1008話 閑話 ヴィスコンティ弾劾 予備審判
モーリス・シクスーは仰天した。
モルガン・ルルーシュは、それを見て冷笑する。
「シクスー。
先だって伝えたはずだろう。
可能性はあると。
ラヴェンナ卿の臆測は凡人の臆測ではないともな」
モーリスは、我に返って首をふる。
「わ……分かっている。
それにしても……なんて非常識な」
「君のやることも十分非常識だ。
降りるかね?」
モーリスは、憮然とした顔になる。
煽られるとすぐにのせられてしまうのだ。
「馬鹿を言わないでくれ。
ここで降りたら、男としての人生まで終わる。
ただ……対抗馬のウルデリコ・アルドロヴァンディとは何者だ?
知らなければどうにもならない」
モルガンは紙をさしだす。
「これを見たまえ」
紙を一読したモーリスが驚いた顔になる。
ウルデリコ・アルドロヴァンディのことが記載されていたのだ。
「随分手回しがいいではないか」
モルガンは、涼しい顔で鼻を鳴らす。
「事前にあたりをつけて幾人か調べておいた」
さらにモーリスは読み進めると肩を震わせはじめた。
ウルデリコとグスターヴォに直接の関係があるとは書かれていない。
だが共通の接点があった。
オルランド・トランクウィッロである。
そうなれば、ウルデリコが名乗りをあげた意図が見え隠れするのだ。
「こ……これはなんだね。
無罪を不当に確定させるつもりか?
憤慨するモーリスにモルガンは、冷ややかな笑みを向ける。
「わざと敗訴することで無罪確定。
敵もなかなか賢いではないか。
この早さは見事だと言わざるを得ない」
モルガンは、涼しい顔をしつつも、アルフレードの用心深さに舌を巻いていた。
最初に言われたときは半信半疑だったが手を回しておいたのだ。
並の
敵に回すと、アルフレードほど恐ろしい男はいない。
敵を叩くときは、あらゆる反撃を想定しつつ全力を注ぐからだ。
狙われたと悟った時点で勝負は決まっている。
モルガンの思いを知らずにモーリスは興奮した。
「それはさせない!!
私は勝って正義を守るのだ!!」
他人が正義を口にすれば冷笑するのがモルガンである。
だがモーリスに対しては冷笑をしない。
かわりに肩をすくめるだけであった。
「それなら結構。
他に必要な情報はあるかな?」
「もうすこし、アルドロヴァンディとヴィスコンティ元枢機卿の関係を知りたい。
元枢機卿の後任だけでは武器として弱い」
「分かった。
それはすこし待ってくれ」
それから
結構な数の護衛がついている。
数は100名程度。
モーリスは驚いたが、モルガンが、この位は必要と言ったので納得した。
教皇庁までの道のりも半ばといったところでモーリスは身震いした。
「とうとう予備審問か……武者震いがするよ」
モルガンは、モーリスの身震いが不安と知っている。
モーリスを一瞥してから、窓の外に視線を移す。
平地から森を突き抜ける道に差し掛かった。
「まずは無事に教皇庁にたどり着けることが大事だな」
「ルルーシュは心配性だな。
まさか教会領で私を襲う不届き者がいるとは思えない」
モルガンはモーリスに向き直って冷笑する。
「暢気なものだ。
不当判決を押し通した輩が大人しくするとでも?
連中はどんな手でも使う……と思ったほうがいい」
モーリスが、口を開こうとした瞬間馬車が急停止する。
護衛たちが周囲を警戒しはじめた。
「な……なんだ!」
モルガンは楽しげに目を細める。
「敵襲に決まっているだろう」
モーリスは仰天した。
「そんな非常識な!
