1009話 閑話 報告書の真偽

 モーリス・シクスーは、落ち着かない様子で部屋をぐるぐる回っている。

 訴追人闇を切り裂く者になったものの弁護人権威の守護者が決まらないのだ。


 モルガンは、呆れた様子で冷笑する。


「シクスー。

君が部屋を歩き回っても弁護人権威の守護者が決まるわけではないぞ」


 モーリスは頭をクシャクシャにして憤慨した。


「分かっているが……。

なんという往生際の悪さだ。

露骨な引き延ばしではないか」


「それだけ元枢機卿も必死なのだろう。

ただし、教皇はそれを認めないはずだ。

公開の裁判だからな。

世間が許すはずもない。

じきに教皇が誰かを指名するだろうよ」


「十分に待ったという既成事実作りか。

それでも心配だ。

聖下せいかはご高齢だからな。

まさか崩御を待っているとか……」


 モルガンは冷笑する。

 敵は、溺れる者は藁をつかむが如き心境だ……と見抜いているからだ。


「あわよくば……だろうな。

言っておくが、ラヴェンナ卿の介入を期待しないでくれ。

このようなことでは動かない御方だからな」


 モーリスは、怪訝な顔で椅子に腰かける。


「これが些事さじとでもいうのか?」


些事さじではないが、動くときは教会に鉄槌を下すときだ。

つまり聖下せいかが崩御されて、これを曖昧にして逃げようとしたらな。

それまでは動かない。

君も知っておくといい。

ラヴェンナ卿が表立って動くときは、すでに準備が終わったときだ」


 モーリスは、目を丸くした。

 教会に鉄槌など普通は笑い飛ばすが、あの大元帥ならやりかねないと思ったのだ。


「つまり動いたのを確認してから反応しても手遅れか……」


「そういうことだ。

そのときは、君にとっても悪い話にならない。

だから安心して待つことだ」


 モーリスは突然、意地の悪い笑みを浮かべる。


「君がそこまで主君を評価するなんて珍しい。

君は態度に表さないが一廉の不平屋だろうに。

ようやくお眼鏡に適う主君が現れたわけだ」


 モルガンはやや憮然とした表情になる。


「失礼な評価だな。

私はいつ不平を漏らしたのかね」


「不平を漏らしても無駄だと悟るから所属を変えるのだろう?

君とは長い付き合いだ。

見切りを付けた相手には、何も言わずに距離を取るだろうに」


 モルガンはフンと鼻を鳴らす。

 図星だったらしい。


「私の論評はいいさ。

君は油断するなよ。

本番では、発言に異議を唱えて遮ることも出来るのだ。

そもそも敵はマトモにやっても勝ち目はない。

となると……あとは分かるな?」


「分かっている。

証拠にケチを付けて、審理不可能で軽微な罪だけを認めさせるつもりだろう」


                   ◆◇◆◇◆


 モルガンの予想通り、教皇ジャンヌが期限を区切り、それまでに決めない場合は教皇が指名すると宣言した。

 それでもグスターヴォは弁護人権威の守護者を決めない。

 いい加減な人選なら、あとで異議申し立てでもするつもりだったのだろう。


 そこでジャンヌが指名したのはサヴェリオ・ストルキオ元枢機卿。

 グスターヴォの元同僚だった。

 スカラ家に軟禁されて、アクレサンドル・ルグランが直接交渉することで解放された経歴を持つ。

 一見すると情けない経歴の持ち主だが、学識豊かであり文句のない人選である。

 教会内では立派な聖職者として知られていた。

 つまり教皇指名の弁護人権威の守護者は、非の打ち所がない人選である。


 かくして聖職者への弾劾裁判偽聖審判が開幕した。

 場所は前回と同じ聖堂で、モーリスとサヴェリオが向かい合って座る。

 モルガンはモーリスの隣で助手を務めることになった。

 助手の身分は問われないからだ。

 だが元聖職者と知られており、歓迎ムードではない。

 しかもアルフレードの顧問となれば? 尚更であった

 モルガンは聖職者たちからの白い目にも涼しい顔だ。

 この程度で恐れ入る男ではない。


 まず訴追人闇を切り裂く者が罪状を述べる。

 発言者は起立するのが決まりなのだ。

 モーリスは自信ありげに立ちあがった。


「審判人の諸兄。

貴方がたがなにより望むべきであったもの……。

即ち、教会への不信や不名誉な噂を沈静するに千載一遇の好機。

教会権威が危機に瀕しているいま、人間の思慮ではなく、主の配慮によって提供されているものと思われます」


 サヴェリオが立ちあがる。


「異議あり!

