか?」
「仲良くしたいならそうじゃねぇか?
ラヴェンナさまの敵とも仲良くしたら疑われるぜ」
そうではない。
少なくともラヴェンナに全賭けするのは持たざる者だ。
上流階級の中でも最上位にいるアントニス・ミツォタキスは違う。
持てる者は保険をかける。
それだけの余力があるからだ。
「国家に限りませんが……。
人の集団は常に一枚岩ではありません。
そして、国家間のような利害対立が深刻になり得る場合二股をかけるのが普通です。
ランゴバルド王国なら……大きな対立軸は親ラヴェンナと反ラヴェンナですね。
思想を優先して片方のみに偏るのは賢いやり方ではありません」
ヤンの目が鋭くなる。
受け入れがたい事実なのだろう。
だが……政治の世界で愚直で律義なだけではやっていけない。
いいように利用されて終わりだ。
ヤンが大きなため息をついた。
「つまりミツォタキスは反ラヴェンナともコネをつくっているのか?」
「だと思いますよ。
自分と関係が薄く見える人物に任せているでしょうが。
個人で二股をかけるのは愚策です。
下手過ぎる演技なので、石どころかナイフが飛んでくるかもしれません」
「胃もたれする世界だなぁ……。
ミツォタキスの隠れ手下が、ラヴェンナさまの敵になにか吹き込むってことか?」
「そうなりますね」
ヤンは唇を
かなり納得出来ないようだ。
「汚ぇ話だなぁ……。
テーブルの上で握手して、テーブルの下で蹴りを入れるようなモンじゃねぇか」
ヤンの的確なたとえに思わず笑ってしまう。
「個人であれば汚いと言ってもいいでしょう。
ですが政治的な道徳はまた別ですよ」
「そうなのか?
誠実にしていれば相手も分かってくれると思うんだけどなぁ」
「誠実そうに見せることは大切です。
でも誠実である必要はありません」
ヤンの目が点になる。
そう簡単に理解出来ないか。
「なんだそりゃ。
意味が分からん」
「相手が誠実そうに見えれば……。
なにか約束をしたとき『相手の誠実さを信じた』という言い訳が成立します。
多少胡散臭くても構いません。
見るからに不誠実で
「そりゃ腹がたつな」
「それが自然な反応です。
屈服したか欲につられたかとしか思われません。
何事でもそうですが……相手に言い訳を用意してやるのが楽な方法ですよ。
傭兵同士での戦いでもそうでしょう?」
「言われてみればそうだなぁ。
だからラヴェンナさまも偉ぶったりしねぇのか。
逃げ道を用意かぁ……。
戦いでも、逃げ道を塞ぐと手痛い目に遭うな。
それで、リーダーが死んだ傭兵団もいたな。
結局共倒れしていたぜ。
政治と戦いって変な共通点があるんだな」
乱暴に言えば、外交も戦争も国家間のコミュニケーションに過ぎない。
まったく別物と信じ込むと、思わぬ落とし穴に落ちるだろう。
「戦いと交渉は、同じ人同士の関わりですからね。
似てくるのは当然ですよ。
違いは、結果が明白なのと、血が流れるかどうかの差です。
武器での戦い以上に、冷静さと想像力が必要になりますが」
「冷静さは分かるけど想像力はなんでだ?」
「見た目で状況を理解出来ないからですよ」
ヤンは破顔大笑して頭をかく。
どうやら納得したようだ。
「それもそうか。
戦いでさえ負けているのに、まだ戦えると思い込む奴がいるくらいだ。
目に見えないなら分からねぇか。
それは分かったけどよぉ。
ミツォタキスを信用出来るって言ったのがなぁ。
普通『信用出来ないけど利用は出来る』って言わねぇか?」
ヤンは信用と信頼の境界が曖昧だからな。
信頼という意味だとアントニスは該当しない。
他国の人間なので信頼するにしても条件が限られる。
そもそも信頼など政治の世界において危険な薬物に過ぎない。
信頼とは思考放棄につながる。
もし信頼に値する奴がいたら? 自国での地位は不安定だろう。
他領に金をばら撒いて、自領の民を困窮させる領主がいい例だ。
その癖『金がない』とさらに税を重くする。
金で得た歓心なので、金の切れ目が縁の切れ目だと思うのだろう。
他家からの評判はたしかに良くなる。
ただそれは、利益があるから
