1010話 閑話 災厄の扉
控室でモーリスは得意満面だった。
モルガンは冷ややかに苦笑する。
「いまのところは順調だな。
ただ……報告書の問題で今頃教会は、蜂の巣をつついた騒ぎだぞ」
「私も
勿論、報告書が杜撰な管理方法だったことだ」
「いや。
政争の道具だからね」
「なんだ? それは」
「君も総督になったから分かるだろう?
役人という生き物は厄介でね。
外部から、大事な情報を見えないようにして行動基準にする。
つまり認める気になれば、どこからともなく先例を持ちだして許可する。
その気がなければ、先例あったとしても、見ないフリをして認めない。
ある種の特権さ。
強引にそれを正そうとすれば、役人全員が仕事を放棄して抵抗する始末だ。
これがまぁ困ったものでね。
その点ラヴェンナでは、すべて明文化されて誰でも閲覧可能な根拠で戦う」
「腐敗を抑止する仕組みと言っていたな。
大元帥は、
「おっと……教会の話だな。
教区での司祭はちょっとした王様だ。
羽目を外したくなるのが人情ってものさ。
しかも出世を志向する俗物なら尚更だ。
賄賂はいただくし……隠し子だって産ませるだろう。
それでも決まりだから定期報告はする。
ただし……嘘を書かないが、すべて正直に報告しない。
出世する司祭は報告しない自由の達人なのさ。
ただし詳しく調べると疑惑が持ちあがる。
嘘は書けない弊害だよ。
つまり報告書は醜聞の宝物庫なわけだ。
だから報告書の検索は困難であるほどいいのさ。
つまり見つからなくても不思議じゃない。
偶然見つかってもいいわけだ」
「そもそもそのような醜聞を起こさなければいいだけではないか?」
「君は時々間抜けになるな。
醜聞を遠ざけるような人物は歴史に名を残す。
これが答えさ。
だから君の名声が高まったわけだ」
モーリスは天を仰いで嘆息する。
「なんたることだ。
これでは民からの信頼を失うのも当然か」
モルガンは目を細めて冷笑する。
「よく1000年以上騙し続けたものだ……と評価すべきだろう。
並の偽善者には出来ない。
まさに世界における最高最強の偽善者集団だよ。
そもそも純粋な善は人間にとってキツすぎるんだ。
普通の人間は、ワインより圧搾したあとの絞りカスに水を加えて作ったピケットを好むように……。
人間にとって善は偽善の水で薄めないと常飲出来ないのさ。
純粋なワインと善行は偶に
飲み過ぎると
だから人間は善を称賛しながら、普段は実行しない。
善行を為すとされる教会が代わりにやってくれればいい……とすら思っている。
その教会を支持すれば、自分も善だと思えるからな。
称賛する代わりに、信徒の前では清廉潔白を演じてくれというわけだ。
なんとも奇妙な話だが、清廉潔白より適度に腐敗した聖職者のほうが人に好かれる。
偽善をうまく演じていることへの称賛か……同類と感じるからかは分からないがね」
モーリスは微妙な表情で苦笑する。
「しみじみ思うよ。
君はなんで聖職者になったのだと。
答えは結構。
出世するためだったな。
いまや世界最強の実力者の顧問か。
うまく乗り換えたものだ」
「お褒めにあずかり、光栄だ。
折角だから教えておこう。
枢機卿選抜において取引されるのは金や地位だけではない。
過去の不祥事が大事な取引材料でね。
だから普通の聖職者は報告書の書庫に立ち入ることが出来ない。
担当の聖職者には、色々と接待をして……いいようにしてもらうのが常だ。
代わりにあそこの担当になれば出世出来ないのが暗黙のルールさ。
過去の醜聞を握られたうえに権威権力まで持たれたら……誰も手がつけられないだろう?
だから本来整理されては困るのさ。
それでも誰も知らなければ昔のままやれた。
ところが君は災厄の扉が開いていることを知らしめてしまったわけだ」
「待て待て。
それならどうして特別司祭は許可したのだ?」
「単純な話さ。
オフェリー夫人は元来使徒ハーレム要員だったのだ。
それを無下にしたら……あとが怖いだろう?