ど……どうすれば?」
震えはじめるモーリスに、モルガンは苦笑して肩をすくめる。
窓の外には目もくれない。
「君はいつも仰天しているな。
やれることはひとつ。
大人しく待っていることだ。
そうだな……頭でも抱えておくべきだろう。
矢が飛んでくるかもしれないからな」
モーリスは、震えながら頭を抱えて縮こまる。
まるで怯える小動物のようで、モルガンは吹きだしそうになった。
しばらくして喧噪が激しくなる。
敵襲がはじまって、護衛が応戦しているのだろう。
森に潜んでの敵襲は大勢では出来ない。
モルガンは、護衛を数隊に分けて相互支援する形をとっていた。
あまり固まりすぎると混乱したままやられてしまうからだ。
兵法などに詳しいわけではないが……。
何故か出発前にヤンが護衛の方法を教えてくれた。
必要な人数と襲ってくる場所まで口にする。
モルガンが不思議に思い、理由を尋ねると……ヤン曰く『尻の穴が妙に
これが見事に的中したのだ。
このようなことまで分かるのか……とモルガンは内心で呆れる。
ラヴェンナ卿が特別扱いして重宝するわけだ、と改めて痛感した。
気は進まないが、返礼として酒を進呈する必要も。
しばらくして喧噪がおさまる。
敵は少数だったので引き上げたらしい。
これで、敵のひとりでも殺せていれば、死体から記憶を引っ張りだせるのだが……。
期待出来そうにない。
「シクスー。
頭をあげていいぞ。
撃退したからな」
モーリスは恐る恐る顔をあげた。
そこに、護衛が安全になったことを報告してきた。
敵はすぐに逃げてしまったようだ。
再び馬車が動きだすと、モーリスは憤慨する。
「神をも恐れぬ不届きな……。
このようなことが許されて良いのか?」
モルガンはフンと鼻を鳴らす。
「許されると思っているからやったのだろう。
怖いなら逃げ帰るかね?
安全が保証されないとか……言い訳ならいくらでもひねりだせるだろう」
「馬鹿をいうな。
ここで逃げ帰っては、暴力による正義を認めるようなものだ。
剣は言論に道を譲るべきと常々言っているだろう」
「ならば……腹を括るべきだな」
それから襲撃はなかった。
100人の護衛では手をだせなかったらしい。
教皇庁の城壁内に入った途端、モーリスは背筋を伸ばして自信に満ちた顔になった。
モーリスはモルガンに笑いかける。
「心配無用。
正義と悪の戦いだ。
私が負けては教会どころか正義が死ぬ」
ここまでくればあとは、モーリスの手腕だけが頼りとなる。
モルガンは、その点に関しては心配していなかった。
「その意気は結構だが……。
くれぐれも油断しないことだ」
「分かっている。
それと君が私の輝かしい弁論を記録してくれるとは本当なのかね?」
モルガンが同行したのは、出版のために記録するためでもあった。
「ラヴェンナ卿の名代として出席だからね。
報告のためにも、君の弁論は記録する必要がある」
モーリスは残念そうにため息をつく。
「出来れば大元帥に直接聞いていただきたかったが……」
「無理だろう。
この世で最も命を狙われているのだ。
動くことすらままならないさ」
そもそも、アルフレードが傍聴しようものなら非難
しかも護衛は大規模となり、教皇庁は受け入れだけで大パニックとなる。
「そうだな。
まあ、私の弁舌を見ていてくれたまえ。
君の顔に泥を塗るつもりはない」
モーリスたちはそのまま宿舎に案内される。
かくして予備審判の日となった。
教皇庁の聖堂で審判が行われる。
正面の上段には審判人が5名。
傍聴席には、大勢の民衆が詰めかけている。
そしてモーリスとウルデリコが離れて向き合う形となった。
まずはモーリスが先に発言することになる。
モーリスは、落ち着き払った様子で審判人たちを向く。
「審判人の諸兄。
私が何故、ルテティア総督の任にありながら、このような訴追を行うに至ったか。
考慮の理由と次第を了承していただければ
はじめてのケースなので、決まった作法はないが、ウルデリコの後ろに控えている数名が
彼らの予想と違うはじまりとなったからだ。
モーリスはウルデリコには目もくれない。
「私はたしかにツスクルム教区とは縁がありません。
ただし、
そして、被害に遭った者たちが私に懇願してきました。
彼らは、遠路はるばるルテティアにやって来たのです。
裕福でもない彼らが、どれだけの覚悟で私を頼ったのか。
審判人の諸兄ならば分かるでしょう」
ここでモーリスは、傍聴席にいる民衆に向き直る。
「彼らは、既に年老い、疲れ果てていました。
それでも
彼らの希望は、本当に
オルランド・トランクウィッロに娘を奪われ、彼と共謀したグスターヴォ・ヴィスコンティ元枢機卿に正義を奪われたのです。
他になにが残っているというのですか。
そして彼らはいうのです。
『清貧で知られるルテティア総督シクスー以外の
モーリスは審判人に向き直る。
落ち着き払って堂々としており、敵襲において小動物の如く怯えていた者とは思えないほどだ。