だから気前の良い領主と深い関係になることはない。
金をばら撒きすぎてピンチに陥っても知らんぷりだ。
助けるとしても口先だけ。
ただいい気分になるためだけの浪費を外交と嘯く。
それを外交上手と勘違いする奴もいるからなぁ……。
そのような領主は自滅するだろう。
しかも勝手に自滅するだけで終わらない。
仮に領主が殺されたら? 領民の憎悪は、領主と仲良くなった他家に向かう。
その憎悪は非常に深く、そう簡単には解消出来ない。
割に合わないだろう。
支援するなら期限を区切って自立出来ることを目指さなければいけない。
その結果として友好関係に繋がることが条件だ。
該当しなければ、援助など有害無益でしかない。
その点アントニスは、シケリア王国の利益を最優先する。
だからこそシケリア王国に利する話であれば、将来も関係が続くことを考慮に入れて……約束を守るだろう。
仮に譲歩することがあっても、別の面での対価を求めてくる。
これが正しい外交で、交渉相手として信用に足ると判断した。
ただ普通の使徒教徒は、敵味方、善と悪で単純化してしまいがちだ。
それは感情論で外交が左右される危険を孕んでいる。
余程運が良くなければ滅亡待ったなしだ。
これから別世界との交流が始まるので、大きな試練になるだろうな。
このような話をヤンにしても理解するかどうか……。
どう分かり易く説明すべきか。
「ミツォタキス卿は表向きには私と友好関係にあります。
私が窮地に追い込まれない限り、決めた約束を守るでしょう。
そのほうが得だからです。
それを理解しているから信用出来る……と言っただけですよ」
「守ったほうが得な約束ってなぁ……。
じゃ、損になると思えば裏切るってことだよな。
信じるってのとは違わねぇか?」
人には守れる約束と守れない約束がある。
なにも食うなと約束しても守れないのと同様にだ。
だから守れる約束が出来る相手を、俺は信用すると明言する。
ただヤンにとってはどうか。
信用すると言えば、すべて信用する。
底なしのお人好しなのだ。
信用を分割で考える思考は理解の外だろう。
俺は信用の分割が自然な考えだ。
女に弱いが……女が絡まない限り信用出来る人もいる。
周囲の空気に流され易いが……自分ひとりなら、約束を守れる人もいるだろう。
その条件下において信じるだけだ。
そもそも、全面的に信じることが信じること……という話に納得いかない。
条件次第で信用出来る人は沢山いるのだ。
ひとつ傷があるからと捨てるのは勿体ない。
そもそも息苦しいだけだ。
だが……この考え自体がズレている自覚はある。
究極の人間不信から生まれる考えだからな。
それをヤンに話しても無意味かつ無益だ。
「私は、無理をしなければ守れない約束をしません。
そのような約束を持ちかけてくる人は相手にしませんよ。
でも無理のない約束なら? 大多数が守れるでしょう。
その大多数を無視すべきではありません。
無理な約束を守れる人は、運が良ければ歴史に名を残せますが……。
歴史を彩る徒花でしかありません。
本当の歴史は、名すら記されない大多数によってつくられますから」
ヤンはマジマジと俺を見て頭をかく。
理解することを諦めたようだ。
「まあ……俺っちはラヴェンナさまがいいなら文句ないぜ」
突然モルガンがため息をつく。
「『歴史は名を知られない大多数よってつくられる』とは大変結構な言葉ですが……。
公言したことで敵を増やしたことはお忘れなく。
無能な貴族たちは無邪気に『自分は歴史に名を残せる』と信じているのですから。
無能者に無能の事実を突きつけてもいいことはありません。
自省して改善出来るなら、その時点で無能者と呼べないでしょう。
逆恨みされるのがオチです。
事実を映す鏡は壊されて、適度に美化する鏡のみ人は愛するのですから」
ああ……あの件か。
たしかに、不要な敵を増やしたことは事実だ。
だが……どうにも納得出来ない話だったからなぁ。
ヤンが首をかしげる。
「そんなの聞いたことがねぇぞ」
モルガンが冷たい目でヤンを一瞥する。
「当たり前だ。