だから、使徒降臨の布告と同時に、運用手順の変更も告知したわけだ。
誰もが見逃せる動機と合わせてね。
お偉方はそれを理解したからこそ、皆揃って見ないフリをしたのさ。
元に戻すのは使徒没後でいい。
これが教会の処世術だ」
「ならば撤回することも出来たろう?
オフェリー夫人はハーレム競争から脱落してしまったのだ」
モルガンが鼻で笑う。
「偽使徒がオフェリー夫人に未練タラタラだったのは知っているだろう?
だから誰も手をだせずにいた。
直後に偽使徒がラヴェンナ卿を襲撃して大混乱だ。
報告書の管理どころの話ではなくなったのさ。
しかもオフェリー夫人は、ラヴェンナ卿の側室におさまる始末だ。
今度はこれをひっくり返すと、ラヴェンナ卿の不興を買うことになる。
しかもラヴェンナ卿は、教会のために尽力してくれているだろう?
教会にとって、ラヴェンナ卿の支援は細い命綱だ。
それを将来の保身と引き換えに切る勇者がいると思うかね?
黙っていれば誰も気が付かない可能性が高いのだよ」
「保身は、自分の身を守るためだからなぁ……。
我が身を犠牲にして、将来の保身など考えないな。
それにしても……オフェリー夫人は、うまいこと世渡りしたのだな。
その手の機微には疎いと思っていたよ」
「まぁ……オフェリー夫人に深謀遠慮があったわけではない。
単純に自分が読みやすくしたかっただけだろう。
ラヴェンナ卿の側室になったのも? ラヴェンナ卿を愛したからに過ぎない。
無知の善意とは……ときに大きな厄災を
腐敗した教会にとっての厄災だがね」
「私は知らないうちに、途方もないことをしでかしたのか」
「今更気付いたのか?
腹を括りたまえ。
ここでしくじったら? 君は腐敗した教会にとっての大罪人だ。
勝てば? 腐敗を浄化した者として、将来の教皇位も見えてくる。
生きるか死ぬかだ。
楽しみではないか」
モーリスは恨めしそうにモルガンを睨む。
「他人事だと思って暢気なヤツめ……」
「他人事だからね。
君が先に死ねば、私としては詩を読まれなくて大変結構……というわけだ」
「酷いヤツだな」
「お互いさまだ。
どうせ私を助手席に座らせたのは、最終弁論でヴィスコンティに罠を仕掛けるためだろう?
私がヴィスコンティとの仲を君に隠している……と誤解させるためだ」
「当然だ。
今日を乗り切れば、ブラザー・ヴィスコンティを直接弾劾出来るだろう。
そうなればブラザー・ヴィスコンティは苦し紛れに君を非難するだろうからね。
そこで決着をつける」
「まったく……酷い友情もあったものだ。
君が私を撒き餌にするから撒き餌としては、釣り人が襲われても傍観するのさ」
「いやいや。
そもそも撒き餌になった程度……君なら気にしないだろ?」
「こう見えて私は繊細なのだがね」
「心配するな。
君の繊細さは岩をも砕く。
私とは違うよ」
モルガンが抗議しようとすると控室がノックされる。
休廷が終わったらしい。
会場に戻ると、審判人の代表が渋面を作っている。
報告書を教会が軽視しているかのように思われる話であり……広まるのは歓迎出来ないのであった。
「たしかに運用手順が変わったことと、現在は整理されていることも確認出来た。
証拠としての信用性は担保されたと認める。
「あります
裁判の記録を見落とした可能性も否定出来ません。
報告書は膨大なのですから。
元枢機卿が故意に
「
整理に
「なかにはあるかもしれません。
ですが、本証拠に関してはないと断言出来ます。
まず報告書は定型報告に加えて、それ以外の補足があれば添え状にして報告する仕組みなのはご存じでしょう。
裁判があったときの報告書には触れられていませんが、ブラザー・ヴィスコンティの添え状がありました。