「だからこそ、私は捨て置けなかったのです。
罪なき信徒の必要な叫びを。
被害者の親族から感謝を期待したのではありません。
この行動以上に、教会から正義が失われていないと示すことがあるでしょうか?」
再びモーリスは傍聴席に視線を向ける。
ここにきてウルデリコ側も、モーリスの意図を理解した。
傍聴人を味方につけることで審判人に圧力をかけるつもりなのだと。
「被害者たちは、愛する娘を不当にも奪われたのであります。
またある被害者の親族は、他人の悪行を告発したのに、犯人に仕立て上げられた。
なんという非道か。
主はお隠れになってしまったのか……と絶望すら感じる。
私の憤慨など些細なことです。
なにより被害者たちを救うべきでしょう。
たとえ手遅れであっても、なにもしないことこそ悪であります。
仮に正義が明らかになっても、娘が帰ってくる保証はありません。
ましてや処刑された親族は戻らないのです。
故に決して悲しみが癒えることはない。
それでも彼らは私に願ったのです。
正当なる裁きが下されることで慰めを得ることが出来ると。
彼らの背負う二重の苦しみは不当極まりない。
ひとつは愛する者を失った苦しみ。
もうひとつは不当さを甘受させられた理不尽な苦しみです」
すこし間を置いてモーリスは審判人に向き直る。
「さて……私がどのような事情に導かれて、この訴訟に携わることになったかを示しましたので、次に
審判人の諸兄、私の考えるところはこうであります。
即ち……誰かある者が
不法行為を受けた被害者が最も
そして
ウルデリコの顔色が悪くなった。
いきなり基準を持ちだされては、モーリスのペースに嵌まるからだ。
ウルデリコ陣営の考えでは、モーリスは下品な個人攻撃に終始すると考えていた。
それを指摘すればモーリスの信用を落とせる。
ところが個人攻撃をする気配がない。
根拠なしに考えたわけではない。
モーリスは弁論合戦になると少々品に欠ける個人攻撃をする悪癖があったからだ。
「審判人の諸兄よ、本訴訟で、二つの点は明白であると思われますがそれについて、私の考えを述べることにいたしましょう。
まずは、諸兄の間で最も重要視されなくてはならない点……即ち
モーリスは、やや間を置いてから傍聴席を一瞥する。
「彼らは、私の信義に救いを求めてきました。
人伝であっても、ルテティアでの統治から自分たちを救ってくれる……と信じたかったのであります。
救いとはなにか?
それは私を通じて、諸兄と教会の正義に救いを求め、私が彼らの苦しみを和らげること。
私が不法行為の
傍聴席には被害者たちがいた。
モーリスの依頼で、モルガンが手を回して出席させたのだ。
教皇庁では見ないような疲れ切った人たちなので自然と目立つのもある。
モーリスが視線を送ったことで、民衆は彼らが被害者だと知る。
傍聴席がどよめく。
審判人が静粛を求め、静かになった。
そこでモーリスははじめてウルデリコに向き直る。
「ブラザー・アルドロヴァンディよ。
君がこれから主張するのはどれなのだ?
私が、ツスクルム教区の人々から頼まれていない、とか……。
それとも、被害を受けた信徒たちの意志が、審判人の諸兄にとって重要でない、とか。
もしくは大元帥に頼まれたからとでも?」
ウルデリコは、モーリスの視線に耐えきれずに俯いてしまう。
モーリスは自信ありげに胸を張った。
「私が、ツスクルム教区の人々から頼まれたのは明確な事実だ。
ツスクルム教区の現司祭の宣誓書がある。
もし被害者の意志など関係ないというのであれば、なんのための
使徒さまが、被害者のためと明言されたことをブラザーが否定するとは思えない。
大元帥に頼まれたから私が不適格というのであれば被害を軽視している。
誰から頼まれたのか……ではなく罪の重さこそが重要視されるべきだろう。
そもそもブラザーが私の言葉を否定しようとするにしても、ブラザーとグスターヴォ・ヴィスコンティ元枢機卿の敵対関係はあまりに親密すぎないか?
ブラザーは一体誰のために私を否定するのか? これはあらぬ疑惑を招くだろう」
傍聴席がより大きくどよめいた。
それだけではない。
ウルデリコの背後にいる者たちも顔を見合わせる。
モーリスがそこまで知っていると思っていなかったからだ。
モーリスは、傍聴席にいる被害者たちに視線を向ける。
「さて……ここで、被害者たちの意志について触れておこう。
被害者たちは、ブラザー・アルドロヴァンディのことを知っている。
私のこともだ。
そして被害者たちの意志はこうだ。
ひとりには『自分たちの代弁者になってほしい』と望んでいるが、もうひとりには『絶対になってほしくない』と望んでいると。
なってほしくない理由を被害者たちは黙して語らないが……言外に語っている。
にもかかわらず、ブラザーは彼らの意向に真っ向から逆らって
ブラザーが
ブラザーが自分たちに尽力する意志もないし、意志はあっても能力がない……と見なしている人たちに尽力を約束してやろうというのか!