ラヴェンナ卿が人類連合で代表をされていたときの話だからな。
ある領主から善意で紹介された界隈では高名な学者と対立したのだ。
適当にあしらえばいいものを……反論するから敵を増やしてしまった。
一応界隈では高名らしいので弟子だけは多い。
弟子どころか懇意にしている学者まで敵に回る。
当然……紹介した領主の面子も丸つぶれで、漏れなく敵になる始末だ」
ヤンは期待を込めた目で俺を見る。
どうせ暇だしな。
教えても良いだろう。
「まあ……高名らしい学者サマと見解の相違があったのですよ。
その学者サマは『歴史とは志のある者によってつくられる』が持論のようでしてね。
最初は私に好意的でした」
ヤンが啞然とした顔になる。
理解出来なかったようだ。
それが健全だと思う。
「志のある者? なんだそりゃ?」
「高邁な意志を持って、理想のために人生を捧げる。
私利私欲とは無関係な人のことですよ。
利益のために動く人は彼に言わせれば『どうしようもないカス』だそうで……。
なかなか立派なお説ですが、果たしてそのような人はいるのですかね。
私は目にしたことがありませんよ。
結果的に、そうなった人ならいますがね」
ヤンは目を丸くしてから破顔大笑する。
「その学者サマは、ラヴェンナさまを『志がある人だ』と考えたのか。
それをラヴェンナさまに言っても、いい顔はしねぇだろうな。
ラヴェンナさまは、普通のお世辞すら嫌いだろ?
そんな歯の浮くようなお世辞はなぁ……鳥肌がたったんじゃねぇか」
俺を知っていれば分かりそうなものなのだが……。
喧嘩を売りに来たのかと思ったくらいだ。
思い出しただけで腹がたってきた。
「良い気分はしませんね。
私は『その日を生きている羊飼いや農民だって歴史はあります』と反論しましたよ。
ところが……その学者サマは『豚に歴史がありますか?』と言ったのですよ」
歴史は選ばれた者だけの所有物ではない。
あまりに選民思想が強すぎるし、社会を無視し過ぎだ。
「あ……そりゃラヴェンナさまは怒るだろ。
俺っちでも分かるぜ」
あの
学問は出来るとの評判らしい。
着眼点は鋭いと評されているが……。
絶対にウマが合わないと確信した。
「そこで、先ほどの『歴史は名を知られない大多数よってつくられる』と言ったのです。
どうやらその学者サマは、反論された経験がないようでしてね。
プライドを傷つられたようでした。
すぐさま喧嘩別れですよ。
議論すらマトモにしたことのない高名な学者サマでした。
きっと政治工作には長けていたのでしょう」
「珍しくラヴェンナさまがムキになったな。
普段は鼻で笑って『そうですか』で終わりだろうに」
言われてみればそうなのだが……。
あの種の連中は遠ざけるに限る。
別に後悔していない。
次に同じようなことを言ってくる奴が来たら? 即刻叩きだしてやる。
「他人を下げて自分を特別視する人からお仲間認定されるほうが迷惑ですよ」
「それで怒るのがラヴェンナさまらしいぜ。
その学者サマ……あまり頭が良くなさそうだな。
普通はラヴェンナさまが、どんな性格か調べるだろ?」
学問は出来るようだがな。
知恵が足りないのだろう。
むしろ知恵のないほうが、馬鹿への説得力は増すか。
知恵がないから、熱弁や反対派への圧力に注力する。
俺の偏見に過ぎないが……。
「同感ですね。
ただ……自分を特別視したい人たちにとっては権威的存在のようです。
他者を蔑視しないと成立しない権威に価値があるのか……謎ですがね」
「ラヴェンナさまが嫌そうだから話を変えるぜ。
それで……ミツォタキスの次に誰がどんな嫌がらせをしてくるんだ?」
ヤンに気を使われてしまった。
どうやら苛立ちが顔にですぎたらしい。
「反ラヴェンナ派の筆頭ならファルネーゼ卿ですが……。
警察大臣の動きも怪しいですからね。
しかも予測したとして止めようがありません。
ただ……私が黙って殴られるほどの人格者でないことは……知っておいてほしいですね」
「なんつーか……。
皆好き勝手やっているなぁ。
それより、クレシダを倒すのに世界を一致団結させたほうがいいんじゃねぇか?