すべて同じような文言で『トランクウィッロ卿から、裁判についての相談を受けた。
よくあることなので、常識的な話をするに留まる』と。
これは、意図的な
審判人の代表が別の紙に視線を落とす。
モーリスが証拠として提出した報告書の写しである。
「たしかにそう書いてある。
「認められません。
そもそも、トランクウィッロ卿が罪を犯した証拠がないでしょう。
罪自体は存在しますが、それがトランクウィッロ卿のものであるとまでは立証されていません」
「
「まず名簿に記されていた者たちはすべて被害にあっています。
事件があったことは明白でありましょう」
「根拠は被害者の証言のみか?」
「なかには関係者全員が行方不明の事件もあります。
これについての立証は困難なので、疑惑に留める。
可能な事件に関しての裏取りはすべてした、と聞きました」
「
その場合は、裏取りをした者の信用性が問われる」
「その点は問題ありません。
ランゴバルド王国のシャロン卿。
彼の腹心が裏取りをしました。
当然シャロン卿も認められています。
教会謹製の誓約書をいただきましたので信用性については申し分ないかと。
証拠として提出します」
モーリスは控えている聖職者に紙を渡す。
審判人の代表はそれを一読して顔面
文章は1行だけ。
モーリスに知っていることは伝えたので、事実であることを請け負う。
すべてを書くと長すぎるのと、この誓約書が盗まれたときを考えたようだ。
そしてモーリスが話を盛るだけならまだしも……ねじ曲げて伝えたらモデストからの報復は必至となる。
これはモーリスを人質にした誓約書だ。
「あのシャロン卿が誓約書か。
驚くべきことだ。
貴族の誓約書であれば信用せざるを得ない。
どこまでを誓約したのだ?」
「事件があったことまでです。
ただし、トランクウィッロ卿の関与の疑いは極めて強く……調査の最優先候補であると。
その先は私の役目……それはトランクウィッロ卿が犯人であると立証することです」
サヴェリオが立ちあがる。
「異議あり!
そもそも、その名簿の出所が怪しい。
シャロン卿がトランクウィッロ卿と対立しているのであれば、不当な悪意の存在すら疑わしいではないか。
しかもシャロン卿は普通の貴族ではない。
名誉を重んじるより実利を重視する手合いだ。
そこまで、誓約に重きを置くわけにはいかない」
審判人の代表が首をふった。
「異議は却下。
少々異議を乱発しすぎだ。
モデストを侮辱するが如き弁護を許容する度胸は審判人になかったようだ。
それだけモデストの悪名は世に
モーリスは自信満々にうなずく。
「この名簿は、トランクウィッロ家の元執事が記したものです。
元執事が記したことに関しては、ランゴバルド王国のシャロン卿が保証すると。
名簿のみでしたが……。
調べていくと、トランクウィッロ卿のおぞましい罪が浮かびあがったのです」
サヴェリオは、一瞬
「異議あり!!
元執事の名簿だというが、それをトランクウィッロ卿の罪とするのはこじつけだ。
元執事が罪をなすり付けるつもりだったかもしれない」
審判人の代表が重々しくうなずく。
「異議を認める。
モーリスは涼しい顔で首をふった。
「元執事の真意など問題ではありません。
問題は、事件があったかでしょう」
「それはたしかだが、元執事に証言させることは出来ないのか?」
「元執事は、つい先だって何者かに殺されました。
これもシャロン卿が保証しています。
元執事の殺害においては本審判と関係がありません。
ここではトランクウィッロ卿に罪がある。
しかもブラザー・ヴィスコンティと共犯関係にあったことのみが重要かと」
「
たしかに、ここは
モーリスは審判人たちに軽く一礼する。
そもそもマンリオの動機について証明のしようがないのだ。