訴追人闇を切り裂く者は告訴内容を述べるべきだ。

余計な前置きで判決に圧力を掛けるべきではない!」


 審判人の代表がうなずく。


「異議を認める。

訴追人闇を切り裂く者は告訴内容のみ述べるように」


 モーリスは、涼しい顔で一礼する。

 予測済みといったところだ。


「告訴内容のみを述べます」


 そう言ってモーリスは、被害者の名前をひとりずつあげながら罪状のみを付け加える。

 総計43名。


 サヴェリオは渋い顔をする。

 わざと異議を唱えさせる罠だったと悟ったからだ。

 告訴内容のみと審判人が命令した以上異議を唱えられない。

 だが長々と前提を話させると、モーリスのペースに嵌まる。

 なんとかモーリスのペースを乱そうと考えているようだ。

 

 名前を呼び続けるごとに、傍聴席の騒めきが大きくなった。

 審判人が静粛を求める。

 騒めきが静まるとモーリスは、悲痛な表情を浮かべた。


「これらの罪を犯したのはブラザー・ヴィスコンティではありません。

オルランド・トランクウィッロ卿であります。

ならばブラザー・ヴィスコンティは潔白なのか?

とんでもない!?

共犯関係にあります」


 サヴェリオが立ちあがる。

 

「異議あり!

訴追人闇を切り裂く者の臆測にすぎない!!」


 審判人の代表が首をふる。


「異議は却下。

訴追人闇を切り裂く者の論告なので断定は当然であろう。

それが臆測か否かは審議で明らかにすべし」


 モーリスは満足気にうなずく。


弁護人権威の守護者は異を唱えるでしょう。

共犯とは罪を共同で犯したものだと。

それ自体は正しい。

ですが足りません。

トランクウィッロ家の寄進が多いことは有名です。

それは当主がオルランドになってから。

協会の公式記録にも残っており……これは事実であります」


 審判人の代表がうなずく。


「事実と認める」


「ここで、もうひとつの事実があります。

ブラザー・ヴィスコンティはトランクウィッロ家と懇意にしていた。

寄進の多さについてブラザー本人が自賛していたのですから」


「それも事実と認める」


「これらの前提を元に論告を続けます。

ツスクルム教区で起こった、筆舌に尽くしがたい事件の数々をお考えください。

仮に犯人が別にいたとしても……。

報告書に記載すべき事案であります。

確かに教区の聖職者は、報告すべき事案についての裁量が認められている。

ですが事件は、その裁量を遙かに超えているのです。

弁護人権威の守護者が異を唱えるなら、事件そのものを否定する必要がある。

その場合、否定の立証は弁護人権威の守護者にあります」


 サヴェリオが立ちあがる。

 

「異議あり!

これは詭弁きべんだ!!

立証責任はあくまで訴追人闇を切り裂く者にある」


 審判人の代表がモーリスをみる。

 モーリスは涼しい顔のままだ。


「異議に対して異議を唱えます。

本審問が開始されたのは、最低限の立証がされたからでしょう。

故に本審問の否定をするならば、その責務は弁護人権威の守護者にあります。

私の立証責任は、罪の存在を前提としたその先のみ」


 審判人の代表がうなずく。


訴追人闇を切り裂く者の異議を認める。

ツスクルム教区で起こった犯罪の存在を本審問では認めている。

弁護人権威の守護者は、本審問の存在を否定するか?」


 サヴェリオは軽く頭をふって着席する。


「いえ。

現時点では、否定する証拠がありません」


「では訴追人闇を切り裂く者

続けて共犯に至った根拠を提示するように」


 モーリスは軽く一礼した。


「罪は存在し、その報告がされていない。

寄進額が増すなど関係は密になるばかり。

それどころか、これからお伝えする極悪非道という表現が生ぬるい事件について知れば……。

誰しもが共犯と疑うでしょう。

その前に傍聴人に、教会の役目を教えてもよろしいでしょうか?