非協力的だったり……足を引っ張る奴は殴り倒せるだろ」
「それは劇薬ですね。
ロマン王のばら撒いた毒肥料のようなものですよ。
一時的な効果はありますが確実に自滅します」
ヤンは渋い顔で頭をかく。
一致団結が良いことと信じているらしい。
「なんで一致団結が自滅になるんだ?」
「そもそも一致団結は、同じ空気を共有している場合のみ出来ることですよ。
小規模かつ同じ空間にいることがね。
そうでなければ小規模でもバラバラになりますよ。
ロンデックス殿の傭兵団は一致団結していますが……。
それはロンデックス殿が、その場にいる限りにおいてでしょう?」
ヤンは渋い顔で頭をかく。
これはヤンが俺にぼやいてきたことがあるからな。
否定しようがない。
「まあな……。
俺っちがいなくなると途端に好き勝手し始める。
困ったモンだぜ。
それだと世界が一致団結なんて不可能だよな」
やれないこともないが……。
劇薬過ぎて副作用が洒落にならない。
「条件次第で可能ですよ。
ただ手段が限られるし……制御が効かなくなります。
まあ……今回の条件には合致しませんが。
出来てもやりませんよ」
「なんだそりゃ?」
「差別を常識にすればいいのです。
最初から団結を目的とした差別は少ないですけどね」
ヤンは腕組みをして首をかしげる。
そもそも差別とは縁遠い男だからな。
理解出来るか……。
「そうなのか?
一致団結するために差別するかと思ったよ」
どうやら理解していたようだ。
そもそも狙っての差別は意外と少ない。
その場凌ぎか、目先の利益を求めた結果……制御が出来ないくらい……差別意識が肥大化してしまう。
そうなれば差別そのものが目的になる。
これを沈静化させるのは流血しかない。
「多くの差別は、不安の解消や娯楽……自尊心を満たすために生まれます。
自分たちは優越種であり、それ以外を劣等種とする。
劣等種とした人たちの失敗を
同時に、優越種たる自分たちの凄さをこれでもか……と宣伝しつづける。
自分の功績でもないのに、勝手に同化して誇らしく感じるでしょう。
その結果として……差別意識が刷り込まれてしまうのです。
中毒性の強い劇薬ですよ」
「酷え話だけどよぉ。
アルカディアの連中を馬鹿にしている話は妙に盛り上がっていたなぁ……。
あれと同じか」
「そうです。
放送でも、大衆の反応が強かったのは、差別に関した話題ですからね。
アルカディア民ではなく亜人差別でしたが……」
ヤンは腕組みしてフンと鼻を鳴らす。
「亜人も人間もそう変わらないだろ。
差別かぁ……気に入らねえな。
そこまで馬鹿にしたいもんかね?」
「彼らは亜人を殊更蔑視していたわけではありませんよ。
あくまで商品のひとつに過ぎないのです」
ヤンの目が丸くなる。
メディアの連中が亜人を蔑視していないことが驚きだったようだ。
「そうなのか?」
「彼らは、自分たちが優れた者と考えています。
無知蒙昧な民を自分たちが教化する、と無邪気に信じているのですよ。
だから自分たち以外を蔑視しているだけです。
気持ち良くなる差別が民衆に売れるから売り物にしただけ。
悪いことに、差別が売れるとなれば……。