ここを論点にする気はなかった。
「ではこれ以上ないほどの……おぞましい事件についてご説明します。
その前にお断りしておきたい。
被害者たちにとっては、自分の受けた被害がもっとも大きいでしょう。
それは理解しています。
これから述べる事件について内心失望されるかもしれません。
なぜ自分のことではないのだと。
なのでこう答えたい。
私が貴方たちにもっとも報いる方法は、罪を白日の下に
そのために、もっとも有効な事件を選んだとご容赦いただきたい。
ではテッラノーヴァ事件について語りましょう。
極悪非道という言葉が善良に思えるほどの事件です。
審判人の諸兄。
名簿にルカ・テッラノーヴァと、その息子ウリッセ。
そして、娘のマリカが並んでいるでしょう?」
審判人の代表が手元の書類に視線を落とす。
「たしかに横1列に並んでいる。
宜しい。
ではこの事件について述べよ」
傍聴席から唾を飲み込む音が聞こえる。
おぞましい事件など想像しようがないからだ。
「まずルカ・テッラノーヴァは、とある村の村長でした。
誰にでも礼儀正しく大変評判がよい。
村人からも慕われていました。
ルカの娘マリカは、慎み深く器量よしでまだ独身。
遅くに授かった子供でそれはもう溺愛していたのです。
かの淫獣オルランド・トランクウィッロめは知りませんでした。
ただオルランドには取り巻きがいて、邪悪……いえ、便所にこびりついた糞カスとでも言いましょう。
マリカの存在を知られてしまった。
早速
恐らく点数稼ぎでしょう。
傍聴席が騒然とする。
結末が
「淫獣たるオルランドがそれを聞くや……自分自身1度も見たことがないものに対して渇望に燃えあがり、直ちにテッラノーヴァの村を訪ねたくなった。
ルカは、自分と自分の子供に対して企てられている陰謀を知らなかったのです。
それでも、村に貴族の当主を迎え入れるなど、非礼に当たるとして固辞しました。
極めて常識的な対応ですが、欲望の虜となっていたオルランドは、聞く耳を持たない。
強引に押しかけたのです」
傍聴席は再び騒然とする。
サヴェリオは、この話を中断させたかったが、審判人の要請に異議を挟めない。
なんとか付け入る隙を見つけたかった。
審判人が静粛を求める。
モーリスは静粛になるまで待った。
静寂が訪れるとモーリスは、大きなため息をつく。
「失礼。
あまりに胸が痛むので
では続きを。
ルカは、強引な来訪に際して、持ち前の礼儀正しさを保とうと努めました。
つまり、精一杯の歓迎をしたのです。
ところが、その誠意が報われることはなかった。
当然ですが、ルカを責めるというのは酷というもの。
まさか領主が淫獣などと思わないでしょう。
ルカが断ると、
断ったのも当然。
オルランドの好色は有名だったからです。
ルカは、娘の貞操が脅かされつつあると悟りました。
そこでなにをしたか?」
モーリスは一旦間を置いた。
審判人から目で続きを促されると軽く一礼する。
「失礼。
あまりのことに言葉につまってしまいました。
父親として当然の……娘を守るため……
いったい……父親であるルカに……どのような非がありますか?
いやなにもない!!
子を守らぬ親などいないのです。
よしんば存在したなら? それは親ではない。
もしルカが名ばかりの親であれば難を逃れたでしょう。
ルカに罪があるとすれば、親としての勤めを果たしたこと。
そう! ツスクルム教区では正しいことこそ罪とされるのです!!」
傍聴席から、怒りの声があがる。
モーリスへの同意ばかりだ。
モーリスは傍聴人を手で制する。
「この場にする皆さんは正義を正義とされる。
大変心強い限りであります。
ではルカと娘マリカはどうなったのか?