公正を期すためです」


 審判人の代表がうなずく。


「認めよう」


「教区において重大事件の裁判があった場合、教区の司祭が判決に意見をすることになっています。

重大かの判断は領主に委ねられますが……。

判決が不当であれば信徒は司祭に訴えることが出来る。

司祭は訴えが妥当と判断すれば、領主に再考を促すことが出来ます。

ここまではよろしいですか?」


「続けて」


 モーリスは傍聴席をみて少し間を置く。


「つまり裁判の判決には、教会の追認が必要であり、公正なる教会が領主を監視することが重大な責務であります。

そして裁判への意見や信徒の訴えは、教皇聖下せいかに定期報告することが決まっている。

司祭の判断に、疑わしい点があれば査問会に招集されるのです。

つまり司祭が領主を監視し、聖下せいかか司祭たちを教導する。

これが世に公正をもたらすのです。

審判人の諸兄もこれに異論はないでしょう?」


 審判人の代表が重々しくうなずく。


訴追人闇を切り裂く者の言葉に誤りはない」


「ここで問題となるのが、司祭の報告が過失か故意で欠落していた場合です。

一度なら過失かもしれません。

しかし数十件となれば? 過失と信じることは困難でしょう。

その前に弁護人権威の守護者が、『ブラザー・ヴィスコンティは輔祭だから、当時の事件とは無関係だ』と言いかねません。

ところが大いに関係している。

ブラザー・ヴィスコンティは当時ツスクルム教区の輔祭でした。

司祭ではないのか?

実は司祭が病床に伏していたため、ブラザー・ヴィスコンティが司法に関して仕事を肩代わりしていました。

これは報告書に記されている厳然とした事実であります。

つまりツスクルム教区で起こった事件及び裁判にブラザー・ヴィスコンティは責任があると断言しましょう」


 サヴェリオが立ちあがる。


「異議あり!!

訴追人闇を切り裂く者は、ヴィスコンティ元枢機卿に対する礼儀はないのか?

元枢機卿の権威や名誉を貶めて、本来払われるべき配慮まで奪うのは、公正な審判とは呼べない!」


 傍聴席からブーイングが起こる。

 審判人の代表が首をふった。


「異議は却下。

元の地位が高ければ罪が減じられるとの誤解を招きかねない」


 モーリスは軽く一礼した。


「続けましょう。

私は今回のお話を頂いたとき、まず教会から当時の報告書の写しを取り寄せました。

聖職者への弾劾裁判偽聖審判は、軽々に出来るものではありませんから。

写しを受け取って、受諾の返事をする前に驚愕きょうがくしました。

そして憤りと共に……被害者を救わねばと思いたったのです。

それはなぜか?」


 モーリスは傍聴席をみる。

 聴衆の反応を確かめているようだ。


「実際の裁判数に比して僅かしか報告がされていない。

つまり裁判があった事実すら隠蔽いんぺいされている。

これは教会のみならず……世の正義に対する挑戦です。

一体ブラザー・ヴィスコンティに、人の心があるのか?

いえ、ないでしょう。

トランクウィッロ卿の、想像を絶するおぞましい罪……。

これらすべてを見過ごしたのです。

それどころか、罪なき被害者の悲しみに鞭すら打った。

およそ人間の所業ではありません」


 サヴェリオが立ちあがる。

 これは放置出来ないと考えたらしい。


「異議あり!

