1011話 閑話 本当の半魔

 被告尋問を翌日に迎えたモーリス・シクスーとモルガン・ルルーシュは、部屋の一室で向かい合ってワインを飲んでいた。

 他愛たあいもない話をするも話題が途切れる。

 モーリスが真剣な顔をした。


「ルルーシュよ。

ヴィスコンティは出席すると思うかね?

周囲は逃亡を予期しているぞ」


 モーリスは平気そうにしているが緊張しているらしい。

 だからと、それを突っ込むモルガンではない。


「するだろう。

逃げたら終わりだ。

教会は意地になって捕まえようとする。

その後はよくて幽閉だ。

一方で弾劾されることによるメリットがある」


 モルガンの即答にモーリスは首をかしげる。

 いままでの弾劾は使徒が告発者だ。

 逃げられるものではない。

 だが今回は、平凡な人間の告発だ。

 逃げることも想定していたのである。

 もし逃げるとしたら成算があるときだ。


 モーリスはイザイア・ファルネーゼのことは知らない。

 モルガンが伝えなかった。

 伝えた場合、不要な臆測を弁論に組み込む危険があったからだ。

 そもそも、今回の狙いはオルランド。

 これひとつでイザイアに届かない。

 ならば考えさせないことが得策であった。


 モーリスは小さなため息をつく。


「破門までしか定めていないから有力者が匿うか。

トランクウィッロ卿ではないだろう?

連座は確定しているのだ」


「他に支援者がいてもおかしくはないだろう。

腐敗した元枢機卿なんて便利な駒だからな」


 モルガンはあえて惚けた。

 モーリスは、モルガンがなにか知っているとは感づいたものの、この男は言わないと決めたら決して口を割らない。

 成果を期待出来ない口論で時間を浪費することは望まなかった。

 モーリスはあえて惚けることに決める。

 逆に考えれば『聞かされていないから、その点に関しての責任はない』と判断したようだ。


「匿ったとしてなにか見返りを期待するのだろう?

想像もつかないな」


 モルガンは、唇の端を歪める。

 この友人がいないと思われる男にとって、希少な友人モーリスとの付き合いは長い。

 モーリスが、無駄を悟って惚けたことに気が付いたのだ。


「先例では、破門後の記録はない。

ただ死んだとも聞いていないな。

だから……ほとぼりが冷めた頃に、別の名前で生まれ変わるかもしれん。

顔を知っている者は少ないのだ。

それと匿うことで、教会内部の有力者に貸しを作れる」


 ここでの有力者は守旧派だ。

 本来の守旧派にすればグスターヴォは、成りあがりで胡散臭い男であるが……。

 革新派である教皇ジャンヌと対立するなら不本意ながらグスターヴォを仲間とみなしたのである。

 ただし、利害が一致するまでの仲間に過ぎないが。

 動機がなんであれ自分たちに協力するなら味方とみなす。

 それだけ、教皇ジャンヌの改革によって守旧派は窮地に追い込まれていたのだ。


 モーリスは天を仰いで嘆息する。


「酷い話だな」


「弾劾などあくまで使徒への接待だからな。

ただし臆測だ。

それより最終弁論には気をつけろ」


 モーリスは怪訝な顔をする。


「それはいったい?」


 モルガンが冷笑混じりで口にした予想にシクスーは仰天した。


「馬鹿な! 有り得ない!!

……とも言えないか」


「私が黒幕ならそうするね。

もっとも勝率の高い方法だ」


 モーリスは、大きなため息をつく。


「心しておこう。

それにしても世も末だ。

トランクウィッロのような輩が野放しなのだから」


 モーリスはわざとらしく驚いたフリをする。

 口元には、いつもの冷笑を漂わせて。


「意外と初心だな。

似たような問題ならそれなりにあるぞ。

今回の問題が明るみにでたのは、元執事の告発があってこそだ。

本気で探せば、似たような事例が数件は見つかるだろう。

だからこそ教会は放送を敵視する。

こればかりは、君の属する革新派と守旧派の一致するところだ」


「なんということだ……。

守旧派と、私の反対する意図は違うぞ。

情報を独占した場合、世界の支配者になるのと同義ではないか。

教義もなしに正しさをどう担保するのだ?

それに、あの放送の偏り具合。

思慮はないが情熱だけはある愚者のようではないか。

それはいい。

ただ……トランクウィッロのような問題がまだあると?