押し問答が続き、要求が通らない淫獣は己が獣であることを証明した。
実力行使に及ぶべく
ルカの使用人たちは、それを許すはずもない。
当然です。
道理にもとる要求なのですから。
屋敷では、ルカの使用人たちと
ルカは急いで、別の屋敷に住んでいる息子ウリッセを呼びました。
そのうち
マリカの存在を報告したヤツであり、当然の報いでしょう。
オルランドは慌てて、屋敷前に待たせていた部下たちに加勢させたのです。
ルカたちは必死に抵抗しましたが……多勢に無勢。
まさに、淫獣によって力でねじ伏せられようとした瞬間」
モーリスはやや間を開ける。
聴衆は焦れはじめる。
そこでモーリスはうなずいた。
「あわや……というとき、ウリッセが手勢を率いて屋敷に突入してきました。
村人たちも、それぞれ武器を取ってルカに加勢したのが、ルカがどれだけ慕われていたかの証左であります。
こうなればオルランドは無事で済まない。
そこで、オルランドと取り巻きは、屋敷に火をつけて逃げだしました。
消火に手間取る間に
残念ながら話はそこで終わりません」
モーリスは再びため息をつく。
会場は、水を打ったように静まりかえっている。
モーリスは軽く首をふった。
「翌日村人たちは集会を開き、この怒りを行動で示そうとしました。
つまり、オルランドの屋敷まで攻め入るというものです。
距離はありますがそれでも構わないと。
それだけ皆が怒りに突き動かされていました。
当然でしょう。
ですが、村の有力者が待ったを掛けたのです。
『領主の不法行為より領主という称号に重きを置いてほしい。
仮に領主を討ち取っても、国王から反乱分子と見なされ、皆殺しだ。
それならば、教会に訴えることで懲罰を与えることが出来る』と。
その有力者を責めることは出来ないでしょう。
かくして、ツスクルム教区の司祭に訴えることになりました。
さて……この件についてはブラザー・ヴィスコンティから珍しく報告がなされています。
審判人の諸兄よ。
テッラノーヴァ事件に関する写しをご参照あれ。
珍しく裁判報告があるのですぐお分かりになるかと」
審判人の代表が、手元の報告書に目を落としてからモーリスに視線を戻した。
「我々には分かるが傍聴人には分かるまい。
読み上げるように」
「まず、この訴えを聞いたブラザー・ヴィスコンティはオルランドに事情を聞きました。
そのうえで、ひとつの結論をだしたのです。
『双方の訴えが真逆となっている。
村人たちはトランクウィッロ卿が乱暴狼藉に及んだと。
オルランドは、突然村人たちが自分たちを襲ってきたと述べた。
この真偽は分からない。
ただし、トランクウィッロ卿の付き人が殺されたのだけは揺るぎない事実である。
つまり不法行為による報復であろうとも……何人にも殺人の権限を認めるべきではない』
これだけだと、正しい判断を下したように思えるでしょう」
傍聴席が騒めく。
怒りだす者がいる。
困惑する者も。
ただ、傍聴人のなすことは一致した。
モーリスの言葉を待つことだ。
モーリスは重々しくうなずく。
「だからこそ報告書に記載したのです。
ただし、宣誓によるギアスなど、手間の掛かることを省きました。
行えば、報告書に記載する義務がありますから。
しかも、以降の顚末が省かれている」
サヴェリオは厳しい表情で立ちあがる。
「異議あり!!
以降の顚末など正確に証言出来る者はいないはずだ。
テッラノーヴァ家の関係者はもう存在しない……とヴィスコンティ元枢機卿から聞いている」
審判人の代表が軽くうなずく。
「異議を認める。
村人であれば、内部の事情など分かるまい。
伝聞であれば証言として採用出来ないのは知っているだろう」
モーリスは軽く首をふった。
「伝聞ではありません。
その場にいた目撃者です。
たしかに自由人として存在しませんが……奴隷として生きていますから。
なぜそうなったのか?