教皇庁に送られる報告書は整理がされていないのだ。

報告書の資料室は、ただ報告書を入れるだけの倉庫となっている。

訴追人闇を切り裂く者がすぐに写しを入手したのは大変疑わしい。

もし探し出すなら1年は掛かるはずだ。

でっち上げではないか?」


 報告書が整理されないことは周知の事実であり、根拠のない異議ではなかった。

 本来これは知られたくない事実なのだが……。

 背に腹は代えられないのだろう。

 この点に反論を絞ることにしたらしい。

 審判人の代表がうなずく。


「異議を認める。

訴追人闇を切り裂く者は、そう判断するに至った理由を述べよ」


「写しは間違いなく本物です。

そもそも弁護人権威の守護者の前提が古い。

傍聴人にあらぬ誤解を与えかねません」


 サヴェリオがモーリスを睨みつける。


訴追人闇を切り裂く者

報告書の管理が適切でないのは周知の事実だ。

それが改善されたとまでは聞いたことがない。

根拠を述べよ!!」


 モーリスは大袈裟に天を仰ぐ


「もしや報告書の現状をご存じないのですか?

無理もありません。

ここで、傍聴席にいる皆さまの誤解を解いておきたい。

審判人の諸兄は、不要な先入観を持たないために、事前の調査を禁じられています。

なので制度が変わったことをご存じない。

弁護人権威の守護者も急遽任じられたのですから、調べる猶予がなかったのでしょう。

故に、この点で弁護人権威の守護者の信用は毀損きそんされるべきでない。

報告書の管理がずさんであったのは過去のこと。

すでに改善されているのです」


 審判人の代表が驚いた顔をする。


訴追人闇を切り裂く者は、なぜ報告書の運用が変わったことを知っているのか?

我々とて知らないのだ」


「報告書は、ある人物によって整理され、ルール作りもされているのです。

当然告知もされたはずですが、他の重大事が同時に起きましたので……。

皆さまが知らないのも無理はありません。

なぜ私が知っているのか……という問いにお答えしましょう。

私も知らなかったのですが、本件の話を持ちかけられたときに聞いたのです」


「本件は、大元帥の依頼によるものと聞いている。

大元帥は教会法に通じているようだが……。

なぜ、そのような情報まで知っているのだ?

確かな情報なのかを含めて根拠を示すように」


「それは、報告書の管理体制を改革した本人……。

オフェリー夫人から伺ったのです。

傍聴人の皆さまに補足しましょう。

オフェリー夫人が教皇庁にいたときの趣味が報告書を読むことでした。

管理があまりに杜撰なので、運用手順の見直しと整理を行われたのです」


 モーリスに与える武器の話を、アルフレードとシスター・セラフィーヌがしていたときのことだ。

 オフェリーが報告書の話をした。

 整理済みですぐに探せるはずだと。


 サヴェリオが動揺しながらもモーリスに指を差す。

 オフェリーが報告書を読む奇癖があるとは知っていたからだ。


「異議あり!!

いくら当時の教皇聖下せいかの姪とはいえ……。

独断で整理したのであれば、報告書自体の信用性に疑義を差し挟まざるを得ない」


 審判人の代表は、驚きを隠せずにいた。

 初耳だったからだ。


「異議を認める。

報告書を証拠として採用するには、正式な手順で保管されたものでなくてはいけない。

その点において訴追人闇を切り裂く者はどう信用性を担保するのか?」


 モーリスは得意満面の笑みを浮かべる。


「整理の結果は、当時の教皇聖下せいかが認められました。

その書状もあります。

つまり報告書は正式な手順で整理されたもので証拠に足る。

運用手順につきましては、現在もその定めで運用されているはずです。

姪の気まぐれを特別司祭が許したのではありません。

理に適っているからこそ……いまも運用されているのです」


 審判人の代表は、怪訝な顔をする。

 認めたとなれば布告が残っているからだ。

 この報告書が重要なことは明白である。


「当時の教皇聖下せいかが認められたという書状はどこにあるのか?」


「教会の告知管理室に。

偽使徒が降臨した頃を探していただければと」


 幸か不幸か、布告と降臨は同時期だったのだ。

 偽使徒の降臨で教会の注意がそれに向かっていたので、報告書の整理など誰も気にしなかった。


「至急確認させよう。

では1時間の休廷とする」


 サヴェリオは布告文がないことを期待したかったが……。

 無理な願いだと理解していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る