それは間違っているぞ」


 モーリスは苦笑して肩をすくめる。

 モルガンにとって、このような腐敗に善悪はない。

 ただ存在するかしないか。

 それだけであった。


「ならば、君が偉くなって改革することだ。

責任が伴わない変革の推進は嫌われる。

そもそも変革とは、リスクを伴い、だからこそ反対が多い。

無責任な連中は、そのリスクをとらずに声ばかりあげて、成功の果実のみを受け取ろうとする。

ラヴェンナ卿が評したように、赤子の泣き声と同じだ。

私程ではないだろうが、他人の赤子の泣き声が五月蠅いと感じる者は多い。

それでも大目に見るのは赤子だからだ。

ところが姿は大人の赤子ならどうだ?

そのような連中のために、自分の人生を賭ける馬鹿などいないからな。

完全に理想が実現されない限り泣き叫ぶ赤子だぞ?

自分はなにもせずな。

それでいて自分は正しいことを言っていると自分に酔うわけだ。

酒に強くないヤツが酒を控えるように、自分に酔うタイプは、理想を叫ぶのは控えるべきだな」


 モーリスは意地の悪い笑みを浮かべて肩をふるわせる。

 モーリスも理想を唱えるが、モルガンの皮肉は自分を対象にしていないことを知っているからだ。


「君も意地が悪い。

酒は次の日に頭痛で戒めを残すが、理想を叫んでも二日酔いにはならないだろう。

しつこく叫ぶ輩は、二日酔いの如く鞭で叩けば大人しくなるのではないか?」


 モルガンはフンと鼻を鳴らす。


「気に入らないが、反論の余地がないな。

まあ、理想の話をしても仕方がない。

私の懸念を留意しておいてくれ」


「分かっている。

理想のためにも負けるわけにはいかない。

それと心配無用だ。

最終弁論に異議は差し挟めない。

私のいままで培ってきた技術の粋を見せようではないか」


「言っておくが……。

詩を持ちだすなよ?

興奮すると君は、私の詩を持ちだす悪癖があるからな」


 モーリスは自信満々に胸を張る。


「精一杯善処するとも」


 モルガンは白い目でモーリスを睨んで、大きなため息をつくだけだった。


                  ◆◇◆◇◆


 周囲の予想に反してグスターヴォ・ヴィスコンティが出廷した。

 宣誓するとギアスを掛けられて、噓をつくことは出来ない。

 傍聴人たちは、グスターヴォの苦しむさまを期待したが……肩透かしに終わる。


 モーリスが尋問しても回答は決まっていた。


 『記憶にない』


 『そのような意図はない』


 『黙秘する』


 傍聴席からのブーイングも、何処どこ吹く風。

 黙秘については、モーリスも予想していたので、最終弁論での決着を考えていた。


 グスターヴォは、サヴェリオからの尋問には一転して饒舌となる。

 テッラノーヴァ事件について関与を問われても涼しい顔だ。


 『拙僧の任務は、領主との関係を良好に保つことだ。

 訴追人闇を切り裂く者が指摘したような事実を知っていれば、正しい処置をしただろう。

 判決を急いだのも……反逆であれば、早期に決着させる必要があるからだ』


 また『司祭は、この問題を知っていたのか?』と聞かれても涼しい顔であった。


 『司祭さまは、同僚の輔祭に事情を聞くときに、問題があれば全員が査問を受けることになる。

 その上で、噓偽りなく問題があれば申せ、と言われた。

 そこで全員が問題なしと答えた。

 故人を非難する気はないが、問題があっても答えられる環境ではなかっただろう。

 事実拙僧も、同僚の不祥事について知らない。

 いま思えば……司祭さまの振る舞いは、聖職者というより……世俗の小役人のようであった』

 

 まるで『環境が悪かったせいだ』と言わんばかりである。

 傍聴席からブーイングが起こり、度々審判人から静粛を求められる始末だ。


 民にすれば不誠実この上ない回答だが、巨大な官僚組織とも呼べる教会の論理は違う。

 もし非公開であったら、そのままグスターヴォが無罪になっていたかもしれない。

 だが、モーリスの弁論で傍聴人たちは有罪一色に染まっていた。


 しばし、時間の休廷後最終弁論に突入する。

 これは、最後のまとめのようなものだが極めて重要だ。

 ここで詰まると信用度が落ちて判決がひっくり返ることも有り得るのだから。


 モーリスとモルガンが控室に戻って椅子に座る。

 モーリスは微妙な顔で苦笑した。

 