不当にも反乱に連座したとして、奴隷の身分に落とされたのです。
シャロン卿の腹心が、テッラノーヴァ家に仕えていた元使用人を見つけました。
そして事情を聞くことが出来たのです。
彼は教会に絶望していましたが、私のルテティア総督としての仕事ぶりを知って『最後に1度だけ教会を信じる気になった』と言っていました。
本当はどうでもよかったのかもしれません。
苦しみに満ちた生を終えようと望んだのかもしれない。
私に裏切られれば死によって。
私が勝てば、過去の遺恨を晴らすことが出来る。
私は証人の真意をこれ以上詮索しません。
語ってほしくもないでしょう。
だから私は己の義務を果たすのみと考えます。
これから申し上げることを、審判人の諸兄ならびに傍聴人の皆さま方。
よく聞いていただきたい」
傍聴席は、水を打ったように静まりかえる。
審判人たちも困惑顔を隠せない。
「オルランドを訴えたテッラノーヴァ家の使者は拘束されました。
そして、オルランドは騎士団を派遣し、ルカと息子のウリッセを捕らえたのです。
罪状は、殺人並び……領主を不当に囲んで武器によって脅した反逆罪。
馬鹿げていますが、そのままブラザー・ヴィスコンティ主導で内密に裁かれることになりました。
当然、報告書に記されるはずもなく。
形式的な証人として、テッラノーヴァ家の使用人が呼ばれたにすぎません。
公平を期待した証人は裏切られます。
呼ばれたのは、被告ルカが使用人を手懐けていた証拠としてなのですから。
『手懐けていたから反逆も出来た』というオルランドの主張を補完するためです。
そして極めて迅速に判決は確定しました。
それ以外の表現は出来ません。
何故なら午前に話を聞いて、昼食後に結審したのですから」
傍聴席は騒然とする。
暴動直前手前といった有様だ。
審判人が慌てて静粛を求める。
放置すると暴動に発展しかねないと悟ったからだ。
しばしのち静寂が訪れる。
その静寂は暴発前の静けさに他ならない。
モーリスは、大きなため息をつく。
「長引かせると話が外に漏れることを恐れたオルランドの差し金でしょう。
それにブラザー・ヴィスコンティによっても不都合なのです。
仮に、正しい役目を果たせば寄進先を失う。
そればかりか共謀した事実を暴露されては困るからでしょう」
「異議あり!!
それは
傍聴席から罵声が飛ぶ。
審判人の代表が腰を浮かせた。
「静粛に!
静粛に!!
静粛に!!!
出来ないなら退席を命じる!!!!」
ようやく静かになると審判人が首をふる。
「異議を認める。
モーリスは一礼する。
計算尽くだったからだ。
「先ほどの発言は取り消します。
では起こった事実のみお伝えしましょう。
かくして罰せられたのはテッラノーヴァ父子です。
テッラノーヴァ家のある村の広場で、過酷で惨めな見世物が
片側には老いた父親が……片側には息子が。
父は娘の操を守り、息子は父の生命と妹の名誉を守ったが故に刑を執行されるのです。
ふたりは、自分の刑を嘆きませんでしたが、父は息子の……息子は父の死を嘆きました。
罪なき善良な者たちが、極悪人の比類なき……悪行極まりない欲望のため……斧で斬り殺されたのです。
同時にツスクルム教区において、教会への信頼も、彼らの首と同時に地に落ちた。
さらには娘も絶望して自ら命を絶ったのです」
モーリスは暴発しそうな傍聴席を手で制する。
「かくしてテッラノーヴァ家の財産は、オルランドの手に落ちました。
この一点においてブラザー・ヴィスコンティはオルランドに騙されただけでしょうか?
それは分かりません。
ただし事実があります。
テッラノーヴァ家の財産の大半が寄進された。
報告書にも、その時期の寄進額は普段より多いと記されています。
あの淫獣は『臨時収入があったので、神に感謝として捧げたい』と言ったそうですが。
そしてブラザー・ヴィスコンティは、寄進とは別に強奪した財産の一部を報酬として得ました。
なぜ断言出来るか?