利益目当ての連中がより過激な差別を売りだすでしょう。
馬鹿売れする商品があれば、パクリ商品が大量に出回るのと一緒ですから。
かくして世の中は差別一色になる。
単純な話でしょう?」
ヤンは顔をしかめる。
当然だろう。
ヤンにとっては到底受け入れがたい話なのだ。
「話を聞くだけで胃もたれするぜ。
でも納得したよ。
突然亜人差別はいけないって言いだしたからな。
どの口がほざいているか……と思ったけどよ。
売り物が変わっただけなのか」
「そうです。
ロンデックス殿であれば、そのような愚行には関わらないか……止めさえするでしょう。
悲しいかな大多数は違います。
自分に責任が及ばないなら無邪気に同調する。
風向きが変わればダンマリで自分は無関係だったとシラを切る。
それが生きるための知恵とでも言いましょうか。
立派なことを出来る人はごく少数です」
ヤンの目が鋭くなる。
本気で深いな話題のようだ。
ヤンらしいな。
「ラヴェンナさまを真似れば『少数だから立派』ってところか」
珍しく皮肉な物言いだ。
よほど腹に据えかねる話題だったか。
だからと話を逸らせば、ヤンを馬鹿にすることになる。
ここは真面目に付き合うべきだろう。
「そこまで捻くれた言い方をしていましたっけ……。
まあ……立派な人は、大多数から持ち上げるだけ持ち上げられます。
一種の娯楽としてね。
ですが
その人に
普通の人なら見過ごされる
誰がひとつも
「これだけ聞くと大多数ってのは酷え奴だな」
「大多数を貶す必要はありませんよ。
ですが『それが普通だ』と擁護する必要もありません」
ヤンは大きなため息をつく。
胸焼けのする話だろうな。
「救いようがねぇなぁ」
「救いようがなくても考えることが必要です。
なにより物事は、白黒単純に分けられません。
立派な人の些細な
ある場面では優しさを見せるときもあるでしょう。
例えば弱っている人を助けたりね。
人は善でも悪でもない……ただの人ですよ。
一皮剥けば獣ですがね。
私はそう考えています」
ヤンは一瞬迷った様子になる。
俺の顔を見て肩をすくめる。
「ちょっと意地悪な質問だけどよ。
さっき話にでた学者サマにも、いいところはあるのか?」
「あると思いますよ。
弟子の面倒見はいいとの評判ですから。
私は、その学者サマを悪人だとは思っていません。
ただ嫌いなだけですよ」
ヤンは頭をかいてため息をつく。
「嫌な話を聞いて済まねぇ。
つい聞きたくなってよ。
あ……そうだそうだ。
ゾエへの土産話に聞きてえことがあった。
全然違う話になるけど……いいかい?」
ヤンなりに気を利かせたらしい。
土産話か。
機密に関わる話ではないだろう。
「構いませんよ」
「ラヴェンナさまは、基本的に間違えないだろ。
おっと……ラヴェンナさまは『失敗をしている』というかもしれねぇけどよ。
致命的な失敗をしていないのは事実だぜ。
ゾエは信じられないと不思議がってな。
なんかコツってあるのかい?
色々な人の意見を聞くってのは知っているぜ。
でも判断するのはラヴェンナさまだろ」
なるほど。
土産話はいいが……ヤンが帰ったら、俺のことばかり話すんじゃないか?