「アテが外れたな。

君のことを追求してくるかと思ったのに。

返り討ちの準備をしていて損をしたよ」


 モルガンは、今一納得していない顔で腕を組む。


「見え見えの罠と悟ったのかもしれないな。

ただ……ひとつ気になる」


「ああ。

弁護人権威の守護者の尋問だな。

あれでは、無罪の立証の役には立たない。

もう諦めたのか?」


 モルガンは苦笑して首をふった。


「そのわりには、ヴィスコンティが落ち着き払っている。

どうにも気になるな。

あの男は思っていることが顔にでるタイプだ。

その程度だからこそ……枢機卿になれたわけだが」


 グスターヴォが、人望や声望で枢機卿になっていない。

 なにかのコネなのは明白だった。


 モーリスもグスターヴォの冷静さが気になっていた。

 『ここでの弾劾は茶番だ』とでも言いたげな雰囲気だったからだ。

 やはり弾劾されても処刑ではないから逃げおおせられるとの判断か。


「無罪を勝ち取るなら、審判人を買収しないと無理だろう。

ただ、公開の場だから、下手に買収しようものなら、審判人の生命が危うくなる。

聖下せいかも買収など見逃さないはずだからな。

つまり、有罪を見越しての態度か。

あの役人的答弁は、名前を変えて復帰するときの布石……。

馬鹿にするにも程があるな」


 興奮するモーリスにモルガンは冷笑を向ける。


「下手に道連れなんてしたら、復帰の道がなくなる。

共謀者がいても漏らさなければ忠誠心を示せるからな。

その忠誠に報いなければ今度は密告が流行しはじめる。

そうなってはおちおち羽目を外せないだろう?

まあ……、ここであれこれ悩んでも仕方ないな。

まず君は、有罪を勝ち取ることに専念することだ。

そうしなくてはどうにもならない」


杞憂きゆうだ。

最終弁論で傍聴席を完全に味方につける。

それで決まりだ」


「大変結構。

ただし、真の狙いを忘れるなよ?

トランクウィッロの破門まで持っていかなくては無意味だ」


 モーリスはニヤリと笑った。


「忘れてはいないよ」


                  ◆◇◆◇◆


 ついに最終弁論が幕を開ける。

 モーリスは、やや緊張した面持ちで立ち上がった。

 軽く息を吸うと、被告席のグスターヴォに、厳しい表情を向ける。


「いったい何処どこまで……ヴィスコンティよ。

我々の忍耐につけ込むのだ。

白々しくも記憶にない……と言ったところで、いつまで我々を翻弄ほんろう出来ようか。

何処どこまでお前は、厚顔で不敵な態度を見せびらかすつもりだ」


 聖堂の空気が凍り付く。

 酷薄な笑みを浮かべていたグスターヴォの顔色まで変わる。

 モーリスは、元枢機卿やブラザーの呼び名を外したのだ。

 まるで破門されたことが既成事実であるかのように。


「お前はいささかも狼狽うろたえなかったのか。

聖堂で行われる聖職者への弾劾裁判偽聖審判にも、傍聴席にいる民衆にも。

被害者たちの悲しみと憎悪に満ちた視線もお前には、なんの動揺も与えなかったのか。

お前の悪事はすべて暴かれたのだ。

あの忌まわしき淫獣との関係も」


 グスターヴォの顔が僅かに強ばった。

 すべてとはモーリスの誇張表現だが脅しも含まれている。

 お前のことはすべて知っていると。

 それが脅しになり得るのは、助手席にいるモルガンの存在だ。

 世界主義のことまで話した可能性がある。

 それをなにかに搦めて暴露されれば大変なことになるからだ。


 サヴェリオが、抗議のために腰を浮かせようとするが、審判人に睨まれて終わる。

 最終弁論では異議を唱えることが出来ないからだ。

 ただしそれも、このような厳しい言葉で弁論が行われる想定などなかったからだが……。

 『裁判では過激な表現を押さえるように』と決まるのは後日であった。


 モーリスは両手を広げて天を仰ぐ。


「おお……なんという時代! なんという人の道か!!

なぜお前は罰せられずに……いまここにいるのだ。

ここにいる?