再度訴えようとした村人の前でブラザー・ヴィスコンティは、身につけた黄金の指輪を見せびらかしたのです。
それは、村人なら誰もが知っているルカの指輪でした。
村人たちは絶望したことでしょう。
淫獣とブラザー・ヴィスコンティがつながっている……と理解したのですから。
別の教区への訴えが禁じられている以上……村人たちに打つ手はない。
教会の正義は死んだのです」
モーリスは芝居がかった仕草で天を仰ぐ。
「しかも、ルカの使用人たちは不当にも、奴隷の身分に落とされ、誰もが反抗する術を失った。
信徒である平民を奴隷に落とすには、教区の許可が必要です。
つまり許可した……これでも共犯を否定出来るのか。
元使用人は、嘘がつけないギアスを受けてから供述したのです。
そして宣誓書に血判を押しました。
これを証拠として提示します。
審判人の諸兄はもう十分ご理解いただけたでしょう」
この世界では科学捜査など存在しない。
代わりに魔法を駆使した担保が行われる。
とくに証言は、嘘のつけないギアスを受けて行われることで法的根拠を持つ。
その状態で教会の発行する特殊な紙に血判する。
非識字者が多いので、声が文字として紙に浮かびあがるマジックアイテムもあった。
しかも教会謹製なので、証拠として法的根拠を持つ。
ただし値は張る。
なにせ紙1枚で金貨1枚なのだ。
普通は証人として宣誓させる。
ただ移動中に証人の保護など問題が多く、金で解決したようだ。
また証拠は近代的裁判であれば事前に提出するべきだが……。
使徒の決めたことによって後出しが可能となっていた。
なにかのゲームの影響だろう。
審判人に分かることは、悪名高きモデストが並々ならぬ熱意でモーリスに協力していることだけ。
サヴェリオは立ちあがる。
「異議あり!!
いくら司法を任されていたとして、司祭が知らないのはおかしい。
当時の司祭は、温厚で敵を作らない人柄だ。
そのような悪事を見過ごすことは有り得ないだろう。
つまり共謀は存在しないと言えるのではないか?」
サヴェリオの言葉には力がない。
元々、これらの事件は明るみにでた時点で負けなのだ。
それでも引き受けたのは教皇ジャンヌの指名だけではない。
スカラ家に軟禁された恨みもあった。
半ば意地だけで食らいついているのである。
それに負けても、守旧派からの信望は得られるのだ。
教皇ジャンヌが崩御して守旧派が巻き返せば、時期教皇の最有力候補にもなるだろう。
審判人の代表は、やや考えてうなずいた。
審判人たちは心情的には守旧派に近い。
だが、公開の場で肩入れすると、自分の身が危ういのだ。
本心を言えば引き受けたくない役目であった。
「異議を認める。
モーリスは、芝居がかった仕草で首をふった。
「果たしてそうでしょうか。
敵を作らないとは立派に聞こえますが……悪人すら敵に回さないのです。
事
悪名高い元冒険者ギルドマスター……あのピエロ・ポンピドゥとて、ギルドマスターになるまでは、『敵を作らないいい人』と言われていたことを思いだしていただきたい。
敵を作らないことが美徳とされるのは、権力を持たない限りにおいてです。
さて……
では本件が明るみにでれば? 病床の身で査問を受けることになる。
いままで築き上げてきた名誉も地に落ちるでしょう。
そこで思い起こしていただきたい。
そもそも悪人すら敵に回さないのです。
自らの身を危うくする問題と相対しますか? しないでしょう。
つまり当時の司祭は怠惰と惰弱に過ぎないのを、温厚という偽善的仮面で覆い隠していたことになります。
そのような人物の人生残り僅か……となれば? 知らぬ存ぜぬで逃げ切りを図ったとも考えられる。
その場合、現世から逃げおおせても、地獄に落ちて、永遠の責め苦に
ここまで話しましたが……当時の司祭についての弁論は無意味だと思います。
司祭が知っていたかどうかなど、ブラザー・ヴィスコンティにしか立証出来ないのですから。
つまり当時の司祭への裁きは……我々の手を離れて……主の為すところになってしまったのですから」
審判人の代表が重々しくうなずいた。
心情的には守旧派よりでも、オルランドの罪科が凄まじすぎて肩入れなど出来なかった。
「
当時の司祭を元にした反論は却下」
「これでお分かりいただけたでしょう。
名簿を記した動機など些末なことでしかない。
そして共謀していない……と考えることこそ困難であると!!!」
傍聴席から怒声が巻き起こる。
審判人の代表が、静寂を取り戻すまで冷や汗をかき続けたほどに。
そして、ひとつの結論がでた。
ヴィスコンティ元枢機卿に対する直接尋問を含む最終弁論の開催が決定されることだ。
仮に共謀が否定されれば、この時点で結審していた。
だが、この状況下で否定などしようがない。
かくして衆目は、ヴィスコンティ元枢機卿が出席するのかに絞られることになった。
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