残された
ブラザーがツスクルム教区にいたとき助けてやれなかった彼らを何故、君は完膚なきまでに絶望させようとするのか」
傍聴席が大きくどよめく。
この時点で半ば勝負は決まっていた。
審判人が静粛を強く求める。
会場が静かになると、モーリスはやや頰を紅潮させて胸を張る。
どうやら高揚しているらしい。
「ブラザーは、被害者たちが私を
もうひとつの重要な問題が欠けていると。
つまり……私によって訴追されることをヴィスコンティ元枢機卿が望まないか……という点について明確ではないのだろう。
そこでひとつの体験を話そうではないか。
私がある者たちに歓迎されていないことは明白だ。
それは大変不思議なことだが……。
ここに来る途中私が襲撃を受けたからだ。
果たして……これはただの偶然なのだろうか?
この点については、確証がないのでこれ以上は触れない。
ただひとつだけ明言すべきことがある。
かような危険ですら、『被害者たちを救いたい』という思いを私から奪うことは出来ないのだ。
この一点においてヴィスコンティ元枢機卿は、私が
ウルデリコの顔面は蒼白となる。
背後にいる者たちも打開策を話し合っているようだが、いい案が思いつかないようだ。
モーリスはウルデリコに、鋭い視線を向ける。
「いまはブラザーが黙って同意してくれるだろうが……。
私には、ヴィスコンティ元枢機卿が侮るものはなにひとつない。
ブラザーには、ヴィスコンティ元枢機卿が恐れるものはなにひとつない、と。
さてブラザー。
君は一体なにが出来る?
君がいつあるいは何処で、自らの能力を示したことはおろか……試したことがあるのか。
その人生が、審判人の諸兄の心中は勿論のこと、万人の眼前にさえ、白日の下に
疑われた教会の正義を擁護することが……どれほど困難な任務であるか考えたことはないのか?」
モーリスは芝居がかった仕草で首をふった。
「
私から学び取るといい。
そのうち、いずれかひとつでもブラザーが自ら自分にあると認めるなら? 私は自発的に、ブラザーが要求するものを譲ろうではないか」
モーリスは教師然とした様子で、自分の胸に手を当てる。
「まず第一には、比類なき清廉潔白さが必要だ。
己の生を釈明出来ない者が、他人の生に釈明を求めるほど耐えがたいものはないのだから。
この点に関して、ブラザーのことで多言を
ただこの事実だけはきっと、すべての人が気付いていると思う。
即ち被害者たちしか、君の為人を知る機会はなかったが、その被害者たちがこう語っている事実である。
『君が敵と称する人物に、自分たちも同じ怒りを抱いている。
それでもブラザーが
それは何故か?
ブラザーは、ヴィスコンティ元枢機卿の後任として赴任したが、被害者たちの訴えを門前払いにしたからだ」
傍聴席に怒声が渦巻く。
審判人が慌てて静粛を求める。
静かになるには、しばしの時間がかかった。
静寂が戻ったときモーリスは、教師然とした様子でうなずく。
「そして第二に
ブラザーが、そのような
私は、次のような事実を述べる気はない。
最も私がそれを述べたとしても、ブラザーには突き崩すことの出来ない事実だ。
即ち、君がツスクルム教区に赴任してからトランクウィッロ家から、様々な贈り物を受け取ったという事実。
いまも、ヴィスコンティ元枢機卿とともにおり、極めて昵懇かつ親密に暮らしてきているという事実である。
ブラザーが、偽りの
こうとだけ言っておく。
ブラザーがどれだけ望んでも、真の
ウルデリコと背後の者たちは茫然自失となっている。
わずか2週間でそこまで調べあげるとは思っていなかった。
ただこの場にいないグスターヴォ・ヴィスコンティ元枢機卿は、奇跡の立役者に気付き、歯がみする。
モルガン・ルルーシュは、元世界主義の人脈に通じており、モーリス・シクスーに暴露したということを。
「審判人の諸兄。
以上のような次第でありますから……。
あなた方の勤めは、この重大な審判を、信義と精励思慮と誠意によって、最も容易に担えると判断する聖職者を選ぶことであります。
あなた方は私よりブラザー・アルドロヴァンディを選んだとしても私は、信義を傷つけられたとは考えません。
しかし……すべての信徒たちは、この
諸兄らの正義には重荷だった、と見なすことにならないよう……ご留意いただきたい。
痴愚女神を僭称する輩の信者である……と告白すべきようなことです」
モーリスは審判人たちに一礼した。
傍聴席から拍手が巻き起こる。
これでモーリスが
それだけではない。
本番の弾劾裁判においても、勢いをつけるものであった。
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