いやそれどころか、あの忌まわしき淫獣から得た利益で、ぬけぬけと枢機卿にまで成りあがった。

いったい何処どこに、枢機卿としての相応しい資質があるのか。

ランゴバルド王国の即位式に出席したが、意味もなくラヴェンナ卿を侮辱してかばわれる始末。

いったい何処どこに、この男が枢機卿どころか聖職者どころか……。

人としての道すら知らない、と指摘する者がいたのか?」


 モーリスはやや顔を紅潮させる。

 身ぶり手ぶりを交えてまるで舞台俳優のようであった。

 再びモーリスが口を開く。


「かつて教会には、不適格な聖職者を弾劾する毅然きぜんたる精神が……たしかに存在した。

主に仕え、清貧の誓いを守り、民の支えとなる。

それをなし得ない者は教会から排除されたのだ。

ヴィスコンティよ。

我々はお前に、審判人の断固たる厳しい判決がくだされるのをまっている。

はっきりいうが……教会に欠けているのはこの毅然きぜんたる精神なのだ」


 傍聴席から拍手が巻き起こる。

 モーリスは手でそれを制した。

 今度は審判人たちに向き直る。


「審判人の諸兄。

裁きにおいてもっとも恐れることは、無実の者に罪を着せることです。

これほど、自らの良心をさいなむ罰はない。

勿論、冤罪えんざいの罪で裁かれた者がもっとも理不尽かつ過酷でしょう

ですが冤罪えんざいによって裁かれた者は、判決と関わった者たちに対し恨む権利を持ちます。

精神において僅かながら救いがあるでしょう。

無実の罪で精神を焼かれる痛みにすれば些細なことではありますが……。

では冤罪えんざいを生みだした者たちは?

自らを責めるしかない。

そして、生涯消えることのない苦しみと共に生きるしかないのです!」


 傍聴席から、より大きな拍手が巻き起こる。

 モーリスは再びそれを手で制した。

 モーリスは少し時間をおいて口を開く。


「もっともそれには、人間としての良心を持ち合わせることが必要です。

普通の人々なら大なり小なり持ち合わせている良心。

ですが、稀に存在する良心なき人間は人間と呼べるのか?

否! 獣どころか魔物にすら劣る。

なぜなら魔物は、我々の社会の外にいるのです。

脅威は目にみえる。

ましてや魔物は、自己弁護に徹して、罪を逃れようとはしない。

ただ、本能のままに動く不浄な存在であります」


 モーリスはグスターヴォを睨みつける。

 グスターヴォは顔が引きっていた。

 それは怒りを抑えるためのようだ。

 モーリスは顔を紅潮させて口を開く。


「では良心なき……人面獣心の魔物はどうか?

巷では、半魔なる存在が、人々を恐怖のどん底に突き落としました。

人が突然魔物になる恐怖は如何ほどのものか。

人でもない。

かと言って完全に魔物でもなない……それ故に半魔と呼ばれるのでしょう。

ですが、私に言わせれば、人面獣心の魔物こそがなのです。

は、我々の社会に潜み、善良な人々の幸福を奪うことで生き永らえる。

その知恵は、他人を貶めるに十分であり、その口は、責任転嫁と自己弁護に徹する。

その表情は、人々を嘲り、その心は、他人の不幸をなんとも思わない。

ですが、哀れむ価値すらないは、ひとりで生きられないのです。

つまりは、善良な人々に寄生し続けるしかない。

このようなを……決して善良な人々のいる社会に解き放つべきではありません。

ましてや民によりそうべきである聖職者にすることなど言語道断!

は、即刻あるべき場所に返すべきなのです!!」


 モーリスがグスターヴォを指さすと拍手が巻き起こる。

 すぐにモーリスは審判人に向き直った。


「さて審判人の諸兄。

貴方たちは、良心に満ちた立派な方々であります。

だからこそ言いたい。

本審問において、良心の呵責かしゃくに脅かされる危険はないのです。

私の弁論によって民は、この男が無罪放免になれば?