それで夫婦喧嘩にならなければいいが……。
ゾエは大人だが、大人だからと甘えていてはいけないだろう。
すこしひねるか。
「じゃあ……土産話にし易いようにしましょう
思考の贅肉を落とすようにしているからですよ」
ヤンの目が点になる。
そりゃそうだろうな。
知らない奴が聞いたら、俺が話を聞いているのか疑うだろう。
「なんだそりゃ?」
「夫人はきっと、そうやって食いついてきますよ。
例えば、なにか問題があるとします。
回答の扉が複数あって正解はひとつだけ。
それぞれの扉を明けるには、大きさの違う鍵が必要になります。
人は正解の扉を探すために考えることで鍵をつくりますが……。
出来上がった鍵で開く扉を正解と考えます。
正解の扉が開くように鍵をつくるのではありません。
鍵で開く扉が正解と考えます。
そして鍵は考えるほど大きくなる。
考えを取捨選択すれば小さくなりますがね。
ここまでは分かりますか?」
ヤンは腕組みして考え込んだが……すぐ両手を打ち合わせる。
「普通は扉にアタリをつける。
考える世界では鍵が先なんだな。
余計な考えをするせいで正解から遠ざかることもあるわけだ」
察しが良いな。
これだけ理解していれば、ゾエが楽しむように色を付けられるだろう。
「ええ。
一度正解の大きさになったのに、そこから鍵を大きくして不正解に向かうことは多いのです。
考えすぎて失敗するパターンですね。
思考も肉体と同様に……太らせるのは簡単ですが……痩せるのは大変でしょう?」
ヤンが破顔大笑する。
痩せるのが大変という話が気に入ったらしい。
「それが思考の贅肉かぁ。
よく分かったぜ」
「そうです。
考えるほど正解に近づくと信じる人が多い。
自信がない人に多いでしょう。
不安を解消するためにひたすら考えます。
だから贅肉ですら必要と思うのですが……。
贅肉はなくてもいいのですよ。
贅肉は、飛躍やこじつけ……願望で構成されていますからね。
下手な考え太るに似たりです」
ヤンがニヤリと笑う。
もしかしたら経験したことがあるのか。
俺の知らない苦労を沢山してきたから……それも当然か。
「自信がない奴ほど考えすぎて自滅するのかぁ。
やたら意固地になって、人の話を聞かねぇな。
その癖……他人に同意を求めるから面倒くせぇ」
ヤンですら面倒臭いと思ったことがあるのか。
それはよほどの奴だったんだな。
「そうですね。
考えることが目的となってしまいますからね。
贅肉を増やす話題しか耳に入れないのです。
なまじ肉体と違って目に見えないから、贅肉と必要な筋肉との見分けがつきません。
そうならないように、自分の考えと状態を客観視する必要がありますね。
長々話しましたが要点はこれだけです。
でも土産話にするとのことなので……話に贅肉を付けておきましたよ。
円滑な会話には適度に油を含んだ贅肉が欠かせませんから」
「すまねぇなぁ。
忘れないようにしておくぜ」
突然モルガンが
「この話がヤン夫人から広まると、キアラさまからガン詰めされることだけはお覚悟を」
この男は……どうして人が忘れようとしていることをご丁寧に指摘するのかね。
「忠告感謝しますよ」
「結構です。
ところで……おふたりが盛大な無駄話をしていたので、話す機会を逸してしまいましたが……。
シケリア王国の新領主はひとりではありません。
ガヴラス卿に全員の為人を問い合わせていますが、歯切れが悪かったのです。
後ほど改めて報告を受けますが、耳目にも調べるよう指示しました。
他の新領主が問題を起こす可能性は大いにあるでしょう」
否定はしない。
積極的な嫌がらせではないだろうがな。
こうやって無駄話をするのも、今のうちってやつか。
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