教会が存立し得ないと理解しました。

だからこそ、この男は尋問において逃げるしか手がなかったのです」


 モーリスは、自分の席から審判人のいる席に一歩近づく。

 接近は許されていないので、これが近寄れる限度だからだ。


「審判人の諸兄にとって心配することがあるでしょう。

なるほどヴィスコンティは破門に値する。

だが、破門にした場合、いままで野放しにしてきた責任を問われるのではないか……と。

ですがそれを恐れるべきではありません。

民に向かって『悔い改めよ』と常々言っているではありませんか。

それを実践すべきです。

そして『この男がいままで野放しだったのは、今日ここで裁くためだった』として心を奮い立たせればよろしい」


 モーリスは傍聴席に向き直る。


「審判人の諸兄。

傍聴している民の意志はお分かりでしょう。

私の言葉は正しいと考えた故に拍手が起こったのです。

これは、百万の騎士より心強い。

教会に正義なくても正義は、民の心にあるのですから。

つまり私はすでに勝訴しつつあるのです。

私が求めたのはグスターヴォ・ヴィスコンティという戦利品ではありません。

民からの信頼と正義を判断する善良な心であったから。

それは得られたと感じております。

ですが、目指す勝訴とはなりません」


 モーリスは落ち着き払って審判人に向き直る。


「審判人の諸兄。

もし貴方たちが、正しい判断を出来ないのであれば?

民は『もう正しく判断出来る聖職者など教会にいないのだ』と考えざるを得ないでしょう。

そうなれば、被告あって弾劾なし。

弾劾あって有罪なし。

教義あって清貧なし……と。

そうなれば? やった者勝ちで、どれだけ上手く悪事を隠蔽いんぺいするかを考える不届き者がのさばるでしょう。

つまり……世にが満ちるのです。

どうかを世に放たないでいただきたい」


 モーリスは一瞬間をおいてグスターヴォを一瞥する。


「最後に審判人の諸兄。

私は先ほど、ある事実を立証しました。

ヴィスコンティがどれだけ都合よく記憶を失おうが……。

黙秘しようが……。

明確になった事実はひとつ。

被害者たちを一顧だにしない。

しかも枢機卿に上り詰めておきながら、その本性は酷薄そのもの。

教区の信徒が、どれほどの不幸に見舞われても記憶に残らないのです。

この男が覚えているのは当時であれば淫獣オルランドとの関係のみ。

いまは己の保身のみ。

淫獣オルランドは信徒に非ず。

そして、ヴィスコンティも聖職者に値しないことは、先ほどの尋問で明らかになったでしょう」


 傍聴席から、さらに大きな拍手が起こる。

 モーリスは生真面目な顔でそれを制した。

 まだ最終弁論は終わっていないからだ。


「これほど利己的で浅慮な男が、この世の邪悪を体現した淫獣オルランドと関わり続けた……。

果たして無実でいられるでしょうか?

この男がすべきことは、被害者への哀悼が最初で次に潔白の証明だった。

弁護人権威の守護者は学識豊かであり、私より立派な聖職者であります。

故に可能なら、そのように忠告したでしょう。

ところが出来なかった。

それはなぜか?

罪の所在は明らかであり、黒を白とすることは出来ないと悟ったからでしょう。

私個人としては、ヴィスコンティと淫獣オルランドへの処遇は破門ですら生ぬるい。

ですが、教会を復讐ふくしゅうの道具にするつもりはありません。

私個人の義憤を晴らすべきではない。

故に与え得る最高の罰……破門に値すると断言しましょう。

ただし、ひとつ忘れてはならないことがあります。

繰り返しますが、これだけは決して忘れないでいただきたい。

被害者の苦痛は癒やされてしかるべき、と強く訴えて、私の弁論を終えます」


 傍聴席から盛大な拍手が巻き起こる。

 まるで演劇であった。


 1時間程度の休廷を経て弁護人権威の守護者が最終弁論を行う。

 その後審判人たちが協議して判決をくだす。


 モーリスとしては、やるべきことはやった気分である。

 控室に戻ると椅子にもたれかかった。

 熱を込めて弁じたため、汗だらけだったのだ。


 コップに水を注いで一気に飲み込む。

 ようやく人心地ついたのか、モルガンをみて苦笑する。


「どうだったね?」


「君にしては大人しい弁論だったな。

もっと激しい個人攻撃をするかと思ったぞ」


「そうなると、ヴィスコンティにしか目がいかなくなるからね。

それに出版してもらうのだ。

私の品位が落ちるような弁論はしない」


 ふたりは意図せず笑い合う。

 しばらく他愛たあいもない世間話が続くも、突然中断される。


 聖職者がノックもせずに控室に入ってきた。

 たしか審判人の付き人だ。


 息を切らせた付き人の報告にモーリスは仰天した。


「な……なんだって!!」


 モルガンは、涼しい顔で肩をすくめる。


「まだ終わりではないようだな。

残念ながら」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る